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第二章 便利屋として
019 スーパーヒーローは三人
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白い天井と鼻につく薬品の臭いは、何度も見た背景だ。
息苦しいどころか居心地の良さに二度寝しそうになり、なんとか目を開ける。
ふと横を見ると、もうひとり図体の大きい男がベッドに突っ伏していた。
「よお」
「生きていたのか」
「ピザが食いたい」
「僕は……ライスボールかな。ところで、なんでこれをしているんだ?」
これを差すものは、リックについている酸素マスクだ。
死にかけたのは隣にいる男のはずなのに、なぜかリックに装着されている。
「医者も間違えることがあるんだな」
「ああ、そうだな。喘息じゃなかった。大きな間違いを犯した」
「……なんだって?」
「肺に穴が開いているんだそうだ」
穴。
たった一つの単語に、リックは気を失いそうになった。
「特発性自然気胸……とかなんとか」
「冗談だろう? なぜ僕が最初に聞く前に、ウィルが知ってる?」
「目を瞑っていたら、横で医者がべらべら話し出した。念のためお前もレントゲンを撮ったら、まあ……そうだと。どこから記憶がない?」
「……ウィルが撃たれたのは知ってる」
「OK。記憶はしっかりしているな。血を見てなのか、とにかくお前はぶっ倒れた。仲良く病院に運ばれて、俺は手術。お前は酸素注入。今に至る」
「理解した」
簡潔で素晴らしい。長ったらしい医師の話より分かりやすかった。
ウィルの肩は包帯が巻かれていて、普通は痛々しく感じるものだが、吹き飛ばすほどのパワーがある。
ウィルはリックの視線に気づき、にやりと笑う。
「なんだ。一丁前に心配してくれてんのか」
「僕のせいでもあるしね。退院したら、面倒みるよ」
「俺もお前の面倒みてやる」
「なあ、なぜそんなに僕に固執するんだ? ウィルは僕を助けてくれた警察官そっくりなんだ」
「助けてくれた……?」
「暇つぶし程度に聞いてくれ。僕は目の前で父が撃たれ、警察官に助けられた」
「……………………」
リックは父が何の仕事をしているのか、十五歳まで理解していなかった。何日も帰って来ないときがあったし、それでも母はいつも温かな料理を並べて帰りの遅い父を待っていた。
ある日、学校帰りだったリックはたまたま父と出くわした。
通りかかった道にある店で大きな叫び声が上がり、黒いバックを持った男が全速力で逃げてきた。すぐに強盗だと分かった。
逃げ惑う人たちの波に乗ることはできず、いきなり脳に入ってきた情報に息苦しくなり、動けなくなってしまった。
『リック、逃げろ!』
強盗が拳銃を持ち上げると、袖がめくれわずかに手首が見えた。何かの刺青をしていて、それが何の印なのかリックには分からなかった。
弾はリックではなく、前に躍り出た父の胸に直撃した。すぐさま二発目の発砲がしたが、それは近くに待機していた警察官が撃ったもので、犯人の身体にのめり込む。
『父さん!』
血だらけの父が口を開けている。蝶や天使、蛇の刺青にがある人には近寄るなと言い、最期に愛してる、と。
すぐに飛び出してきた警察は部下に的確な指示を与え、リックに向かい合った。
『心配するな。君を絶対に助ける』
『父さんは……?』
『今、救急車を呼んだ。飛んできてくれる。パズルは整った。犯人も分かった。そして必ず君のパパも元気になってくれるさ』
警察官の言う犯人は、目の前で動かなくなっている犯人ではないとなんとなく察しはついた。他にも仲間がいて、すぐに駆けつけられたのは動きを見ていたからに違いないと。
案外冷静に話せるものだとリックは安堵する。泣き叫びながら話したかもしれない過去は、初めて人に話した。
記憶も曖昧になり、リックはなぜ父が死んだのかも分からなくなっていた。喘息だと思い込んでいた病気のせいで入退院も繰り返し、二つの苦しさから思い出さないようにしていたせいもある。
「以上。僕の過去でした。母親にもまともに話したことがないんだからな」
「デイヴィッド・モリス」
ウィルの口から出た名前に、リックはぎょっとした。
「なぜ父の名前を?」
「あの事件で、犯人以外の唯一の犠牲者だった。探偵事務所を設立していて、正義感があり常に弱者の味方に立っていたと聞いている。俺の父親がもっと早くに飛び出していたら、死ぬことはなかった。お前にトラウマを植えつけることもなかった」
「………………まさか」
「強盗犯を撃ったのは俺の親父だ。あと一歩遅かった。父は……家で自分を責め続けた。許してほしいとは言わない。それに、その場に俺も居合わせた。何もできなかったんだ」
「父を亡くしたときは、僕は十五歳だったんだ。ウィルはもう警察官だったのか?」
「なりたてホヤホヤだった。十年以上前の記憶だが、人が死ぬ瞬間も初めて目の当たりにした。警察官になるということは、こういうことだと突きつけられた」
「だから……なのか。あのときの警察官はまだうっすら記憶がある。ウィルにも似ていると思っていたよ。それと僕に情けをかけるのは間違いだからな。別にウィルの父親も恨んでない。あるとすれば犯人に対してだ。犯人は死んだし、もうあのときの真相は何も聞けないけどね。父が飛び出していなかったら、僕は間違いなく撃たれていた。ウィルの父親も、十五歳の未成年がうろうろしていたら、犯人相手に撃てないさ。例え自慢できるほどの腕があっても」
口が回るほど喉から変な音が鳴る。
「おい」
「平気。喋りすぎた。少し眠るよ。何か子守歌でも歌ってくれ」
「俺の秘密を教えてやろう」
「ぜひ聞きたいね」
過去を思い出しているのか、数秒の間があった。
「俺はな……音痴なんだ」
テーブルに並ぶ光景に、病院食との差を感じた。
我が家であって、我が家でない。他人行儀な振る舞いに、リックの義父であるトーマスはワインを勧めてくる。
「リック、たくさん食べなさい。何か取ってやろう」
「いいよ。自分でできるから。座ったまま食べるだけなんて、病室内で充分さ」
「あなたはもっと太って、力をつけるべきよ」
「太れば力がつくわけじゃないよ。これ美味しいね。家に持って帰ってもいい?」
「もちろん、たくさんあるから。レモンパイも包んであげるわ」
「二切れほしい」
「ええ。いいわよ」
義父にも母のスミレにも、リックが口に入れるたびに何度も美味しいか、と聞く。
リックは苦笑いだが、善意として受け取ることにした。
「仕事はいつから開始なの?」
「数日はゆっくりしてるよ。手術後だし、安静にしていないといけないしね」
肺の手術は成功した。それほど難しいものではなく、医者は問題ないと太鼓判を押していたが、喘息だと偽の病名を言われ信用はなかなかに難しい。
事実、体力は落ちていた。家での筋トレも含め、せめて元通りの生活に戻さないといけない。
「これからのことなんだけど、あなたはまだ便利屋を続けるの?」
今日、実家に呼んだ理由がこれだろう。リックが言う言葉はすでに用意されている。「続けるよ」。
「もう少し体力を使わない仕事の方がいいんじゃないの? 例えば、教師とか」
「教師になればなったで、母さんはずっと立ちっぱなしだの言うと思うよ」
「そりゃあ言うわよ。親はいつも子供の心配をしたいものだもの」
「僕は三十歳を超えているからね」
一応、意味の成さないことを言ってみる。
「体力の問題だけじゃないわ。あなたは危険に巻き込まれすぎている。ジローの件もそうだし、ショッピングモールの事件もよ。まさか強盗団に出くわすなんて……」
「たまたまだよ」
たまたまにしては、例の老婆に出会ったりと必然としか思えなかったが、リックは偶然だと繰り返した。
「そもそもショッピングモールにいたのは仕事じゃない。完全なプライベートだよ。仕事に結びつけるのはどうかしてる」
「ウィリアムとかっていう刑事は、あなたの何なの? その……そういうご関係?」
「ウィルは僕の命を助けてくれた人だ。加えて友人でもある。彼はゲイじゃない」
「あなたの将来が心配なのよ」
「今の流れを推察するに、僕は結婚もできないし子供作れないから孫の顔が見れないって嘆いてるのかな」
「そこまでは言ってないわ」
「ごめん、ちょっと疲れてるみたいだ」
「あなたと喧嘩したくて呼んだわけじゃないのよ」
「分かってる。心の底から心配してくれていることもね。そろそろ帰るよ。僕たちには少しの距離が必要だ。ジェシーの顔も見ていこうか」
トーマスは嬉しそうな顔をした。ジェシカは母スミレと義父デイヴィッドの子でもある。ジェシカに優しい顔を見せると、二人はほっとした表情になる。
まだ幼いジェシカは部屋で眠っていた。スミレにもトーマスにも似ている。すでに美しい顔立ちをしていて、将来はきっと美人になるだろう。
寝返りを打ったところで、リックは家を出た。包んでもらったレモンパイはまだ温かく、どっしりと重みがある。
──レモンパイもらった。今から帰る。
──待ってる。
何気なく送った言葉だろうが、同居人が家族になったようで、リックは少し強めにアクセルを踏んだ。
息苦しいどころか居心地の良さに二度寝しそうになり、なんとか目を開ける。
ふと横を見ると、もうひとり図体の大きい男がベッドに突っ伏していた。
「よお」
「生きていたのか」
「ピザが食いたい」
「僕は……ライスボールかな。ところで、なんでこれをしているんだ?」
これを差すものは、リックについている酸素マスクだ。
死にかけたのは隣にいる男のはずなのに、なぜかリックに装着されている。
「医者も間違えることがあるんだな」
「ああ、そうだな。喘息じゃなかった。大きな間違いを犯した」
「……なんだって?」
「肺に穴が開いているんだそうだ」
穴。
たった一つの単語に、リックは気を失いそうになった。
「特発性自然気胸……とかなんとか」
「冗談だろう? なぜ僕が最初に聞く前に、ウィルが知ってる?」
「目を瞑っていたら、横で医者がべらべら話し出した。念のためお前もレントゲンを撮ったら、まあ……そうだと。どこから記憶がない?」
「……ウィルが撃たれたのは知ってる」
「OK。記憶はしっかりしているな。血を見てなのか、とにかくお前はぶっ倒れた。仲良く病院に運ばれて、俺は手術。お前は酸素注入。今に至る」
「理解した」
簡潔で素晴らしい。長ったらしい医師の話より分かりやすかった。
ウィルの肩は包帯が巻かれていて、普通は痛々しく感じるものだが、吹き飛ばすほどのパワーがある。
ウィルはリックの視線に気づき、にやりと笑う。
「なんだ。一丁前に心配してくれてんのか」
「僕のせいでもあるしね。退院したら、面倒みるよ」
「俺もお前の面倒みてやる」
「なあ、なぜそんなに僕に固執するんだ? ウィルは僕を助けてくれた警察官そっくりなんだ」
「助けてくれた……?」
「暇つぶし程度に聞いてくれ。僕は目の前で父が撃たれ、警察官に助けられた」
「……………………」
リックは父が何の仕事をしているのか、十五歳まで理解していなかった。何日も帰って来ないときがあったし、それでも母はいつも温かな料理を並べて帰りの遅い父を待っていた。
ある日、学校帰りだったリックはたまたま父と出くわした。
通りかかった道にある店で大きな叫び声が上がり、黒いバックを持った男が全速力で逃げてきた。すぐに強盗だと分かった。
逃げ惑う人たちの波に乗ることはできず、いきなり脳に入ってきた情報に息苦しくなり、動けなくなってしまった。
『リック、逃げろ!』
強盗が拳銃を持ち上げると、袖がめくれわずかに手首が見えた。何かの刺青をしていて、それが何の印なのかリックには分からなかった。
弾はリックではなく、前に躍り出た父の胸に直撃した。すぐさま二発目の発砲がしたが、それは近くに待機していた警察官が撃ったもので、犯人の身体にのめり込む。
『父さん!』
血だらけの父が口を開けている。蝶や天使、蛇の刺青にがある人には近寄るなと言い、最期に愛してる、と。
すぐに飛び出してきた警察は部下に的確な指示を与え、リックに向かい合った。
『心配するな。君を絶対に助ける』
『父さんは……?』
『今、救急車を呼んだ。飛んできてくれる。パズルは整った。犯人も分かった。そして必ず君のパパも元気になってくれるさ』
警察官の言う犯人は、目の前で動かなくなっている犯人ではないとなんとなく察しはついた。他にも仲間がいて、すぐに駆けつけられたのは動きを見ていたからに違いないと。
案外冷静に話せるものだとリックは安堵する。泣き叫びながら話したかもしれない過去は、初めて人に話した。
記憶も曖昧になり、リックはなぜ父が死んだのかも分からなくなっていた。喘息だと思い込んでいた病気のせいで入退院も繰り返し、二つの苦しさから思い出さないようにしていたせいもある。
「以上。僕の過去でした。母親にもまともに話したことがないんだからな」
「デイヴィッド・モリス」
ウィルの口から出た名前に、リックはぎょっとした。
「なぜ父の名前を?」
「あの事件で、犯人以外の唯一の犠牲者だった。探偵事務所を設立していて、正義感があり常に弱者の味方に立っていたと聞いている。俺の父親がもっと早くに飛び出していたら、死ぬことはなかった。お前にトラウマを植えつけることもなかった」
「………………まさか」
「強盗犯を撃ったのは俺の親父だ。あと一歩遅かった。父は……家で自分を責め続けた。許してほしいとは言わない。それに、その場に俺も居合わせた。何もできなかったんだ」
「父を亡くしたときは、僕は十五歳だったんだ。ウィルはもう警察官だったのか?」
「なりたてホヤホヤだった。十年以上前の記憶だが、人が死ぬ瞬間も初めて目の当たりにした。警察官になるということは、こういうことだと突きつけられた」
「だから……なのか。あのときの警察官はまだうっすら記憶がある。ウィルにも似ていると思っていたよ。それと僕に情けをかけるのは間違いだからな。別にウィルの父親も恨んでない。あるとすれば犯人に対してだ。犯人は死んだし、もうあのときの真相は何も聞けないけどね。父が飛び出していなかったら、僕は間違いなく撃たれていた。ウィルの父親も、十五歳の未成年がうろうろしていたら、犯人相手に撃てないさ。例え自慢できるほどの腕があっても」
口が回るほど喉から変な音が鳴る。
「おい」
「平気。喋りすぎた。少し眠るよ。何か子守歌でも歌ってくれ」
「俺の秘密を教えてやろう」
「ぜひ聞きたいね」
過去を思い出しているのか、数秒の間があった。
「俺はな……音痴なんだ」
テーブルに並ぶ光景に、病院食との差を感じた。
我が家であって、我が家でない。他人行儀な振る舞いに、リックの義父であるトーマスはワインを勧めてくる。
「リック、たくさん食べなさい。何か取ってやろう」
「いいよ。自分でできるから。座ったまま食べるだけなんて、病室内で充分さ」
「あなたはもっと太って、力をつけるべきよ」
「太れば力がつくわけじゃないよ。これ美味しいね。家に持って帰ってもいい?」
「もちろん、たくさんあるから。レモンパイも包んであげるわ」
「二切れほしい」
「ええ。いいわよ」
義父にも母のスミレにも、リックが口に入れるたびに何度も美味しいか、と聞く。
リックは苦笑いだが、善意として受け取ることにした。
「仕事はいつから開始なの?」
「数日はゆっくりしてるよ。手術後だし、安静にしていないといけないしね」
肺の手術は成功した。それほど難しいものではなく、医者は問題ないと太鼓判を押していたが、喘息だと偽の病名を言われ信用はなかなかに難しい。
事実、体力は落ちていた。家での筋トレも含め、せめて元通りの生活に戻さないといけない。
「これからのことなんだけど、あなたはまだ便利屋を続けるの?」
今日、実家に呼んだ理由がこれだろう。リックが言う言葉はすでに用意されている。「続けるよ」。
「もう少し体力を使わない仕事の方がいいんじゃないの? 例えば、教師とか」
「教師になればなったで、母さんはずっと立ちっぱなしだの言うと思うよ」
「そりゃあ言うわよ。親はいつも子供の心配をしたいものだもの」
「僕は三十歳を超えているからね」
一応、意味の成さないことを言ってみる。
「体力の問題だけじゃないわ。あなたは危険に巻き込まれすぎている。ジローの件もそうだし、ショッピングモールの事件もよ。まさか強盗団に出くわすなんて……」
「たまたまだよ」
たまたまにしては、例の老婆に出会ったりと必然としか思えなかったが、リックは偶然だと繰り返した。
「そもそもショッピングモールにいたのは仕事じゃない。完全なプライベートだよ。仕事に結びつけるのはどうかしてる」
「ウィリアムとかっていう刑事は、あなたの何なの? その……そういうご関係?」
「ウィルは僕の命を助けてくれた人だ。加えて友人でもある。彼はゲイじゃない」
「あなたの将来が心配なのよ」
「今の流れを推察するに、僕は結婚もできないし子供作れないから孫の顔が見れないって嘆いてるのかな」
「そこまでは言ってないわ」
「ごめん、ちょっと疲れてるみたいだ」
「あなたと喧嘩したくて呼んだわけじゃないのよ」
「分かってる。心の底から心配してくれていることもね。そろそろ帰るよ。僕たちには少しの距離が必要だ。ジェシーの顔も見ていこうか」
トーマスは嬉しそうな顔をした。ジェシカは母スミレと義父デイヴィッドの子でもある。ジェシカに優しい顔を見せると、二人はほっとした表情になる。
まだ幼いジェシカは部屋で眠っていた。スミレにもトーマスにも似ている。すでに美しい顔立ちをしていて、将来はきっと美人になるだろう。
寝返りを打ったところで、リックは家を出た。包んでもらったレモンパイはまだ温かく、どっしりと重みがある。
──レモンパイもらった。今から帰る。
──待ってる。
何気なく送った言葉だろうが、同居人が家族になったようで、リックは少し強めにアクセルを踏んだ。
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