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第一章 想ひ出
019 失
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「僕らの別荘は……?」
ふらふらと歩きながら来た道を戻っていくと、あまりの衝撃に膝から崩れ落ちた。
三階と二階部分は崩れ、一階を潰してしまっている。近所の建物も同じ状況だった。
「……っ…………」
瓦礫から声がした。しゃがんで奥を覗くと、唸り声が近くなった。紅緒だ。
「たす……けて……だれか…………」
紅緒はもがき、必死に身体と頭を動かしている。目が合った。
「お願い……たすけて……死んでしまう…………」
紅緒は必死に手を伸ばす。
虎臣の腕は重い。疲労と、かきむしりたくなるほどの憎悪が沸き、腕を伸ばせなかった。
「私の、可愛い息子……」
「なぜ、幸一の手紙を盗んだ?」
そんなことを言いたかったわけではない。なぜか、口から出てしまったのだ。
紅緒は奥で、必死に首を振っている。
「たすけ、て……愛しているわ……」
「危ないぞ!」
後ろから抱きすくめられ、虎臣は背後に転んだ。痛くはない。誰かが緩衝材となったおかげだった。
「地震じゃ。地震がきちょる」
知らない男性が叫ぶと、またもや揺れが起こった。横に揺れ始め、悲鳴を押し殺して見知らぬ男性と抱き合った。
やがて収まってくると、男性は虎臣を立たせた。
「坊や、親御さんは?」
「っ……そうだ、妹とタエ、それに父さん!」
「お父ちゃんは? そこかい?」
男性は別荘──だったものを見やる。
もう何も残っていない。今の地震で、さらに一階部分は崩れてしまった。もし男性が助けてくれなかったら、虎臣も潰されていた。
「──……いえ、ここにはいません。父さんは知り合いの別荘で仕事の話をしています。……妹たちは、買い物をしているはずです」
「父ちゃんは向こう?」
男性は指を差した。木々に覆われた向こうの別荘は、あまり被害がないように見える。
「ええ……そうです」
「なら行ってやんな。ここらはもうだめだ。海沿いは津波がくるかもしれん」
「妹たちに知らせてきます。ありがとうございました」
虎臣は走った。ただただ、走った。何も考えたくはなかった。
頭に浮かぶのは家族と、幸一の姿だった。幸一も父と共に八重澤の別荘にいる。
「お兄様!」
薫子もこちらをめがけて走ってきた。小柄な身体をしかと抱きとめる。
「無事で良かった」
あとから走ってきたタエとも抱き合い、すぐに離れた。
「薫子、タエ、よく聞いてくれ。今から八重澤の別荘へ行く。向こうはまだ大丈夫かもしれない。海沿いは危険だ。津波が来る恐れがある」
「っ……わかったわ」
「偉いぞ、薫子。お前はとてもかしこい。さあ、行こう」
泣きたいだろう薫子は必死で我慢している。なおさら長男として泣くわけにはいかなかった。
薫子の手をしっかりと握り、できるだけ急ぎ足で向かった。
八重澤の別荘の回りは、やせ細った木々は倒れているものの、海沿いと比べると被害は少ない。地震よりも木が倒れたせいで、屋根が潰れかけている建物はいくつかある。
「お父様!」
別荘の前に佇んでいた父を見つけると、薫子は涙を流して抱きついた。
父の側に、八重澤親子がいた。
幸一は虎臣を見つけるなり、走り出す。
あんなに早く走れたのか、体育の授業では手を抜いていたのか、と頭では現実逃避をしかかっていた。
「…………やえさ、わ……」
幸一は虎臣の腰と頭を掴む。
荒々しい手つきのまま、唇が触れた。
「んっ…………」
何も考えず、熱にすがりたかった。受け止めてくれる人に、存分に甘えたかった。父たちの視線を感じたが、今はどうでも良かった。
頬が濡れて、涙は幸一へと移る。全身で心配だと告げている。
「生きていて……良かった」
「うん……」
「別荘は?」
虎臣は答えられなかった。今は思い出したくなかった。
「虎臣も無事で良かった」
「父さん……」
父の様子がぎこちない。息子が男同士で口づけを交わしているところを目撃したのだ。すべてを察したのだろう。
「幸一君の父さんと話して、ひとまず虎臣もここにおいてもらうことになった」
「父さんたちは?」
「救助活動をしなければならない。判るだろう?」
「……………………」
そう、家族が一人足りないのだ。父は望みと覚悟を持って、別荘へ向かおうとしている。
「頼みがある。お前はここにいて、女性と子供を守るんだ。薫子はか弱い。タエだっている。弱い者を守るのは、男の務めだ」
虎臣は父の目をまっすぐに見て、頷いた。
「頼んだぞ」
父は肩を叩き、背を向けた。
やがて見えなくなると、泣きじゃくる薫子を抱いて幸一の別荘へ入った。
中では見知らぬ女性が電話をしていて、幸一に使用人だと教わる。
「虎臣様でございますね」
「虎臣で結構です。何か手伝わせて頂けませんか? 父たちは救助活動に向かいました。ここで黙って待つのは気が引けます」
「ありがとうございます。別荘は無事でしたが……棚が倒れたり食器がこのような有り様でして……」
「では、僕と幸一のふたりで力仕事をします。薫子、いつまでも泣いていたら駄目だ」
「だってだって……お母様が……」
「………………。今はタエの言うことをしっかり聞いて、手伝うんだ。一緒にここを綺麗にしよう。な?」
酷なことを言っているのは自覚がある。それでも前を向いて進まなければならない。
幸一と居間へ向かう。棚も倒れ、無惨な状態だった。
「学校はどうなっているんだろうな」
「そのうち連絡は入ると思う。工事中だし、無事だと思いたい」
「地震があったとき、家の中にいたのか?」
「ああ。段々大きく揺れ始めて、父さんたちと使用人のアキ子と一緒に外へ逃げたんだ。車に掴まって、なんとか耐えたよ。本田は?」
「薫子とタエが買い物に出ていって、迎えに行く途中で被害にあった。大きな木に掴まっていたよ。海近くの建物はほぼ全滅だ」
「そうか……」
「そっち、持ってくれ」
なるべく現実と離れたくて、仕事に没頭しようと決めた。
日が沈む頃になると父が戻ってきた。
「旦那様、おかえりなさいませ」
タエが深々と頭を下げ、出迎える。
「ただいま。薫子は?」
「客室をお借りして眠っています。夕食の手伝いもして下さいました。虎臣坊ちゃんは、幸一様とふたりで倒れたものを元に戻して下さいました」
「そうか。……虎臣、少しいいか?」
父の表情は暗いままだ。
二人で廊下に出ると、父は重たい口を開く。
「もう覚悟はできているだろうが、母さんが亡くなった」
「……………………」
虎臣は口を噤んだままだ。
強く、強く肩を掴まれる。
「辛いのは判る。だが長男としてしっかりしなければならない」
虎臣は違う意味も含まれていると察した。
気持ちを押し殺せと──。
ふらふらと歩きながら来た道を戻っていくと、あまりの衝撃に膝から崩れ落ちた。
三階と二階部分は崩れ、一階を潰してしまっている。近所の建物も同じ状況だった。
「……っ…………」
瓦礫から声がした。しゃがんで奥を覗くと、唸り声が近くなった。紅緒だ。
「たす……けて……だれか…………」
紅緒はもがき、必死に身体と頭を動かしている。目が合った。
「お願い……たすけて……死んでしまう…………」
紅緒は必死に手を伸ばす。
虎臣の腕は重い。疲労と、かきむしりたくなるほどの憎悪が沸き、腕を伸ばせなかった。
「私の、可愛い息子……」
「なぜ、幸一の手紙を盗んだ?」
そんなことを言いたかったわけではない。なぜか、口から出てしまったのだ。
紅緒は奥で、必死に首を振っている。
「たすけ、て……愛しているわ……」
「危ないぞ!」
後ろから抱きすくめられ、虎臣は背後に転んだ。痛くはない。誰かが緩衝材となったおかげだった。
「地震じゃ。地震がきちょる」
知らない男性が叫ぶと、またもや揺れが起こった。横に揺れ始め、悲鳴を押し殺して見知らぬ男性と抱き合った。
やがて収まってくると、男性は虎臣を立たせた。
「坊や、親御さんは?」
「っ……そうだ、妹とタエ、それに父さん!」
「お父ちゃんは? そこかい?」
男性は別荘──だったものを見やる。
もう何も残っていない。今の地震で、さらに一階部分は崩れてしまった。もし男性が助けてくれなかったら、虎臣も潰されていた。
「──……いえ、ここにはいません。父さんは知り合いの別荘で仕事の話をしています。……妹たちは、買い物をしているはずです」
「父ちゃんは向こう?」
男性は指を差した。木々に覆われた向こうの別荘は、あまり被害がないように見える。
「ええ……そうです」
「なら行ってやんな。ここらはもうだめだ。海沿いは津波がくるかもしれん」
「妹たちに知らせてきます。ありがとうございました」
虎臣は走った。ただただ、走った。何も考えたくはなかった。
頭に浮かぶのは家族と、幸一の姿だった。幸一も父と共に八重澤の別荘にいる。
「お兄様!」
薫子もこちらをめがけて走ってきた。小柄な身体をしかと抱きとめる。
「無事で良かった」
あとから走ってきたタエとも抱き合い、すぐに離れた。
「薫子、タエ、よく聞いてくれ。今から八重澤の別荘へ行く。向こうはまだ大丈夫かもしれない。海沿いは危険だ。津波が来る恐れがある」
「っ……わかったわ」
「偉いぞ、薫子。お前はとてもかしこい。さあ、行こう」
泣きたいだろう薫子は必死で我慢している。なおさら長男として泣くわけにはいかなかった。
薫子の手をしっかりと握り、できるだけ急ぎ足で向かった。
八重澤の別荘の回りは、やせ細った木々は倒れているものの、海沿いと比べると被害は少ない。地震よりも木が倒れたせいで、屋根が潰れかけている建物はいくつかある。
「お父様!」
別荘の前に佇んでいた父を見つけると、薫子は涙を流して抱きついた。
父の側に、八重澤親子がいた。
幸一は虎臣を見つけるなり、走り出す。
あんなに早く走れたのか、体育の授業では手を抜いていたのか、と頭では現実逃避をしかかっていた。
「…………やえさ、わ……」
幸一は虎臣の腰と頭を掴む。
荒々しい手つきのまま、唇が触れた。
「んっ…………」
何も考えず、熱にすがりたかった。受け止めてくれる人に、存分に甘えたかった。父たちの視線を感じたが、今はどうでも良かった。
頬が濡れて、涙は幸一へと移る。全身で心配だと告げている。
「生きていて……良かった」
「うん……」
「別荘は?」
虎臣は答えられなかった。今は思い出したくなかった。
「虎臣も無事で良かった」
「父さん……」
父の様子がぎこちない。息子が男同士で口づけを交わしているところを目撃したのだ。すべてを察したのだろう。
「幸一君の父さんと話して、ひとまず虎臣もここにおいてもらうことになった」
「父さんたちは?」
「救助活動をしなければならない。判るだろう?」
「……………………」
そう、家族が一人足りないのだ。父は望みと覚悟を持って、別荘へ向かおうとしている。
「頼みがある。お前はここにいて、女性と子供を守るんだ。薫子はか弱い。タエだっている。弱い者を守るのは、男の務めだ」
虎臣は父の目をまっすぐに見て、頷いた。
「頼んだぞ」
父は肩を叩き、背を向けた。
やがて見えなくなると、泣きじゃくる薫子を抱いて幸一の別荘へ入った。
中では見知らぬ女性が電話をしていて、幸一に使用人だと教わる。
「虎臣様でございますね」
「虎臣で結構です。何か手伝わせて頂けませんか? 父たちは救助活動に向かいました。ここで黙って待つのは気が引けます」
「ありがとうございます。別荘は無事でしたが……棚が倒れたり食器がこのような有り様でして……」
「では、僕と幸一のふたりで力仕事をします。薫子、いつまでも泣いていたら駄目だ」
「だってだって……お母様が……」
「………………。今はタエの言うことをしっかり聞いて、手伝うんだ。一緒にここを綺麗にしよう。な?」
酷なことを言っているのは自覚がある。それでも前を向いて進まなければならない。
幸一と居間へ向かう。棚も倒れ、無惨な状態だった。
「学校はどうなっているんだろうな」
「そのうち連絡は入ると思う。工事中だし、無事だと思いたい」
「地震があったとき、家の中にいたのか?」
「ああ。段々大きく揺れ始めて、父さんたちと使用人のアキ子と一緒に外へ逃げたんだ。車に掴まって、なんとか耐えたよ。本田は?」
「薫子とタエが買い物に出ていって、迎えに行く途中で被害にあった。大きな木に掴まっていたよ。海近くの建物はほぼ全滅だ」
「そうか……」
「そっち、持ってくれ」
なるべく現実と離れたくて、仕事に没頭しようと決めた。
日が沈む頃になると父が戻ってきた。
「旦那様、おかえりなさいませ」
タエが深々と頭を下げ、出迎える。
「ただいま。薫子は?」
「客室をお借りして眠っています。夕食の手伝いもして下さいました。虎臣坊ちゃんは、幸一様とふたりで倒れたものを元に戻して下さいました」
「そうか。……虎臣、少しいいか?」
父の表情は暗いままだ。
二人で廊下に出ると、父は重たい口を開く。
「もう覚悟はできているだろうが、母さんが亡くなった」
「……………………」
虎臣は口を噤んだままだ。
強く、強く肩を掴まれる。
「辛いのは判る。だが長男としてしっかりしなければならない」
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気持ちを押し殺せと──。
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