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第一章 顔が見えないあなたと私
01 意想外のメールから
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田んぼに囲まれた一軒家は、夜九時になると居間や台所は消灯する。外からは何の虫か分からないが、電磁波のような鳴き声がした。僕はけっこう好きで、もうすぐ夏なんだと風鈴のような風情を感じる。
ノートパソコンの電源を入れた。開いたホームページは、柊和菓子店だ。祖母が経営している和菓子店で、僕、柊藍が住む家でもある。少しでも祖母の手伝いになればいいと、僕がホームページを作成した。
「ん?」
一件のメールが届いていた。作ってから初めてのことだ。メールボックスの中には、未読のまま一通残っている。可愛いクマが、こちらを向いて手紙を持ち上げていた。
──柊和菓子店様へ。初めまして。ホームページを拝見しました。相談がございますが、そちらのお店では琥珀糖を取り扱っていらっしゃいますか? 写真に目を通しましたが、琥珀糖が見当たりませんでした。ですが、取り扱いのないものは相談を受けつけて下さると記載されていましたので、メールを送らせて頂きました。相澤賢。
「相澤さん……」
確かに、ホームページには応相談と書いた。ほとんど一人で営業を続けている店では、技術があっても作って店頭に並べるには時間も人手も足りていないからだ。僕も手伝っているといえど猫の手レベルで、ほとんど役になんか立っていない。
これは、僕ひとりでは返してはいけないことだ。メールの返事は明日にして、今日は明日の講義の準備をして眠りについた。
翌日、眠い目を擦りながら目を覚まし、着替えて居間に行くと、囲炉裏にはちゃぶ台が置かれ、朝ご飯が並んでいる。
「おばあちゃん、おはよう」
「おはよう。鰆でいいかい?」
「うん。美味しそう」
昨日の残った煮物と、鰆の焼き物。そして白いご飯とみそ汁。すべて祖母の手作りで、理想的すぎる朝食だ。当たり前のように、毎日祖母は作ってくれる。こんなに準備しなくてもいいと言っても、二人暮らしだと量も少なく、大変ではないと言い張る。
「前髪を切ったのかい?」
「うん……どうかな?」
「ええ……可愛いねえ」
まるで恋人同士の会話だ。この方、一度もできたことなんてないけれど。僕の性癖を知る祖母は、特に何も言わない。
「そうだ、昨日の夜なんだけど、ホームページにメールが届いたんだ」
「藍が作ったやつかい?」
「そう。琥珀糖はあるかって依頼だったんだけど……」
祖母は唸り、優しい垂れ目が細目になった。
「琥珀糖ねえ……もう何年も作ってないからねえ……」
悩むだけ悩み、祖母は煮物に箸をつけた。まったりとした時間を共有したいところだが、講義の時間が迫ってくる。朝食を平らげ、家を出ようとしたとき、
「琥珀糖は、藍が作ったら?」
「僕が? 依頼は僕じゃなくて店に来たんだよ?」
「依頼を受けたのは藍だよ」
鋭いし、核心をつかれた。普段穏やかなだけあって、ぐさっと刺さる。
「ちょっと、後で返事をしてみる」
いってきます、と祖母に言い、僕は外に出た。夏にもなりきれていない冬の名残のある四月だった。雪が積もるわけでもなく、かといって桜の開花も遅い。この調子だと、晩春も遠い時期に感じた。
電車に乗り、まだ蕾のある桜の木を抜けると、目の前は大学だ。
いつもの席について、端末をタップする。パソコンと連動していて、小さな機具からもメールを送ることができる。
──拝啓 相澤様。この度はご依頼をありがとうございます。柊和菓子店でございます。店主に確認したところ、取り扱いはしておりませんとのことでした。ですが、作ってお渡しは可能でございます。店主の祖母ではなく、私が作ることになりますが、よろしいでしょうか。柊和菓子店。
下手な小細工で言いくるめるよりも、はっきりとこちらの状況を話すべきだと思った。残念ながら講義が始まる直前まで返事はなく、気を悪くさせてしまったのかもしれないと、集中できなかった。
放課後になると真っ先に向かうのは、端に追いやられた寂しい教室だ。ノックすると、朗らかな声で返事がした。
「こんにちは」
「よっ」
埃っぽかった教室も、去年冬休み前に片付けたおかげで空気が澄んでいる。気のせいでも、気の持ちようだ。整理整頓もしっかりされている。
教室にいるのは近藤さんと中野君だ。彼女は僕の一つ上の大学三年生。食べ歩きサークルの部長である。サークルの名の通り、食べ歩きをするサークルである。主な活動内容は、カフェを巡って写真を撮り、部内で持っているブログに写真をアップすることだ。皆で行くときもあれば、個々に行って活動するときもある。傾向としては、甘いものが食べられるカフェが多い。僕と近藤さん、そして奥でパソコンを弄っているのが、中野君。中野君は僕と同じ大学二年生になる。自称パソコンオタクで、ホームページの作り方を一から教えてくれた優しい一面もある。なぜパソコンサークルに入らなかったのかは謎だ。カフェ巡りをしても、それほど甘い物を好んで食べはしないのに。あともう一人は、同い年の青柳君がいる。他のサークルと掛け持ちで、滅多に顔を出さない。
「よく出来ていますね」
「あっホームページ? 見てくれたんだ」
「今見てます」
近藤さんもパソコンを覗き込んだ。
「なに? 作ったの?」
「お店のですけど」
「すごいじゃん」
なかなかの褒め言葉を頂いた。
僕の端末にメールが届いて、相手は待ちわびていた人からだった。
──柊和菓子店様。ありがとうございます。ぜひ作って頂きたいです。五月の連休までですが、可能でしょうか。個人営業のお店だとホームページで確認しましたが、大変ですね。お二人で営業しているのですね。相澤賢。
カレンダーを見ると、一か月もない。無理とは思わない。作ったこともないが、僕が練習すればいいだけだ。
「ねえ、次のサークル活動だけどさ、久しぶりにメンバーで食べに行こうよ」
「どうせなら、花見もできるような場所がいいです。桜の写真も添えて、ブログにアップできるし」
「なら、上野はどうですか?」
「上野にカフェってあったっけ?」
「検索しただけでけっこう出てきました」
僕も端末で検索をかけるが、公園内や駅前、美術館周辺にもたくさんある。
「ケーキが食べられるところがいいな」
近藤さんは、専ら洋菓子派だ。僕は和菓子派で、味の好みはまるで違う。好みが被るよりも、いろんな写真を載せられるのでバラバラの方がいい。
「公園のところにあるカフェにします?」
「あえてカフェをやめて、公園で花見をするとか」
中野君は画面をスクロールした後、サイトを閉じた。
「それ、いいかも。みんなでお菓子を持ち寄ってってことでしょ? やったことがないし、ブログのネタにはもってこいだわ」
「詳しく決まったら連絡を下さい。それじゃあ、僕はこれで」
決まったわけではないが、中野君はパソコンをしまい、さっさと帰り支度を始めてしまった。今日来ていない青柳君にも連絡をしなくてはならないし、これ以上話し合いもないので、僕と近藤さんも席を立った。
大学でしか味わえないサークル活動も楽しみたい。かといって、長時間拘束されてしまって、和菓子屋での仕事を疎かにしたくない。食べ歩きサークルは、僕にとってうってつけのサークルだった。
家に着くと、祖母はもう店を閉めている最中だった。
「おばあちゃん、手伝うよ」
「おやあ、おかえり」
「全部売れたの?」
「そうだねえ……明日の支度をしないと」
「僕が片づけておくから、おばあちゃんは夕食の準備をしてて」
目尻に皺が寄り、何度も頷くと、奥に入っていった。シャッターの開け閉めすら重労働だ。あまり一人ではやらせたくない。
閉店の後はゆっくりとお風呂に入り、出る頃には廊下まで良い匂いが漂っている。いつも囲炉裏のある昔ながらの部屋で、ちゃぶ台を置いてご飯を食べている。二人しかいないため、こじんまりとしていてちょうどいい。囲炉裏は秋冬に大活躍となるが、春は春で美味しい焼き魚が味わえる。囲炉裏を使うと、子供の頃から僕は喜ぶので、よく火をつけてくれる。祖母からしたら、大学生になった今でも子供なんだろうけれど。今日はみそ煮うどんと、鰈の煮付けだ。
「今朝話した琥珀糖の件なんだけど、作ってみることにするよ、連絡を取り合ってて、五月の連休までお願いしたいって言われた」
「それなら、すぐにでも練習しないといけないね。大丈夫、藍ならすぐに上達するよ」
太鼓判を押してもらえたが、一度も作ったことがない。
「琥珀糖ねえ……懐かしいわ。おじいちゃんが好きだったんよ」
「それなら、おじいちゃんの分も作ろうか?」
「ええ、仏壇にいるおじいちゃんも、喜ぶわあ」
祖父はもうだいぶ前に亡くなっている。その頃、僕はまだこの家に住んでいなかったので、あまり祖父の記憶がない。お年玉やおもちゃをくれた欲の固まりは覚えている。お年玉はしばらく見ない母親に預けたままだ。どうなっているのだろうか。もらった瞬間「預かっておくわ」の言葉を残し、僕の手からすんなりと消えてしまった。何一つ、僕の手には残らない。けれど祖母がくれたぬくもりだけは、奪われたくない。
夕食を食べて気持ちも満たされ、僕は部屋に戻った。依頼をしてくれた相澤さんに、メールを返した。
──相澤様へ。遅くなりまして、申し訳ございません。柊和菓子店でございます。当店は、祖母と孫の私で営業しております。祖母の手が回らず、私ひとりで琥珀糖を作ることになりました。どうぞ、お願い致します。お色などは、ご指定はございますか。柊和菓子店。
パソコンから送った後、琥珀糖を検索に入れると、とんでもない量が出てくる。動画サイトでの作り方や、食べる宝石と書かれたSNSなどで見栄えの良いものが大半を占めている。
メールの文面からすると、写真撮影のために欲しがっているわけではなさそうだ。
──柊さんへ。こちらこそ、ありがとうございます。流行っているような、派手なものではなく、落ち着いた色合いのものを好みます。五月に亡くなった祖父の好物で、仏壇にお供えしたいのです。お孫さんでしたか。お手伝いなんて、偉いですね。相澤賢。
パソコンから目を離し、目尻の辺りを揉みほぐした。会ったこともない人なのに、妙な親近感を感じる。偉い、なんて祖母以外で初めて褒められた。和菓子店に僕が居座ること自体、よく思われていないのに。にしても、店員と顧客の距離感が分からなくなる。少し話題に乗ってみてもいいのだろうか。
──相澤様へ。落ち着いたお色、ですね。イメージするものはございますか? 植物や風景など、何でも結構です。大学のサークルで出かけますので、ヒントになり得そうなものがありましたら写真を撮ってみます。お褒めの言葉をありがとうございます。柊和菓子店。
──大学生だったんですか? 勉強がお忙しい中、ありがとうございます。期待してお待ちしています。相澤賢。
気を悪くした様子は見受けられないが、それはメールの文面だからだ。これくらいにして、メールを控えようとパソコンを閉じた。
ノートパソコンの電源を入れた。開いたホームページは、柊和菓子店だ。祖母が経営している和菓子店で、僕、柊藍が住む家でもある。少しでも祖母の手伝いになればいいと、僕がホームページを作成した。
「ん?」
一件のメールが届いていた。作ってから初めてのことだ。メールボックスの中には、未読のまま一通残っている。可愛いクマが、こちらを向いて手紙を持ち上げていた。
──柊和菓子店様へ。初めまして。ホームページを拝見しました。相談がございますが、そちらのお店では琥珀糖を取り扱っていらっしゃいますか? 写真に目を通しましたが、琥珀糖が見当たりませんでした。ですが、取り扱いのないものは相談を受けつけて下さると記載されていましたので、メールを送らせて頂きました。相澤賢。
「相澤さん……」
確かに、ホームページには応相談と書いた。ほとんど一人で営業を続けている店では、技術があっても作って店頭に並べるには時間も人手も足りていないからだ。僕も手伝っているといえど猫の手レベルで、ほとんど役になんか立っていない。
これは、僕ひとりでは返してはいけないことだ。メールの返事は明日にして、今日は明日の講義の準備をして眠りについた。
翌日、眠い目を擦りながら目を覚まし、着替えて居間に行くと、囲炉裏にはちゃぶ台が置かれ、朝ご飯が並んでいる。
「おばあちゃん、おはよう」
「おはよう。鰆でいいかい?」
「うん。美味しそう」
昨日の残った煮物と、鰆の焼き物。そして白いご飯とみそ汁。すべて祖母の手作りで、理想的すぎる朝食だ。当たり前のように、毎日祖母は作ってくれる。こんなに準備しなくてもいいと言っても、二人暮らしだと量も少なく、大変ではないと言い張る。
「前髪を切ったのかい?」
「うん……どうかな?」
「ええ……可愛いねえ」
まるで恋人同士の会話だ。この方、一度もできたことなんてないけれど。僕の性癖を知る祖母は、特に何も言わない。
「そうだ、昨日の夜なんだけど、ホームページにメールが届いたんだ」
「藍が作ったやつかい?」
「そう。琥珀糖はあるかって依頼だったんだけど……」
祖母は唸り、優しい垂れ目が細目になった。
「琥珀糖ねえ……もう何年も作ってないからねえ……」
悩むだけ悩み、祖母は煮物に箸をつけた。まったりとした時間を共有したいところだが、講義の時間が迫ってくる。朝食を平らげ、家を出ようとしたとき、
「琥珀糖は、藍が作ったら?」
「僕が? 依頼は僕じゃなくて店に来たんだよ?」
「依頼を受けたのは藍だよ」
鋭いし、核心をつかれた。普段穏やかなだけあって、ぐさっと刺さる。
「ちょっと、後で返事をしてみる」
いってきます、と祖母に言い、僕は外に出た。夏にもなりきれていない冬の名残のある四月だった。雪が積もるわけでもなく、かといって桜の開花も遅い。この調子だと、晩春も遠い時期に感じた。
電車に乗り、まだ蕾のある桜の木を抜けると、目の前は大学だ。
いつもの席について、端末をタップする。パソコンと連動していて、小さな機具からもメールを送ることができる。
──拝啓 相澤様。この度はご依頼をありがとうございます。柊和菓子店でございます。店主に確認したところ、取り扱いはしておりませんとのことでした。ですが、作ってお渡しは可能でございます。店主の祖母ではなく、私が作ることになりますが、よろしいでしょうか。柊和菓子店。
下手な小細工で言いくるめるよりも、はっきりとこちらの状況を話すべきだと思った。残念ながら講義が始まる直前まで返事はなく、気を悪くさせてしまったのかもしれないと、集中できなかった。
放課後になると真っ先に向かうのは、端に追いやられた寂しい教室だ。ノックすると、朗らかな声で返事がした。
「こんにちは」
「よっ」
埃っぽかった教室も、去年冬休み前に片付けたおかげで空気が澄んでいる。気のせいでも、気の持ちようだ。整理整頓もしっかりされている。
教室にいるのは近藤さんと中野君だ。彼女は僕の一つ上の大学三年生。食べ歩きサークルの部長である。サークルの名の通り、食べ歩きをするサークルである。主な活動内容は、カフェを巡って写真を撮り、部内で持っているブログに写真をアップすることだ。皆で行くときもあれば、個々に行って活動するときもある。傾向としては、甘いものが食べられるカフェが多い。僕と近藤さん、そして奥でパソコンを弄っているのが、中野君。中野君は僕と同じ大学二年生になる。自称パソコンオタクで、ホームページの作り方を一から教えてくれた優しい一面もある。なぜパソコンサークルに入らなかったのかは謎だ。カフェ巡りをしても、それほど甘い物を好んで食べはしないのに。あともう一人は、同い年の青柳君がいる。他のサークルと掛け持ちで、滅多に顔を出さない。
「よく出来ていますね」
「あっホームページ? 見てくれたんだ」
「今見てます」
近藤さんもパソコンを覗き込んだ。
「なに? 作ったの?」
「お店のですけど」
「すごいじゃん」
なかなかの褒め言葉を頂いた。
僕の端末にメールが届いて、相手は待ちわびていた人からだった。
──柊和菓子店様。ありがとうございます。ぜひ作って頂きたいです。五月の連休までですが、可能でしょうか。個人営業のお店だとホームページで確認しましたが、大変ですね。お二人で営業しているのですね。相澤賢。
カレンダーを見ると、一か月もない。無理とは思わない。作ったこともないが、僕が練習すればいいだけだ。
「ねえ、次のサークル活動だけどさ、久しぶりにメンバーで食べに行こうよ」
「どうせなら、花見もできるような場所がいいです。桜の写真も添えて、ブログにアップできるし」
「なら、上野はどうですか?」
「上野にカフェってあったっけ?」
「検索しただけでけっこう出てきました」
僕も端末で検索をかけるが、公園内や駅前、美術館周辺にもたくさんある。
「ケーキが食べられるところがいいな」
近藤さんは、専ら洋菓子派だ。僕は和菓子派で、味の好みはまるで違う。好みが被るよりも、いろんな写真を載せられるのでバラバラの方がいい。
「公園のところにあるカフェにします?」
「あえてカフェをやめて、公園で花見をするとか」
中野君は画面をスクロールした後、サイトを閉じた。
「それ、いいかも。みんなでお菓子を持ち寄ってってことでしょ? やったことがないし、ブログのネタにはもってこいだわ」
「詳しく決まったら連絡を下さい。それじゃあ、僕はこれで」
決まったわけではないが、中野君はパソコンをしまい、さっさと帰り支度を始めてしまった。今日来ていない青柳君にも連絡をしなくてはならないし、これ以上話し合いもないので、僕と近藤さんも席を立った。
大学でしか味わえないサークル活動も楽しみたい。かといって、長時間拘束されてしまって、和菓子屋での仕事を疎かにしたくない。食べ歩きサークルは、僕にとってうってつけのサークルだった。
家に着くと、祖母はもう店を閉めている最中だった。
「おばあちゃん、手伝うよ」
「おやあ、おかえり」
「全部売れたの?」
「そうだねえ……明日の支度をしないと」
「僕が片づけておくから、おばあちゃんは夕食の準備をしてて」
目尻に皺が寄り、何度も頷くと、奥に入っていった。シャッターの開け閉めすら重労働だ。あまり一人ではやらせたくない。
閉店の後はゆっくりとお風呂に入り、出る頃には廊下まで良い匂いが漂っている。いつも囲炉裏のある昔ながらの部屋で、ちゃぶ台を置いてご飯を食べている。二人しかいないため、こじんまりとしていてちょうどいい。囲炉裏は秋冬に大活躍となるが、春は春で美味しい焼き魚が味わえる。囲炉裏を使うと、子供の頃から僕は喜ぶので、よく火をつけてくれる。祖母からしたら、大学生になった今でも子供なんだろうけれど。今日はみそ煮うどんと、鰈の煮付けだ。
「今朝話した琥珀糖の件なんだけど、作ってみることにするよ、連絡を取り合ってて、五月の連休までお願いしたいって言われた」
「それなら、すぐにでも練習しないといけないね。大丈夫、藍ならすぐに上達するよ」
太鼓判を押してもらえたが、一度も作ったことがない。
「琥珀糖ねえ……懐かしいわ。おじいちゃんが好きだったんよ」
「それなら、おじいちゃんの分も作ろうか?」
「ええ、仏壇にいるおじいちゃんも、喜ぶわあ」
祖父はもうだいぶ前に亡くなっている。その頃、僕はまだこの家に住んでいなかったので、あまり祖父の記憶がない。お年玉やおもちゃをくれた欲の固まりは覚えている。お年玉はしばらく見ない母親に預けたままだ。どうなっているのだろうか。もらった瞬間「預かっておくわ」の言葉を残し、僕の手からすんなりと消えてしまった。何一つ、僕の手には残らない。けれど祖母がくれたぬくもりだけは、奪われたくない。
夕食を食べて気持ちも満たされ、僕は部屋に戻った。依頼をしてくれた相澤さんに、メールを返した。
──相澤様へ。遅くなりまして、申し訳ございません。柊和菓子店でございます。当店は、祖母と孫の私で営業しております。祖母の手が回らず、私ひとりで琥珀糖を作ることになりました。どうぞ、お願い致します。お色などは、ご指定はございますか。柊和菓子店。
パソコンから送った後、琥珀糖を検索に入れると、とんでもない量が出てくる。動画サイトでの作り方や、食べる宝石と書かれたSNSなどで見栄えの良いものが大半を占めている。
メールの文面からすると、写真撮影のために欲しがっているわけではなさそうだ。
──柊さんへ。こちらこそ、ありがとうございます。流行っているような、派手なものではなく、落ち着いた色合いのものを好みます。五月に亡くなった祖父の好物で、仏壇にお供えしたいのです。お孫さんでしたか。お手伝いなんて、偉いですね。相澤賢。
パソコンから目を離し、目尻の辺りを揉みほぐした。会ったこともない人なのに、妙な親近感を感じる。偉い、なんて祖母以外で初めて褒められた。和菓子店に僕が居座ること自体、よく思われていないのに。にしても、店員と顧客の距離感が分からなくなる。少し話題に乗ってみてもいいのだろうか。
──相澤様へ。落ち着いたお色、ですね。イメージするものはございますか? 植物や風景など、何でも結構です。大学のサークルで出かけますので、ヒントになり得そうなものがありましたら写真を撮ってみます。お褒めの言葉をありがとうございます。柊和菓子店。
──大学生だったんですか? 勉強がお忙しい中、ありがとうございます。期待してお待ちしています。相澤賢。
気を悪くした様子は見受けられないが、それはメールの文面だからだ。これくらいにして、メールを控えようとパソコンを閉じた。
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