あの夏をもう一度─大正時代の想ひ出と恋文─

不来方しい

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第一章 想ひ出

01 恋

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 平成××年、上野にある美術館で、大正時代の代表ともいえる画家・八重澤やえさわ虎一とらいちの展覧会が行われていた。
「大盛況ですね」
 相田は向こうでインタビューを受けている佐山桔平を見やり、天を仰いだ。
 佐山桔平は八重澤虎一の末裔だと言われているが、定かではない。家に八重澤虎一と思われる写真と下書きの絵が残されていて、佐山は写真の虎一と似ていたためにそう言われている。
「風景画よりも、やはり彼の持ち味は春画だな」
「複製画の売り上げもほとんどが春画ですしね。妙な生々しさがあるというか、特に男同士のものは」
「記録は残されてないが、本人の結婚歴は残されていないらしい。もしかしたら、あえて残さなかった、時代のせいで残せなかったのかもしれないな」
「すると、八重澤虎一は同性愛者だったと?」
「あくまで可能性の話だ。一八〇〇年代には同性間性交渉禁止条例なんてもんもできたくらいだしな。江戸時代までは寛容でも、大正時代となると相当風当たりが強かっただろう」
「良くも悪くも、西洋の文化を取り入れすぎなんですよ」
「全くだ」
 相田はポケットからライターを取り出し、紫煙を燻らせる。ほのかな桜のの香りとともに、風に乗って煙が運ばれていく。
「同性愛に関して、今の時代は昔より生きやすいと思いますか?」
 後輩の質問に、相田は大きく煙草を吸った。
「大正時代は同性愛に厳しいと言われていても、実際はどうだか。今は今、昔は昔で比べようがない」
 かく言う相田も、かつては男性と交際していた。今は娘もいて、左手の薬指には銀色の太陽が添えられている。
 そう、厳しいのだ。昭和だろうが平成だろうが、一般的な道から外れた世界は、誰に対しても厳しい。だからこそ、外れた道を歩めなかった。相田にとって指輪は幸せの象徴であり、枷でもある。
「幸せかどうかなんて、本人にしか判らんさ」
「それはそうですね。この先、八重澤虎一の日誌などが出てくれば彼の生き様が知ることができるんですかね。知らないからこそ、価値が生まれるんでしょうか」
「モナリザと同じだ。謎があるからこそ、追い求める」
 平和で戦争のない、自由のない今が幸せで会ってほしいと願う。









虎臣とらおみさん、着きましたよ」
 継母の紅緒べにおから尖った感情を向けられ、虎臣は目を覚ました。
 とたんに車が大きく揺れた。開いた窓からは潮風の香りがして、もうすぐ別荘が近いと匂いが知らせてくれる。
「薫子、危ないぞ」
「平気よ。お兄様こそ、昨夜は興奮しすぎて眠れてないんじゃない?」
 大人びた顔を見せても、六歳も離れている異母妹の薫子はまだまだ子供だ。
「薫子、閉めなさい」
「はあい、お母様」
 薫子は母親と血の繋がりがある。切っても切れない関係は、良い意味で遠慮もないしそれが親子なのだと思い知らされる。
 薫子が窓を閉めてから数分で、別荘のある湘南へ着いた。
 うんと背伸びをし、虎臣は母の後ろを追う。薫子は隣でのん気に歌を歌っている。薫子は何も知らないのだ。本当は虎臣も知らないはずだが、父が知人と電話しているのをこっそり聞いた。だから夏休みに湘南へ行こうと父に誘われた理由も知っている。
「タエ、ありがとう」
 タエは本田家に仕える使用人だ。軽々と荷物を持つ彼女に礼を述べ、別荘の中へ足を踏み入れる。
 掃除は行き届いているが、多少の埃っぽさはある。窓が開いているのはそのためだろう。
「父さん、来たよ」
 貿易会社の社長でもある父の秀道は、帽子を持ち上げて軽く会釈した。
「虎臣、薫子、よく来たね。薫子は別荘が初めてだったな」
「はい、お父様。とっても嬉しいわ」
「部屋へ案内しよう。タエもご苦労だったな」
 湘南にある三階建ての別荘は、父の所有する別荘のうちの一つだ。まだ六歳の薫子は、初めての別荘に心がすでに海へ向いている。
 二階は虎臣と薫子、そして三階は秀道と紅緒の部屋だ。
 タエから荷物を受け取り、さっそくカーテンと窓を開ける。よりいっそう潮の香りが強くなった。
 海ではボートが浮かび、子供の悲鳴が起こっている。久しぶりの海に、虎臣もうずうずした。
 虎臣は部屋を飛び出し、ロビーにいる父を呼んだ。
「父さん、海へ行きたい」
「もう荷物の整理は終わったのか?」
「ええと……まあ。ねえ、行こうよ」
「私は仕事だ。これから顧客と会う約束がある。使用人をつけるから、薫子と行ってきなさい。紅緒はどうする?」
「いやよ。今日はパーティーがあるのでしょう? ドレスを見たいわ」
「この前も見ただろう。サイズも合わせただろうに」
 誰よりも目立つのが好きな紅緒だ。パーティーではいつも彼女の独壇場と化す。虎臣はそんな母を見るのが苦手なのと、派手な性格から外れているため、あまり社交場には顔を出さなかった。
「じゃあ、薫子と行ってくるよ」



 扉を叩かれ、虎臣はベッドから起き上がった。
「坊ちゃん、夕食の準備が整いましたよ」
「今、行きます」
 泳いだ身体はまだだるく、虎臣はもう一度ベッドに身体を預けて大きく深呼吸をした。
 今日は社交界だ。父の顧客や仕事仲間が集まり、広間でもてなしが行われる。虎臣もスーツに着替え、扉を開けた。
「よくお似合いですよ」
「ありがとう、タエ。薫子はもう向かってる?」
「薫子お嬢様はまだ準備中です。ドレスはお時間がかかりますから」
 となると、母もまだだろう。彼女は誰よりも最後で一番目立たないと気が済まない。
 大広間の前には薫子がすでに来ていた。淡い桃色のドレスに身を包み、よく動く唇には赤い紅が塗られている。
「先に入っていればいいのに」
「他に言うことがあるんじゃなくて?」
「可愛いよ、薫子」
「嬉しい! このドレスね、自分で選んだのよ」
 できればあまりきかざらないでほしい、と願う。
 この先に待っているのは、母や父が主役ではない。薫子なのだ。
 妹の手を恭しく取り、扉を開けた。
 視線は薫子が独り占めだ。可愛い可愛いと言われ、得意気な顔は不安に駆られ背後に隠れてしまった。おませであっても、まだまだ子供なのだ。
「大丈夫。一緒に行こう」
「うん………」
「やっときたか。二人ともよく似合ってる」
「ありがとう、父さん」
「さあ、こちらに来なさい。紹介したい人がいるんだ」
 何も知らない、聞いていないという顔をして、薫子の手を引いた。
 父と同じくらいの身長で髭を生やした男性は、帽子を取り一揖した。横には、虎臣と年齢が同じか、または少し年上くらいの少年がいる。
 虎臣は胸の辺りを押さえた。胸の奥が縮こまり、不安や切ない感情が込み上げてくる。恋慕を扱う本を読んだときも、似た気持ちが沸いてしばらくは宿題が手につかなかった。
 少年は遠慮なく近寄ってきて、腰を屈めて覗き込んでくる。
「すごい綺麗な色」
「なっ…………」
「目の色素も薄いんだな。ビー玉みたいに光ってる」
 まるで口づけを交わす距離だ。息が唇にかかる。足のつま先から震えが起こり、足の付け根や腰の震えが止まらなくなった。こんな気持ちは初めてだった。
「息子は前妻との子供でね、アメリカ人の血を受け継いだんだ」
「なあ、名前はなんていうんだ?」
「こら幸一、まずは自分から名乗るべきだろう」
 おそらく少年の父親であろう彼は、息子の頭を小突いた。
「俺は八重澤やえさわ幸一こういち。十二歳」
「十二歳?」
「同じ年だろ? 父さんから聞いた」
 虎臣は目を泳がせながら、小さく頷いた。
「僕は……本田ほんだ虎臣とらおみ
「あっちで何か食べないか?」
「こら幸一。……すまないね、虎臣君。同い年の友人がいて嬉しいみたいなんだ」
「僕も……」
「夏の間はこちらにいる。うちの息子と友達になってくれると嬉しい。それと……」
 幸一の父は、虎臣の背後に隠れる薫子を見る。
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