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第一章 大学生とバーテンダー
030 ルイの言葉は師匠の言葉
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ブラウンの混じったブロンドヘアーに、前髪には少しの遊び心。言葉の重み、交わし方に特化したプロの持ち主。長年バーテンダーをしているだけでは身につかない。きっと、彼の天性の才能。それがユーリ氏に対しての印象。
「ユーリさん、ルイの居場所を知りませんか?」
「あなたは、彼に会ってどうするつもりですか?」
「どうするって……」
「少し、頭を冷やしなさい」
ソファーをすすめられ、隣に腰掛けた。お茶を入れる彼に手伝いを名乗り出るが、はねのけられてしまった。
「私はこれが好きでね、日本に来るとよく食べるんですよ」
「可愛いですね、これ」
「羊羹も好きだが、今の季節にしか食べられない和菓子というのもこの国なりの季節の楽しみ方でしょう。夏を涼しげに見せる工夫は、実に日本らしい」
透明な寒天の中で、臨場感のある金魚が尾びれを揺らめかせている。小さな金魚鉢で泳いでいるようだ。錦玉羹なんて、高級なイメージがあり俺は買おうと思ったこともない。
「今の季節なら水まんじゅうもあります」
「無論、買ってあります」
ユーリ氏はぐさりと金魚の喉元めがけてフォークを突き立てた。俺は金魚を避けるように、寒天部分を切って口に入れた。和菓子のお供はハーブティーだ。実にお洒落。いくつか選択肢があっても、俺はまったく選ばない種類のお茶である。
「プロヴァンス産のお茶でね、あの土地でのみ採取されたものを使っているんです」
「プロヴァンス? 確か南フランスでしたよね」
「その通り。プロヴァンス地方はラベンダーの香りが広がっていて、食べられる料理も香草を用いたものが多い。香草といえば、冷蔵庫に香りの独特な茶褐色の液体が入っていた。あれはなんだい?」
「どくだみ茶です。好きとは言ってくれなかったけど、ルイは好んで飲んでいます。切らさないように、いつも俺が作ってるんです」
「ふむ……なるほど。このお茶は口に合うかな」
「慣れない味ですが、美味しいです」
焦る気持ちは少しずつ浄化されていく。お茶の効能というより、彼の不思議な声のおかげだ。
「顔が良くなりましたね」
「……俺、具合が悪そうでした?」
「肩と顔に力が入りすぎて、ジェットコースターからの落下直前かと思いました。荷が下りたところで、私への質問は受け付けましょう」
言いたいことが飛び出そうになり、拳に力を入れた。上手い言い方だ。ペースを完全に握られてしまっている。ルイも話を乗せるのがプロフェッショナルだが、気づかないようにさり気なく行う。師匠とはだいぶタイプが違う。
「日本語、とても上手ですね?」
とりあえず、当たり障りのない質問をした。
「それはそれは、光栄です。こう見えて、日本人の血も混じっていますから。日系フランス人です。ユーリという名は、日本人も発音しやすい音でしょう? 漢字でも表すことができる。他は?」
「あなたと、もっと仲良くなりたいです」
トレビアン、と美しい褒め言葉が飛び出た。
「奇遇ですね、私もそう思っていましたよ。仲良くなりましょう。お茶のお代わりはいかがです? 別の和菓子もありますので出しましょう」
「ありがとうございます。どくだみ茶でも飲んでみませんか?」
「和菓子にはハーブティーが良く合う。そう思いませんか?」
「仰る通りです」
並々ならぬこだわりがあると理解した。こうなったらすべてを任せよう。
二杯目は別のハーブティーだ。気持ちを穏やかにしてくれるものだという。
上生菓子と共に食べると、緑茶の方が合う気がするが、これはこれで美味しい。
「そう、その調子。深呼吸は緊張を増すとも言われますが、酸素を取り入れるには一番だ。息を吸うことではなく、吐くことに意識をしなさい。ボクシングをしているのだから、呼吸の大切さは君が一番良く知っている」
なぜそれを、とは言わなくていい。出所はルイに決まっている。思っている以上に、俺の話をしているようだ。
「質問をします。ユーリさんのことを、もっと知りたいです」
「すべてを教えることはできません。何せ、私とあなたは初対面ですから。秘密主義ではありませんが、秘密が多いほど魅力的に見えるでしょう? まずは自己紹介をしましょうか。私の名はユーリ・ドヌヴェーヌ。日系フランス人で、フランス語、日本語、英語などが話せます。ルイの師匠です」
「さっきも言いましたが、花岡志樹です。フランスの名字って『ド』がつくものが多いんですね。ドルヴィエとか、ドロレーヌとか」
「そこら辺は、きっとフランスの歴史を知れば理解できるでしょう。他には?」
「どういう経緯でルイの師匠に……は、話せませんよね?」
「その話はルイに聞きなさい。私は、ルイの祖母に当たる方に世話になった」
「ってことは、俺初恋ルイに会えるんですね。話もできるってことだ」
要約すると「しまった」だろうか。ユーリさんは頭を抱え、被りを振る。
「言葉の節々を読解する能力はあるようですね。接客業にも向いているのかもしれません。それか詐欺師でもいいでしょう。日本語では、揚げ足を取るとも言いますね」
「ありがとうございます……?」
「あなたのことは、なんと呼べば?」
「花岡でも志樹でも構いません。ルイは、花岡と呼んでいました」
「あなたの名を頑なに呼ばないのは、過去の呪縛から解放されていないためだ。人は誰しも抱えているものですが、あれの場合、根は深い。がんじがらめになり埋もれてしまい、誰も見つけられずにいる。よって、今は花岡さんと呼ぶことにしましょうか」
何が「よって」なのか分からないが、俺が知らないルイは多数存在している。
「ユーリさんのことは、ユーリさんで構いませんか?」
「ええ、お好きに」
「ユーリさんに会いたかったのは嘘じゃありません。電話で一度話して……俺が勝手に出たときですけど、ルイからもいろいろと聞いていましたから」
「あの子は私のことをなんと?」
「……家族以上に信頼と愛を向けているようでした。あなたの話をするルイは、懐かしそうに目元の緊張を解いています」
「他には?」
「もし、俺の身に何かあったり、ルイと連絡が取れない状況に陥ったら……あなたを頼れと。全面的に助けてくれるからと。俺は嫌だと答えました。それは俺たちのどちらかに、何かあったときだからです。考えたくもなかった」
「今もその気持ちは残っていますか?」
「いいえ。今は頼りたくて仕方がないです」
「素直でよろしい」
二度目のトレビアンを頂いた。ルイも俺によく言ってくれた。
「少しであっても、あなたと仲良くなれた気がします。本題に入りましょうか」
いよいよだ。息は普通に吸えても、吐くと声が震える。緊張は心も身体も萎縮させるが、自分に負けるわけにはいかない。
「なぜ、あの子が花岡さんに何も言わずに別れたのか分かりますか?」
「……答えは出てきません。ルイは俺に何も言わなかった。実家へのチケットをくれたのは、遠ざけようとしたのかなあとは思います。そうだとしたら、ショックですけど」
「もちろん、大きい理由の一つでしょう。一番はあの子が悪い。花岡さんと別れが辛く、泣いてしまうからあのような方法しか取れなかっただけです」
「ルイが泣くってあんまり想像できないんですけど」
「おや? そう見えますか。あなたの前では、格好つけたいだけですよ。少し、昔話でもしますか」
ユーリさんはティーカップを持ち上げ、口につけた。俺のカップは頂き物の有名ブランドのカップ。お揃いの片方は食器棚にしまってある。
「話してもいいと言われている過去の話ですよ。日本語の使い方がなっていませんね。話してもいい、ではなく、話してほしいでしょうに。ルイにはバーテンダーという顔だけではなく、もう一つの顔がある。聞いていますか?」
「いえ。でもルイの回りにはサングラスを掛けた男性たちがうろうろしていたし、ただ者じゃないだろうとは思っていました」
ユーリさんはひと呼吸置き、カップを置いた。
「花岡さんは、墓守というものをご存知ですか?」
「墓守……墓を守る人……ですよね」
「その通り。彼は墓守の家系に生まれた子供です」
子供という年ではないが、ユーリさんからするとまだまだ子供なのだろう。
「昔々、大富豪がヨーロッパを支配していました。結婚と支配が交差しあった大国は、滅びても名残が各所に残り続けています。ドルヴィエ家もそのうちの一つです。彼の家も、大国の血が混じっている。元々薄かった血だが、ルイの祖母はオーストリアの大国の血を濃く受け継いだ人で、ドルヴィエ家に嫁いできた。良くも悪くも注目を浴び、彼を苦しめ続けた」
過去に上野にある美術館へ足を運んだことを思い出した。思い当たる有名な王妃の肖像画は、悲しげにこちらを見ていた。わがまま。子供思い。悲劇の王妃。彼女の目を見ていると、知りもしないのに当時の情景が浮かんでは消えていく。フランスの広場で命が尽きた彼女は、何を思って天を見上げたのだろう。
「大国の血を受け継ぐ人が墓守の家系に……結婚して子供が生まれたら、指を差されそう」
「そうならないよう努めるのが大人たちですが、君の言う通り簡単にはいかない。子供の素直と残酷は紙一重です。幽霊や化け物の類として扱われ、彼は友達もできずいつも独りぼっちだった。いや、彼の家族からすると、友達だのは不必要なものでした。運命だけを呪縛のように植え、身動きを取れないようにした」
また出た『運命』。数多く聞いたはずはないのだが、聞き飽きた言葉だ。どこかへ押しやってしまいたい。
「ルイは抗いました。大好きな祖母からドイツ語を学び、みるみる上達し、教養や知識も身につけた。墓守なんて冗談ではないと、彼は彼の道を歩んだ。そうはいかないのがドルヴィエ家です。彼には兄がいますが、墓守としての実権をほぼ握っています」
「ルイの苦手とする人ですね」
「ええ。名はディミトリ。名家に相応しい人ですよ。泣き虫で弱気なあの子とはまるで違う。厳格な性格で名家に課せられた使命を繋いでいる次期当主です。気持ちはどこにあるのか知りませんが、親の決めた婚約者と生涯を共にするつもりでしょうし。ルイにもそんな使命を課せました」
「………………え?」
「ベルナデットです。彼女も名家の出です。生まれてすぐに決められた婚約者をあの子は愛そうとした。現在彼女は行方不明ですが、ベルナデットについては花岡さんも事情を知っているでしょう」
ベルナデット・ドロレーヌ。彼女は大事な遺産を持ち逃げしたと疑いをかけられ、未だに行方が分かっていない。恐らく日本にいる。ルイとの関係性は、婚約者。腹の中が締めつけられる。
「さて、私の話せる内容は以上になります。花岡さんもいろいろ思うところがあるでしょう」
「ますますルイに会いたくなりました」
「別れ際、ルイはあなたに往復チケットの他に何か残したものはありましたか?」
「残したもの?」
ルイはなんて言っていた? 土産について聞いたら食べ物以外と言った。あとは楽しんでこい、ゆっくりしてこい。
「そういえば……俺にカクテルを振る舞ってくれました。ギムレットです」
「……なるほど」
ユーリさんは頭を振る。渋い顔はしていないが、俺には嫌な予感にしか思えなかった。
「ユーリさん、ルイの居場所を知りませんか?」
「あなたは、彼に会ってどうするつもりですか?」
「どうするって……」
「少し、頭を冷やしなさい」
ソファーをすすめられ、隣に腰掛けた。お茶を入れる彼に手伝いを名乗り出るが、はねのけられてしまった。
「私はこれが好きでね、日本に来るとよく食べるんですよ」
「可愛いですね、これ」
「羊羹も好きだが、今の季節にしか食べられない和菓子というのもこの国なりの季節の楽しみ方でしょう。夏を涼しげに見せる工夫は、実に日本らしい」
透明な寒天の中で、臨場感のある金魚が尾びれを揺らめかせている。小さな金魚鉢で泳いでいるようだ。錦玉羹なんて、高級なイメージがあり俺は買おうと思ったこともない。
「今の季節なら水まんじゅうもあります」
「無論、買ってあります」
ユーリ氏はぐさりと金魚の喉元めがけてフォークを突き立てた。俺は金魚を避けるように、寒天部分を切って口に入れた。和菓子のお供はハーブティーだ。実にお洒落。いくつか選択肢があっても、俺はまったく選ばない種類のお茶である。
「プロヴァンス産のお茶でね、あの土地でのみ採取されたものを使っているんです」
「プロヴァンス? 確か南フランスでしたよね」
「その通り。プロヴァンス地方はラベンダーの香りが広がっていて、食べられる料理も香草を用いたものが多い。香草といえば、冷蔵庫に香りの独特な茶褐色の液体が入っていた。あれはなんだい?」
「どくだみ茶です。好きとは言ってくれなかったけど、ルイは好んで飲んでいます。切らさないように、いつも俺が作ってるんです」
「ふむ……なるほど。このお茶は口に合うかな」
「慣れない味ですが、美味しいです」
焦る気持ちは少しずつ浄化されていく。お茶の効能というより、彼の不思議な声のおかげだ。
「顔が良くなりましたね」
「……俺、具合が悪そうでした?」
「肩と顔に力が入りすぎて、ジェットコースターからの落下直前かと思いました。荷が下りたところで、私への質問は受け付けましょう」
言いたいことが飛び出そうになり、拳に力を入れた。上手い言い方だ。ペースを完全に握られてしまっている。ルイも話を乗せるのがプロフェッショナルだが、気づかないようにさり気なく行う。師匠とはだいぶタイプが違う。
「日本語、とても上手ですね?」
とりあえず、当たり障りのない質問をした。
「それはそれは、光栄です。こう見えて、日本人の血も混じっていますから。日系フランス人です。ユーリという名は、日本人も発音しやすい音でしょう? 漢字でも表すことができる。他は?」
「あなたと、もっと仲良くなりたいです」
トレビアン、と美しい褒め言葉が飛び出た。
「奇遇ですね、私もそう思っていましたよ。仲良くなりましょう。お茶のお代わりはいかがです? 別の和菓子もありますので出しましょう」
「ありがとうございます。どくだみ茶でも飲んでみませんか?」
「和菓子にはハーブティーが良く合う。そう思いませんか?」
「仰る通りです」
並々ならぬこだわりがあると理解した。こうなったらすべてを任せよう。
二杯目は別のハーブティーだ。気持ちを穏やかにしてくれるものだという。
上生菓子と共に食べると、緑茶の方が合う気がするが、これはこれで美味しい。
「そう、その調子。深呼吸は緊張を増すとも言われますが、酸素を取り入れるには一番だ。息を吸うことではなく、吐くことに意識をしなさい。ボクシングをしているのだから、呼吸の大切さは君が一番良く知っている」
なぜそれを、とは言わなくていい。出所はルイに決まっている。思っている以上に、俺の話をしているようだ。
「質問をします。ユーリさんのことを、もっと知りたいです」
「すべてを教えることはできません。何せ、私とあなたは初対面ですから。秘密主義ではありませんが、秘密が多いほど魅力的に見えるでしょう? まずは自己紹介をしましょうか。私の名はユーリ・ドヌヴェーヌ。日系フランス人で、フランス語、日本語、英語などが話せます。ルイの師匠です」
「さっきも言いましたが、花岡志樹です。フランスの名字って『ド』がつくものが多いんですね。ドルヴィエとか、ドロレーヌとか」
「そこら辺は、きっとフランスの歴史を知れば理解できるでしょう。他には?」
「どういう経緯でルイの師匠に……は、話せませんよね?」
「その話はルイに聞きなさい。私は、ルイの祖母に当たる方に世話になった」
「ってことは、俺初恋ルイに会えるんですね。話もできるってことだ」
要約すると「しまった」だろうか。ユーリさんは頭を抱え、被りを振る。
「言葉の節々を読解する能力はあるようですね。接客業にも向いているのかもしれません。それか詐欺師でもいいでしょう。日本語では、揚げ足を取るとも言いますね」
「ありがとうございます……?」
「あなたのことは、なんと呼べば?」
「花岡でも志樹でも構いません。ルイは、花岡と呼んでいました」
「あなたの名を頑なに呼ばないのは、過去の呪縛から解放されていないためだ。人は誰しも抱えているものですが、あれの場合、根は深い。がんじがらめになり埋もれてしまい、誰も見つけられずにいる。よって、今は花岡さんと呼ぶことにしましょうか」
何が「よって」なのか分からないが、俺が知らないルイは多数存在している。
「ユーリさんのことは、ユーリさんで構いませんか?」
「ええ、お好きに」
「ユーリさんに会いたかったのは嘘じゃありません。電話で一度話して……俺が勝手に出たときですけど、ルイからもいろいろと聞いていましたから」
「あの子は私のことをなんと?」
「……家族以上に信頼と愛を向けているようでした。あなたの話をするルイは、懐かしそうに目元の緊張を解いています」
「他には?」
「もし、俺の身に何かあったり、ルイと連絡が取れない状況に陥ったら……あなたを頼れと。全面的に助けてくれるからと。俺は嫌だと答えました。それは俺たちのどちらかに、何かあったときだからです。考えたくもなかった」
「今もその気持ちは残っていますか?」
「いいえ。今は頼りたくて仕方がないです」
「素直でよろしい」
二度目のトレビアンを頂いた。ルイも俺によく言ってくれた。
「少しであっても、あなたと仲良くなれた気がします。本題に入りましょうか」
いよいよだ。息は普通に吸えても、吐くと声が震える。緊張は心も身体も萎縮させるが、自分に負けるわけにはいかない。
「なぜ、あの子が花岡さんに何も言わずに別れたのか分かりますか?」
「……答えは出てきません。ルイは俺に何も言わなかった。実家へのチケットをくれたのは、遠ざけようとしたのかなあとは思います。そうだとしたら、ショックですけど」
「もちろん、大きい理由の一つでしょう。一番はあの子が悪い。花岡さんと別れが辛く、泣いてしまうからあのような方法しか取れなかっただけです」
「ルイが泣くってあんまり想像できないんですけど」
「おや? そう見えますか。あなたの前では、格好つけたいだけですよ。少し、昔話でもしますか」
ユーリさんはティーカップを持ち上げ、口につけた。俺のカップは頂き物の有名ブランドのカップ。お揃いの片方は食器棚にしまってある。
「話してもいいと言われている過去の話ですよ。日本語の使い方がなっていませんね。話してもいい、ではなく、話してほしいでしょうに。ルイにはバーテンダーという顔だけではなく、もう一つの顔がある。聞いていますか?」
「いえ。でもルイの回りにはサングラスを掛けた男性たちがうろうろしていたし、ただ者じゃないだろうとは思っていました」
ユーリさんはひと呼吸置き、カップを置いた。
「花岡さんは、墓守というものをご存知ですか?」
「墓守……墓を守る人……ですよね」
「その通り。彼は墓守の家系に生まれた子供です」
子供という年ではないが、ユーリさんからするとまだまだ子供なのだろう。
「昔々、大富豪がヨーロッパを支配していました。結婚と支配が交差しあった大国は、滅びても名残が各所に残り続けています。ドルヴィエ家もそのうちの一つです。彼の家も、大国の血が混じっている。元々薄かった血だが、ルイの祖母はオーストリアの大国の血を濃く受け継いだ人で、ドルヴィエ家に嫁いできた。良くも悪くも注目を浴び、彼を苦しめ続けた」
過去に上野にある美術館へ足を運んだことを思い出した。思い当たる有名な王妃の肖像画は、悲しげにこちらを見ていた。わがまま。子供思い。悲劇の王妃。彼女の目を見ていると、知りもしないのに当時の情景が浮かんでは消えていく。フランスの広場で命が尽きた彼女は、何を思って天を見上げたのだろう。
「大国の血を受け継ぐ人が墓守の家系に……結婚して子供が生まれたら、指を差されそう」
「そうならないよう努めるのが大人たちですが、君の言う通り簡単にはいかない。子供の素直と残酷は紙一重です。幽霊や化け物の類として扱われ、彼は友達もできずいつも独りぼっちだった。いや、彼の家族からすると、友達だのは不必要なものでした。運命だけを呪縛のように植え、身動きを取れないようにした」
また出た『運命』。数多く聞いたはずはないのだが、聞き飽きた言葉だ。どこかへ押しやってしまいたい。
「ルイは抗いました。大好きな祖母からドイツ語を学び、みるみる上達し、教養や知識も身につけた。墓守なんて冗談ではないと、彼は彼の道を歩んだ。そうはいかないのがドルヴィエ家です。彼には兄がいますが、墓守としての実権をほぼ握っています」
「ルイの苦手とする人ですね」
「ええ。名はディミトリ。名家に相応しい人ですよ。泣き虫で弱気なあの子とはまるで違う。厳格な性格で名家に課せられた使命を繋いでいる次期当主です。気持ちはどこにあるのか知りませんが、親の決めた婚約者と生涯を共にするつもりでしょうし。ルイにもそんな使命を課せました」
「………………え?」
「ベルナデットです。彼女も名家の出です。生まれてすぐに決められた婚約者をあの子は愛そうとした。現在彼女は行方不明ですが、ベルナデットについては花岡さんも事情を知っているでしょう」
ベルナデット・ドロレーヌ。彼女は大事な遺産を持ち逃げしたと疑いをかけられ、未だに行方が分かっていない。恐らく日本にいる。ルイとの関係性は、婚約者。腹の中が締めつけられる。
「さて、私の話せる内容は以上になります。花岡さんもいろいろ思うところがあるでしょう」
「ますますルイに会いたくなりました」
「別れ際、ルイはあなたに往復チケットの他に何か残したものはありましたか?」
「残したもの?」
ルイはなんて言っていた? 土産について聞いたら食べ物以外と言った。あとは楽しんでこい、ゆっくりしてこい。
「そういえば……俺にカクテルを振る舞ってくれました。ギムレットです」
「……なるほど」
ユーリさんは頭を振る。渋い顔はしていないが、俺には嫌な予感にしか思えなかった。
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