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第一章

04 ブルーダイヤモンドの出会い─④

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「いかがなさいましたか」
 ああ、この男は。
 無視して通り過ぎることだってできたはずだ。目が合ってもさっさと風のように立ち去ればいい。もしそれができないようにし向けてしまったのなら、申し訳なく思う。それができないのが、フィンリーという男なのかもしれない。
「じ、実は…………」
 涙目になる自分がひどく情けない。
 口を開こうとすると、またもや女性のマシンガントークが始まった。マシンガンというより、連続で撃てるバズーカだ。一つ一つの攻撃が強い。
「あら、みっちゃん?」
 みっちゃんと呼ばれた女性のバズーカ砲が止まった。
「あらあ、昨日の親切な坊や」
「こんにちは」
 助け船がまたもや現れた。昨日の手押し車のおばあさんである。今日もからからと音を鳴らしていた。
「親切な?」
 女性は聞き返した。
「昨日おじいちゃんの墓参りに行ったらね、そちらの方がペットボトルのお水を下さったのよ」
 チャンスとばかりに、机に置かれたイヤリングをおばあさんへ差し出した。
「お礼に和菓子をたくさんありがとうございました。こちらのイヤリングですが、おばあさんのものですよね? 多分、和菓子を頂いたときに紛れ込んだんだと思います」
「まあ、まあ……そうねえ。きっと一緒に渡してしまったのだと思っていたわ」
 女性の顔は真っ青になり、え、え、と呟いている。
「みっちゃん、まさかこちらの方を疑ったわけではないでしょうね。あなたはちょっと一人相撲が過ぎるのよ。昨夜も盗まれたんだって言って聞かないし」
「憚りながら、」
 それまでことを見守っていたフィンリーが口を開いた。
「盗人であるならば、クロスでわざわざ包んで袋へ保存しようと思うでしょうか。大事なものだろうと察し、傷をつけないようにした彼の配慮が見えます。売りたいのなら、即、質屋へ流せば済むことです」
 破壊力のある顔で告げると、女性は全力のごめんなさいを絞り出した。
「それにしても素晴らしいアンティーク・ジュエリーですね」
「昔、旦那とイギリス旅行へ行ったときに買ってもらったものなのよ。結当時は貧しくて結婚指輪も買えなくて……。旦那はずっと気にしてしたみたいで、イギリスで買ってくれたんです」
「イギリスの老舗ジュエリーメーカーが作ったものですね。今はもうそのメーカーはなくなってしまいましたが、たくさんのイヤリングや指輪を生み出し、後世にできたメーカーの見本にもなっていますよ」
「こちらはダイヤモンドではありませんよねえ?」
「ええ、グラスでございますね」
「ああ、やっぱり。そうじゃないかって思ってたんですよ。友人に詳しい人がいたんですが、9Kゴールドだって言うんです。本当かしらね」
「おそらく、ご友人が正しいかと」
 たいそうな横文字が並んでいく。
 こうして二人の救世主により、冤罪事件は事なきを得た。
 おばあさんは孫の失態にお金を払うと言うが、それは丁重にお断りした。
「ではせめて、家に来てちょうだい。お二人にお茶をご馳走したいわ」
「申し訳ございません。本日はもう一件、回るところがありますので」
「先ほど聞きそびれてしまったけれど、あなたはジュエリーに詳しいの?」
「こういう者です」
 フィンリーはおばあさんへ名刺を差し出した。
「アンティーク・ディーラーなのね。鑑定などもしているのかしら?」
「販売、買付、鑑定が主な仕事でございます。追加料金が発生しますが、出張も行っております」
「本日は出張帰りかしら? うちにも来てもらいたいわあ。旦那が買ったものが山ほどあるのよ。終活する前にぽっくり逝ってしまったものだから、困り果てていて」
 フィンリーは手帳を出し、おばあさんと予定を立てた。
「ついでに坊やもいらっしゃい。三日後は空いているの?」
「大丈夫です。お邪魔させて頂きます。それでは、三日後に」
 ハルカもフィンリーに習い、貴族のような一礼した。
 フィンリーが振り返る直前、一瞬だけ目が合った。
 ついてこい、と言われているような気がして、後ろを追いかける。
 駅に到着すると、ようやく彼は立ち止まった。
「本っ当にすみません!」
「私は何もしていませんよ」
「冤罪で捕まるところでした。おばあさんと、あなたが通りかからなかったら……」
 フィンリーは肩をすくめ、困ったように首を振った。
「あなたは、そういう星の下に生まれたのですね」
「星の下?」
「巡り巡ってあなたの優しさが返っただけです。お気になさらず。指輪の件ですが、あともう少しお時間がかかります」
「急ぎじゃないんで、大丈夫ですよ」
「では、また三日後に」
 フィンリーは一度も振り返らず、駐車場へ歩いていった。
 胸の辺りをさする。まだ心臓が反発心を訴えている。それだけではない感情も密かに存在していて、名前をつけられないものはいつでも頭を悩ませる。



 イヤリングのおばあさんは鈴木ハツという女性で、お菓子作りの名人だった。彼女いわく「健康の秘訣は頭と手を動かすこと。あとは甘味」だそうで、玄関まで甘ったるい香りが漂っている。
 革靴の隣にスニーカーを並べた。
「みっちゃんは今日、お出かけしているの。あの子とごめんなさいの気持ちを込めて、一緒に作ったのよ」
「生地がしっかり膨らんでる! すごいふわふわですね」
「あら、坊やはお菓子を作るのね」
「どうして判ったんですか?」
「手作りのケーキを前にして生地の感想なんてなかなか出ないものですよ。だいたいは美味しそうって言うのです。工程を口に出すのは、普段から作っている証拠ですから。フィンリーさんを呼んできますね」
 手押し車を押している姿とは異なり、とても彼女は活き活きしていた。水を得た魚、彼女は小麦粉や砂糖を味方につけた天使のようで、彼女自身からも甘い香りが漂っている。
「お待たせしました。英田様、三日ぶりでございますね」
「お久しぶりです」
 三日前とは違うスーツを着ていた。明るめのネイビーで、上着は脱いでいるがベストを着用している。彼に着てもらえるスーツは幸せだろう。
「鑑定はさすがにできないですけど、俺に手伝えることはありますか?」
「あなたはお茶に誘われた大学生では?」
「そうですけど、お茶だけして帰るのもなんだかなあと」
 フィンリーは深い深い、とても深く息を吐いた。何か言いたげな深みのあるため息だ。
「……では、お願いします」
「任せて下さい!」
 ケーキは店で売っているものと遜色なく、甘さ控えめの優しい味だった。
 フィンリーは時折うっとりするような表情で、ケーキ二切れを食べていた。
 ケーキの話、ジュエリーの話、アンティーク・ディーラーの話。そして大学の話。仕事の話に耳を傾けていたら、フィンリーに「あなたの大学生活はいかがですか」と話題を振られてしまった。大した話はなくとも、普段の生活をかいつまんで話した。とても輝かしく深遠なる美だと、フィンリーは言った。
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