便利屋リックと贄の刑事

不来方しい

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第一章 探偵として

006 僕とジローと、ジェフ

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 僕らには話す時間が必要だ。
 人の数だけ行く道も戻り道もあり、僕らはそれぞれ歩き始めた。一人は結婚、残る二人は探偵事務所の設立。進んでいるようで、もう一人の小さな自分はあのときに戻れたらと、ジョン・タイターもびっくりのタイムマシーンを望んでいる。
「俺より、お前の方が疲れているんじゃないか?」
 僕の頬を撫でると、ジローはニヒルな笑みで見下ろした。
「有り難く受け取ろう」
 昼食はサンドイッチ。僕の奢りだ。乱雑に挟んだローストビーフやトマト、レタスが溢れている。
「仕事っていうより、プライベートの話か?」
「ジェフの話をしたい」
  一瞬だけサンドイッチを持つジローの手が止まったが、何食わぬ顔で食べ始める。コーヒーはジローの手作りだ。人から作ってもらうものは、インスタントでも美味しい。
「過去の話ならもう終わった」
「そうだ。終わっているんだ。だからジェフは結婚もしたし、子供もいた」
 過去形で話さなければならないのがつらい。
「あのときのジェフは、嘘の気持ちは微塵もなかった」
「ああ。今になってそう思うよ。けどな、俺はホモは受け入れられん」
 ばっさりと切り捨て、僕は返す言葉がない。カップに視線を落とすと、僕の顔が映っていて少し油が浮いていた。
 恋愛の一つや二つは誰しも経験する。告白したりされたり。好みは千差万別で、ジェフだって人生をかけた大恋愛をしてきた。
 ただ、相手はジローだったというだけの話だ。
「俺は同性は好かん。虫酸が走る」
 吐き捨てるように言うと、ジローは一言「言い過ぎた」。
「分かってるよ。ジローはジローで辛い思いだってした。お互いの矢印が違う方向を向いてたってことだ」
 彼は彼で、幼少期に親戚の叔父から襲われた経験がある。それこそ虫酸が走る話だ。犯罪者は今もどこかで生きている。加害者は忘れても、被害者は死ぬまで忘れない。
「ジローの奥さんには会ったのか?」
「葬式のとき、少しだけね。警察に邪魔されて、ほとんど話せなかったけど。まだ幼い子供もいる。何か手助けしたいが、何もできることはないよ」
「なあ、リック。俺はお前のそういうところは好ましく思うよ」
「ゲイでもか?」
「さっきのは悪かったって。そうじゃなくて、人の助けになろうとするところだよ。だがときどき苛立ちもする。自分にないものを持っているせいもあるだろう。俺は自分に余裕がない」
「僕も学生時代は余裕がなかったよ。人の心配ができるのは、お金にも心にも余裕ができたからさ。一人暮らしをしているのが大きいかもしれない」
 これでは自虐ではないか。あまり良い話じゃない。僕には恋人がいない。恋人でなくてもいいんだ。いつか、将来を共にするような人に出会えたら。
「ジローは、もし身内にゲイがいた場合、どうする?」
 野良犬のような低いうなり声を上げる。それ以上強く持ったら、コーヒーカップが割れそうだ。
「……どんな事情があっても、俺は家族を裏切れない」
 その言葉、僕は即決してほしかった。それと同時に、それほど男性に襲われたことが傷になっている証でもあった。僕は家族に、受け入れられているだろうかと、つい自分に置き換えて考えてしまう。
 ブザーが鳴るが、依頼人だとは思わなかった。勘というやつで、動かなくなった僕に対し、ジローはすぐに席を立つ。
「誰だ?」
 返事もないまま開ける勇気に感服する。
 人よりも飛び込んできたのは花だ。フラワーのショップの店員が、リク・ヨヨ・モリス宛だと告げる。
「カーネーションか?」
「ろくな意味じゃないね」
「どういうことだ?」
「黄色のカーネーションは軽蔑や失望という意味がある。この花を送ってくれた人はどんな人が覚えてる?」
「さあ……私は頼まれただけなんで。宅配とフラワーショップをどっちも受け持っているわけじゃないわ」
「店は混んでた?」
「そこそこね」
 お礼を言うと、女性はさっさと事務所を後にした。面倒事には関わりたくないと、態度が全力で示していた。
「まさか花に詳しいとは思わなかった」
「母親が好きなんだ。母の名前も花の名前だし、日本では母の日にカーネーションを送るんだよ。色は違うけど」
 むしろ失望しているのは僕の方だ、とストーカーに対し声を大にして言いたい。むしろスピーカーも使って叫びたい。
「混んでいたなら、誰なのか特定は難しいだろうな」
 そう言うと、ジローは隅々までカーネーションをチェックし始める。
 僕は頼れる刑事様にメールを送った。ついでに写真つきで。
──今度はカーネーション。捨ててもいい?
──とりあえず飾っておけ。フラワーショップの名前は?
 店の名前と送り主も送る。どうせ偽名だろうが、ヒントになれるものならなんでも送ろう。僕もいい加減、うんざりしている。
──今日仕事?
──別件で動いている。
──それは失礼しました。
 忙しいのにご丁寧なことだ。ロサンゼルスでは、僕の悩みなんで微々たるものだろう。
「誰とメールしてるんだ?」
「この前来た警察。九一一より早いからって教えてもらった」
 ジローは渋い顔をすると、眉間に皺が刻まれる。ペンでも刺せそうだ。
「あまり信用するな」
「全部頼ってるわけじゃないけどさ、結局頼らなければならなくなる相手だぞ」
「身近なところに敵はいるんだよ。お前は疑われてるんだぞ」
「疑うのは彼らの仕事さ」
 本当に疑われているのはジローだ。けれどギルバート刑事の言うことを鵜呑みにしてはいけないのも事実。僕を安心させるために、あのようなことを言ったのかもしれない。
「あまり刺激せず、そっとしておくのも手だ。もちろんお前が黙っているとは言わないが、お前が動くたびに相手が逆上する恐れもある。俺は……それが怖い」
「心配ないよ。うまく立ち回る」
 根拠のない言い分は、ジローを安心させる材料にすらならない。
 最近、ジローはいらいらしている。家族のことでいろいろあったらしいし、私生活をうまくコントロールできていないせいだろう。
 コーヒーではなく、新しくミルクを温めて差し出すと、怪訝な表情をされた。
「コーヒーでもなくハーブティーでもなく、たまにはいいだろ?」
「……そうだな」
 簡易キッチンの棚には、コーヒーと同じくらいハーブティーが並んでいる。フランスではよく飲むらしく、僕の知るアメリカ人の中では断トツでジローがよく口にする。
 ここに帰ってくるたび、ジローもいてくれるしひとりじゃないと思えた。
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