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第一章 大学生とバーテンダー
028 現実の先には無しかない
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日がすっかり沈んだ頃に戻ると、案の定、姉さんにこっぴどく怒られた。テーブルには日本酒とカレー、ハンバーグ、サラダが並び、炭酸飲料が飲みたいとごねるとこれまた怒られてしまった。でも冷蔵庫にしっかりと瓶のジュースが入っていた。
「拝んでないで早く座りなさい」
「全部俺の好物だよ! ありがとう姉ちゃん」
「やっぱり拝みな。そして早く座るように」
ハードな一日だった、と漏らし、姉は肩をすくめた。それはそうだろう。どの料理も手が込みすぎている。しかも子供の世話をしながらだ。
「学校はどうだ?」
久々に親父の声を聞いた気がする。
「一応、頑張ってるよ。英語だけじゃなくてフランス語も勉強してる。教えてくれる先生がいてさあ、バイト先の店長なんだけど」
「バーテンダーやってるんだっけ?」
「志樹君はカクテルも入れられるの?」
「いや、雑用です。もうめっちゃくちゃに美人なんですよ! 頭も良いしスタイルも抜群だし、フランス語も細かく教えてくれるし」
ストーカーの件でも助けてもらえていると喉まで出かかったが、カレーと一緒に飲み込んだ。
「店主のおかげでレポートも終わらせてここに来たんだ。新幹線のチケットもくれてさ」
「アンタ騙されてないわよね? 今時たかがアルバイトにこんなに優しくしてくれる人、いる? 詐欺なんじゃないかと思えてきた」
「ルイに限ってそんなことは絶対にないって」
「ルイさんっていうのか。女性でルイさんって珍しいね。男性の名前のイメージなんだけど」
「あ、店主は男性です。めちゃくちゃ美人。フランス生まれの妖精、みたいな」
スプーンを鳴らす音だけが響く。なぜそこで黙るんだ。
「……陶酔させるだけさせて、うちの弟をたぶらかしてんのか」
「たぶらかされてねえって。なんでそうなるんだよ」
「好きなの?」
「…………好き?」
「別に止めやしないけどさ。跡継ぎには私がいるんだし」
好き、とは。姉さんは何を言いたいのだ。
「なんか勘違いしてない? 俺とルイは……」
「どんな恋愛しようが構わないけどさ、詐欺師相手に恋は止めてよ。それは姉ちゃんは許さないから」
「だから詐欺師じゃないって! そこは断固否定するね!」
「……………………」
だからなぜ黙るんだ。炭酸飲料のしゅわしゅわがとりあえず飲めと誘っている。喉に張りつくハンバーグの油を流し込んだ。
「強請られたりバイト代もらえなかったりしてない?」
「それは大丈夫。きちんと振り込まれてるよ」
「フランスの方が、なぜ日本で働いているの?」
「それは……いろいろあるみたいで」
ベルナデット嬢を探すのが目的で、ルイは日本で生活をしている。
俺は炭酸ジュースを一気に嚥下した。喉の痛さで意識が吹っ飛びそうだ。
「一時の熱で浮かれるより、姉ちゃんの願いはアンタがちゃんと大学を卒業して就職してくれることだよ」
「一時の熱ってなんだよ。俺は真剣に……」
父と目が合った。何か言いたげだが眉間に皺を寄せるたけで、すぐに酒器に向けられる。そんな顔をされると、俺も何を言っていいのか分からなくなる。自分の気持ちも、良く分からない。会えないと寂しいし、会えると心が跳ね上がる。ルイと話すのが楽しくて、二割増しくらいに早口で話してしまうときがある。ルイはただ耳を傾けてくれ、いつも相槌を打ってくれる。
健太さんは当たり障りのない話題を提供してくれ、息苦しい食事から解放された。今日はルイの話をするたびに、心が痛む。切なくなる。
夕食後は置きっぱなしだった荷物を部屋まで持っていこうとすると、姉からとんでもない一言が出てきた。
「志樹の部屋はもうないわよ」
「え? なんで?」
「子供のもので埋め尽くされてんの。そのままになってるけど」
「ベッドは?」
「ある。寝泊まりはできる」
厳密に言うと、部屋は無くなってはいない。子供のおむつやおもちゃなどで物置部屋と化していた。とりあえず寝られる場所があればいい。
広さは変わっていないはずなのに、自分の部屋が狭くなり、胸が締めつけられた。祖母の家に行ったときのように、胸がおかしくざわめいている。
「俺の居場所は……ここだよな?」
問いかけても答えてくれる人はいない。俺の家のようで、俺の家ではない。他人の匂い、赤子の声、騒がしい食卓。心が激しく叫んでいる。声なき声に知らないふりをして、俺は横になったまま目を閉じた。
翌日に目を覚ましたのは、昼近い時間だった。下が騒がしく、子供が泣いているのかと思ったが泣き声は聞こえない。急いで廊下に出ると、声の主ははっきりと分かる。姉と誰かだ。その誰かが問題で、聞き覚えのある声なのだ。得体の知れない何かに追われるように、着替えもしないまま店頭に向かう。
「この人たち知り合い?」
子供は旦那に預けているのだろう。父と姉が仁王立ちでサングラスとスーツを着飾った男性たちの前に立っている。立つというより、立ちはだかる、が正しい。うちの家系は背の高い人が多く、二人が立っても引けを取らないほどだ。
やけに縁のある人たちだ。おそらく、彼らに用がある限り、どこへ逃げようとも調べ尽くされ一生鬼ごっこをする羽目になるのだろう。
「そのような厳しい目をなさらないで下さい。花岡様にお礼を申し上げにきただけです」
「お礼?」
「ルイ様を説得して下さり、大変感謝しております」
「……説得って、」
「フランスへ戻ることに、ルイ様は納得して頂けました」
「………………は?」
「本来ならば、もっと早くに戻って頂かなければなりませんでした。ルイ様の口止めがあり、花岡様には伝えるなと仰っていましたので」
「ちょっと待って、なんだよ……それは」
「ルイ様は二度とお戻りにはなりません。口座にはボーナスを含めた給料を入れているとのメッセージです。それと……ありがとう、と」
聞かされる話は納得できるものではない。エープリルフールでもないし、どっきりなどの撮影の類でもない。
目の奥がちりちりする。
足がもたつく。
落ち着けと何度も呟かないと、要らない感情で潰されてしまう。
「戻らないって……戻れないの間違いじゃないのか」
「……どちらでも構いません。私共は、言われた通り動くだけです」
奥歯を噛み締めた声を放ち、日本式の挨拶を交わすと男性たちは店を後にした。後ろ姿が、もう用済みだと告げている。なのに、俺には時折彼らにとってあってはならない感情が雲隠れしているように見えた。口にしてしまえば今後一切の関係が途絶えてしまいそうで、口に出せなかった。彼らとは縁を切った方がいいというのに。
けっこうそれなりに深い付き合いをしていたと思い込んでいただけだ。グランドピアノがあってシャンデリアがある家に住んでいて、絶対に逃れられない運命を背負っている。与えられた任務はベルナデット嬢を捜すこと。その人はおそらく、日本にいる。そして、兄が世界で一番苦手な存在。
分かっているようで分かっていない。一歩近づいたかと思えば逃げ、一定の距離を保とうとする。俺が立ち止まると優しくする。まるで詐欺師みたいではないか。頭が知恵の輪状態だ。お腹が空いていて脳に栄養が行き渡らないと、知恵の輪だって解くことができない。ならば、今しなければならないことは一つだ。
「姉ちゃん、腹減った。昨日の残ったカレーが食べたい」
「……すぐ温めるから、顔洗ってきな」
親父たちだって聞きたいことはあるだろうに。今は何も聞かないでいてくれて感謝した。俺だって頭がこんがらがっている。うまく話せる気はしない。
朝と昼を兼用のご飯をたらふく食べた後は、運動不足を補うために外を走った。自然の少ない都会とは違っても、暑いものは暑い。身体中汗だくになりながら戻ると、シャワーを浴びた。冷蔵庫には俺が子供の頃によく食べていたイチゴのかき氷が入っている。コンビニでもスーパーでもどこでも手に入れられるものだが、大人になるにつれ食べなくなった。
「美味い……疲れた身体と心に染みる……」
「心に染みてるのはいいんだけど、午前中に来た男たちは誰? アンタの上司は何者なの?」
「さっきのサングラスの人たちは、SPとは聞いてる」
「SP? まさかお貴族様だったりするの?」
「さあ。ルイは話したくなさそうだから、そこら辺は聞いてない」
姉は腑に落ちないという顔だ。
「無理に聞き出すのは悪いと思って聞いてない。俺だってばあちゃんのこととか、話したくないことだってあるし。母さんのことも」
「……それはそうね」
「走ったら今成すべきことがはっきりした。まずはルイに連絡を取ることだ」
もし、連絡が取れなかったら? 仮定での話だが、ルイは俺を遠ざけて消えたかった可能性だってある。だったら俺は許さない。許さなければどうするという話だが、とにかく怒りが沸いてくる。そして悲しい。
端末からルイ宛に電話を入れた。電波が遠いと虚しい機械音が鳴り響く。続いてメールを入れてみる。こちらは既読になるまで待つしかない。
「志樹の上司は、自分の意思でフランスに帰ったんじゃないの?」
「かもしれないし、そうじゃないかもしれない」
最悪の事態は、俺が何かしら負担になってしまっていることだ。結局辿り着く先は『池袋へ戻れ』しかない。
「志樹……なんて顔してるのよ」
「え?」
気づかないうちに頬が濡れていた。かき氷の氷が跳ねたなんて馬鹿げた嘘は通用しないほど、顎を伝う滴がぼたぼたとTシャツに染み込んでいく。ルイのリボンみたいな水色だった布地は、底無しになったかのように色に深みが増した。
「帰りはいつ?」
「明後日だけど……」
「明日帰りな。また来ればいい」
「……ごめん、姉ちゃん」
「謝るなって」
「俺さ……自分でも分からないくらいにこんなにルイのこと大事に思ってたの知らなかった……会えないと寂しいし、連絡来てないかいっつもスマホ見てるし。構ってもらえるのが嬉しかったんだ……」
「それは本人に伝えればいい。もし本人の意思じゃなく引き裂かれたのなら、ちゃんと取り戻して、自分の気持ちに正直になるんだよ」
「うん……あと、ルイにお土産買って行かなきゃ」
「バーテンダーなら日本酒は? ちょっと重いのが難点だけど」
「身につけられるものがいいって。店でもいろいろ出してたから、後で見てくるよ」
いつの間にか日本酒だけではなく、キーホルダーやポストカードなども置いていた。観光客用だろう。
「弟がねえ……あれだけ女の子にモテたくて料理もボクシングもやってたのに」
姉が何か話していたが、気持ちは土産に切り替わっていたので、よく聞き取れなかった。
「拝んでないで早く座りなさい」
「全部俺の好物だよ! ありがとう姉ちゃん」
「やっぱり拝みな。そして早く座るように」
ハードな一日だった、と漏らし、姉は肩をすくめた。それはそうだろう。どの料理も手が込みすぎている。しかも子供の世話をしながらだ。
「学校はどうだ?」
久々に親父の声を聞いた気がする。
「一応、頑張ってるよ。英語だけじゃなくてフランス語も勉強してる。教えてくれる先生がいてさあ、バイト先の店長なんだけど」
「バーテンダーやってるんだっけ?」
「志樹君はカクテルも入れられるの?」
「いや、雑用です。もうめっちゃくちゃに美人なんですよ! 頭も良いしスタイルも抜群だし、フランス語も細かく教えてくれるし」
ストーカーの件でも助けてもらえていると喉まで出かかったが、カレーと一緒に飲み込んだ。
「店主のおかげでレポートも終わらせてここに来たんだ。新幹線のチケットもくれてさ」
「アンタ騙されてないわよね? 今時たかがアルバイトにこんなに優しくしてくれる人、いる? 詐欺なんじゃないかと思えてきた」
「ルイに限ってそんなことは絶対にないって」
「ルイさんっていうのか。女性でルイさんって珍しいね。男性の名前のイメージなんだけど」
「あ、店主は男性です。めちゃくちゃ美人。フランス生まれの妖精、みたいな」
スプーンを鳴らす音だけが響く。なぜそこで黙るんだ。
「……陶酔させるだけさせて、うちの弟をたぶらかしてんのか」
「たぶらかされてねえって。なんでそうなるんだよ」
「好きなの?」
「…………好き?」
「別に止めやしないけどさ。跡継ぎには私がいるんだし」
好き、とは。姉さんは何を言いたいのだ。
「なんか勘違いしてない? 俺とルイは……」
「どんな恋愛しようが構わないけどさ、詐欺師相手に恋は止めてよ。それは姉ちゃんは許さないから」
「だから詐欺師じゃないって! そこは断固否定するね!」
「……………………」
だからなぜ黙るんだ。炭酸飲料のしゅわしゅわがとりあえず飲めと誘っている。喉に張りつくハンバーグの油を流し込んだ。
「強請られたりバイト代もらえなかったりしてない?」
「それは大丈夫。きちんと振り込まれてるよ」
「フランスの方が、なぜ日本で働いているの?」
「それは……いろいろあるみたいで」
ベルナデット嬢を探すのが目的で、ルイは日本で生活をしている。
俺は炭酸ジュースを一気に嚥下した。喉の痛さで意識が吹っ飛びそうだ。
「一時の熱で浮かれるより、姉ちゃんの願いはアンタがちゃんと大学を卒業して就職してくれることだよ」
「一時の熱ってなんだよ。俺は真剣に……」
父と目が合った。何か言いたげだが眉間に皺を寄せるたけで、すぐに酒器に向けられる。そんな顔をされると、俺も何を言っていいのか分からなくなる。自分の気持ちも、良く分からない。会えないと寂しいし、会えると心が跳ね上がる。ルイと話すのが楽しくて、二割増しくらいに早口で話してしまうときがある。ルイはただ耳を傾けてくれ、いつも相槌を打ってくれる。
健太さんは当たり障りのない話題を提供してくれ、息苦しい食事から解放された。今日はルイの話をするたびに、心が痛む。切なくなる。
夕食後は置きっぱなしだった荷物を部屋まで持っていこうとすると、姉からとんでもない一言が出てきた。
「志樹の部屋はもうないわよ」
「え? なんで?」
「子供のもので埋め尽くされてんの。そのままになってるけど」
「ベッドは?」
「ある。寝泊まりはできる」
厳密に言うと、部屋は無くなってはいない。子供のおむつやおもちゃなどで物置部屋と化していた。とりあえず寝られる場所があればいい。
広さは変わっていないはずなのに、自分の部屋が狭くなり、胸が締めつけられた。祖母の家に行ったときのように、胸がおかしくざわめいている。
「俺の居場所は……ここだよな?」
問いかけても答えてくれる人はいない。俺の家のようで、俺の家ではない。他人の匂い、赤子の声、騒がしい食卓。心が激しく叫んでいる。声なき声に知らないふりをして、俺は横になったまま目を閉じた。
翌日に目を覚ましたのは、昼近い時間だった。下が騒がしく、子供が泣いているのかと思ったが泣き声は聞こえない。急いで廊下に出ると、声の主ははっきりと分かる。姉と誰かだ。その誰かが問題で、聞き覚えのある声なのだ。得体の知れない何かに追われるように、着替えもしないまま店頭に向かう。
「この人たち知り合い?」
子供は旦那に預けているのだろう。父と姉が仁王立ちでサングラスとスーツを着飾った男性たちの前に立っている。立つというより、立ちはだかる、が正しい。うちの家系は背の高い人が多く、二人が立っても引けを取らないほどだ。
やけに縁のある人たちだ。おそらく、彼らに用がある限り、どこへ逃げようとも調べ尽くされ一生鬼ごっこをする羽目になるのだろう。
「そのような厳しい目をなさらないで下さい。花岡様にお礼を申し上げにきただけです」
「お礼?」
「ルイ様を説得して下さり、大変感謝しております」
「……説得って、」
「フランスへ戻ることに、ルイ様は納得して頂けました」
「………………は?」
「本来ならば、もっと早くに戻って頂かなければなりませんでした。ルイ様の口止めがあり、花岡様には伝えるなと仰っていましたので」
「ちょっと待って、なんだよ……それは」
「ルイ様は二度とお戻りにはなりません。口座にはボーナスを含めた給料を入れているとのメッセージです。それと……ありがとう、と」
聞かされる話は納得できるものではない。エープリルフールでもないし、どっきりなどの撮影の類でもない。
目の奥がちりちりする。
足がもたつく。
落ち着けと何度も呟かないと、要らない感情で潰されてしまう。
「戻らないって……戻れないの間違いじゃないのか」
「……どちらでも構いません。私共は、言われた通り動くだけです」
奥歯を噛み締めた声を放ち、日本式の挨拶を交わすと男性たちは店を後にした。後ろ姿が、もう用済みだと告げている。なのに、俺には時折彼らにとってあってはならない感情が雲隠れしているように見えた。口にしてしまえば今後一切の関係が途絶えてしまいそうで、口に出せなかった。彼らとは縁を切った方がいいというのに。
けっこうそれなりに深い付き合いをしていたと思い込んでいただけだ。グランドピアノがあってシャンデリアがある家に住んでいて、絶対に逃れられない運命を背負っている。与えられた任務はベルナデット嬢を捜すこと。その人はおそらく、日本にいる。そして、兄が世界で一番苦手な存在。
分かっているようで分かっていない。一歩近づいたかと思えば逃げ、一定の距離を保とうとする。俺が立ち止まると優しくする。まるで詐欺師みたいではないか。頭が知恵の輪状態だ。お腹が空いていて脳に栄養が行き渡らないと、知恵の輪だって解くことができない。ならば、今しなければならないことは一つだ。
「姉ちゃん、腹減った。昨日の残ったカレーが食べたい」
「……すぐ温めるから、顔洗ってきな」
親父たちだって聞きたいことはあるだろうに。今は何も聞かないでいてくれて感謝した。俺だって頭がこんがらがっている。うまく話せる気はしない。
朝と昼を兼用のご飯をたらふく食べた後は、運動不足を補うために外を走った。自然の少ない都会とは違っても、暑いものは暑い。身体中汗だくになりながら戻ると、シャワーを浴びた。冷蔵庫には俺が子供の頃によく食べていたイチゴのかき氷が入っている。コンビニでもスーパーでもどこでも手に入れられるものだが、大人になるにつれ食べなくなった。
「美味い……疲れた身体と心に染みる……」
「心に染みてるのはいいんだけど、午前中に来た男たちは誰? アンタの上司は何者なの?」
「さっきのサングラスの人たちは、SPとは聞いてる」
「SP? まさかお貴族様だったりするの?」
「さあ。ルイは話したくなさそうだから、そこら辺は聞いてない」
姉は腑に落ちないという顔だ。
「無理に聞き出すのは悪いと思って聞いてない。俺だってばあちゃんのこととか、話したくないことだってあるし。母さんのことも」
「……それはそうね」
「走ったら今成すべきことがはっきりした。まずはルイに連絡を取ることだ」
もし、連絡が取れなかったら? 仮定での話だが、ルイは俺を遠ざけて消えたかった可能性だってある。だったら俺は許さない。許さなければどうするという話だが、とにかく怒りが沸いてくる。そして悲しい。
端末からルイ宛に電話を入れた。電波が遠いと虚しい機械音が鳴り響く。続いてメールを入れてみる。こちらは既読になるまで待つしかない。
「志樹の上司は、自分の意思でフランスに帰ったんじゃないの?」
「かもしれないし、そうじゃないかもしれない」
最悪の事態は、俺が何かしら負担になってしまっていることだ。結局辿り着く先は『池袋へ戻れ』しかない。
「志樹……なんて顔してるのよ」
「え?」
気づかないうちに頬が濡れていた。かき氷の氷が跳ねたなんて馬鹿げた嘘は通用しないほど、顎を伝う滴がぼたぼたとTシャツに染み込んでいく。ルイのリボンみたいな水色だった布地は、底無しになったかのように色に深みが増した。
「帰りはいつ?」
「明後日だけど……」
「明日帰りな。また来ればいい」
「……ごめん、姉ちゃん」
「謝るなって」
「俺さ……自分でも分からないくらいにこんなにルイのこと大事に思ってたの知らなかった……会えないと寂しいし、連絡来てないかいっつもスマホ見てるし。構ってもらえるのが嬉しかったんだ……」
「それは本人に伝えればいい。もし本人の意思じゃなく引き裂かれたのなら、ちゃんと取り戻して、自分の気持ちに正直になるんだよ」
「うん……あと、ルイにお土産買って行かなきゃ」
「バーテンダーなら日本酒は? ちょっと重いのが難点だけど」
「身につけられるものがいいって。店でもいろいろ出してたから、後で見てくるよ」
いつの間にか日本酒だけではなく、キーホルダーやポストカードなども置いていた。観光客用だろう。
「弟がねえ……あれだけ女の子にモテたくて料理もボクシングもやってたのに」
姉が何か話していたが、気持ちは土産に切り替わっていたので、よく聞き取れなかった。
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