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第一章 桜色の日から

04 初めての彼の家

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 不慮の事故というのは突如起こるもので、何があったのか把握するまで時間がかかった。
「大丈夫?」
「……………………」
「大丈夫? 聞こえる?」
 二度声をかけられ、窓夏は頷いた。
 辺り一面真っ白な部屋で、薬の臭いも混じり、保健室だと気づく。
「体育の授業中に倒れて、ここまで運ばれたのよ」
「ああ……」
「いきなり無理な運動したのが原因ね。それと水もあまり飲んでないでしょう? 念のため病院へ行った方がいい。今、おうちの方が来てくれるから」
 頬に固いものが当たり、顔を傾けるとピンクの箱が見えた。
「ここまで運んでくれたお友達が置いていったのよ」
「運んだ?」
「だっこして連れてきてくれてね。すごく心配してたわよ」
「背が高い、眼鏡の人?」
「そうそう」
 知る限りでは秋尋しかいなかった。何十人も生徒がいる中、さぞ注目を浴びただろう。
 それとあの仏頂面がどんな顔で抱き上げたのか、見たくもある。
 ピンクの箱は、牛の絵柄がついたいちご牛乳だ。甘ったるさが有名で知らない者がいないという、しかも学校限定の商品。百円出せば十円のお釣りが返ってくるのだから、怖いもの知らずで誰でも一度は購入した経験があるだろう。
 迎えは母が来て、すぐに病院へ向かった。
 体調は保健の先生が言った通り、軽い日射病だった。
 水を飲んで点滴を打ってもらうと気分も落ち着き、すぐに家に帰った。
 机の上にいちご牛乳を置く。
 もったいなくて、飲むことができなかった。
──いちご牛乳ありがとう。
 だっこされたなんて恥ずかしくてメールを送れなかった。
──どういたしまして。飲んだ?
 メールを続けられるチャンスだ。
──飲んでない。甘いんでしょ?
──甘いの好きじゃないのか?
──好き。
 メールがやや遅れて届く。
──ならよかった。好きだと思って。
──うん、好き。
 またもや遅れて届く。
──体調はどうだ?
──いい感じ。一応寝てるけど、普通に歩けるし食欲あるし問題ないよ。
──明日の映画はなしで、来週にしよう。
──元気だよ?
 予定が狂ってしまいそうなので、勇気を出して電話をかけた。
『最初から電話にすればよかったな』
「うん。あの、それで、映画は観るよ?」
『考えたんだけど、映画は映画館で観るだけじゃないんだよな。家で観る?』
「藤宮君の家で?」
『ああ。けっこういろいろ揃ってる』
「行きたいけど、急に行ったら迷惑じゃない?」
『誰もいないから大丈夫』
「おうちの人いなくて行ってもいいの?」
『一人暮らしだし。お手伝いさん来るかもだけど』
「お手伝いさん? 藤宮君ってどんな暮らしぶり? 興味が沸いてきた」
 中学生で一人暮らしとは、初めて聞いた。
 興味と心配が入り混じった言葉で投げかけると、自分のことなのに興味がなさそうに鼻を鳴らす。
『実家にいるよりはずっといい。親のすねかじってるけど』
「中学生なんだから、かじれるものはかじっていいと思うよ」
 電話越しに吐息が聞こえた。
 言葉少なめに明日の約束をし、電話を切った。

 駅前の約束より、十分ほど早く秋尋は来ていた。
「どうも」
「こんにちは」
 学校以外で会うのは初めてではないのに、緊張した。
「ここからそんなに遠くない」
「じゃあ学校からも近いんだね」
「まあな。体調は?」
「もうばっちり」
「絶好の映画日和だな」
 駅裏にあるマンションは、暗証番号を入力しなければならなかった。
「お金持ちの人みたい」
「金があるのは親」
「すねかじってるってそういうことなんだ」
「そ」
 エレベーターに乗ると、妙にそわそわした。
「落ちつかない。悪いことしてるみたいで」
「親になんて言ってきたんだ?」
「友達と遊ぶって言ってきた」
 エレベーターが止まると、身体に下からの圧迫感がある。
「襲ったりしないから大丈夫、多分」
 爆弾発言を残して、彼は奥から二番目の部屋に立つ。
 ドアが開くと、香水とコーヒーの混じった香りがした。
「おじゃまします」
 一人暮らしの部屋ではない。家族で暮らせるような広い部屋で、家具の数が見合ってなかった。
 ちょこんと置かれたテーブルとイス、中学生らしくもないシンプルな大人の部屋だ。しなびれた観葉植物がもの悲しい。
「なんの植物?」
「柚子。実がなる気配はなし。もらいものだから、どうしようもなくて置いてる」
 質問したかったことは事前に答えてくれた。
「肥料とかあげないといけないんじゃない?」
「かもな。俺は生き物の人生を背負えるほどできた人間じゃない」
「中学生なのに背負うものが大きすぎだよ……。それくらい命を大切にしてるってとらえられもするけど」
 携帯端末を出して、柚子、観葉植物と入れてみる。
「花言葉は、恋のため息だって」
「はあ……」
「あ、ため息」
「俺に似合ってないと思って」
「そんなことないよ。あと日当たりを好み、水をたっぷりとあげましょうだって。日当たりは大丈夫そうだね」
 ベランダの側に置いていて、直接太陽光も当たっている。
「水は……土が乾いてるよ」
「分かったよ」
 秋尋はボウルに水を入れて──ついでにコーヒーをセットして──もってきた。
 雑に水をかけると、土はすぐに吸い取り一瞬でなくなっていく。
「おお、いいね。水もお腹空いてたんだよ」
「も? 倉木も腹減りか。クッキーあるけど食べる? もらいもののやつ」
「食べたい。そんなにもらうの?」
「ああ。食べ物関係は助かる」
 誰から、とは聞けず、コーヒーができたと音が鳴った。
 ミルクたっぷりのカフェオレとコーヒー、そしてジャムが乗ったクッキーで乾杯し、秋尋はブルーレイをセットした。
「恋愛系?」
「そ。そこそこどろっとしてる系」
「うわあ。人の恋愛に首突っ込むのって作り物でも目隠しちゃう」
 パッケージはアクション映画のようなデザインだ。
 女性が銀行へ入っていくシーンから始まる。
 マスクとサングラスをかけた数人の男が現れ、女性が人質に取られた。
 銀行へ強盗をした男性、人質にとられた女性がのちに出会い、恋愛関係になる話だ。
 濡れ場は多いし男性は強盗は続けるし、胃が痛む。
 男女が絡みが始まると、窓夏は横目で彼を盗み見た。
 コーヒーカップを片手に真剣な眼差しをしていて、すっきりとした目鼻立ちに目を奪われる。睫毛が陰を作り、まばたきのたびに揺れる。
「……倉木」
 身体を揺さぶられ、まぶたを開けた。
 薄暗い部屋の中、テレビ画面はエンドロールに突入している。
「ごめっ。うそ……」
「つまらなかったか?」
「そんなことないよ」
「映画を観て眠くなるのは、脳がつまらないと反応しているからだそうだ」
 秋尋はふたつのカップを手にし、ソファーから腰を上げた。
 今度は紅茶をもらい、飲み慣れない味にミルクをたっぷりと入れる。それとビスケット。
 秋尋はミルクティーにビスケットを浸し、たっぷりと染み込ませると、口へ運んだ。
「びっくりの馴染みのない食べ方って顔してる」
「ええ?」
「ダンキングってやつ。外だとできないな」
「僕もやる」
 固めのビスケットは紅茶を含むとぐにゃりと曲がる。甘い紅茶に塩味の強いビスケットはよく合った。
「美味しい」
「な」
「藤宮君の家ではよくやるの?」
「俺だけ。だから実家ではできない」
 遠くを見つめる秋尋は、近くて遠い存在だった。
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