バーテンダーL氏の守り人

不来方しい

文字の大きさ
上 下
24 / 67
第一章 大学生とバーテンダー

024 血の臭いは過去を振り向かせる

しおりを挟む
「本当にすみません……あなたの仰る通りです。私は見た目がこんなだから、子供の頃から普通の人より下だと思い込んでいて……」
 男性は、今度は先ほどよりも度数の少なめのものを注文した。クレーム・ド・カシスと白ワインを合わせたカクテルだ。
「キールでございます」
「はあ……真っ赤なんですね。名前は聞いたことがありますが、透明なイメージがありました」
 横目で見ていたが、ルイは白ワインの量を変えていた。顔色を見て変えたのだろう。
「結婚相談所に行っても、顔や背の低さで条件から外されるんです。だいたいの女性は、一七〇センチは目安にされます。こういう話を知人をしますと、大体は黙るか見た目以外で勝負しろと言われます。まず見た目の合格ラインに届かないと、中身も見てもらえないんです」
「それは男性の方が厳しいんじゃないんですか? 女性を見た目で判断してしまうのは、男性だって同じだし」
「確かに……好みはあります。けれど、身長はどうしたって変えられません。身長が高くて顔立ちも整っていて、女性に振られたことはありますか?」
 なぜ俺を見るんだ。背中に汗が滲んでくる。
「俺ですか……。小学生の頃、好きだった女の子がいたんですが、片親は可哀想な子だから嫌だなんて言われたこともあります。痛い話で、あんまり思い出したくないんですけど」
 乾いた笑いしか出てこない。男性は俺を一瞥すると、今度はイケメンバーテンダーを向いた。
「あなたは? ありますか?」
「……ええ、ございます」
 俺も男性も、似た反応をしさらに驚いた。
「心が悲鳴を上げますので、あまり口にしたくはございません。彼も私も、見た目の合格ラインを超えないまま判断されてしまった経験があります。統計を取ったわけではございませんが、風貌はあまり関係ないかと」
 ルイは男性が飲む暇もないまま、言葉を立て続けに並べた。
「私は見た目より、清潔感や言葉の力というものを信じてみてもいいかと思います。棘のある言葉を並べるより、花を咲かせるような笑顔とトーク力です。そのためには知識を増やすこと。読書がいいかもしれません。そうだな、花岡?」
「仰る通りでございます……」
 そういうことかと、膝を叩きたくなる。要は読書まで話を持っていきたかったのだ。
 男性が持っている鞄の中から見えた何かの本は、好きでなければ読まないだろう。洋書が二冊入っている。好きなことを後押しされたり褒められると、それが自信へと繋がる。
 案の定、男性は本の話になると二割増しに笑顔が増えた。少々口調が早くなり、オタク気質とも呼べる。俺も好きな話は早くなる。ルイは黙って耳を傾け、時折頷いては器用に質問を繰り返す。話しているのは専ら男性だが、話術に優れているのはルイだ。
 気持ち良くなった男性はお金を払い、また来ますと述べて店を出た。あと数人の女性客がやってきて、ルイを見るなりこっそりと端末を向けようとする二人組をやんわり阻止し、あとはいつものエレティックとして営業した。
 掃除をしようとするが、ルイは先にシャワーを浴びてこいと言って聞かなかった。有り難く受け取ろう。なんだか今日は、いつもより疲労が溜まっている。
 意識が遠退いていく。途切れる前に、前のアルバイトの先輩の顔が浮かんだ。部屋に染み付いた血の臭いは、俺の鼻がいかれたからなのか過去のトラウマがそうさせているのか判断がつかない。けれど、部屋に違和感があった事実は信じたい。誰かが、俺のアパートの部屋に入った形跡がある。ずっとここに居られたらいいのに。
 目が覚めると、俺はベッドに寝かされていた。起きようとしても指先に力が入らず、首だけを傾げる。
 ここはどこだ。俺は何をしている。記憶が途切れ途切れで、なぜベッドにいるのか曖昧になっている。
「おい、急に動くな」
「俺に……触るなっ……」
 夢なのか現実なのか分からなくなっていた。死人の臭いを漂わせるあいつだったら? ついに部屋で居合わせて、俺に薬か何か飲ませたのではないのか? 身体が重く、動かない。
「落ち着け。私の顔を見ろ。ゆっくり息を吸って、吐け」
 訳が分からなくなり、目の端から涙が流れていく。怖い。動かない。目が霞む。 
 口の端に何か筒状のものを入れられた。
「吸え」
 口の中に甘みが広がり、後から塩味が支配する。ちょっとしょっぱい。
「なに……これ……」
「私が作った」
「俺……どうして……」
「風呂場で倒れていた。引っ張り上げてとりあえず布団に寝かせた。俺が誰か分かるか?」
「ルイ…………」
 ルイは満足そうに頷き、もう一度ストローを俺の口の中に入れた。喉を通るたび、生きてるって感じがする。
 布団を持ち上げると、バスローブを着ていた。ルイが着せてくれたのだろう。
「ストレスになっていたのだろうな」
「うん……まあ」
「もう少しで家に戻れる。エアコンの調子もすぐによくなるだろう」
 水色のリボンを外したルイの髪は、エアコンの風に揺れてふわりと舞う。太陽のようにきれいだ。触ってみると指通りもよく、ずっと撫でていたくなる。
「ルイと……お別れか……」
「毎週会っているだろう」
「寂しいよ……」
「子供みたいだな」
 ルイは喉の奥で笑った。珍しい。
「ストレス……俺さ、ここにいて……ストレスを感じたことなんてないよ……。ルイに勉強見てもらえて、楽しかった……。兄ちゃんができたみたいで、嬉しかった……」
「今生の別れみたいなことを言うな」
「弱ってると……何言い出すか分かんないもんだな……」
「弱ったついでに零してほしい。アパートで何があった?」
「………………え?」
 ルイは俺の手首を掴んだ。痛くはないが、真剣さが伝わる強さだった。
「アパートの話をするたび、お前はいつも目を逸らす。帰り際、池袋駅で寂しそうな顔をする。帰りたくない何かがあるのか?」
「…………ないよ?」
「まっすぐに俺の目を言え」
 なんて卑怯な。ルイは目を見られるのが苦手なくせに、こういうときだけ強気で言う。
 でも、そんなルイを見ていたら、本当のことを話してもいいのではと思えてきた。
「俺の勘違いかもしれない。それでもいい?」
「構わん」
「誰かが、俺の部屋に侵入した形跡があるんだ……。位置がずれているような感覚。でも俺はそこまで几帳面な性格じゃないからさ、はっきりしたことは分かんないけど。違和感があるのは、臭いもなんだよ」
「臭い?」
「血の臭いがするんだ。あと誰かの体臭。多分、男」
「心当たりは?」
「………………さあ?」
「……………………」
 この目は言うまで手首は離さないという目だ。
「ごめん、言うよ。前のアルバイト先の先輩」
「お前に告白をしたという、あの?」
「ああ……よく覚えていたな」
「不愉快だったからな。名前は?」
「……重野カズアキ」
 ルイは腕を組み、目を伏せた。掴まれていた手首がじんわりと熱い。
「ひとまず、お前の体調が良くなるまではここにいろ。それからのことは、ここから考えよう」
 ルイはどこかへ行ってしまい、帰ってきたときにはビニール袋を下げていた。インスタントの野菜スープにご飯を入れたものを作り、食べろと言う。ルイの国では、体調が優れないときには野菜スープを作るらしい。それとハーブティーに蜂蜜を垂らしたり。ハニーを思い出し、笑ってしまった。真顔で俺をハニーと呼ぶルイを想像したら、面白くて肩が揺れる。
 てっきりルイは帰るものだと思ったら、泊まっていくと言い出した。いそいそとソファーで寝床を作っている。ベッドにもなると初めて知った。
 翌日、長引くかと思っていた体調はすっかり回復し、まだ寝ているルイのためにフレンチトーストを作った。あとは昨日のインスタントの野菜スープを作り、テーブルに並べる。
「フレンチトーストってフランスじゃないの? 懐かしいって言われるの期待してたんだけど」
「起源はアメリカ。人の名前だ」
 ルイは美味いと漏らし、全部平らげた。俺は甘みが足りなくて蜂蜜を垂らしたが、ルイにはちょうど良かったようだ。
 支度を終えて一度家に戻ろうとしていたら、ルイも準備をしている。
「これから仕事?」
「ああ、お前の家に」
「ちょっと待て。昨日の話か? あれなら気にしなくていいって。俺一人でなんとかするから」
「お前にストーカーをする輩に興味がある。随分と良い男なんだな」
「へへー、まあね。女性にモテた試しはないけどな!」
 ありがとう、ありがとう、本当はひとりで戻るのが恐怖だったんですと、何度も心の中で感謝と謝罪を繰り返した。
 仮宿を出て池袋駅に向かい、十条に向かった。
「本当に古いぞ? いいのか?」
「何を今さら」
「ルイの住んでる場所と比べるなよ?」
「私の住む家を見たことがあるのか?」
「ないけどさ、絶対良いとこに住んでそう」
 返事がない。
「もしかして、片づけが苦手でゴミ屋敷状態とか?」
「エレティックを見てそう思うか?」
「だよなあ。綺麗好きだし」
 たわいもない話をしながらアパートに着いた。階段を上がり、緊張からか足取りが重くなる。ルイは俺の部屋の前で腕を組んだ。
「なんで俺の部屋番号が分かるんだよ」
「愚かなことを。履歴書にしっかり住所が記載されていただろう」
「……ごもっともです」
 手が震えてしまい、鍵がなかなか入らない。開けた瞬間、男が飛び出してきたらどうしよう。俺はともかく、横にいる男を守りきれるのか? 銀行強盗相手に華麗なる回し蹴りを食らわした姿を思い出し、心配無用だとドアノブを回した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

オレは視えてるだけですが⁉~訳ありバーテンダーは霊感パティシエを飼い慣らしたい

凍星
キャラ文芸
幽霊が視えてしまうパティシエ、葉室尊。できるだけ周りに迷惑をかけずに静かに生きていきたい……そんな風に思っていたのに⁉ バーテンダーの霊能者、久我蒼真に出逢ったことで、どういう訳か、霊能力のある人達に色々絡まれる日常に突入⁉「オレは視えてるだけだって言ってるのに、なんでこうなるの??」霊感のある主人公と、彼の秘密を暴きたい男の駆け引きと絆を描きます。BL要素あり。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

処理中です...