窓辺へ続く青春に僕たちの幕が上がる

不来方しい

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第一章 桜色の日から

015 それぞれの住む世界

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 気まずい空気を押し
、高田は新しい風をばんばん吹かせにかかる。
 窓夏が何も言わないのを良いことに、担当動物や仕事の内容がどんどん漏れていく。
 秘密にすべきことは言わないが、アルコールが入っているためいまいち信用できなかった。
 空いている席に座り、できるだけ高田と離れて座った。
 飲み慣れていないビールが運ばれ、仕方なく口にする。
「お酒は苦手? 別の頼もうか?」
 隣にいた女性はにっこりと笑い、メニュー表を渡してくる。
「ここからここにあるものは飲み放題だから注文して大丈夫だよ」
 肩が触れ合い、窓夏は少し距離を空けた。
「高田さんと知り合いなんですか?」
「高田さんも誘われたそうだよ。男性五人くる予定だったけど、一人来られなくなっちゃって、それで倉木さんが呼ばれたみたい。代わりに真面目な好青年を連れてくるって豪語していたから」
「好青年……」
「大きい動物担当って大変じゃない?」
「大変だけど、可愛くて仕方ないよ。担当している人の顔を覚えてくれるし」
「ケガとかしないの?」
「まったくないとは言わないかなあ。子がじゃれてくると親はずっとこっちを見てるし。つねに気をつけている」
 代わりにウーロンハイを頼み、もう一度乾杯した。
 隣に座る女性はお喋りで、もっぱら質問を繰り返している。
「あなたは、どんな仕事をしているんですか?」
 答えてばかりなので、窓夏は質問をしてみる。
「実は、タレントの卵なの」
 飲みかけたウーロンハイが止まった。
「そうなんだ、びっくり」
「まだ全然だけどね。お仕事も水着ばっかりで、早くテレビに出られるようになりたい」
「どうして水着?」
「タレントの登竜門みたいなものなの。やになるけど、今テレビに出ている人たちもそこからスタートだったりするんだ」
「そんなの初めて知った。嫌な世界だね」
「まあね。でも売りにしていかないとどこでチャンスがあるか分からないから。……嫌な世界って、あなたは嬉しくないの?」
 女性は怪訝な顔をした。
 男性に水着になると言ったのだ。本来ならそこに反応しなければならなかっただろう。
「あまり興味がないというか……」
「水着の女性が?」
「僕、今日は適当人数合わせで呼ばれただけで、実は付き合っている人がいるんだ」
 高田がこちらを見たが、すぐに逸らした。
 付き合っている人はいないが、一歩手前の人はいる。お友達からとは言ったものの、将来を見据えての相手だ。
「ならお友達は?」
 女性は悪戯な笑みをこぼし、左手を握ってきた。
 お酒が入っているためか、手のひらは熱かった。そして小さい。握ったら壊してしまいそうなほど細く、柔らかかった。
「意味深な友達ってこと?」
「変な言い方ねー。ま、そういうこと。彼女いても気にしないから」
「恋多き人って感じだね」
「社長の愛人とかなってたことあるし」
「相手の女性に悪いとか思わないの?」
「修羅場ってワクワクするタイプなの」
「残念だけど、僕とは住む世界が違うみたい」
 窓夏は手を引き、熱さが伝わった手を冷ますように包んだ。
「そろそろ出るね。高田さん、今日はお誘いありがとうございます」
「一もう帰るの?」
 高田は怪訝な顔をした。
「本当に帰る人って初めてだよ。あと少し残ったら?」
「夜に用事があるんです」
「彼女?」
「ええと……まあ、そんな感じです」
 結局、ウーロンハイのみで席を立った。最初のビールがよけいだったせいか、胃の中がおかしくなっている。
 端末には一件の着信とメールが入っていた。
──仕事早く終わった。飲み会終わりそうなら、早めに迎えにいく。
──切り上げてきたよ。駅に向かうね。
──分かった。
 時刻は十九時だ。街灯がついているとはいえ、すでに暗い。
 なるべく人通りの多いところを歩いていく。
 自分以外の足音が聞こえ、窓夏は立ち止まった。
 もう一つの足音も止まる。
 音が跳ね返るような地下でもない。
 窓夏は再び歩き出した。するともう一つの足音は、警戒を含んだ軽い音に変わる。
 少し早歩きで駅に向かった。駅前は人通りが多く、窓夏は端末を取り出して振り返った。
 誰も窓夏を注目しようとせず、素通りして駅の中へ吸い込まれていく。
 気のせいか、と肩を撫で下ろすと、背後から肩を叩かれ、下ろした肩を再び上げた。
「よ」
「びっくりした……あっくん」
「どうした? 怖い顔してる」
「ううん、なんでもないよ」
 心配をかけたくないので、窓夏は無理やり笑顔を作った。
「どのくらい飲んだんだ?」
「ビール少しと、ウーロンハイ。なんで飲み会ってまずビールからなんだろうね」
「わかる。最初はミルクレープからスタートしたい」
 タクシーを拾い、秋尋は駅とコンビニ名を告げる。
 車内では無言で、先ほどのことを言いたくなった。
 揺れ動く気持ちを天秤にかけてみるが、答えは出ないままタクシーは停車した。
「そこのマンション」
 首が痛くなるほどの高さだ。秋尋は窓夏の肩を押して促した。
「足下気をつけて。ふらふらしてるぞ」
「うん、ちょっと酔ってる。最初のビールがよけいだったかな。何も食べずにお酒だけ胃に入れちゃったから。肩支えててね」
 秋尋は窓夏の足取りに合わせ、ゆっくりマンションの中へ入っていく。
 セキュリティーがしっかりとしたマンションで、いかにも芸能人が住むイメージ通りだ。
 エレベーターに乗ると、肩に置かれた手が腰に下りた。
「お持ち帰りされるみたい」
「半分そんな気持ち」
「あ、やっぱり下心あるんだ?」
 窓夏は嬉しそうに言う。
「半分って言ったけど、九割くらい」
「下心しかないじゃんっ。残り一割は?」
「美味しいすき焼きをふたりで食べること。いい肉買ってるんだよなあ」
「肉!」
 窓夏の顔が花開いた。
「俺の下心より嬉しそうなんだけど」
「肉には勝てないよ」
 エレベーターが開いた。
 スーツ姿の男性がいて、現実に戻され窓夏は小さくなる。
 ふたりだけの世界ではないのだ。秋尋と似た仕事をしている人もいるだろう。
「他にも芸能人はいる?」
「何人か会ったことはあるな」
「仕事の人に会うのって気まずくない?」
「気まずいよ。ただいつ一緒に仕事をするか分からないから、会釈くらいはする。さあ、ここだ」
 カード式の鍵を当てるとランプが緑に光り、扉が開いた。
「下心だらけの男の部屋へようこそ」
「わー、ひろーい」
「ベッドも広いぞ」
「ふたりで眠れる?」
「ああ。たくさん動いても問題ない」
「あっくんって、すけべ」
「まあな」
 ふたりで顔を合わせて笑った。軽口を叩かなければ、緊張で中へ入れなかったのだ。
 中学のときに彼が住んでいた部屋のように、広いリビングにはほとんどものがなかった。
 目立っているのは大きなテレビよりも、覆い被さる観葉植物。
「あれって、もしかして柚子?」
「覚えていたのか?」
「もちろんだよ。実がなったらくれるって約束したじゃん。懐かしいなあ」
「お前が教えてくれたんだ。日当たりを好むことも、水をたっぷり上げなければいけないことも。ちゃんと実践して、ここまで大きくなった」
「すごいすごい」
「今年もきっと実ができる。そしたらスイーツでも作って食べよう。柚子風呂もいいかもな」
「ふたりで?」
「そ」
「じゃあ一緒にお風呂はしばらくおあずけだね」
「ちょっと待て、」
 大きな手で両肩を掴まれた。本気の強さだった。
「柚子がなくたって風呂は入れる」
「でもせっかくだから浮かばせて入りたくない? カピバラの気分を味わいたいんだ」
「冬にやったらいいだろう? 今日だって入ろうと思えば入れる」
「僕お酒入ってるし、軽くシャワー浴びるくらいで」
「……なに必死になっているんだ、俺」
 秋尋はどっかりとソファーに座り、頭を強くかいた。
「ごめん。すき焼き作ってくる。先にシャワー浴びて」
「分かった」
 人間関係はとても難しい。
 どのくらいの距離を保ち、近づいたらいいのか経験がないため分からなかった。
 今は離れた方がいいと、窓夏はバスルームへ向かった。
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