パブリック・スクール─薔薇の階級と精の儀式─

不来方しい

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第一章

011 切り札

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「それは……悲しいな」
 リチャードの入れたミルクティーをすする。蜂蜜入りで、しっかりと甘い。
「甘いものが好きなのか?」
「糖分が欲するのはお互い様だろう。俺はあまりにも頭を使うことが多すぎるからな」
「さすがナイト様。……確かに、前より食べてないな。プディングとかババロアとか」
「今度作ってこよう」
「は? 作れるのか?」
 心外だ、と言わんばかりの顔だ。
「俺をなんだと思っている」
「教団の教えを遵守するリチャード様だろ。甘いものが大好きでミルクティーを入れるのがとてもうまい」
「そもそも俺は他人を家の中に入れるのが好きではない。料理くらいは自分で作る」
 ここはリチャードが使っている執務室だ。一応、個人の部屋でもある。
 自分だけが特別なのか、と聞きたかったが、もし期待するような答えが返ってこなかったときのことを考えて止めた。
「話は代わるが、スポーツ大会の準備は整っているか?」
「僕らはどうせ参加できないだろ?」
「走ったりはできないがスピーチはしてもらうぞ」
「……なんでこんなことになったんだろうな」
 クリスは深く、深く嘆息を漏らしてソファーへ沈んだ。
「ずっと悪魔の悪意と本音を考えた。でも考えても考えても判らないんだ。真相にたどり着けない。酸素も光もない中を走ってる状態だ」
「そうなったら甘いものでも食べろ」
 そう言いつつ、リチャードは二つのカップにミルクティーを注ぐ。
「悪意と本音、か。俺が探しているものがまさしくそれだ。古くから伝わる文献はあるが、虫に喰われたり破られている箇所があって読めないんだ。意図的に破られたものであるなら、おそらく教団の秘密にも繋がるのだろう」
「そもそもセックスする必要があるのか? そこがまず納得できない」
「人間や神に対する怨恨だとは言われているがな。俺もよく判らない。人間が神の御子を生み出さなければ、我々は死ぬ」
「神の御子になって、隠し通しても本当に大丈夫なんだよな?」
「……内密の話だが、実際に教団へばれずに役割を終えた人もいる。定期的に悪魔を地上に下ろさないといけないが」
 それはもう、聞き返さなくても判りきっていることだ。悪魔が神の御子に飽きるまで、交合を繰り返せという話になる。
「それはそうと、サイラスとは何か話したか?」
「いや……ぜんぜん。彼も教団に楯突いているのか?」
「そうだ。どっちつかずなところがあるが、お前の味方で間違いない。俺がいないとき、サイラスを頼れ」
 暢気そうな笑みで手を振ってきたときはあった。一礼をしてとくに話さなかったが、機会があれば近づいてみるのもいいだろう。



 五月になればチェリーブロッサムは青々とした葉を実らせ、簡単に夏を引き寄せた。花の香りはもうせず、窓から見える木々はしばらく春を遠ざける。
 スポーツ大会当日、一日で書き終えた原稿を読むと、グラウンドにいる生徒からは拍手が起こった。
 一番手を叩いているのは副監督官であるサイラスだ。裏がありそうなにこにこ顔でこちらに手を振っている。威厳を保つため、クリスは目を伏せて腰を下ろした。
 生徒はグラウンド、予備生は日陰になるようにパラソルを立てたところで待機である。このような特別待遇は極楽浄土にいる地獄だ。
 一際小さな生徒がいる。ノアだ。彼はあまり体調が良いようには見えなかった。
 クリスは斜め後ろで待機しているリチャードの袖を引っ張る。
 リチャードは訝しげに眉を上げた。
「ノアと話したい」
 眉間に深い溝が刻まれていく。空気を読め、と言いたげだ。そんなことは判っている。
 学園長の長く有り難い話を聞いたあとは、予備生はほぼ自由だ。グラウンドで生徒を見守っていなければならないがお祈りがしたいだの適当に言えば抜け出せる。
「聖堂にいろ」
 一瞬、リチャードの唇が耳元をかすめた。太陽の光が強く当たるせいか、首から顔半分が熱い。手でこするとさらに熱がこもった。
 空気を読めといったリチャードが一番空気を読み、お祈りのためだと言い聞かせてクリスは立った。
 聖堂の中は外より涼しい。女性の姿をした男性の像に見下ろされ、なんとなくぎこちない空気だった。
 嘘ついてごめんなさい──悪魔へ祈るとすれば謝罪一択だ。神の御子に選ばれたのに隠している。しかも共犯者までいる。悪魔と直接話せるわけではないため、こうして像へ祈ることしかできない。
 聖堂の重苦しい扉が開き、向こうに見えたのはリチャードとノアではなかった。
「よっ」
 生徒同士の会話のように、サイラスは片手を上げる。横でノアが縮こまっていた。
 クリスは一揖してノアの元へ駆け寄った。
「ごめん、急に呼び出して。体調が芳しくないように見えたから」
「ううん……大丈夫。暑かったけど」
「種目は何に出るんだ?」
「俺、出ないんだ」
「出ない? なんで? 一人一つは出ることになってるだろ」
「そうなんだけど……ここのところ暑さと寒さが交互にやってきて、ちょっと体調悪くしてたんだ。そしたら決まってた」
「なんだよ、そんなのおかしい」
「運動得意なわけじゃないからラッキーだよ」
 にしても、やはりいつものノアと雰囲気が違う。どこかぴりついた様子で、側にいる安心感が感じられない。
「ノア、スポーツ大会の他に何かあったか? なんでも言ってくれ」
「本当に、大丈夫なんだ。心配かけてごめんね」
「違う、心配させてくれ」
「じゃあ……ちょっとだけぎゅってして」
「ちょっとじゃなくてもするさ」
 頭の位置が高くなっている。ノアの身長が伸びていた。
 成長に喜ばしく感じていると、スポーツウェアのポケットに違和感を感じた。
 ポケットに何かを入れられている。クリスはノアをきつく抱きしめ、頬擦りをした。
 離れる直前、視線が交わり互いに頷いた。
「また具合悪くなるといけないから、夕食まで寄宿舎にいたらいい」
「そうしようかな」
「送っていくよ」
 ノアと手を繋いでなるべくゆっくりと歩いた。当たり前にあった二人の時間は圧倒的に少なくなっている。くだらない話や学園の話をしたり。過去にはもう戻れない。時間は有限だ。
「じゃあ、気をつけて」
「うん。クリスもね」
 ノアを送り届けてから、サイラスとともに寄宿舎へ向かう。
「仲良しだねえ」
「子供の頃からずっと一緒ですから。サイラス……さんは、」
「サイラスでいいよ。リチャードにも呼び捨てでしょ? 敬語も使わなくていい」
「……リチャードには、何かあったら頼れって言われてる」
「君を守りたいのはなにもリチャードだけじゃない。けれど手の内をすべて明かしてはだめだ」
「どういうこと?」
「いくら心を許した人間であっても、手札をすべてさらしてはいけない。ジョーカーを持ち続けることは、仲間を助ける切り札にもなり得る」
「どうして僕を助けようとしてくれるんだ?」
「それくらい疑いの目を持ち続けてくれ。君に甘い蜜を少しずつ分け与えて、それが毒だった場合取り返しのつかないことになる」
「でもあなたは味方でいてくれる」
「そうだ。俺は君の力になりたい。だからノアから受け取ったものを見せてほしい」
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