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第一章
014 連なる命と運─②
しおりを挟む 諦めの境地に入っているリチャードをよそに、もう一度ヘアピンで鍵を開けた。
「エレベーターは使えない。非常階段を利用する」
「防犯カメラ的な問題で?」
「ああ。それに誰に会うか判らない」
非常階段の扉は施錠されていなかった。ふたりで屋上へ上がり、久しぶりの外の空気を味わった。
空は獣のようなうなり声を上げている。怒りに満ちている。涙の雨は流していない。
「そういや、今日は本部へ行ったんだろ?」
「教祖様に直接、お前はしばらく儀式ができないと伝えてきた。もって一回分だと思ってくれ。三度目の儀式はお前の体調が悪かろうと無理やりやれと言われる」
「だろうね。そこは覚悟してる。いろいろと助かったよ。でも二回目ってやらなくて平気なのか?」
「したいのか?」
「ばっ……違うそうじゃない! 悪魔に目をつけられて、天罰とか下ったら最悪だろう!」
「儀式らしくとは言わんが、交合は念のためしておいた方がいいだろうな」
「いつ?」
「いつでも」
「え、いま?」
「今でも」
じわり、じわりと距離を詰められ、腕を掴まれてしまった。
「ちょっと待て、僕は病人だぞ」
「ヘアピンで鍵をこじ開ける病人なんぞ聞いたことがない。裏へ行くぞ」
月明かりの被らない方へ行き、リチャードは手を離した。
「影が怖いんだろう?」
「………………まあ」
「ここだとまだましだ」
「真っ暗だけど、そっちはそれでいいのか?」
「俺の心配か? 問題ない。お前の身体が無事で心も安定していて明日食べたいものがはっきり言えるくらいなら」
「しばらく詐病で通すけど、明日は甘いものが食べたい。味のうっすい野菜スープはもう飽きた。それと、僕はそんなに弱い人間じゃない。そもそも未遂だし。アメデオの股間くらい蹴っておけばよかった」
「上等」
唇を塞がれた。慣れている様子からしていくつもの経験と実績があるのだろうと察する。無性に腹も立った。
身体の力が抜けたクリスを、リチャードは笑うことせず壁を背に座らせた。
「さっきまで……雷が鳴ってたのに……」
「悪魔が怒っているのかもな。俺がお前を隠そうとしたから」
「今は怒ってないのか……?」
「ああ。きっと悪魔は降りてくる。黙って目を瞑っていていいぞ」
「そんなの……つまらないだろ」
リチャードの手が止まった。
「一方的な交合で何が楽しいんだ? 余計に虚しくなる。悪魔のために抱かれているみたいで……」
悪魔が望んでいるのは理解している。そのためにこういうことは避けられないことも。けれど理解と気持ちは異なるものだ、心は理解から遠い。
「悪かった。そうだな、お前の気持ちを思いやれなかった。好きな人でも思い浮かべるといい」
「……アンタを殴りたくなった」
「思春期は複雑だな」
キスをしても身体を弄られても、満たされるものがない。
アンタはなぜ僕を抱いているのか──その言葉を呑み込んで、手慣れた彼に身を任せた。
今朝早くドアを叩いたのはサイラスだった。
「今、何時だと思っている……」
「五時前だね! 今、学園に帰ってきたばっかりなんだよ。ちなみに俺は寝ていない」
追い出すわけにも行かず、サイラスを中へ招き入れた。
「教祖様からの急な呼び出しだったんだ」
「だいたい想像つくが、何の用だったんだ?」
「アメデオの処分に関しては、教団の裁判にかけるってさ。儀式は二回目を終えて、クリス以外は儀式を滞りなく終了したとお伝えした。ついでにクリスの容態に関しても。あまり良くないと話したら、治らないようなら外へ出して総合病院へ連れていくとおっしゃっていたぞ」
「ふざけている。外へ出しても信者が大勢いる病院へ移されるだけだ」
「三回目の儀式は強制参加させろって意味だろう」
実際はただの詐病なわけだが。交合が終わった後も明日はとびきり甘いものが食べたいだの散々我を通すクリスは可愛いものだが、元気の有り余る彼がばれるのも時間の問題だろう。
それにしても、クリスの精神的強さは目を見張るものがある。神の御子に選ばれたと知ったときも自力で立ち直り、凛として立ち向かった。悪魔が目をつけたくなるのも頷ける。
「俺の勘だけどさ、本部の連中がアメデオをほしがってそうなんだよな。あの美しさだし」
「どのみち、ここに置いておくのは危険だ。クリスかノア、あるいはどちらも狙われる」
「ノアも? あの子がタイプなのか」
「茶化すな。ノアに何かあればクリスが動く。それは避けたい」
「ああ、そういうことね。じゃ、報告は以上で終わり。二度寝して」
「できるわけがないだろう……目が覚めた」
無造作に髪をかきあげ、カーテンを開いた。
睦言を終えて部屋へ戻ったときには、二時を過ぎていた。
働かない頭に鞭を打って、これからのことを考えてみる。
教祖はなんとしても自分の息子を神の御子にしたがるだろう。実際になっているが、あの手この手を利用する。その中にアメデオも入っている。
アメデオを予備生に選ばなかったのは、神託の有無ではない。薔薇の女王様に選ばれた生徒は、過去には神の御子になったのに逃げようとする予備生を見つけたことがある。アメデオを予備生とするより、逃げる予備生を捕まえる役割をアメデオに与えた結果だ。
残りの儀式はすべてリチャード自身がクリスの担当になると決めている。だがことがうまく運べるとは思っていない。
クリスの身が危険にさらされたとして、助けるために手を差し出そうとする人物を思い浮かべた。
心からクリスを想って動いているのはサイラスとウィリアムだ。教祖の弟であり、クリスの叔父にあたるサイラスは心の底からクリスを可愛がっている。実の兄であるウィリアムもだが、教祖を父に持つウィリアムはどちらか選ばなければならない立場になったとき、クリスを裏切る可能性も視野に入れている。
ノアは信仰深いが、生徒であるがゆえにクリスに何かあったときでも、身動きがとれると思えない。
「そういや、ノアは最近授業もろくに受けずに休みがちになっているそうだ。クリスが倒れたのは自分のせいだと責任を感じているらしい。このままだとノアも倒れかねないぞ。食事もあまりとっていない」
「……今日、会わせるつもりでいる」
赤紙の切れ端をクリスに渡し、その後にアメデオに襲われた。ノアが責任を感じるのは当然だ。
目的が判らないのがアーサーである。彼の立場は教団の中でも位の高い位置にいるが、本人は素性を知らない。教団と繋がっているわけでもない。
「じゃあ、俺は部屋に戻るよ」
「ああ」
太陽ははっきりと顔を出し、雲一つない天気だ。昨日の雷は予期せぬ出来事で、やはりクリスを見張っていたのだと確信が持てる。
「エレベーターは使えない。非常階段を利用する」
「防犯カメラ的な問題で?」
「ああ。それに誰に会うか判らない」
非常階段の扉は施錠されていなかった。ふたりで屋上へ上がり、久しぶりの外の空気を味わった。
空は獣のようなうなり声を上げている。怒りに満ちている。涙の雨は流していない。
「そういや、今日は本部へ行ったんだろ?」
「教祖様に直接、お前はしばらく儀式ができないと伝えてきた。もって一回分だと思ってくれ。三度目の儀式はお前の体調が悪かろうと無理やりやれと言われる」
「だろうね。そこは覚悟してる。いろいろと助かったよ。でも二回目ってやらなくて平気なのか?」
「したいのか?」
「ばっ……違うそうじゃない! 悪魔に目をつけられて、天罰とか下ったら最悪だろう!」
「儀式らしくとは言わんが、交合は念のためしておいた方がいいだろうな」
「いつ?」
「いつでも」
「え、いま?」
「今でも」
じわり、じわりと距離を詰められ、腕を掴まれてしまった。
「ちょっと待て、僕は病人だぞ」
「ヘアピンで鍵をこじ開ける病人なんぞ聞いたことがない。裏へ行くぞ」
月明かりの被らない方へ行き、リチャードは手を離した。
「影が怖いんだろう?」
「………………まあ」
「ここだとまだましだ」
「真っ暗だけど、そっちはそれでいいのか?」
「俺の心配か? 問題ない。お前の身体が無事で心も安定していて明日食べたいものがはっきり言えるくらいなら」
「しばらく詐病で通すけど、明日は甘いものが食べたい。味のうっすい野菜スープはもう飽きた。それと、僕はそんなに弱い人間じゃない。そもそも未遂だし。アメデオの股間くらい蹴っておけばよかった」
「上等」
唇を塞がれた。慣れている様子からしていくつもの経験と実績があるのだろうと察する。無性に腹も立った。
身体の力が抜けたクリスを、リチャードは笑うことせず壁を背に座らせた。
「さっきまで……雷が鳴ってたのに……」
「悪魔が怒っているのかもな。俺がお前を隠そうとしたから」
「今は怒ってないのか……?」
「ああ。きっと悪魔は降りてくる。黙って目を瞑っていていいぞ」
「そんなの……つまらないだろ」
リチャードの手が止まった。
「一方的な交合で何が楽しいんだ? 余計に虚しくなる。悪魔のために抱かれているみたいで……」
悪魔が望んでいるのは理解している。そのためにこういうことは避けられないことも。けれど理解と気持ちは異なるものだ、心は理解から遠い。
「悪かった。そうだな、お前の気持ちを思いやれなかった。好きな人でも思い浮かべるといい」
「……アンタを殴りたくなった」
「思春期は複雑だな」
キスをしても身体を弄られても、満たされるものがない。
アンタはなぜ僕を抱いているのか──その言葉を呑み込んで、手慣れた彼に身を任せた。
今朝早くドアを叩いたのはサイラスだった。
「今、何時だと思っている……」
「五時前だね! 今、学園に帰ってきたばっかりなんだよ。ちなみに俺は寝ていない」
追い出すわけにも行かず、サイラスを中へ招き入れた。
「教祖様からの急な呼び出しだったんだ」
「だいたい想像つくが、何の用だったんだ?」
「アメデオの処分に関しては、教団の裁判にかけるってさ。儀式は二回目を終えて、クリス以外は儀式を滞りなく終了したとお伝えした。ついでにクリスの容態に関しても。あまり良くないと話したら、治らないようなら外へ出して総合病院へ連れていくとおっしゃっていたぞ」
「ふざけている。外へ出しても信者が大勢いる病院へ移されるだけだ」
「三回目の儀式は強制参加させろって意味だろう」
実際はただの詐病なわけだが。交合が終わった後も明日はとびきり甘いものが食べたいだの散々我を通すクリスは可愛いものだが、元気の有り余る彼がばれるのも時間の問題だろう。
それにしても、クリスの精神的強さは目を見張るものがある。神の御子に選ばれたと知ったときも自力で立ち直り、凛として立ち向かった。悪魔が目をつけたくなるのも頷ける。
「俺の勘だけどさ、本部の連中がアメデオをほしがってそうなんだよな。あの美しさだし」
「どのみち、ここに置いておくのは危険だ。クリスかノア、あるいはどちらも狙われる」
「ノアも? あの子がタイプなのか」
「茶化すな。ノアに何かあればクリスが動く。それは避けたい」
「ああ、そういうことね。じゃ、報告は以上で終わり。二度寝して」
「できるわけがないだろう……目が覚めた」
無造作に髪をかきあげ、カーテンを開いた。
睦言を終えて部屋へ戻ったときには、二時を過ぎていた。
働かない頭に鞭を打って、これからのことを考えてみる。
教祖はなんとしても自分の息子を神の御子にしたがるだろう。実際になっているが、あの手この手を利用する。その中にアメデオも入っている。
アメデオを予備生に選ばなかったのは、神託の有無ではない。薔薇の女王様に選ばれた生徒は、過去には神の御子になったのに逃げようとする予備生を見つけたことがある。アメデオを予備生とするより、逃げる予備生を捕まえる役割をアメデオに与えた結果だ。
残りの儀式はすべてリチャード自身がクリスの担当になると決めている。だがことがうまく運べるとは思っていない。
クリスの身が危険にさらされたとして、助けるために手を差し出そうとする人物を思い浮かべた。
心からクリスを想って動いているのはサイラスとウィリアムだ。教祖の弟であり、クリスの叔父にあたるサイラスは心の底からクリスを可愛がっている。実の兄であるウィリアムもだが、教祖を父に持つウィリアムはどちらか選ばなければならない立場になったとき、クリスを裏切る可能性も視野に入れている。
ノアは信仰深いが、生徒であるがゆえにクリスに何かあったときでも、身動きがとれると思えない。
「そういや、ノアは最近授業もろくに受けずに休みがちになっているそうだ。クリスが倒れたのは自分のせいだと責任を感じているらしい。このままだとノアも倒れかねないぞ。食事もあまりとっていない」
「……今日、会わせるつもりでいる」
赤紙の切れ端をクリスに渡し、その後にアメデオに襲われた。ノアが責任を感じるのは当然だ。
目的が判らないのがアーサーである。彼の立場は教団の中でも位の高い位置にいるが、本人は素性を知らない。教団と繋がっているわけでもない。
「じゃあ、俺は部屋に戻るよ」
「ああ」
太陽ははっきりと顔を出し、雲一つない天気だ。昨日の雷は予期せぬ出来事で、やはりクリスを見張っていたのだと確信が持てる。
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