窓辺へ続く青春に僕たちの幕が上がる

不来方しい

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第一章 桜色の日から

08 卒業式

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 球技大会があろうとも、動物たちは餌はまだかと待ちわびている。飼育員に休みはない。
「おいしーねえ。よかったねえ」
「本当に美味そうに見えるな」
「そんなに美味しくないよこれ」
「え」
「ん?」
 鶏はせっせと餌をつついている。
「今日さ、二位だったじゃん。おめでとうって言っていいのかずっと考えてた。悔しそうだったけど、すごい記録だよね。相手は小学生の頃から将棋かじってて大会出たりした人なんでしょ?」
「ああ……」
「素直に誇っていいと思う。おめでとう」
「やっと肩の荷が下りた感じ。ありがとう。けどお預けくらったものもある」
「なに?」
「キス」
「あ」
「おい待て……まさか忘れてたのか?」
「ずっと鶏たち元気かなって考えた。もちろんあっくんのことも考えてたよ? ってか僕のキスなんか嬉しいものなの?」
「ああ」
 秋尋はきっぱりと断言する。
 視線を感じてに振り返ると、ウサギたちがこちらを見ていた。
 新しい餌に変えて食べている間、地面の掃除だ。草食動物は糞の量が多い。
「糞の掃除そんなに楽しそうにする人、初めて見た」
「餌やりだけが仕事じゃないからね。毎日動物たちと暮らせたらなあ。一軒家を借りて、庭で犬とボール遊びするの。家に帰れば猫が待っててくれる。幸せな毎日だよ」
「叶うといいな」
 秋尋は泣きそうに優しく微笑んだ。
「将来は僕らどうなっているのかな」
「なあ、もし俺が夢を叶えたら……」
 それ以上は声をつまらせ、何も言わなくなってしまった。
「あっくんの夢って?」
「とりあえずは、親のすねをかじらず生きていくこと」
「いいねえ。うんうん。分かるよ。僕も一人暮らししたい。親の干渉が嫌になるときがあるし。でも幸せな悩みなんだろうな」
「ああ。興味がないよりは有り難いと思うぞ。悩みが尽きないよな」
「楽しいことも考えたいよね。アイス食べたいとか」
「のった。駅裏のアイス屋寄るか」
「ばれないかな」
「今日は買い食いが多発する日。なぜなら球技大会で腹を空かせているから」
「ええ? 将棋でお腹空くの?」
「けっこう頭使うんだぞ」
 考えることは同じで、アイス屋に寄ると、中学生がこぞって列を作っていた。
 告げ口はするなよ、という謎の一体感が生まれ、二段重ねのアイスを食べて別れた。
 人生の悩み、恋の悩み、少しずつ近づく距離感。
 どれもこれも置き去りにはできない大事なもので、土台を作っても足下が崩れそうだ。卒業後を考えるとなおさら先が見えない。
 けれど生きていくしかない。
 別れ際に触れ合った指先が優しくて痛くて、もっと一緒にいたかった。



 クリスマス色に染まった本日は、二学期の終業式だった。
 メリークリスマスと飛び交った去年とは違い、受験生であるためか浮き足立っている生徒はほぼいない。
 ホームルームが終わって席を立つと、後ろにいた秋尋と目が合った。彼は目を逸らさない。廊下を指差しただけだ。
 一緒に帰ろう、と秘密の暗号みたいで、一気にクリスマスモードに変わる。が、受験生でこんなことはいけないと気を引き締めた。
 一線を置きつつ『友達』を続けてきた関係は、崩れもせず先も進まない。
「ちょっと寄っていかないか?」
 老夫婦のように寄り添い、学校を出てのろのろと通学路を歩いた。
 受験生である今と解放された来年とでは、きっと見える景色が違う。今は今を照らす光に見えた。先は照らしてくれはしない。自分の道は自分で作らなければならない。
 誰もいない寂れた公園で、ベンチに腰かける。
「義務教育でとんとん拍子に受験生になってさ、僕らって受験の話は何もしてなかったよね」
「そうだな」
「あっくんさ……どこ受けるの?」
 Aクラスの生徒はたいてい進学校に散らばる。成績はクラスでもトップな秋尋と、努力でのし上がった窓夏は今はいい勝負だった。
 秋尋の顔が近づいてきた。急なことで目を瞑ると、後頭部に重みがのしかかる。
「重い」
「失礼な」
 秋尋の太股に手を置くと、暖かかった。まだ側にいてくれる人の体温が感じられて、目の奥が痛み出す。
「俺さ、引っ越しするんだ」
 冬の空気がよりいっそう冷たくなった。体温が抜けきったみたいで、手の感覚が失っていく。
「どこに?」
「東京の都会側。まだはっきり決まったわけじゃない」
「最近、先生に呼び出しされてる理由?」
「ああ。親といろいろ揉めたりしてる」
「どうして行かなきゃいけないの?」
 とんでもない質問をしているのは分かっている。彼は自分の将来のために動いているのに、どうしても感情の抑えがきかない。
「ごめん」
「……うん」
 それが秋尋との距離感だ。
「あっくんって虹みたいな人だね」
「虹?」
「近くに見えるのに、実際はすごく遠いし掴めない」
 窓夏は立ち上がった。
「待て。話があるんだ。もし……」
「やだ。聞きたくない」
「倉木」
 珍しくも、秋尋は切羽詰まった声を出した。
「俺の気持ちは変わらない。ずっと。こんな気持ちは初めてなんだ。家とか普段の生活とか関係なしに俺と友達になってくれて、こんな嬉しいことはなかった」
「僕もあっくんと友達になれてよかったよ。中学生って本当に自由がないよね。気持ちもどうにもならないし、選べるふりして狭い中で生きてるだけ」
「ああ。俺もそう思う。気持ちが膨らんできても、どうにもならない。自分にいらいらする」
 秋尋は立ち上がり、窓夏の腕を引いた。
 大きな胸と手にすっぽり覆われ、ばかみたいに泣いた。
 卒業や受験、人付き合いの重荷がのしかかり、涙で下ろすしかない。避けては通れない道だ。
 秋尋はただ背中を叩いてくれ、泣きやむまで側にいてくれた。



 胸に差したコサージュは誇らしく、よれよれになった制服とは対照的に汚れ一つもなく咲いている。
 クラスメイトは早く来ていて、浮かれて写真を撮ったりしている。
「藤宮君は?」
「さっき先生に聞いたら、卒業式出られないって」
「えー! 結局どこの高校行くんだろうね」
「さあ。聞いてもはぐらかすし。ねえ、倉木君は何か知らない?」
「えっ……さ、さあ……どうして僕?」
「だって仲いいじゃん。よく一緒に帰ってるし」
 クラスメイトの認識ではそうらしい。
 実際はあのクリスマス以降、帰っていないどころか一言も話をしていない。お互いが避けるようになっていた。
 痛いほど伝わる秋尋の気持ちは、抱きしめる腕の強さがイコールだった。
 泣きじゃくる窓夏を突き放すこともせず、ずっと胸の中に閉じ込めていた。
「ネクタイとかほしかったのにー」
「分かる分かる。一緒に写真も撮りたいよね」
 クラスに入ってきた担任は、すでに泣いていて顔がぐしゃぐしゃだった。
 生徒を称える教師は、いない秋尋については一言も触れない。
 生徒も今日ばかりは教師の声に耳を傾けるようになっていて、卒業式が近づくたびに秋尋について口にするも者はいなくなっていた。
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