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第一章

015 交錯する思い

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「………………暇だ」
 野菜スープと堅い塩のきいたパンで朝食を終え、クリスは教科書を開きながら大きなあくびをした。
 広い病室にたった一人でいて、話し相手もいない。詐病であれど一応病人なのだから寝ていなければならないが、一室に閉じ込められていると動きたくてたまらなかった。
 ドアのノックする音が聞こえ、クリスはベルを鳴らした。口がろくに聞けない設定であるため、医師が用意したものだ。
「……………………!」
 発しそうになるのをぐっとこらえた。リチャードとノアだ。
「面会だが問題ないか?」
 リチャードに対し力強く頷いた。
「病人相手だ。時間は三十分まで」
「は、はい……ありがとうございます」
 ノアに言いつつ、こちらに向かって言っているのだとクリスは時計を見やる。
 リチャードは出入り口で腰を下ろし、出ていこうとしない。
 いないものとして、クリスは両手を広げた。
「クリス……クリス……、本当にごめん……! 何を言っても言い訳にしかならないけど、クリスを犠牲にしようとしたわけじゃないんだ。助けてほしくて、他に誰を頼ったらいいか判らなくて……」
『わかってる』
 メモ帳に書いて、ノアに見せた。
『僕は大丈夫』
「でもっ…………」
『体調も良くなってる。心配しなくていい。アメデオは学園から追放される。ノアにも僕にも、もう危険はない』
「うん……うん……そうだね…………」
『だから泣かないでくれ』
 言葉を繋いで何度も抱きしめ、号泣するノアを慰め続けた。
 被害にあった本人より、大事にしてくれる回りの人間が苦しむこともあるのだと知った。こういう現象に名前をつけたいが、うまい言葉が浮かんでこない。
 向こうで椅子に座るリチャードと目が合った。なんというか、いつもより機嫌が悪い。人相の悪い顔つきはいつもだが、今日は二割増しになっている。
 自分で連れてきてなんだその顔は、と睨むと、リチャードは気まずそうな顔をした。
「そろそろ三十分だ」
 リチャードが立ち上がると、クリスはノアから手を離した。
「早く良くなってね」
 クリスは頷き、ノアが出ていくまで手を振った。
 ノアは何も悪くないし、責任も感じる必要はない。悪いのはすべてアメデオだ。学園から追放されるが、このままフェードアウトするとは思えない。充分に注意しなければならない。



 七月に入り、クリスは退院した。一か月の入院は持った方で、医師も今月から絶対に儀式を受けさせようと躍起になっていたため、ここが限界だと腹を括った。詐病VS全力診察はこうして幕を閉じた。
 退院してから真っ先に会いに行ったのは、愛馬のエマだ。
 厩舎へ入っただけでエマの鳴き声がする。
「エマ、ごめんな。一か月も来られないで。元気にしてたか?」
 馬房の中は綺麗になっている。誰かが掃除をしてくれていたのだろう。
「ほら、食べる?」
 キャロットとベリーをあげると、エマは喜んで口にした。
 毛並みも良い。目も澄んでいる。クリスは安堵して、残りのベリーを食べさせた。
 放牧場へ連れていくが、エマは離れようとしない。首を何度も下げ、牧草の上に座ってしまった。
「ひょっとして、一緒に散歩したいのか?」
 エマは短く鳴いた。乗れ、と目が言っている。胸がときめくほど世界一かっこいい馬だ。
 エマの誘導でゆっくりと時計回りに一周する。潮の香りに混じり、青々とした葉の香りもした。
 エマはひと鳴きすると、少し急ぎ足で戻ろうとする。向こうには隊服姿のリチャードがいた。彼の前で止まり、嬉しそうに身体を揺らす。
「元気そうで何よりだ。退院直後とは思えないな」
「毎日見舞いに来てくれた人のおかげかもな」
「何を怒っているんだ?」
「……エマがあなたに懐いているのが気に食わない」
「嫉妬か。入院中、世話をしていたら懐くだろう」
「…………本当はもっと何かあるんじゃないか? エマは半年間、世話をした人にも懐かなかった。たった一か月くらいで懐くとは思えない」
 エマは警戒心も見せず、リチャードの頬に顔を寄せる。
 リチャードは優しい手つきでエマの頭を撫でた。
「この馬を学園へ渡したのは俺だ」
「リチャードが?」
「産まれたときから、この子は気難しい性格をしていた。人にはほとんど懐かず、人が近づけば後ろ脚で蹴る始末」
「なんで懐く子を送らなかったんだ?」
「気難しいタイプは一度懐けば、とことんその人へ忠実になる。だからお前の写真を何度も見せて、お前を守るように手懐けた」
「どうして……そこまでして……」
「……どうしてだろうな」
 エマを撫でていた手はクリスへ移る。頭、頬、首。そして顎。
 持ち上げられ、唇が重なった。
 儀式のときにキスは嫌だと強がってはみたものの、独りで戦う術もなく、与えられる熱に肩を預けたくなる。
 入ってくる舌を絡め、目を瞑った。エマはおとなしく牧草を食べている。主人がこんな目に合っても、エマは庇おうとしない。リチャードは、敵ではない。
「守られてほしい、と言っても聞くような奴じゃないのは知っている」
「そうだね」
 リチャードは苦笑いを浮かべる。
「ただでさえ教団の期待を背負っているのに、お前は儀式の回数が一回分足りていない。あの手この手を使ってお前を神の御子にしようとする。くれぐれも気をつけろ」
「なんだか自分に立てている誓いみたいだ。何が何でも守ってやるって」
「そうとらえてもらっても構わない」
 さっきのキスはなんだったのか。
 聞きたいが、望む答えが返ってくるわけではなく、それを強 要するのは相手の心を蝕む行為だ。
 クリスの心にも、彼を守りたいという感情が芽生えている。

 予備生という特別扱いには慣れないが、もう一人特別扱いを受ける生徒がいる。
 大学部に所属するウィリアムだ。時間厳守でありとっくに消灯時間を過ぎているが、守衛のサイラスに呼び出されロビーへ向かうとウィルがソファーに腰を下ろしていた。
「ウィル…………!」
「クリス、すまなかった。アメデオの件で入院していたんだろ? 見舞いにいけなくて悪かったな」
「全然。もう元気になったし、大丈夫だよ。普通に授業も受けてるし」
 普通は予備生のいる寄宿舎へ入るなど御法度だ。かなり融通のきく待遇を受けているあたり、何者なのか聞きたくもなる。
「十五分だけ時間をもらったんだ。特に用はないんだけどさ、顔を見たくなって」
「なあ、どうしてウィルだけこんなによくしてもらえるんだ? かなり位の高い親がいるとか?」
「ははっ…………」
 ウィルはサイラスを見やる。サイラスはにこにこと人良さそうな笑みを浮かべたまま、首を振った。
「OK、言えないってことか」
「そのうち話せるときが来たら話すよ。というか、学園を出るまで話しちゃいけないんだけどな。ただでさえ予備生で神経すり減らしてるのに、一気に話すと悩みをまた抱えさせることになる」
「……ウィルって、」
 ひょっとして、儀式の内容をしているのか──と言いかけた。神経をすり減らすほどつらいものだと、彼は知っている口調で話した。
 男に抱かれているなど、恥ずかしいしプライドにかけて言いたくない。兄貴分である彼にばれたくなかった。
「独りでつらくないか?」
「……守ってくれる人がいるから。俺は恵まれているんだと思う」
「リチャードさん?」
「うん。それにサイラスもいる」
「できればその中に、俺も交ぜてくれると嬉しいんだけどな」
「もちろんだ。いつも僕の助けになってくれる」
「……何もできない兄貴分だけどな。本当は、お前が予備生に選ばれてほしくなかった。俺に力があればって、いつも思うよ」
 教団に対する裏切りだ。予備生に選ばれたら、嘘でも喜ばなければならない。
 ウィルが口にしても、サイラスは肩をすくめるだけで咎めることさえしなかった。それは教団へ楯突いているという証でもあり、味方でいてくれる証明になる。
「さあ、そろそろ十五分だ」
「サイラスさん、一ついいですか」
「どうぞ」
「サイラスさんにとって、クリスはどういう存在ですか。命をかけて守れる人ですか」
「命、か。そこまで重みのある言葉を言われると詰まるね。でも守るために学園へ来たとは言っておくよ。正直、リチャードほど必死こいてるかって聞かれると自信がない。あいつが異常なんだ」
「それを聞いて安心しました。少なくとも、命をかけられる人が側にいるって知れたのは安心できます。……クリス、絶対に無茶なことはするなよ。なんでもいいから、とにかく回りを頼ってくれ」
 クリスは力強く頷いた。
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