17 / 34
第一章 想ひ出
017 追
しおりを挟む
シャツを捻るように絞ると、布地から染み込んだ水が滴り落ちた。
ありったけの力を入れて絞り、振り向くと幸一と目が合った。
じっくりと舐め回すような目で、上から下まで見てくる。
誰もいないふたりきりの世界で、幸一は遠慮を忘れてしまったらしい。
「雨、止まないな」
「止まなかったら、ずっとふたりだけだ」
「っ……そうだな。どうしてここにいるんだ? 薫子と出かけたんじゃないのか?」
「お茶だけしてすぐに帰ってきた。父さんが席を立ったときに、いろいろ話してくれたよ。俺たちの父親が、俺を結婚させたがっているのは感づいていたって」
「それでどうなった?」
「いずれ嫁にいかなければならない立場。でもどうするのが適切な判断か判らない、だそうだ。今は勉強に興味があって、将来は医者になりたいって話してくれた」
「僕は何も聞いていないぞ」
「落ち着けよ。他人の俺だから気安く話せたんだと思う。女性で医者なんてすごい夢だ」
「それで? 薫子はお前と結婚する気はあるのか?」
「あの様子だとないだろうな。それに俺、他に好きな人がいるって話した」
「話した、のか……?」
「話した。目を伏せて『そうですか』だそうだ。それ以上の会話はしていない」
雨が洞窟の外壁に叩きつけ、幸一の声が聞こえづらい。
距離を縮め、彼の耳元に唇を寄せた。
「眠くなってきた」
「寝ていいぞ。ほら」
幸一は自分の太股を叩いた。
虎臣は素直に横になると、あっという間に意識を手放した。
「本田、本田……晴れたぞ」
身体を揺さぶられ、重いまぶたを開けた。
暗かった洞窟内には明かりが差している。
「悪い……本当に寝てしまった」
「気にするな。実は俺も少しだけ寝たんだ。そろそろ戻ろう。家族が心配している」
身体を起こして背伸びをすると、幸一は太股を揉んでいる。
「痺れたか?」
「少しね。でも大丈夫。問題ない」
「いつ頃止んだ?」
「お前が寝てから十分くらい経ったあたりかな。豪雨だったけど、すぐに嵐は去ったんだ」
「すぐに起こしてくれて構わなかったのに」
「そんなに気持ち良さそうにしていたら、起こすに起こせないだろ。ほら、立って」
腕を取られるとバランスを崩し、幸一へもたれかかってしまう。
広い胸に伸びた腕、それに肩の位置が高い。
「高校に入ってからも背が伸びたな。見上げないといけなくなっている」
「お前だってすぐに伸びるさ」
特に会話らしい会話も交わさず、しばらく抱き合っていた。
幸一の顔が降りてきたので、自然と目を瞑る。
舌が滑り込んできて、固いものが舌に当たる。
口の中で転がすと、懐かしい甘みが広がっていく。
「十二歳のときの飴?」
「ああ、そうだ。あのときもこうして食べたなあ」
「すごく美味しいよ」
「もっと食べる?」
飴はまだ口の中にある。もっとほしくて、虎臣は自ら唇を差し出した。
その日の夕食は、薫子はいやにおとなしかった。
「薫子、なにかあった?」
「ううん、なんでもないの……」
「八重澤と何か話した?」
「いろいろ。ねえお兄様、今日は私の宿題を見てくれる?」
「もちろんだよ。今日は一緒に過ごそう」
薫子に少しだけ笑顔が戻った。
夕食後は薫子の部屋で過ごした。
「ずっと元気がないな。八重澤から何か言われたのか?」
「兄様って、将来の夢はある?」
「夢か……、まずは大学で勉強したいとは思っているよ」
「兄様は家業を継ぐの?」
「父さんはきっとそれを望んでいる。でも今は大学へ行くことしか考えてない。将来の夢で悩んでいるのか?」
薫子の目線が泳いだ。無理に聞こうとはせず、辛抱強く待った。
「どうして、女は結婚しなきゃいけないの?」
言葉を選ばなければならない。薫子と、虎臣自身のために。
「子を生むのが女性の仕事でもあるって言うのが国の声でもある。薫子は結婚したくないのか?」
「したくないし、お嫁に行くのが嫌なの」
「婿を取りたいの?」
「うん……それか、結婚したくない」
「大人になれば考え方も変わってくるし、今の薫子の気持ちを尊重するよ」
ようやく薫子の顔から緊張が解れた。
「女が結婚しなくちゃいけないのは、世間体があるから?」
「それも大きいけど、女も男も関係ないよ。結婚に関しては男の方が社会では一人前とされないから。いつか、結婚しなくても問題ないお国になるといいね。今は薫子のしたいことをすればいい」
「私、たくさん勉強したいの。将来は医者になりたい」
幸一にだけ夢を話し、実の兄には言えないのか、と嫉妬で渦巻いていた気持ちが和らいだ。
「こんなに一生懸命勉強している薫子なら、きっとなれるよ。もし父さんに反対されたら、僕が味方になる。遠く離れていても、誰よりも薫子を思っているから」
「ありがとう、お兄様。私も、ずっとお兄様の味方でいるわ」
薫子の気持ちは幸一へ向いていない。彼女の口から彼の名前は一切出ず、将来は医者になることに集中していた。
安堵もありつつ、中途半端な立場でしかいられない自身に、地に足が着かない状態だった。
時間は有限であり、高校生活も残り一年となった。
高校三年に上がったばかりの春の試験でも、虎臣は一位だった。二位には林田がつけている。
ぼんやりと廊下に貼られた試験結果を見ていると、林田が横に立っていた。
「試験お疲れ様。一位、おめでとう」
「ありがとう。林田は医学部に入るつもりなのか?」
「もちろんだとも。祖父も父も代々医師だ。僕が継ぐねばならないんだ」
林田の表情は誇らしい。
「興味があるのか?」
「僕じゃないんだけど、僕の妹なんだ。医者を目指しているんだ」
「それは素晴らしいことだ。よければ、医学部の資料を送ろうか?」
驚いたのは虎臣だ。
「女子で医師を目指すんだから、風当たりは厳しいと思う。林田は、そういう風に思わない?」
「なぜだい? 性別関係なく、人が人を救おうとしているんだ。立派じゃないか」
「ありがとう。医者を目指している君にそう言われると、とても嬉しい。妹も喜ぶと思う。資料の件、よろしく頼む」
寄宿舎へ戻る最中、廊下に人だかりができていた。
試験結果ではなく、別の貼り紙に人が集まっている。
「今年の夏季休暇はずれるってさ」
「工事の都合って書いてあるな」
紙には、八月の二週目から九月半ばまでが休暇となっていた。
自室では試験を終えた幸一が、寝そべりながら本を読んでいた。
「今年の夏季休暇の話、聞いたか?」
「ああ、聞いたよ。ずれるらしいな」
答えてはくれるものの、幸一は顔を上げない。
すでに敷かれてある布団に、虎臣も横になった。
ありったけの力を入れて絞り、振り向くと幸一と目が合った。
じっくりと舐め回すような目で、上から下まで見てくる。
誰もいないふたりきりの世界で、幸一は遠慮を忘れてしまったらしい。
「雨、止まないな」
「止まなかったら、ずっとふたりだけだ」
「っ……そうだな。どうしてここにいるんだ? 薫子と出かけたんじゃないのか?」
「お茶だけしてすぐに帰ってきた。父さんが席を立ったときに、いろいろ話してくれたよ。俺たちの父親が、俺を結婚させたがっているのは感づいていたって」
「それでどうなった?」
「いずれ嫁にいかなければならない立場。でもどうするのが適切な判断か判らない、だそうだ。今は勉強に興味があって、将来は医者になりたいって話してくれた」
「僕は何も聞いていないぞ」
「落ち着けよ。他人の俺だから気安く話せたんだと思う。女性で医者なんてすごい夢だ」
「それで? 薫子はお前と結婚する気はあるのか?」
「あの様子だとないだろうな。それに俺、他に好きな人がいるって話した」
「話した、のか……?」
「話した。目を伏せて『そうですか』だそうだ。それ以上の会話はしていない」
雨が洞窟の外壁に叩きつけ、幸一の声が聞こえづらい。
距離を縮め、彼の耳元に唇を寄せた。
「眠くなってきた」
「寝ていいぞ。ほら」
幸一は自分の太股を叩いた。
虎臣は素直に横になると、あっという間に意識を手放した。
「本田、本田……晴れたぞ」
身体を揺さぶられ、重いまぶたを開けた。
暗かった洞窟内には明かりが差している。
「悪い……本当に寝てしまった」
「気にするな。実は俺も少しだけ寝たんだ。そろそろ戻ろう。家族が心配している」
身体を起こして背伸びをすると、幸一は太股を揉んでいる。
「痺れたか?」
「少しね。でも大丈夫。問題ない」
「いつ頃止んだ?」
「お前が寝てから十分くらい経ったあたりかな。豪雨だったけど、すぐに嵐は去ったんだ」
「すぐに起こしてくれて構わなかったのに」
「そんなに気持ち良さそうにしていたら、起こすに起こせないだろ。ほら、立って」
腕を取られるとバランスを崩し、幸一へもたれかかってしまう。
広い胸に伸びた腕、それに肩の位置が高い。
「高校に入ってからも背が伸びたな。見上げないといけなくなっている」
「お前だってすぐに伸びるさ」
特に会話らしい会話も交わさず、しばらく抱き合っていた。
幸一の顔が降りてきたので、自然と目を瞑る。
舌が滑り込んできて、固いものが舌に当たる。
口の中で転がすと、懐かしい甘みが広がっていく。
「十二歳のときの飴?」
「ああ、そうだ。あのときもこうして食べたなあ」
「すごく美味しいよ」
「もっと食べる?」
飴はまだ口の中にある。もっとほしくて、虎臣は自ら唇を差し出した。
その日の夕食は、薫子はいやにおとなしかった。
「薫子、なにかあった?」
「ううん、なんでもないの……」
「八重澤と何か話した?」
「いろいろ。ねえお兄様、今日は私の宿題を見てくれる?」
「もちろんだよ。今日は一緒に過ごそう」
薫子に少しだけ笑顔が戻った。
夕食後は薫子の部屋で過ごした。
「ずっと元気がないな。八重澤から何か言われたのか?」
「兄様って、将来の夢はある?」
「夢か……、まずは大学で勉強したいとは思っているよ」
「兄様は家業を継ぐの?」
「父さんはきっとそれを望んでいる。でも今は大学へ行くことしか考えてない。将来の夢で悩んでいるのか?」
薫子の目線が泳いだ。無理に聞こうとはせず、辛抱強く待った。
「どうして、女は結婚しなきゃいけないの?」
言葉を選ばなければならない。薫子と、虎臣自身のために。
「子を生むのが女性の仕事でもあるって言うのが国の声でもある。薫子は結婚したくないのか?」
「したくないし、お嫁に行くのが嫌なの」
「婿を取りたいの?」
「うん……それか、結婚したくない」
「大人になれば考え方も変わってくるし、今の薫子の気持ちを尊重するよ」
ようやく薫子の顔から緊張が解れた。
「女が結婚しなくちゃいけないのは、世間体があるから?」
「それも大きいけど、女も男も関係ないよ。結婚に関しては男の方が社会では一人前とされないから。いつか、結婚しなくても問題ないお国になるといいね。今は薫子のしたいことをすればいい」
「私、たくさん勉強したいの。将来は医者になりたい」
幸一にだけ夢を話し、実の兄には言えないのか、と嫉妬で渦巻いていた気持ちが和らいだ。
「こんなに一生懸命勉強している薫子なら、きっとなれるよ。もし父さんに反対されたら、僕が味方になる。遠く離れていても、誰よりも薫子を思っているから」
「ありがとう、お兄様。私も、ずっとお兄様の味方でいるわ」
薫子の気持ちは幸一へ向いていない。彼女の口から彼の名前は一切出ず、将来は医者になることに集中していた。
安堵もありつつ、中途半端な立場でしかいられない自身に、地に足が着かない状態だった。
時間は有限であり、高校生活も残り一年となった。
高校三年に上がったばかりの春の試験でも、虎臣は一位だった。二位には林田がつけている。
ぼんやりと廊下に貼られた試験結果を見ていると、林田が横に立っていた。
「試験お疲れ様。一位、おめでとう」
「ありがとう。林田は医学部に入るつもりなのか?」
「もちろんだとも。祖父も父も代々医師だ。僕が継ぐねばならないんだ」
林田の表情は誇らしい。
「興味があるのか?」
「僕じゃないんだけど、僕の妹なんだ。医者を目指しているんだ」
「それは素晴らしいことだ。よければ、医学部の資料を送ろうか?」
驚いたのは虎臣だ。
「女子で医師を目指すんだから、風当たりは厳しいと思う。林田は、そういう風に思わない?」
「なぜだい? 性別関係なく、人が人を救おうとしているんだ。立派じゃないか」
「ありがとう。医者を目指している君にそう言われると、とても嬉しい。妹も喜ぶと思う。資料の件、よろしく頼む」
寄宿舎へ戻る最中、廊下に人だかりができていた。
試験結果ではなく、別の貼り紙に人が集まっている。
「今年の夏季休暇はずれるってさ」
「工事の都合って書いてあるな」
紙には、八月の二週目から九月半ばまでが休暇となっていた。
自室では試験を終えた幸一が、寝そべりながら本を読んでいた。
「今年の夏季休暇の話、聞いたか?」
「ああ、聞いたよ。ずれるらしいな」
答えてはくれるものの、幸一は顔を上げない。
すでに敷かれてある布団に、虎臣も横になった。
11
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
六日の菖蒲
あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。
落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。
▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。
▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず)
▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。
▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。
▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。
▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる