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第二章 便利屋として
027 疑惑の撮影
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ヒルは敵なのか味方なのか。
誰にでも隠したい過去があるが、嘘をつかれたとなると状況はひっくり返る。隠した、ではなく虚言。まったくの別物だ。日常会話で交じる嘘と命の重みを抱えた嘘では、比べるまでもなくつかれた方は打撃が大きい。
いよいよ今日が本番で現場に向かうと、人だかりができていた。大きなカメラを持った人や、携帯端末を向ける人、いわゆる野次馬で埋め尽くされている。
「これは何の騒ぎですか?」
「どこからか映画の撮影があるって漏れたんだ」
ウィルだ。直感的にそう思った。けれど彼がネットに情報を漏らしたとは考えにくい。ウィルが仲間に伝え、集まったのだと直感した。
「退場願えばかえって拡散される。それなら、あえて見せておとなしくしてもらった方がいいと思いますが」
「俺もそう思う。監督も同じ考えだ。あと、監督からで、一部の演出を変えたいんだそうだ」
「僕の出番を?」
「ああ」
急すぎて対応できるか問題だ。映画をよりよくするために変更を加えるとは思えなかった。リックには、大勢の第三者に見られているせいでよからぬ何かを変えるしかない、と勘が働く。
イアンの元に行くと、窓から落ちるシーンを変更したいとのこと。窓は開いた状態でゾンビと落ちる予定だったが、窓ガラスを派手に割れるシーンにしたいらしい。リックは窓ガラスにぶつかるまでが流れだ。
衣装に着替えて、いよいよ本番が始まった。
緊張感はあっても緊張はほとんどしなかった。
寝ていたら廊下でガラスが割れる音がして、リックは目が覚めて起きる。
唸り声を上げながら入ってきたゾンビに驚き、テープで留められた点滴を引っこ抜く。
襲ってきたゾンビと揉み合いになり、段取り通りのアクションが始まった。
ゾンビを押して逃げようとするも、足を捕まれて転倒。何度か蹴って怯んだところで立ち上がるが、廊下ではゾンビの声が聞こえる。逃げられないと悟ったリックは、襲いかかるゾンビと対峙し、稽古通りに動く。揉み合ったところで最後に窓ガラスに身体を打ちつけてカットがかかった。
「一発でいいんじゃないか? 素晴らしいよ」
スタッフの拍手に迎えられたが、この中の何人が組織に属している人間かと思うと、素直に喜べない。愛想笑いで対応した。
「お疲れ」
「ああ……お疲れ様」
ゾンビ役のヒルと握手を交わした。
「迫力がすごいな。やっぱりプロだ」
「この道で飯食ってるからな。君も良かったよ」
ヒルと話していると、イアンがやってくる。
「素晴らしかった。このまま俳優の道へスカウトしたいくらいだよ」
きた。ヒルが言っていた通りになった。監視のために誘われる可能性があると。
「嬉しいお誘いですけど、僕は便利屋が向いています。このシーンだけでもいっぱいいっぱいですよ」
「ぜひ考えてほしい。撮影が終わった後、パーティーに来てくれるだろう?」
「もちろんです」
出会ったときよりも距離が近くなったイアンとハグをした。優しい笑みは嘘じゃないと信じたいのに、回した腕が変な震えが起こる。
イアンはスタッフに呼ばれ、現場を後にした。リックはふと窓の外を見て、呆然と立ち尽くした。
「………………なんで、」
窓の外を覗くと、地面が遠かったのだ。二階なので当たり前だが、前は柔らかな土があり、落ちても衝撃はほぼなかった。今は二階から見えるよくある風景だ。土が勝手に行方不明になるわけがなく、リックはただただぞっとした。
もしだ、万が一。外にゾンビと共に落ちていたとしたら。リックだけではなく、ゾンビ役のヒルも軽傷では済まなかった。
聞いたところで「落ちる予定はなくなったので撤去した」で終わる。目に見えている。
控え室に戻り皆に挨拶を済ませると、リックは着替えて帰る支度をした。
──ホテルで待っています。
最低限綴られた丁寧な文面に、リックは安堵した。
タクシーで戻り身支度を整えると『ホテルの裏側へ来て下さい』と追加で届いていた。
スーツケースを引きながら早歩きで向かうと、一台の車が停まっている。運転席にいる男性は後ろを指差したので、スーツケースごと乗り込んだ。
「警察を従えるなんて一生経験できることじゃないね」
「あなたはいつも従えているでしょう? ギルバートはあなたに頭が上がらない。騎士を従えるお姫様のようだ」
シン・オーズリー刑事だ。彼のことはよく知らないのに、リックはスーパーヒーローに出会ったかのように安堵した。力が抜けすぎて後部座席を悠々と使った。
「随分とお疲れですね」
「……殺されかけた」
「お話ならばどうぞ。刑事としても興味があります」
聞き上手な彼は時々同調してくれ、余計な口を挟まずに徹してくれた。
「何とも言えませんね。そもそも証拠がない。あなたを殺害しようとした音声でも残っていれば話は別ですが」
「僕もそう思うよ。使わなければ撤去なんて当たり前だし。今からどこに向かってるんだ?」
「家に戻る前に、我々の元へ来て頂きます」
「僕もいよいよ逮捕されるのか……」
「ジョークを言える元気があるなら大丈夫そうですね。後部座席で寝ていて下さい」
「有り難くそうさせてもらうよ」
ベッド代わりにはならないが、置いてあった毛布を枕代わりにすると、寝心地は悪くなかった。
数時間の眠りの後、車の止まる音にリックは目が覚めた。
「起こそうと思っていました」
「今……何時だ?」
「太陽は沈んでいます。本日はこちらに泊まりましょう」
「あれ……ロスじゃないのか」
「あの時間に出発したんですよ。テキサスからカリフォルニアまで何時間かかると思っているのですか。明日は朝一で出発すれば、夜には着きます」
「明日は運転代わるよ」
「結構です。借り物の車ですので」
「……僕たちって、もう少し仲良くなれると思わない?」
なんだか変な間があった。しばらくして、リックは静寂の意味を悟る。
「僕がゲイでも、そういう意味で言ったんじゃないから」
「焦らなくても理解していますよ。昔を思い出していました」
「良い想い出?」
「そうですね……。あなたに似た人でした。人の心にずけずけ入り込んできて、荒らしていく。よく衝突したものです。あるとき、好きだと告白されました。私からしたら憎まれ口を叩く悪ガキのイメージだったのですが」
「へえ! その人とはどうなったんだ?」
「亡くなりました。私の目の前で」
淡々と今日の夕食は何、くらいのトーンで話されても。
言葉を失うリックに小さく笑い、オーズリーはハンドルを回す。
「男性だったのでお断りするしかなかったのですが、返事もないまま私の目の前で息絶えました。最期の言葉は『好きだ』。家族へのメッセージでもなく、しがない私へ残したものが最期でした」
「大事な話を俺にしても大丈夫?」
「あなた方を見ていると、思い出してしまうのです。それと忠告です。そうならないよう、命は大事にして下さい。目の前で人が撃たれる姿を見るのは、堪えるものですよ」
「分かるよ。僕もつい最近、経験があったから」
血塗られた身体が横たわる瞬間は、もうこりごりだ。
ホテルはよくあるビジネスホテルで、すでに予約していたオーズリーは名を名乗る。
「隣の部屋ですが、何かあれば壁を叩くなりして合図を出して下さい」
「そこまでしてもらわなくても……」
「未知の世界に片足を踏み込んでいると、お忘れなく。では」
食事くらい一緒に取りたかったが、シンはさっさと自分の荷物を持って部屋に入ってしまった。彼なりに仕事とプライベートは分けたいのだろう。今は仕事のシン・オーズリーといったところだ。
部屋に入ると荷物を脇に寄せ、手の中で冷たくなる紙袋をテーブルに置いてチェーン店のハンバーガーを広げた。
誰にでも隠したい過去があるが、嘘をつかれたとなると状況はひっくり返る。隠した、ではなく虚言。まったくの別物だ。日常会話で交じる嘘と命の重みを抱えた嘘では、比べるまでもなくつかれた方は打撃が大きい。
いよいよ今日が本番で現場に向かうと、人だかりができていた。大きなカメラを持った人や、携帯端末を向ける人、いわゆる野次馬で埋め尽くされている。
「これは何の騒ぎですか?」
「どこからか映画の撮影があるって漏れたんだ」
ウィルだ。直感的にそう思った。けれど彼がネットに情報を漏らしたとは考えにくい。ウィルが仲間に伝え、集まったのだと直感した。
「退場願えばかえって拡散される。それなら、あえて見せておとなしくしてもらった方がいいと思いますが」
「俺もそう思う。監督も同じ考えだ。あと、監督からで、一部の演出を変えたいんだそうだ」
「僕の出番を?」
「ああ」
急すぎて対応できるか問題だ。映画をよりよくするために変更を加えるとは思えなかった。リックには、大勢の第三者に見られているせいでよからぬ何かを変えるしかない、と勘が働く。
イアンの元に行くと、窓から落ちるシーンを変更したいとのこと。窓は開いた状態でゾンビと落ちる予定だったが、窓ガラスを派手に割れるシーンにしたいらしい。リックは窓ガラスにぶつかるまでが流れだ。
衣装に着替えて、いよいよ本番が始まった。
緊張感はあっても緊張はほとんどしなかった。
寝ていたら廊下でガラスが割れる音がして、リックは目が覚めて起きる。
唸り声を上げながら入ってきたゾンビに驚き、テープで留められた点滴を引っこ抜く。
襲ってきたゾンビと揉み合いになり、段取り通りのアクションが始まった。
ゾンビを押して逃げようとするも、足を捕まれて転倒。何度か蹴って怯んだところで立ち上がるが、廊下ではゾンビの声が聞こえる。逃げられないと悟ったリックは、襲いかかるゾンビと対峙し、稽古通りに動く。揉み合ったところで最後に窓ガラスに身体を打ちつけてカットがかかった。
「一発でいいんじゃないか? 素晴らしいよ」
スタッフの拍手に迎えられたが、この中の何人が組織に属している人間かと思うと、素直に喜べない。愛想笑いで対応した。
「お疲れ」
「ああ……お疲れ様」
ゾンビ役のヒルと握手を交わした。
「迫力がすごいな。やっぱりプロだ」
「この道で飯食ってるからな。君も良かったよ」
ヒルと話していると、イアンがやってくる。
「素晴らしかった。このまま俳優の道へスカウトしたいくらいだよ」
きた。ヒルが言っていた通りになった。監視のために誘われる可能性があると。
「嬉しいお誘いですけど、僕は便利屋が向いています。このシーンだけでもいっぱいいっぱいですよ」
「ぜひ考えてほしい。撮影が終わった後、パーティーに来てくれるだろう?」
「もちろんです」
出会ったときよりも距離が近くなったイアンとハグをした。優しい笑みは嘘じゃないと信じたいのに、回した腕が変な震えが起こる。
イアンはスタッフに呼ばれ、現場を後にした。リックはふと窓の外を見て、呆然と立ち尽くした。
「………………なんで、」
窓の外を覗くと、地面が遠かったのだ。二階なので当たり前だが、前は柔らかな土があり、落ちても衝撃はほぼなかった。今は二階から見えるよくある風景だ。土が勝手に行方不明になるわけがなく、リックはただただぞっとした。
もしだ、万が一。外にゾンビと共に落ちていたとしたら。リックだけではなく、ゾンビ役のヒルも軽傷では済まなかった。
聞いたところで「落ちる予定はなくなったので撤去した」で終わる。目に見えている。
控え室に戻り皆に挨拶を済ませると、リックは着替えて帰る支度をした。
──ホテルで待っています。
最低限綴られた丁寧な文面に、リックは安堵した。
タクシーで戻り身支度を整えると『ホテルの裏側へ来て下さい』と追加で届いていた。
スーツケースを引きながら早歩きで向かうと、一台の車が停まっている。運転席にいる男性は後ろを指差したので、スーツケースごと乗り込んだ。
「警察を従えるなんて一生経験できることじゃないね」
「あなたはいつも従えているでしょう? ギルバートはあなたに頭が上がらない。騎士を従えるお姫様のようだ」
シン・オーズリー刑事だ。彼のことはよく知らないのに、リックはスーパーヒーローに出会ったかのように安堵した。力が抜けすぎて後部座席を悠々と使った。
「随分とお疲れですね」
「……殺されかけた」
「お話ならばどうぞ。刑事としても興味があります」
聞き上手な彼は時々同調してくれ、余計な口を挟まずに徹してくれた。
「何とも言えませんね。そもそも証拠がない。あなたを殺害しようとした音声でも残っていれば話は別ですが」
「僕もそう思うよ。使わなければ撤去なんて当たり前だし。今からどこに向かってるんだ?」
「家に戻る前に、我々の元へ来て頂きます」
「僕もいよいよ逮捕されるのか……」
「ジョークを言える元気があるなら大丈夫そうですね。後部座席で寝ていて下さい」
「有り難くそうさせてもらうよ」
ベッド代わりにはならないが、置いてあった毛布を枕代わりにすると、寝心地は悪くなかった。
数時間の眠りの後、車の止まる音にリックは目が覚めた。
「起こそうと思っていました」
「今……何時だ?」
「太陽は沈んでいます。本日はこちらに泊まりましょう」
「あれ……ロスじゃないのか」
「あの時間に出発したんですよ。テキサスからカリフォルニアまで何時間かかると思っているのですか。明日は朝一で出発すれば、夜には着きます」
「明日は運転代わるよ」
「結構です。借り物の車ですので」
「……僕たちって、もう少し仲良くなれると思わない?」
なんだか変な間があった。しばらくして、リックは静寂の意味を悟る。
「僕がゲイでも、そういう意味で言ったんじゃないから」
「焦らなくても理解していますよ。昔を思い出していました」
「良い想い出?」
「そうですね……。あなたに似た人でした。人の心にずけずけ入り込んできて、荒らしていく。よく衝突したものです。あるとき、好きだと告白されました。私からしたら憎まれ口を叩く悪ガキのイメージだったのですが」
「へえ! その人とはどうなったんだ?」
「亡くなりました。私の目の前で」
淡々と今日の夕食は何、くらいのトーンで話されても。
言葉を失うリックに小さく笑い、オーズリーはハンドルを回す。
「男性だったのでお断りするしかなかったのですが、返事もないまま私の目の前で息絶えました。最期の言葉は『好きだ』。家族へのメッセージでもなく、しがない私へ残したものが最期でした」
「大事な話を俺にしても大丈夫?」
「あなた方を見ていると、思い出してしまうのです。それと忠告です。そうならないよう、命は大事にして下さい。目の前で人が撃たれる姿を見るのは、堪えるものですよ」
「分かるよ。僕もつい最近、経験があったから」
血塗られた身体が横たわる瞬間は、もうこりごりだ。
ホテルはよくあるビジネスホテルで、すでに予約していたオーズリーは名を名乗る。
「隣の部屋ですが、何かあれば壁を叩くなりして合図を出して下さい」
「そこまでしてもらわなくても……」
「未知の世界に片足を踏み込んでいると、お忘れなく。では」
食事くらい一緒に取りたかったが、シンはさっさと自分の荷物を持って部屋に入ってしまった。彼なりに仕事とプライベートは分けたいのだろう。今は仕事のシン・オーズリーといったところだ。
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