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第一章 大学生とバーテンダー

027 夢と現実

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 夢を見た。俺は子供に戻っていて、行かないでと何度叫んでも金髪の少年は悲しげに笑うだけで何も言ってくれない。
──ずっと…………でいてほしい。
 何でいてほしいのかそこだけはいつも聞き取れなくて、俺はあせって何度も呼ぶ。少年は目は隠されていて表情がいまいち分からない。
 目が覚める瞬間、決まって彼は俺の額にキスをしてくれる。そして俺は頬を濡らす。
「何なんだ……もう」
 夢のまま終わらせてほしいが、現実の俺も涙が流れているのだから、恐ろしくてたまらない。気温はだいぶ涼しくなってきたが、汗だくとなった身体を洗うためにシャワールームに入った。
 緑色だった少しだけ葉も色づいてきた。そろそろ栗やサツマイモがたくさん出回り、美味しい季節となる。大きな栗の入ったご飯を作ろう。絶対に美味しい。
 一週間後には講義が始まるが、生徒に無償で講義室の貸し出しを行っている。頭と雰囲気を慣らすために、俺は大学に足を運んでいた。講義室に入るとメールが届く。内容は奥野さんからで、昼食はどうかとの誘いだった。
 午前中の勉強を終えた後は「食堂で待っている」とメールを返し、俺は生姜焼き定食を頼んで食べながら待った。
「待ち合わせになるといつも私が遅れるわね」
「別に大丈夫だよ」
 いたたまれなくなり、俺は顔を背けて生姜焼きを口に入れた。
 目が、赤い。瞼が腫れている。
「食欲はあるようで安心したよ」
「昨日の夜も朝も食べていないだけ。さすがに食べないとね」
 カツカレーで大丈夫だろうか。大学の学食は重たいものばかり置いている。奥野さんはカツを口に入れた瞬間、渋い顔をしたが、黙って食べ進め始めた。
「私の出した結論を聞いてくれる?」
「おう、もちろん」
「同性愛は、上手くいかない。これが答えよ。三毛猫の雄を探す並みに大変だわ」
「お疲れ様。頑張ったね」
 姉の言う、女の子の頭の撫で方は今だろうか。奥野さんはカレーを食べているのでタイミングを逃してしまった。
「有栖は友達でいてほしいと言って、私は友達には戻れない。お互いに譲歩できなかったから、今はただの知り合いになりましょうってことで、とりあえず合意した」
「知り合いかあ」
「知り合いと友達の違いを聞かれると、うまく答えられないままだけどね。まあ、廊下でばったり会ったら声をかけるくらい。あまり親しくは連絡を取り合わない」
「二人が納得してるんなら、それでいいんじゃないかな」
 腫れた瞼を見れば、溶けるほどの甘い言葉も激辛な言葉もかける気になれなかった。正解も導き出せないし、こういう場合のアドバイスは俺ではない誰かが良い気がした。いつかいい人ができるよ、なんて安っぽい言葉が浮かんだが、肉と共に飲み込んだ。
「聞いてくれてありがとう。またね」
 そっけないというか、必要最低限にしか口にしない彼女はかっこいいと思う。戦い続ける戦士に、俺は尊敬の眼差しを向けた。

「ってことがあったんだよ」
 今日はアルバイトの日だ。ただし、店は開けない。カウンターの中で新作のカクテルを作り続けるルイの側で、試飲に明け暮れていた。
 奥野さんの名前は出さず、AさんBさんと伏せながらだが、ルイは頷きながら耳を傾けてくれた。
「うん、蜂蜜の味が濃いかな。もう少し量を調節した方がいいと思う」
「了解した。気の利いた言葉を押しつけるよりも、話を聞いてくれる人が側にいるのは心強い。側にいてくれるだけで、癒しをもたらしてくれる」
「癒しかあ……俺にとってはばあちゃんがそうだったなあ。しばらく墓参りはしてないや。縁側でおはぎを一緒に食べたりしたんだ」
「おはぎ?」
「おはぎとかぼたもちって聞いたことない?」
「知らんな」
「同じ食べ物だけどさ、季節によって名前を変えてんの。もち米をあんこで包んだ伝統ある食べ物だよ。地域によっては半殺しとか言われてる」
「随分と物騒だ」
「小豆の潰し方もいろいろあるからさ。こしあんだったり粒あんだったり。ばあちゃんの作るおはぎはいつも粒あんだった。めちゃくちゃ美味かったなあ」
「伝授されていないのか?」
「うん……でも作り方は見てた! 横で!」
「いずれ作ってみるといい。第三者視点であると、違う視点で物事を解釈できる場合も多い。さて」
 ルイは蜂蜜を脇に置き、新しくジンとライムジュースを取り出した。
「お前の出身地である東北では、八月にお盆という風習があるらしいな」
 もう一つ、カクテルとは関係のないものがカウンターに置かれた。細長い封筒だ。
「夏休み終了まで残り一週間。私からの褒美だ」
「え? え?」
「フランス語も、よく頑張ったな。レポートも終わっている。思い残すことはないだろう」
 目で受け取れ、と言われ、封筒を開いてみる。チケットが二枚。電車の往復切符だ。
「祖母の墓参りでもしてきたらどうだ」
「な、なん、なんで……」
「やる」
「いいのか? 安くないのに……」
 本当は、祖母の墓参りもしたかったし姉さんたちにも会いたかった。嬉しい、嬉しいけれど、言葉がうまく出てこない。
「嬉しくないのか?」
「めちゃくちゃ嬉しいよ! どれくらい嬉しいかというと、頬にキスしちゃうくらい! ありがとう!」
「……………………」
「バイトが終わったらさっそく準備しないとな! 明日の午後のチケットだし」
 姉さんにも後で連絡しないといけない。突然行ったらいろんな言葉をぶちまけられそうだ。
「まだ酒は飲めそうか?」
「うん、全然足りないくらい」
 ジンとライムジュースをシェイカーに入れ、かっこいいルイのお出ましだ。揺れる水色のリボンが寂しく見えて、直視しないようにした。
 カクテルを注ぐグラスはいろんな種類がある。タンブラー、クープ型シャンパングラス、オールド・ファッションド・グラスと様々だ。ザ・カクテルというイメージが強いので、中でも俺はカクテルグラスが気に入っている。別の意味で思い入れが強いものはタンブラーである。
 透けるような白い液体が注がれ、俺の前に置かれた。
「……なんだろう?」
「当ててみろ」
「うーん……、白雪の囁き」
「ギムレット」
 詩人として良いも悪いも感想は頂けなかったが、ギムレットは聞いたことがある。俺のどや顔が無駄になった。
「……うん、美味しい。さっぱりした口当たりで、食前でも食後でも飲みたくなる感じ。ライムが青臭さを醸し出すかなあと思ったけど、全然そんなことない」
「白雪の囁きより素晴らしいコメントだ。見ての通り、ジンとライムジュースの二種類を使う。単純だからこそ、バーテンダーの腕が試されるカクテルなんだ」
 ルイはひどく安心しきった顔で、何か呟いた。
「おばあさまにもよろしく伝えておいてくれ」
「おう、任せとけ。お土産は何がいい? 日本酒は重いからパスな」
「なら、何か身につけられるものを」
「キーホルダーとか? そっちの方が難しいよ。ルイの趣味に合うか分かんないし」
「何でもいい、それが一番困ると思うが他のんだぞ。食べ物はやめてくれ」
「分かった」
  ルイはあまり食べ物に頓着がないように見える。かと思うと、焼き肉屋では値段も見ずに高い部位を注文する。
 チケットをしまい、ギムレットを飲み干した。一滴も残しておきたくないほど、美味しくて悲しい味がした。
 翌日、半日で里帰りの準備をし、すぐに東京駅へと向かった。
 電車に乗ってから姉に連絡を取ると、連絡が遅いと怒られてしまった。続けて「ハンバーグとカレー、どっちがいい?」とメールが来た。俺はハンバーグの乗ったカレーがいいと返しておいた。以後、メールは途絶えた。
 怒られることを覚悟しつつ地元に降り立つと、東京よりも涼しくて土の混じる空気に泣きそうになった。それにしても暑い。数秒前に涼しいなんて思った自分は嘘だ。暑いものは暑い。
 三十分に一本という都会では考えられない本数のバスに乗り、家の近くまで運んでもらった。近くといってもそこから歩く。帽子を被って回りにばれないようにしても、家が近づいてくるたび気づかれる。悪気はないにしても、祖母のことで情けをかけられるのは嬉しくはない。
「おばあちゃんのこと、残念だったわねえ」
「はは……どうも」
「いつあっちに帰るの? お父さんには会った? 大学は?」
「大学は休みで、数日ゆっくりします」
 長くなりそうなところで切り上げた。田舎は人の付き合いが色濃い。これが都会との一番の違いだ。良い意味で、都会は他人に興味がない。晒し者扱いされ続けた俺は、良い意味でそれが居心地が良い。
 店では姉の旦那が切り盛りしている。まったく見知らぬ人でも臆せず楽しそうに会話を楽しんでいる。
 俺は店の脇で、話し終わるのを待った。
 客人が見えなくなったのを見計らい、姿を現すと、驚くがすぐに笑顔で出迎えてくれた。
「いきなり来るって聞いて、お姉さんはてんやわんやだよ。久しぶりだね、志樹君」
「こんにちは。へへ……帰ってきちゃいました」
「お姉さんが中で待ってるよ」
 挨拶もそこそこに、恥ずかしくも表から中にお邪魔した。中から赤ちゃんの泣き声がする。
「あやそうか?」
「アンタねえ……まあ説教は後よ。うちの子よろしく」
「はいよ」
 特にあやしてもいないが、俺が抱いたら涙を止め、笑顔を見せてくれた。揺らしてみると、瞼が重そうに閉じかける。
 にんまりと笑うも、姉はもう俺を見ていない。ボウルの中の肉片を握り潰している。
「寝そうならベッドに寝かせて、手洗いうがいしてきな」
「はーい」
 俺の母親代わりだった姉さんは、いつもパワフルで強かった。俺の前では涙は見せず、虐められっこの俺に強くなれといつも生きる力を与え続けた。残念ながら俺の生きる原動力は、復讐という名の怨恨だけれど。
「姉ちゃん、ばあちゃんの家に行ってくるよ」
「……夕飯までには帰っておいで」
 赤子を置いて酒蔵まで行くと、父が誰かと電話している。俺に気づくが、眉一つ動かさない。俺は祖母の家の方向を指差すと、力強く頷いた。元々口数の少ない人だ。親父との関係は、これでいい。
 商店街で花を購入し、祖母の住んでいた家に直行した。バリケードが張られた家は、未だに入ることは許されない。俺は瑞々しく咲く花を置いた。
「ばあちゃん、来たよ」
 声が震えてしまい、しっかりしろと自分に怒りをぶつけた。
 怒りも悲しみも、矛先は自分に向けるしかないのだ。どんなに嘆いたって、喚き散らしたって、亡くなった人間は生き返らない。遅いか早いかだけで、死から逃れることは絶対にできない。それでも、祖母にはもっと生きていてほしかった。祖母の幸せは俺の幸せでもあり、祖母が笑うと俺も嬉しくて笑顔が生まれた。
 頭の中であのときの映像が次々と切り替わり、未だに残るのは憎悪のみ。 
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