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第一章

03 ブルーダイヤモンドの出会い─③

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 フィンリーと連絡先を交換した後、彼は紅茶を飲み干し先に席を立った。
「それでは英田様、ごきげんよう」
 彼は映画で見たことのある挨拶をした。ボウ・アンド・スクレープと呼ばれる異国の挨拶だ。
 全従業員と客人から注目を浴びているにもかかわらず、彼は颯爽とスーツケースを引いてカフェを出ていった。
 紅茶は綺麗に飲み干されてあるが、砂糖もミルクも使われていなかった。



 大学の夏休みはとにかく長い。過ごし方によって差が出るのは、義務教育を受けた者なら誰でも聞いたことがある。英田ハルカもその一人で、鬼のような担任の教師と父に見つめられながら暗然たる道を這ったのだった。
 そのおかげか、大学の夏休みは計画を立てて行動できるようになった。課題、アルバイト、課題、アルバイト。たまの図書館。道場で柔道。
「ハルカ、これからバイトか?」
「ああ、行ってくるよ」
「それなら愛加を送っていってくれ」
「わかった」
 しばらく更衣室の前で待っていると、胴着から着替えた愛加が出てきた。
「なにしてんの?」
「父さんが愛加を送っていけって」
「ああ、そう」
 ジーンズにTシャツというラフな格好で出てきた愛加は、さっさと玄関へ向かっていく。
 本田愛加はハルカの幼なじみで、英田家が継いでいる道場へ通っている。幼少の頃から柔道を学び続けた仲であり、家もわりと近い。
「心配性だね」
「この辺、変質者が出たって話だし。それより夏休みに入ってから道場来まくってるけど、いいのか?」
「いいってなにが? 私が好きで来てるんだから別に構わないでしょ。それより、沖縄旅行どうだった?」
 沖縄旅行。初めての一人旅は、自分の人生に光を差したいという手の届かない宝石に手を伸ばすような感覚だった。
 一瞬て心を奪われ、風のように去っていく。まだ夢の中から抜け出せずにいる。
 あのまま、死んでも幸せだったと海の中で涙を零した。
「なんか、宝石に出会った。いやそれよりももっと輝かしいもの」
「宝石?」
「自分の人生には寄り添わないけど、いや寄り添わない方がいいけど、どん底の世界にいる俺に振り返ってくれるような……」
「なにそれ? 私のせいでアンタが不幸だっての?」
「ご、ごめん! そんなつもりじゃ」
「ここでいいわ。気分が悪くなった」
「本当、ごめん」
 へらっと笑ってみせると、愛加は持っていた紙袋を奪っていった。
 紙袋は元々、本田家へのお土産だ。沖縄でよくある平型のクッキーと、パイナップルの果肉入りケーキ。家にも同じお土産だ。それとシーサー。魔除け。銅像一つで見えない何かから守ってもらおうとするのは、虫のいい話である。
 愛加を途中まで送り届けた後、ハルカはそのまままっすぐに進み、駅の裏側へ移動した。
 寺の中へ入ると、境内で掃除をしていた僧侶と挨拶を交わし、墓場へ直行する。
 墓の数え方を知ったのは、このバイトを始めてからだ。一基、二基と数える。聞き慣れない助数詞はこれから役に立つか判らないが、なんとなく賢くなった気がした。
 回りの落ち葉などを掃き、墓石を水洗いする。墓石専用の洗剤もあるが、今日は水とスポンジだけで充分だった。
 最期に蝋燭と線香を立て、手を合わす。ここまでする必要はないが依頼があってもなくてもハルカは必ず蝋燭・線香・奉拝の三点セットはかかさなかった。
「お疲れ様」
 顔を上げると、知らないおばあさんが礼服姿で佇んでいた。
「お疲れ様です。今日も暑いですね。よろしければ飲みますか?」
 汗をかいたペットボトルを差し出した。まだ蓋を開けていない。
「まあ、まあ、ご丁寧に。ありがとうねえ。そうだ、これをあげるわ。さあ、手を出して」
 おばあさんは上機嫌に目元に皺を作り、両手を差し出すよう促した。
「ひょっとして、魔法使いですか?」
「あら、やだわあ。うふふ、そうかもしれませんねえ」
 おばあさんは手押し車に手を入れると、ハルカの手から一口サイズの和菓子が雪崩のように落ちてきた。ミネラルウォーターから大量の和菓子へ変わってしまった。
「わらしべ長者みたいですね」
「ふふ……可愛い坊や、これからもどうか、いろんな方へご親切になさってね」
 坊やと呼ばれる年ではないが「ありがとうございます」とお礼を述べ、富をリュックの中へしまった。
 美しい心に触れると、涙が溢れそうになる。おばあさんも、海へ飛び込んだ男も。

 家に戻ってからベッドの上で大量の和菓子を並べていくが、お菓子ではないものが交じっていた。
 人工光に返照して煌びやかな輝きを放っている。ぱっと見るとダイヤモンドに見えなくもないが、素人目では判断がつかない。針はなく、ネジ式のイヤリングだ。大きくカッティングされた石の上には二つ小さな石も連なっている。
 おそらく、和菓子と一緒に紛れ込んでしまったのだろう。
 古びていて汚れも目立つ。掃除をしたいが、材質によっては傷をつける可能性もある。
 タンスの中から指輪を磨くクロスを引っ張り出した。
 イヤリングをクロスで包み、小さな透明の袋へ入れてしっかりと密封する。
 おばあさんの家は判らないが、また墓場へ行けば会えるかもしれない。きっと大事なものだ。

 ハルカは翌日も墓場へ来ていた。おばあさんも探すためという目的もあるが、アルバイトである。
 墓場には女性が一人しゃがんでいた。
「どうかしましたか?」
「大事なものを探してるんです」
「大事なもの?」
「私が無くしたわけじゃないんですが、イヤリングなんです。昨日ここに来たっていうから、私も来てみたんですけど……多分ここじゃないかなって」
「イヤリングを無くした方って、手押し車を押してる方ですか?」
「どうしてそれを?」
 女性は立ち上がり、目を開けたままあ然とした様子だ。
「あの、これ……」
 ハルカはリュックから透明の袋を出して、クロスの中を見せた。
「あー! これ、これ! どうしてあなたが持っているのよ! 有り得ないわ!」
「いや、昨日ここで……」
「ちょっと、逃げないでよ! 警察呼ぶから!」
 話す隙すら与えない。口を挟むまでもなく、状況は一方的に悪化しつつある。
 女性は携帯端末から本当に警察へ通報した。息する暇もなくずっと喋り続け、あれよあれよという間にパトカーの中、近くの交番の中である。
 交番へ到着しても、女性の一人舞台は継続中だ。身振り手振り、ずっと忙しい。
 犯罪者に仕立てられているのに、なんだかおかしかった。
「すると、こちらの男性があなたのおばあさんのイヤリングを盗んだと?」
「そうよ! さっきからそう言ってるでしょ! おばあちゃんの大切なものを、よくも……」
 外からスーツケースを引く独特の音が聞こえてきた。
 スーツケースの種類似よって音は違うが、ハルカは聞いたことがあった。
 外を見ると、外国人と目が合う。向こうも止まる。
「英田様?」
 首を傾げる姿は、さながら王子様だった。
 スーツの上着は脱いでいて、ネクタイには輝く石が埋まるピンをつけている。落ち着き払ったベージュのスーツだ。
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