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悪いことというのは坂道を転がる球みたいで、一度転がり出すと勢いを増していく
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次の日、春風さんは松葉杖をつきながら学校にきた。昼休みになったというのにクラスの雰囲気は重く、息が詰まりそうだ。
授業中や休み時間も、劇をどうするかの不安がそこかしこから聞こえてきて、そのたびに春風さんは顔を歪めて、唇を噛んでいた。
「ぼくが、ぼくが階段を降りようとしてる春風さんに声をかけたりしたから……」
「それを言うなら、声をかけるよう促したぼくだって同罪だ。だから、おまえのせいなんかじゃない」
思いつめたような顔をしている大助の馬鹿げた考えを、ぼくは即座に否定した。それは別に気を遣ったわけではなく、単なる事実だった。
普通に考えて、代役を用意しておくべきだった。でもぼくにとって文化祭は大助と春風さんを近づけるためのイベントに過ぎず、そんなことはまったく頭になかったのだ。
これは誰のせいというわけじゃない。ましてや、被害者である春風さんのせいでもない。
そんなことは誰もがわかっているからこそ、みんなやり場のないやるせなさを抱えていた。
七瀬がガっと勢いよく立ち上がる音が、いつもより物静かな教室によく響いた。そして、七瀬はそのまま、春風さんの席まで歩いて行く。学校じゃあ話さないようにしていると言っていたくせに、なんのつもりだろうか。
「あんたさ、ぼーっとしてたって言ったでしょ?なんでぼーっとしてたわけ?」
七瀬の春風さんへと向けられたその声には、確かな怒りが感じられた。
「なんでぼーっとしてたわけ?」
あっけに取られた様子の春風さんに、七瀬は同じ言葉を投げかけた。
「それは、その……ていうかぼたん、学校じゃ話しかけないって」「質問の答えになってない」
七瀬の剣幕に、春風さんはしどろもどろだった。
「当ててあげようか?どうせ、自分は主役なんてやる資格なんてないのにとかアホみたいた理由で悩んでたんでしょ?だってあんた本当は「ぼたん、やめて」
「……女優、目指してないもんね」
「……え?」
七瀬のその言葉に、大助が間抜けな声をもらした。それを輪切りに、クラス中がざわざわと騒ぎ出す。
「なのに文化祭で劇やることになって。演劇部の活動をさせてあげたいって主役に選ばれて。みんなを騙してるのみたいで辛かったんでしょ?」
「やめて……」
春風さんは、そう訴えるだけで女優を目指してないということを否定しなかった。
「それで悩んで、ぼーっとして、挙句の果てにこの様?いろんな人に迷惑かけて。これじゃあ、劇を成功させようって練習してた奴らの気持ちはどうなんのよ」
「ぼたんにはわからないよ!家族が本当の夢を理解してくれない気持ちも、この怖さも!」
ついに言い返した春風さんの手が振りかぶられて、七瀬の側頭部あたりをペシンと叩いた。
音からして、たいした力はこもっていなかったと思う。きっと、当たりどころが悪かったのだろう。七瀬がいつもつけている学校用のウィッグが宙に舞い上がった。そして、二人の言い合いを見てどよめいていたクラスから、音が消えた。ウィッグの下から現れたのは、地肌だった。夏休み中に会ったシトラスさんと同じ。髪の一本も見当たらない、ツルツルとした肌色の頭皮。
「ぼ、ぼたん。ご、ごめ……」
ハッとした春風さんの顔から、さーっと血の気が引いていく。ごめんと続けたかったのだろうか。しかし、その言葉が彼女の口から発されることはなかった。
「ええ、わらんないけど、それがなに?あんただって、わたしの気持ちなんてわからないじゃない」
七瀬はウィッグを拾い上げると、春風さんの喉元でつっかえた言葉を待つことなく、荷物を持って教室を出て行った。
ふたりの喧嘩を見ていたクラスメイト達はみんな、呆然としていた。
特に小川さんは、あっけに取られて口をまん丸に開いたまま固まっていて、すぐには再起動しそうにない。
林さんが「大丈夫?」と、袖を引きながら、彼女の顔を下から覗き込む様に声をかけた。
「……大、丈夫。ちょっと、びっくりしただけだから」
と、なんとかそう答えていたが、明らかに大丈夫そうではない。
そしてこっちも、大丈夫そうではない。ぼくは大助の方を向く。案の定、手を目の前でひらひら振っても反応しないんじゃないかってくらいぽかんとしていた。
以前大助が、春風さんの夢を堂々と公言できるところに憧れたという話を思い出す。でも、それを今否定されたわけで……。この有様も、仕方ないことかもしれない。
その後、七瀬が体調不良で早退したと神楽坂先生から連絡がきた。でもそれが本当の理由ではないことを、あの時クラスに居た人みんながわかっていた。
そのまた次の日も七瀬は学校に来なかった。そして同時に春風さんも、学校を休んだ。
授業中や休み時間も、劇をどうするかの不安がそこかしこから聞こえてきて、そのたびに春風さんは顔を歪めて、唇を噛んでいた。
「ぼくが、ぼくが階段を降りようとしてる春風さんに声をかけたりしたから……」
「それを言うなら、声をかけるよう促したぼくだって同罪だ。だから、おまえのせいなんかじゃない」
思いつめたような顔をしている大助の馬鹿げた考えを、ぼくは即座に否定した。それは別に気を遣ったわけではなく、単なる事実だった。
普通に考えて、代役を用意しておくべきだった。でもぼくにとって文化祭は大助と春風さんを近づけるためのイベントに過ぎず、そんなことはまったく頭になかったのだ。
これは誰のせいというわけじゃない。ましてや、被害者である春風さんのせいでもない。
そんなことは誰もがわかっているからこそ、みんなやり場のないやるせなさを抱えていた。
七瀬がガっと勢いよく立ち上がる音が、いつもより物静かな教室によく響いた。そして、七瀬はそのまま、春風さんの席まで歩いて行く。学校じゃあ話さないようにしていると言っていたくせに、なんのつもりだろうか。
「あんたさ、ぼーっとしてたって言ったでしょ?なんでぼーっとしてたわけ?」
七瀬の春風さんへと向けられたその声には、確かな怒りが感じられた。
「なんでぼーっとしてたわけ?」
あっけに取られた様子の春風さんに、七瀬は同じ言葉を投げかけた。
「それは、その……ていうかぼたん、学校じゃ話しかけないって」「質問の答えになってない」
七瀬の剣幕に、春風さんはしどろもどろだった。
「当ててあげようか?どうせ、自分は主役なんてやる資格なんてないのにとかアホみたいた理由で悩んでたんでしょ?だってあんた本当は「ぼたん、やめて」
「……女優、目指してないもんね」
「……え?」
七瀬のその言葉に、大助が間抜けな声をもらした。それを輪切りに、クラス中がざわざわと騒ぎ出す。
「なのに文化祭で劇やることになって。演劇部の活動をさせてあげたいって主役に選ばれて。みんなを騙してるのみたいで辛かったんでしょ?」
「やめて……」
春風さんは、そう訴えるだけで女優を目指してないということを否定しなかった。
「それで悩んで、ぼーっとして、挙句の果てにこの様?いろんな人に迷惑かけて。これじゃあ、劇を成功させようって練習してた奴らの気持ちはどうなんのよ」
「ぼたんにはわからないよ!家族が本当の夢を理解してくれない気持ちも、この怖さも!」
ついに言い返した春風さんの手が振りかぶられて、七瀬の側頭部あたりをペシンと叩いた。
音からして、たいした力はこもっていなかったと思う。きっと、当たりどころが悪かったのだろう。七瀬がいつもつけている学校用のウィッグが宙に舞い上がった。そして、二人の言い合いを見てどよめいていたクラスから、音が消えた。ウィッグの下から現れたのは、地肌だった。夏休み中に会ったシトラスさんと同じ。髪の一本も見当たらない、ツルツルとした肌色の頭皮。
「ぼ、ぼたん。ご、ごめ……」
ハッとした春風さんの顔から、さーっと血の気が引いていく。ごめんと続けたかったのだろうか。しかし、その言葉が彼女の口から発されることはなかった。
「ええ、わらんないけど、それがなに?あんただって、わたしの気持ちなんてわからないじゃない」
七瀬はウィッグを拾い上げると、春風さんの喉元でつっかえた言葉を待つことなく、荷物を持って教室を出て行った。
ふたりの喧嘩を見ていたクラスメイト達はみんな、呆然としていた。
特に小川さんは、あっけに取られて口をまん丸に開いたまま固まっていて、すぐには再起動しそうにない。
林さんが「大丈夫?」と、袖を引きながら、彼女の顔を下から覗き込む様に声をかけた。
「……大、丈夫。ちょっと、びっくりしただけだから」
と、なんとかそう答えていたが、明らかに大丈夫そうではない。
そしてこっちも、大丈夫そうではない。ぼくは大助の方を向く。案の定、手を目の前でひらひら振っても反応しないんじゃないかってくらいぽかんとしていた。
以前大助が、春風さんの夢を堂々と公言できるところに憧れたという話を思い出す。でも、それを今否定されたわけで……。この有様も、仕方ないことかもしれない。
その後、七瀬が体調不良で早退したと神楽坂先生から連絡がきた。でもそれが本当の理由ではないことを、あの時クラスに居た人みんながわかっていた。
そのまた次の日も七瀬は学校に来なかった。そして同時に春風さんも、学校を休んだ。
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