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第一章

07 ブルーダイヤモンドの出会い─⑦

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 ハルカは何度も頷いた。流した涙の分、水分を欲した。
 フィンリーはティーポットの残りをハルカのカップへ注ぎ、飲むよう促す。
「当店ですが、買取も行っております。こちらの指輪を買い取ることも可能ですが、いかがなさいますか」
 海とともに眠ろうとしていたが、今は違う。目の前の太陽は、答えは判りきっています、と言いたげな顔をしていた。
 ハルカは首を振り、
「大事にします。祖父の形見なので。祖父が大事にしていたものを、俺も大事にしたいです」
「憑き物が落ちたような顔をなさっていますね」
 フィンリーはクロスを一枚くれた。鈴木ハツのイヤリングを包んだために、なくなってしまったからだ。
「ここからは提案なのですが、今、英田様はアルバイトを掛け持ちする余裕はございますか」
「もう一つのアルバイトは、時間帯はいつでも大丈夫なので」
「ちなみにどのような仕事を?」
「……墓参り清掃員です」
「大学生が選択するには珍しい職種ですね。期限などは決めていらっしゃいますか?」
「俺が許されるまでって思ってます」
「許される、ですか。果てしない道ですね」
「でも海へ落ちて救ってもらって、目の前が開けた気がしました。少しだけ、自分のために生きてみようかなと」
「少しではなく、自分のために生きるべきです。お話の続きですが、私の店で働いてみませんか?」
「俺でもできるんですか? ブルーダイヤモンドの価値すら判らなかった男ですよ」
「元々、アルバイトは一人雇う予定でした。必要とするのはアンティークや宝石に対する知識ではありません。高価なものを扱うため、人や物に対し誠実に対応できる方です。ここ数日間の間にあなたの人となりをある程度は理解できたように思います。人のために涙を流したり、イヤリングを交番へ届けたり。数分の面接を行うより充分すぎるほど、言動は面接の効果を果たしています」
「お仕事の内容を教えてもらえませんか」
「お茶汲み、メールのチェック、フロアの掃除、買い出し等です。接客は私が行います。忙しくなる週末のアルバイトになりますので、週に二日程度ですね。祝日も予定が合えば空ける予定ですが、こちらはまだ未確定です。注文が入ったら宅配でのお届けもするつもりでいますので、外へのお使いもあります」
「ぜひやらせて下さい。お願いします」
 フィンリーは満足そうに頷いた。
 胸の奥がちかちかして、それが何なのかはっきりしない。ただ一つ言えることは、この麗しの男から離れたくないという想いはあった。
「では、いつまでも英田様と呼ぶのはおかしな話ですね。英田さんでよろしいですか?」
「下の名前でも全然、大丈夫、です」
 下の名前で呼んでほしい、とはっきり言いたかったが、最後は声が小さくなってしまった。
「ではハルカで」
「俺はなんと呼べばいいですか? 店長、店主、フィンリーさん?」
「どうぞお好きに」
「じゃあ……フィンリーさんで」
「敬称をつけられるのはあまり好きではありません」
「そ、それはちょっと」
 年齢不詳のアンティーク・ディーラーだが、年上だろうことは予想できる。
「最初が肝心ですよ。よろしいですか」
「よ、よろしいです」
「長くなるのか短い付き合いで終わるのか判りかねますが、どうぞお願い致します」
 お辞儀ではない。異国式の挨拶だ。
 右手で握手を交わし、微笑むフィンリーは逆光をもろともしない輝きに満ちている。
「フィンリーさんって、スーパーヒーローですよね」
「私が、ですか? これはまた笑えない冗談をおっしゃるのですね」
「海に飛び込んだとき、海の中に太陽があるなんて初めて知りました。もう少し生きて太陽の光を浴びるのもいいかもしれないって思えたんです。本当に、その、愛おしい」
「……………………は?」
 危うく「きれい」や「美しい」と言いそうになってしまった。特別な言葉は、簡単に口にするものではない。祖父のたしなめる顔が脳裏に浮かぶ。
「失礼。私は日本語は完璧ではありませんので。あとで『愛おしい』の意味を調べておきます」
「あっはい。日本語とても上手ですよ。発音が日本人よりネイティヴですし、聞き取りやすいです」
「嬉しく存じます。では、契約書をお持ちしますのでこちらでお待ち下さい」
 明瞭な日本語で答えた後、フィンリーは契約書ではなくなぜか新しく紅茶を淹れてきた。
 今度はまた違う味の紅茶だ。
「なんだこれ……すんごい味がする」
「すんごい味ですか。当たりです。違いが判りましたか?」
「全然違います。これも紅茶ですか?」
「キーマン、またはキーモンといいます。中国で採れる茶葉で、世界三大紅茶のうちの一つです。一般的にスモーキーな香りがすると言われていますね」
「スモーキー。言われれば確かにスモーキー」
「無理をなさらず」
「せっかく淹れてくれたんですから、飲みます」
 契約よりも紅茶のうんちくを語る店主は、そういないだろう。



「頼む、英田! このとおり!」
 手のひらの皮が破れそうなくらい擦っているのは、高校から同級生だった辺見暖だ。名前が珍しくて聞き返されるので、本人曰く名字で呼ばれたいらしい。
 夏休みが空けて大学へ来てみたら、辺見に土下座の勢いで詰め寄られてしまった。
「俺、部活に入ってないけど」
 幼い頃から続けていた柔道は、部活は辞めても今も続いている。家が道場を持っているため、たまに練習に参加しているが、それは運動不足を解消するためだ。
「人数がどうしても足りないんだよ。ただの練習試合だから。交流戦だから」
「いつ?」
「金曜日」
 金曜日ならアルバイトは休みだ。予定も特にない。
「弱いけどいいのか?」
「全国大会に出て良い成績収めてるだろ!」
「子供のときの話だって。どこの大学と交流戦なんだ?」
「東京語学大学」
 幼なじみの本田愛加がいる大学だ。
「……女子もいる?」
「…………! おう! いるいる! 英田お前……お前も男なんだなあ」
「うん?」
「心配すんなって! ちゃんとメンバーに入ってるから」
「お、おう…………?」
「いやあ、金曜日が楽しみだな!」
 背中をばんばん叩かれた。辺見は上機嫌に鼻歌を歌いながら去っていった。

 東京語学大学の生徒と初めて顔合わせをしたとき、本田愛加はこちらを見てげんなりとした表情を浮かべた。ハルカがはにかむと、さらに不機嫌さが増す。
 試合は圧倒的差でハルカの大学が勝った。唯一向こうの大学で勝利した愛加は虫の居所が悪そうだ。
 試合が終わった後は帰るつもりでいたが、大学近くのカフェでお茶しようということになり、辺見の後ろをとぼとぼついていく。
 デカ盛りで有名なカフェで、食べ盛りの学生にはもってこいの店だ。
 同じ年くらいの人がせっせとスプーンを口へ運び、巨大パフェと格闘している。
「食べてみたいなあ」
「あれを? 一人で?」
「まさか。いやいけるかもしれないけど。いくらするんだろ」
 値段は三千円。向こうの生徒の案で、男女別れて食べることになった。
 男子はイチゴパフェ。女子はチョコレートパフェ。
「なんで野郎とイチゴパフェを食わなきゃいけないんだよ……」
「心配しなくて大丈夫だって。俺、けっこう食べるし」
「……英田、お前はそういう奴だよ」
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