琥珀糖とおんなじ景色

不来方しい

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第二章 ふたりの出した勇気

05 初めまして

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 パソコン業務を終えた頃、すでに十六時を回っていた。石の入った肩甲骨を回し、パソコンを閉じた。
「先輩、帰ります?」
「飲みには行かないぞ」
 柊さんにメールをした件についてこっぴどく怒ったせいか、最近の遠山はおとなしい。今までの経験上、だからこそ怖い。小出しに発散されるより、ダムで放流するような勢いづいたものは、いろんな感情を流していく。
「今日はお出かけですか?」
「祖父の命日が近いんだ。いろいろと準備がある」
「……お大事に」
 先生ならば言葉の過ちをもう少しなんとかならないものか。人の死に関することだと、さすがに遠山でもおとなしくなった。
 カーナビに住所を入れ、アクセルを踏んだ。駅からは離れていて、和菓子店の近くに駐車場はない。田んぼに囲まれていて、目印となるものは、それほど大きくはない公園があるくらいだ。駅の駐車場に車を駐め、そこからは徒歩で目的地へ行く。
 今朝メールをしたら『どこからでもかかって来て下さい』という戦を待ちわびているかのような返事が来た。撃たれやしないか、教科書でよく見る戦時の絵が走馬灯のように駆けていった。
「……あった」
 和菓子屋と一体化した家だ。近づいていくたびに、誰かの声が聞こえる。子供が誰かを怒鳴り散らした、こちらまで落ち着かなくなる声だ。少し急ぎ足で道路を渡った。
「いるんだろ! あいつ!」
 子供の前で、一人の老婆が俺に気づいた。
「蓮、よしなさい。お客様の前ですよ」
 中学生くらいの男の子だ。俺を振り向き、気まずそうに顔を背ける。
「すみません、柊和菓子店さんでよろしいですか?」
「ええ、そうですよ」
「琥珀糖を受け取りに来ました、相澤と申します」
「あらまあ」
 困惑の混じった声だ。
「アンタが琥珀糖の人? わざわざこんな店に」
「こら、蓮。お客様ですよ」
 微笑むと、店主はすみませんと頭を下げた。
「病人の作ったもんを客に出す方が失礼だろ」
「あの子は病気なんかじゃないのよ」
「あいつ店継げねえくせに入り浸りやがって」
 とんとん拍子に進む会話だ。内容が濃い。そして口に挟むべき問題ではない。
「男が男を好きって、普通は病気って言うんだよ! 気持ち悪い」
 吐き捨てた言葉は処分されずに俺の心にのしかかった。男が男を好き? 一体誰の話をしている。
 開け放った扉を閉め、何度も謝る店主に向かい合った。
「お孫さんですか?」
「ええ……二人目の孫です。お見苦しいところを」
「私も彼くらいの年齢のときは、親とよく喧嘩をしたものですよ。それであの、藍さんは……」
 本人はいないが、名前で呼ぶのは照れる。今日は彼女の祖母が一人で店番のようだ。
「実は、藍は熱を上げて休んでいるんです」
「え」
「あの子はあなたに直接渡すって意気込んでいたんだけれど……」
 店主は和紙で包まれた箱を出した。
「藍が作った琥珀糖になります」
「もしかして……包みも藍さんが?」
「ええ、綺麗でしょう?」
 言葉を失うほど、美しい。今日の空にぴったりな色だ。
「よければ、こちらはおまけで」
 店主はどら焼きも紙袋に入れてくれた。よくある粒あんではなく、残り一つとなっているチョコレートクリームだ。
 値段を提示されたとき、あまりの安さで身振り手振りを交えながら首を振った。
「待って下さい。いくらなんでも安すぎます」
「大丈夫ですよ」
「何度も練習してくれたんですよね? さすがに……」
「お金のために作ったわけじゃありませんので。最後までうちの孫を信じて下さり、ありがとうございます。よければ、藍に会っていきますか?」
 ぜひ、と言いたいところだが、言い淀んだ。寝ているところにお邪魔するのは、気が引ける。
「囲炉裏のある部屋で布団を敷いて寝ていますから、すぐそこですよ」
「でも……女性の寝顔を見るのはさすがに」
「女性? 藍は男の子ですよ」
「え…………」
 男の子。孫が三人いるのかとよぎったが、店主の口からはっきりと真実を告げられた。
「男の子……」
 少年の言葉の意図はあっさりと繋がった。男が男を好きなのは病気。男を示す人は店主の孫である柊藍。世代を残せないから、店を継げない。蓮と呼ばれた少年は、きっとそう言いたいのだろう。
「やはり、会わせて頂けないでしょうか?」
 店主は何度も首を縦に振り、奥の部屋へ案内してくれた。
 この時代に囲炉裏のある家なんて、初めて見た。ホームページで旅館のサイトを見るくらいしか存在は知らない。文明開花前の利器の横で、白い布団がこんもりと小さな山を作っている。おばあさんはお茶を入れてくる、とすべてを俺に委ねて部屋から出ていってしまった。
 俺から意思を示さなければ、きっと二度とチャンスは訪れない。そう思ったら、急に焦りが覆い被さってきた。
「こんにちは。柊藍君」
 反応は何もない。
「琥珀糖、どうもありがとうございました。何度も練習を繰り返してくれたんだよね?」
 問い掛けにも答えない。
「ラッピングの和紙もとても綺麗だった。藍君のおばあちゃんがとても褒めていましたよ」
 もぞもぞと動いた。初めて見せた反応だ。
「たくさんメールをしてくれて、ありがとう。改めて、相澤あいざわさとしといいます」
 山が動き、黒い髪が中から見えた。辺りを見渡し、ようやく顔がこちらを向く。白い肌が火照り、まだ熱は下がっていないようだった。
「…………さとし?」
「そう、さとしです。けんだと思ったでしょ? だからおあいこにしよう。俺も勝手に、藍君のこと女性だと思ってたから」
 藍君は遠くを見て、また布団の中に潜ってしまった。すると数十秒ほどで、スマホにメールが届いた。
──恥ずかしくて、すみません。
 恥ずかしいのか。
──布団一枚だよ? 顔見て話そうよ。具合が悪いのなら無理しなくていいけど。
──もう熱は下がってます。おばあちゃんはまだ戻ってきませんか。
──おばあちゃん待ちなの? 俺とふたりきりはそんなにいや?
 またもや顔を出した。今度は布団ごと持ち上げ、上半身も出てきた。
「……すみません」
「何に対しての謝罪?」
「……さっきの、蓮。僕の弟です。一応」
 店での会話を聞いていたのか。一応、とつくのが悲しいところだ。
「ずっと仲が悪いの?」
「僕のせいで、学校で虐められているみたいなんです。行ったり行かなかったりで」
 理由を聞こうと口を開くが、彼の祖母が戻ってきた。
 藍君は小さな悲鳴を上げる。おばあさんが持っているのは、お茶と和菓子だ。
「上生菓子の練り切りです。良ければ召し上がって下さいな」
「ちょっとおばあちゃん! 待ってよ、それ」
「上生菓子というんですね」
「ようかんや練り切りなど、重みのある和菓子のことですね。濃茶ととても合うんですよ」
 上品な漆器の皿の上で、紫陽花が咲いている。淡い桃や紫の寒天が花に似せて、何かで作った葉も添えられている。多分、白あんだ。
「まだ試作の段階だから、お店には出せないんです」
「こんなに上手なのに?」
 布団がまた山を作ってしまった。まさか。
「こちらは……藍君が?」
「ええ、ええ。おじいちゃんにはまだまだ敵わないけれどね」
「すごい……芸術作品ですね。藍君、食べてもいい?」
 布団から顔が出た。初めて目が合うが、すぐに逸らされる。
「…………どうぞ。僕が作ったものでよければ」
「いや食べたいよ。なんでそんなにマイナス思考なの?」
「……おばあちゃんやおじいちゃんが作ったものの方が、美味しいですし……それに……」
「いただきます」
 崩すのはもったいなかったが、一口サイズに切って口に入れる。
「美味しい……」
「中は白あんと求肥を混ぜている生地なんです」
「中も藍君が?」
「おばあちゃん余計なことを言わないで……」
 店から呼ぶ声が聞こえる。おばあさんは返事をし、ゆっくりしていて下さいと言葉を残して出ていった。
 囲炉裏の間に取り残されてしまった。藍君は自分の作った練り切りを食べ、口を動かす。
「……見すぎです」
「うん、藍君だなあって思って」
「イメージを下げてしまいましたね。すみません」
 なんでこう、この子は自分を下げる発言をするのだろう。
「イメージ通りだよ。違ったのは性別くらいで。それは俺の勘違いで済む話だから」
「……………………」
 藍君は美味しいとも何とも言わず、自分で作った練り切りを平らげてしまった。食欲はあるらしい。
「今、お店に並んでいるもので、藍君の作ったものはあるの?」
「……どら焼き」
「へえ! 残り少なかったね」
「チョコクリームのやつだけです。試作品で、置いてくれているんです」
「ああ、そういうことか」
「ん?」
「なんでもないよ」
 帰ってから真っ先にどら焼きを食べよう。トーンの落ちた声は、上がる気配はない。暗すぎる。何か話題はないものか。
「琥珀糖のお礼の件なんだけど、一緒に食事でもしない?」
 驚いた顔、血が上る顔、青白い顔。見事な百面相だ。
「……おばあちゃんと蓮の会話を聞いてました?」
「ましたよ」
「それで誘ってるんですか、そうですか」
「なんで段々落ち込むの? 意味が分からない」
「相澤さんの方が意味が分かりません。……僕に名前を呼ばれて気持ち悪くないですか」
「悪くないよ。なんでさっきから意気消沈してるの? 行きたいか何が食べたいかだけ教えて」
「こっ断る権利はないんですかっ」
 泣きそうに歪むが、嫌がってはいないと思う。単純思考だが、布団を被らないからだ。
「好きな食べ物は?」
「…………和食」
「和食がいい?」
「…………洋食」
 好きな食べ物は和食で、食べたいものは洋食。理解した。
「俺の知り合いが出している店があるんだけど、そこでいいかな?」
「…………ぜひ」
「うん、じゃあそうしよう」
 片言の会話に、笑ってしまう。体育座りのまま動かないが、耳が真っ赤だ。メールではしっかりとした文面を書くのに、恥ずかしがり屋なのは見抜けなかった。やはり会ってみないと分からない。
 藍君がまだ病み上がりなのもあり、退散することにした。もう少し会話を楽しみたかったが、そろそろ夕食時だろうしご迷惑だろう。「またね」と言うと、藍君は泣きそうに顔を歪めて小さく頷いた。花言葉も知らないのに、紫陽花に似合う顔だと思った。
 家ではさっそくチョコレートクリーム入りのどら焼きを食べた。クリームがたっぷりで、チップが入っている。先ほど練り切りを食べたばかりだったので、軽めのクリームは食べやすかった。これがあんこだったら、多分半分も食べられなかっただろう。
──チョコクリームのどら焼き、とても美味しかったです。
──あー! あー! あー!
──失礼しました。お食事、とても楽しみにしています。
 同一人物から来たメールに、声を出して笑った。こんなに声を出して笑ったのは、久しぶりだ。
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