18 / 22
第一章
018 永れ御子
しおりを挟む
「俺は何がなんでもクリスを助けるつもりでいた。あの状況で、お前が来なければと思うと、自分の不甲斐なさにやり場のない憤りを感じた」
「それは……一人ではどうにもならないこともあります。あっちは教団直属の人間で、教祖様直属の従者もいました。予備生の管理はリチャードさんの仕事でも、いざ権力をちらつかせられたらどうにもなりません」
「それだけではない。お前の覚悟を見くびっていた」
「と、いいますと?」
「クリスと父親を天秤にかける瞬間がきたとき、お前は父を選ぶ可能性があると思っていた。俺はお前を信じきれていなかった」
「それでいいと思います。俺にとってはどちらも家族で大切な存在です。ときには父をとるときもあります。最も、父は俺なんて簡単に切り捨てられる存在でしょうが。俺は異母兄弟がたくさんいるうちの一人でしかありません。それより、これからどうなさるおつもりですか? 父は諦めるような人ではありません」
「本部へ行き、正式に抗議を入れる。このようなことは前代未聞だ」
「俺は行けませんが、父に手紙を出してみます」
「ぜひともそうしてくれ。少しでも溜飲が下がればいいがな」
「では、俺は戻りますね」
ウィルが出ていったあと、ソファーの背もたれに体重をかけた。
紅茶を持ってこさせようかと思ったが、喉が通らない。
覚悟だけでは現状はどうにもならないと突きつけられた。
「リチャード様、少々よろしいでしょうか」
ドアの向こう側から声がし、姿勢を正してから「入れ」と言う。
「ターヴィの件なんですが……」
少し焦ったような声に、リチャードは目を細めた。
今襲いかかる心配ごとより、目の前に迫り来る睡眠を取れるのはまだ戦えるという証でもある。
一つ間違えればすべてが終わる状況の中、リチャードの機転とウィルの発言で無事にあの場をやり過ごすことができた。
この先また教団側が何か仕掛けてくるだろうと予想できる。未来の心配も大事だが、それより朝食をしっかり取ることが重要だった。
「昨日の今日でよく食えるな……」
アーサーはフォークを動かしているが、スクランブルエッグが細かくなっているだけだ。
「アーサーもちゃんと食べておけよ。いつ最後の食事になるか判らないんだ」
「なんのジョークだそれは」
先にクリスが食べ終えたが、アーサーの皿がきれいになるまで待った。
「ターヴィって結局、帰って来なかったよな」
「守衛所に泊まったんじゃないか? まともに立っていられないくらいだったし」
「あんな身体の弱そうな子、なんで選ばれたのか謎だ」
「おっほん」
わざとらしい咳が飛んでくる。守衛の一人だ。黙って食えと言っている。
アーサーもすべて食べ終えてから、授業が休みの今日はウィルに会いにいこうかと目論んでいた。彼にはたっぷりと聞きたいことがある。
アーサーと共に席を立ったとき、
「これからウィリアムさんに会いにいくのか?」
と告げた。
「そのつもりだけど」
「これ、渡しておいてくれないかな」
いつもの飄々としたアーサーではなく、やや緊張した面持ちだ。
手のひらに乗せられたのは、儀式のときに配られたヌガーだ。チョコレートで包まれていて、甘さが胃と脳に直撃する。
「わかった。けど、食べなかったのか?」
「ああ、まあね」
アーサーとウィルがどんな繋がりがあるのかクリスは知らない。けれど、友人の望みなら叶えたいと思えた。
ウィルのいる北区へ向かいたかったが、守衛所に行った方が広い地区を歩き回るよりも会える確率が高い。
守衛所はなにやら慌ただしく、出直そうかと踵を返したとき、目ざといリチャードに見つかってしまった。
「ちょうどいい。部屋に来い」
「ウィルに会いたくて、呼んでもらおうと思ったんだけど」
「ウィリアムの前にお前に話がある」
昨日のことだろうと、素直についていくことにした。
「甘いミルクティーが飲みたい」
「今、作る」
ウィルに会えなければ、ヌガーを渡せない。どうしようかと持て余していると、
「食べなかったのか?」
「ああ、いや……、僕のじゃないんだ。アーサーがウィルに渡してくれって」
「ウィリアムに? ……俺は聞かなかったことにする。こっそり渡してやれ。ウィリアムはあとで呼ぼう。お前が会いたがっていると伝えれば、すぐに駆けつける」
甘いミルクティーと、朝食を食べたばかりだがビスケットも頂いた。
「昨日はお疲れ様。気力を振り絞って、よく耐えたな」
「リチャードがいてくれたってのが大きいよ。僕一人だと、あそこまで言えなかったと思う」
「やけに素直だな」
「嘘ついても仕方ないだろ」
「ショックを受けているだろうお前を労るつもりだったが、その必要はなさそうだな。今日呼び出すつもりだったのは、ターヴィのことだ」
「体調はどうなんだ?」
「あまり良いとは言えない。精神的なものだ。ターヴィは永れ御子だった」
え、と声にならずに息が漏れた。
「昨日、緊急ではあったが儀式を行った。立ち会い人は俺のみ。正確に言うと、交合を行うたびに毎度意識を手放すターヴィには、はっきり判らなかったらしい」
「それって、相手の男が名乗り出なかったってことか?」
「そうなる。だが永れ御子がいたとなると、大問題だ。最初は二人ともうまくいかず、催淫剤のせいで双方とも意識がはっきりしなかった。あとは交合に時間がかかりすぎたために蝋燭が消えたりした、と。それだけだとごまかせないため、本人たちから昨日、立ち会い人がいる状態で儀式を行ってほしいと申し出があったということにした。あくまで、御子を隠したわけではなく生み出したい一心だと姿勢を見せるために」
「なんでそんな……いや俺が言えた義理じゃないけども、」
「守衛の一人は、ターヴィに恋していたのだと吐いた」
「それは……仕方ない。ずっと一緒にいたい人ができたなら、そうする」
「絶対に見誤るなよ。何を優先しなければならないのか。明日、全校生徒に知らせることになっている。いきなり言われるより、前置きすべきだと俺が判断した」
「うん。知っておいてよかったよ。僕は僕を優先する」
「それを聞いて安心した。飲み終わったらウィリアムを呼ぼう」
やってきたウィルとはいろんな話をした。
昨日のこと、体調のこと、朝食のこと、天気のこと。
聞きたいのはそこではないが、ウィルが話そうとしない。今は聞くときではないのだと、クリスも黙っていることにした。
アーサーからだとヌガーを渡すと、最初は驚いた顔をしていたが、やがて破顔していく。
こんなウィルの顔を見るのは生まれて初めてで、なんだか胸が痛かった。
「それは……一人ではどうにもならないこともあります。あっちは教団直属の人間で、教祖様直属の従者もいました。予備生の管理はリチャードさんの仕事でも、いざ権力をちらつかせられたらどうにもなりません」
「それだけではない。お前の覚悟を見くびっていた」
「と、いいますと?」
「クリスと父親を天秤にかける瞬間がきたとき、お前は父を選ぶ可能性があると思っていた。俺はお前を信じきれていなかった」
「それでいいと思います。俺にとってはどちらも家族で大切な存在です。ときには父をとるときもあります。最も、父は俺なんて簡単に切り捨てられる存在でしょうが。俺は異母兄弟がたくさんいるうちの一人でしかありません。それより、これからどうなさるおつもりですか? 父は諦めるような人ではありません」
「本部へ行き、正式に抗議を入れる。このようなことは前代未聞だ」
「俺は行けませんが、父に手紙を出してみます」
「ぜひともそうしてくれ。少しでも溜飲が下がればいいがな」
「では、俺は戻りますね」
ウィルが出ていったあと、ソファーの背もたれに体重をかけた。
紅茶を持ってこさせようかと思ったが、喉が通らない。
覚悟だけでは現状はどうにもならないと突きつけられた。
「リチャード様、少々よろしいでしょうか」
ドアの向こう側から声がし、姿勢を正してから「入れ」と言う。
「ターヴィの件なんですが……」
少し焦ったような声に、リチャードは目を細めた。
今襲いかかる心配ごとより、目の前に迫り来る睡眠を取れるのはまだ戦えるという証でもある。
一つ間違えればすべてが終わる状況の中、リチャードの機転とウィルの発言で無事にあの場をやり過ごすことができた。
この先また教団側が何か仕掛けてくるだろうと予想できる。未来の心配も大事だが、それより朝食をしっかり取ることが重要だった。
「昨日の今日でよく食えるな……」
アーサーはフォークを動かしているが、スクランブルエッグが細かくなっているだけだ。
「アーサーもちゃんと食べておけよ。いつ最後の食事になるか判らないんだ」
「なんのジョークだそれは」
先にクリスが食べ終えたが、アーサーの皿がきれいになるまで待った。
「ターヴィって結局、帰って来なかったよな」
「守衛所に泊まったんじゃないか? まともに立っていられないくらいだったし」
「あんな身体の弱そうな子、なんで選ばれたのか謎だ」
「おっほん」
わざとらしい咳が飛んでくる。守衛の一人だ。黙って食えと言っている。
アーサーもすべて食べ終えてから、授業が休みの今日はウィルに会いにいこうかと目論んでいた。彼にはたっぷりと聞きたいことがある。
アーサーと共に席を立ったとき、
「これからウィリアムさんに会いにいくのか?」
と告げた。
「そのつもりだけど」
「これ、渡しておいてくれないかな」
いつもの飄々としたアーサーではなく、やや緊張した面持ちだ。
手のひらに乗せられたのは、儀式のときに配られたヌガーだ。チョコレートで包まれていて、甘さが胃と脳に直撃する。
「わかった。けど、食べなかったのか?」
「ああ、まあね」
アーサーとウィルがどんな繋がりがあるのかクリスは知らない。けれど、友人の望みなら叶えたいと思えた。
ウィルのいる北区へ向かいたかったが、守衛所に行った方が広い地区を歩き回るよりも会える確率が高い。
守衛所はなにやら慌ただしく、出直そうかと踵を返したとき、目ざといリチャードに見つかってしまった。
「ちょうどいい。部屋に来い」
「ウィルに会いたくて、呼んでもらおうと思ったんだけど」
「ウィリアムの前にお前に話がある」
昨日のことだろうと、素直についていくことにした。
「甘いミルクティーが飲みたい」
「今、作る」
ウィルに会えなければ、ヌガーを渡せない。どうしようかと持て余していると、
「食べなかったのか?」
「ああ、いや……、僕のじゃないんだ。アーサーがウィルに渡してくれって」
「ウィリアムに? ……俺は聞かなかったことにする。こっそり渡してやれ。ウィリアムはあとで呼ぼう。お前が会いたがっていると伝えれば、すぐに駆けつける」
甘いミルクティーと、朝食を食べたばかりだがビスケットも頂いた。
「昨日はお疲れ様。気力を振り絞って、よく耐えたな」
「リチャードがいてくれたってのが大きいよ。僕一人だと、あそこまで言えなかったと思う」
「やけに素直だな」
「嘘ついても仕方ないだろ」
「ショックを受けているだろうお前を労るつもりだったが、その必要はなさそうだな。今日呼び出すつもりだったのは、ターヴィのことだ」
「体調はどうなんだ?」
「あまり良いとは言えない。精神的なものだ。ターヴィは永れ御子だった」
え、と声にならずに息が漏れた。
「昨日、緊急ではあったが儀式を行った。立ち会い人は俺のみ。正確に言うと、交合を行うたびに毎度意識を手放すターヴィには、はっきり判らなかったらしい」
「それって、相手の男が名乗り出なかったってことか?」
「そうなる。だが永れ御子がいたとなると、大問題だ。最初は二人ともうまくいかず、催淫剤のせいで双方とも意識がはっきりしなかった。あとは交合に時間がかかりすぎたために蝋燭が消えたりした、と。それだけだとごまかせないため、本人たちから昨日、立ち会い人がいる状態で儀式を行ってほしいと申し出があったということにした。あくまで、御子を隠したわけではなく生み出したい一心だと姿勢を見せるために」
「なんでそんな……いや俺が言えた義理じゃないけども、」
「守衛の一人は、ターヴィに恋していたのだと吐いた」
「それは……仕方ない。ずっと一緒にいたい人ができたなら、そうする」
「絶対に見誤るなよ。何を優先しなければならないのか。明日、全校生徒に知らせることになっている。いきなり言われるより、前置きすべきだと俺が判断した」
「うん。知っておいてよかったよ。僕は僕を優先する」
「それを聞いて安心した。飲み終わったらウィリアムを呼ぼう」
やってきたウィルとはいろんな話をした。
昨日のこと、体調のこと、朝食のこと、天気のこと。
聞きたいのはそこではないが、ウィルが話そうとしない。今は聞くときではないのだと、クリスも黙っていることにした。
アーサーからだとヌガーを渡すと、最初は驚いた顔をしていたが、やがて破顔していく。
こんなウィルの顔を見るのは生まれて初めてで、なんだか胸が痛かった。
10
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
11人の贄と最後の1日─幽閉された学園の謎─
不来方しい
BL
空高くそびえ立つ塀の中は、完全に隔離された世界が広がっていた。
白蛇を信仰する白神学園では、11月11日に11人の贄を決める神贄祭が行われる。絶対に選ばれたくないと祈っていた咲紅だが、贄生に選ばれてしまった。
贄生は毎月、白蛇へ祈りを捧げる儀式が行われるという。
真の儀式の内容とは、御霊降ろしの儀式といい、贄生を守る警備課警備隊──審判者と擬似恋愛をし、艶美な姿を晒し、精を吐き出すこと──。
贄生には惨たらしい運命が待ち構えていた。
咲紅と紫影の関係──。
運命に抗い、共に生きる道を探す──。
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
噛痕に思う
阿沙🌷
BL
αのイオに執着されているβのキバは最近、思うことがある。じゃれ合っているとイオが噛み付いてくるのだ。痛む傷跡にどことなく関係もギクシャクしてくる。そんななか、彼の悪癖の理由を知って――。
✿オメガバースもの掌編二本作。
(『ride』は2021年3月28日に追加します)
禁断の祈祷室
土岐ゆうば(金湯叶)
BL
リュアオス神を祀る神殿の神官長であるアメデアには専用の祈祷室があった。
アメデア以外は誰も入ることが許されない部屋には、神の像と燭台そして聖典があるだけ。窓もなにもなく、出入口は木の扉一つ。扉の前には護衛が待機しており、アメデア以外は誰もいない。
それなのに祈祷が終わると、アメデアの体には情交の痕がある。アメデアの聖痕は濃く輝き、その強力な神聖力によって人々を助ける。
救済のために神は神官を抱くのか。
それとも愛したがゆえに彼を抱くのか。
神×神官の許された神秘的な夜の話。
※小説家になろう(ムーンライトノベルズ)でも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる