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第一章 想ひ出

015 夢

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 外では賑やかな声が聞こえてくる。張り裂けるほどの笑い声は、今の話と平和な世界がごっちゃになり、虎臣は闇の中へ呑まれた気がした。
「なんで、どうして……」
「親は子供を戦争になんて行かせたくないからな。死にに行くようなものだ。だから学校はあえて年間行事に書かないんだ」
「俺……嫌だ……」
「誰だって嫌さ。お国のために戦うなんて洗脳させられて、名誉も誇りも捨てに行くようなものだからな」
「違う! そうじゃない……俺は………っ」
 たとえ闇の中であっても、ふたりだけの小さな世界は明かりに照らされている。目の前の人が太陽そのものだ。
「俺は……お前を失うのが嫌なんだ」
 気づかないふりをしていただけだ。長男として課せられる責務を盾にして、将来を考えるよりも居心地を優先してきた。
 友人関係は口づけもしないし、長い時間見つめ合ったりもしない。
「平和になっていくことを願おう。徴兵は平等にあると言われるが、実際は公平に選ばれるわけじゃない。高学歴や国にとって必要な職業に就いている人は免除される可能性が高い。それに身体に欠陥のある者もだ」
「きっと俺、裏切り者だと言われても逃げると思う」
「そのときは一緒だ。遠くまで逃げて……」
「一緒にいよう」
「お前からそうやって将来を約束されるなんて初めてだな」
 幸一は子供みたいに笑っていた。
 願わくば、争いのない世界でふたりで生きたいと彼の手を握った。



 高校二年の夏休暇に入ると、生徒たちは次々に寄宿舎を後にした。
 幸一ともしばしの別れだが、彼とはまた別荘で会える。軽い別れで寂しさはなかった。
 紅緒や薫子は、別荘へ向かっていてすでにいなかった。幸一が別荘で過ごす日は知っているので、まだ別荘へは向かわないと父の秀道に告げた。
「なんだ、すぐに行かないのか」
「行ったところで薫子に遊ぼうと言われるからね。宿題があるし、まずは家で片づけたい」
「それがいいかもしれないな。薫子はだいぶ大人になった。お前に会いたいとずっと言っているんだ」
「僕も会いたいよ」
「紅緒のことだが、今は別荘で過ごしている。八月の後半は近くの民宿で温泉に浸かりたいそうだ」
「そう」
 すれ違いくらいはあるだろうが、ほぼ会わなくて済む。
 親不孝と言われようと、最も苦手とする人だ。どうしたって好きになれない。

 夏季休暇が残り二週間となったとき、虎臣もいよいよ別荘へ降り立った。
 タエと抱き合っていると、お転婆な薫子は別荘を飛び出し抱きついてきた。
「会いたかったわ、お兄様」
「元気すぎてタエを困らせていなかったか?」
「そんなことないわ! ちゃんといい子にしてたもの。ねえ、タエ」
「薫子お嬢様はいつもいい子ですよ。それに、病気で弱った姿を見せられるよりも、元気な姿を見せて下さる方が安心します。さあ、中へ入りましょう」
 久しぶりのアイスクリームを堪能しつつ、学校生活について話をした。
「私ね、お兄様みたく高校生になったら寄宿舎に入りたいの。でもお父様がいい顔をしなくて」
「寂しいんじゃないのか」
「そう言ってたわ。だからお兄様には私の味方になってほしいのよ」
「判った。夜にでも話そう」
 紅緒はすでに民宿へ出かけていていた。
 夜には秀道も帰ってきて、久しぶりに家族が揃った。紅緒がいないためか、余計に家族の大切さを噛みしめながらすき焼きを囲った。
「明日の夜は八重澤さんも読んで、鰻を食べる予定だ。好きだろう?」
「大好きだ。寄宿舎ではまったく出ないごちそうだよ。それより父さん、薫子のことなんだけど、高校生になったら家から通わせるつもりなのか?」
 薫子は固唾を呑んで見守っている。大人びたと思えば子供っぽくて、愛らしい妹なのは変わらない。
 父は言葉を選んでいる。畳みかけるように、虎臣は口を開く。
「薫子だけ家から通うなんて可哀想じゃないか」
「だが薫子は女だ。いずれ家から出すつもりだし、その間だけでも……」
「私の人生は私のものよ。それにお兄様だけなんてずるい。私も寄宿舎から高校に通いたい」
「家から出すつもりなら、寄宿舎にいた方が花嫁修行ができると思うよ。裁縫や料理だって授業の一環として学べるんだし。結局は、父さんが薫子を手放すのが寂しいだけなんじゃないのか?」
「それは……その通りだ。お前まで離れて暮らし、薫子までいなくなったら……」
「結局はお父様の都合じゃない」
「薫子は家から出て、寂しくないのか?」
「寂しいわ。でもそれ以上に、外の世界を知りたいの」
 父は唸っている。あとひと押しだ、というところで電話が来て父は席を立った。
「あの様子だと、多分折れてくれるよ。薫子は成績を上げて、高校ではああしたい、こうしたいと夢を語るんだ」
 虎臣なりの思惑があった。もし薫子が寄宿舎に入れば、彼女は自由がなくなる。幸一と会う機会も減り、二人の結婚の話などなくなればいい、と願っている。
 翌日の午前中に幸一と合流し、嬉しさをかみ殺すのに必死だった。
「薫子さん、お久しぶりです。いやあ、本当に美しくなった」
「お久しぶりでございます」
 薫子は幸一の父である正一に会釈する。
「虎臣君、息子が世話になった。事件に巻き込まれたとき、ずっと看病してくれていたらしいね」
「同室ですし、お気になさらないで下さい」
「今日の予定は決まっているのかい?」
 正一はそう言うと、薫子を一瞥する。
「幸一君とどちらかの別荘で宿題をする約束をしています。全部終わったら、海へ行こうかと」
 本当は約束などしていない。幸一と薫子を二人きりにしないためのでまかせだ。
「そうか。んー…………」
 正一は何か言いたげであったが、
「本田、お前の部屋でやろう。俺、半分くらいしか終わっていないんだ」
 と、八重澤は話を遮った。
 正一は薫子を気にしていた。幸一と接点を持たせようとしているのだろうと、容易に想像ができる。
 部屋に入るなり、幸一は布団へ身体を沈めた。
「宿題するんじゃなかったのか?」
「するよ、あとで。本田ってさ、薫子さんにあまり似ていないよな」
「そう? けっこう似てるって言われるけど。似ていないなんて初めて言われたぞ」
「もっと小さかった頃は造形が似ていた」
「絵描きにしか判らないこともあるんだな。僕とは半分しか血が繋がっていないし、薫子は紅緒さんに似ているんだ」
 紅緒は人を狂わせる美貌を誇るが、自信の表れが滲み出ている。一方の薫子は、まだ幼さの残る原石だ。全身で男をたぶらかす人にはなってほしくないと思う。
「今日は勉強して、明日は俺の別荘に行こう。カステラも用意してあるよ」
「カステラにつられたわけじゃないけど、行く」
「誰もいない。それでもいいか?」
 誰から教わったわけではないのに、意味が判らないわけではなかった。
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