便利屋リックと贄の刑事

不来方しい

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最終章 最後の事件

032 最後の事件

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 映画監督であるイアン・エドニーが逮捕されて、本格的な捜査が始まった。
 最初は黙秘を続けていたが、それも数時間のことで、すぐに自供を始めた。
 子供を誘拐し、売り払った汚いお金で覚せい剤を密輸し、アメリカ中にばら撒く。ただし、イアンは関与していないと断固として譲らなかった。イアンがしていた悪事といえば、映画で儲けたお金を密輸の足しにしたくらいだと、彼はそう言った。
 信用はしていないが、嘘を吐いているようにも見えなかった。ここからじっくりと裏付け捜査が始まる。
 彼も手足の一本でしかないのだ。金回りが良いから神として崇められていただけで、用がなければ切り捨てる。組織とはそういうものだ。解決にただ進むのみ。難しいことは考えなくていい。
 仕事が終わってすぐにマンションに帰るが、リックからは遅くなるとだけメールが入っていた。トマトを買ってきてほしいと返事をし、メールボックスに手を突っ込んだ。
「…………誰だ」
 差出人のない封筒が入っている。宛名もない。テープ留めもされていない真っ白な封筒の中には、一枚の写真が入っていた。
 赤毛の子供だ。おもちゃで遊び、上機嫌に写真を撮っている人物に手を伸ばしている。俺は握り潰した。
 ゴミ箱の一番下に写真を捨て、二人分のコーヒー豆をセットする。
 やがて玄関が音を鳴らしたので、水を温め始めた。
「ただいま」
「おかえり。珍しいな、それ」
 それを差すドーナツを見やると、リックはテーブルの上に置いた。
「ちょうどコーヒーが飲みたかったんだよね」
「それはよかった。で、なぜドーナツ」
「ウィルの機嫌を取ろうと思って」
「俺はいつも上機嫌だ」
「風呂場で鼻歌を歌うくらいにはね。最近は聞こえないけど」
 どこでもあるダンキンドーナツだ。リビングが甘い香りに包まれた。
「カスタード入りもあるぞ」
「ねちっこい甘さは苦いコーヒーがよく合う。ミルクは入れるか?」
「止めておくよ。苦めで」
 さて、どうするか。
 リックは俺をちらちら見ては、一つドーナツに手を伸ばした。
 同棲を始めるにあたって、いくつか約束したことがある。中でも遠慮をしないという項目は、嘘や隠し事をするべからずと言い換えられる。
 リックは最近、俺の様子がおかしいと勘ぐりをぶちかましてくる。迷惑じゃない、心地良いんだ。だからこそかえっていたたまれなくなる。これは俺の問題であって、リックの問題じゃない。
 俺は地味な黒いドーナツを取った。隣のカラフルな装飾が少しだけついている。
「久しぶりに食べると美味いな」
「食べたきゃ買ってくればいいよ。僕に食生活を合わせる必要なんてないんだ」
「お前に生活を合わせたら、体調はよくなるし良いこと尽くしだ。別に悪くないと思ってる。今日はどこに行ってたんだ?」
「警察署だよ。シンとばったり会って、ふたりでランチに行ってきた」
 ということは、ランチ後のデザートがドーナツってわけだ。
 苦しそうに食べる様子もなく、リックにしては珍しく食が進んでいる。
「いろいろ悩みを聞いてもらってたんだ。ウィルのこととか、ウィルのこととかね」
「そんなに会えなくて恋しかったか」
 甘い。とにかく甘い。
 苦いコーヒーで流し込んでも、喉にべっどりとまとわりついている。
「今なら便利屋がタダで首を突っ込んでやれるけど」
「お前なりに心配してるのも分かる。好奇心なのも分かる」
「好奇心は否定できないな、残念だけど」
「正直で結構だ。でなきゃ探偵も便利屋もやってられないさ。けど今回は、解決したら必ず話す。それが俺の答えだ」
 リックはドーナツを噛んだ。口が時々止まるのは、何を言うと考えているのか甘さで思考が停止しているのかどちらかだ。できれば後者であってほしい。甘いものが好きな俺でも、けっこう堪える。
「分かったよ。絶対だからな」
「ああ。だからお前は心配せずに残りのドーナツを食べればいい」
「…………そうだね。ドーナツって冷凍できるのかな」
 後者でもあったようだ。文明の利器の答えは「冷凍できる」。便利な世の中になったものだ。



 写真ぶちこみ事件からそう日が経たずに、次の事件がやってきた。
 リックが仕事に出た後に、見計らったかのように端末にメールが入る。
──どうして、何も言ってくれないの?
 メールだけだと感情が分からない。悲しみにも取れるし、怒りとも取れる。
 次に来たのは、子供の写真だ。カメラに向かって指を差して、不思議そうに首を傾げている。
 万が一、自分の子であったら。箱入り娘になっていただろう。子供に罪はないのだ。
──もう一度だけ会って、話し合いをしたい。
 もう一度は二度と来てはならない。彼女とは終わった。終わったはずなのに、積み重ねてきた情だけはどうしても捨てきれず、心がぐちゃぐちゃになる。
 弁護士に連絡を入れて、法律事務所へ向かった。今日はちょうど会う日だった。
「お待ちしておりました。どうぞ」
「タイミングが良かった。また彼女から連絡が来た。それと写真もメールボックスへ入れられていた」
「やはり引っ越しした方がいいです。別れてからあそこに住み続けているんでしょう?」
「引っ越しは考えている。できれば……来月中にでも」
 まさかこうなるとは思ってもみなかったんだ。言い訳じみているが、人生のいい教訓にもなった。
「慰謝料ですが……」
 提示された金額はあまりに少なく、だが二度と会わなくて済むのならこれでいいんじゃないかとも考える。今ある幸せを壊されたくない。
「ストーカー行為そのものですね。本当に訴えなくてよろしいんですか?」
「ああ。彼女もきっと分かってくれる」
「分かる人ならば、こんな行動は端からしないです。警察官だからといって、ご自身は平気だと思い込んでます?」
「自意識過剰にはなっちゃいないさ」
 下手に動いて、同居人の安否が心配なだけだ。同居解消も考えたが、今下手に動いてしまえば余計に奴は追ってくる。好奇心で全身ができているような男だ。
「金額に関しては、少し待ってほしい」
「分かりました。かなり参っているようですが、あなたが責任を感じることではありませんよ」
 弁護士の言葉に、少しは心が軽くなった。
 法律事務所を出ると、リックからメールが来た。
──帰りは遅くなる。先に夕食食べててくれ。
──了解。
 ひとりになれる時間があり、正直ほっとした。
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