ドラゴン倒してお姫様と結婚する話

ジェロニモ

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ドラゴン倒してお姫様と結婚する話

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 ~冒険のはじまり~


『ガルド王国第三王女であるメル王女殿下がテュルス帝国へと向かう道中、ドラゴンの手によって連れ去られた。見事ドラゴンを打倒し、メル王女殿下を救い出してくれる勇士には報奨として金貨千枚を与え、メル王女殿下の婿として王族に迎え入れることを約束しよう』

 と、俺が見ている張り紙にはそのようなことが書かれているらしい

「ありがとう」と、字が読めない俺の代わりに張り紙の内容を読んでくれた小汚いガキに銅貨三枚を渡すと、ガキは出店の方へと走っていった。

 俺の名はアーデル。ど田舎の貧しい農家の三男だ。今年で十八歳になるが、どれだけ働いても良くならない生活に嫌気がさした俺は、都会で一旗あげて、家族に良い暮らしをさせるためついさっき王都へとやってきた。

 金貨千枚。それは俺ら農民が一生かけても稼ぐことのできない大金だ。よく村に来るぼったくり商人だってそんな大金を手に入ることなんてできないに違いない。

 よし、ドラゴンを倒そう。そして、金貨千枚で家を買って、家族で一生ぐーたら暮らそう。

 俺は家族が護身用にと持たせてくれたクワを握りしめ、そう決意した。



※           ※           ※

 ~ゴーレムと飲んだくれの鍛冶師~



 まず俺はドラゴンについて酒場で聞き込みをすることにした。

 すると、竜の根城への近道である鉱山を通るルートは、現在ゴーレムが道を塞いでいて使えないから、とてつもなく遠回りをする必要がある。ということを飲んだくれていた鍛冶師のおっさんが教えてくれた。

「ならゴーレムを倒せばいいじゃないか」と俺が言うと、鍛冶師のおっさんは「王国の騎士団が総掛かりでも倒せなかったんだ!倒せるもんなら倒してみな!」と酒臭い息を撒き散らした。

 言われた通りゴーレムを倒して、ゴーレムのことを教えてくれたおっさんの鍛冶屋へと「ゴーレム倒したぞ」と報告をする。ホラ吹きだと信じてくれなかったが、ゴーレムだったものが自壊した鉱石を見せると、親父さんは目の色を変えて驚いた。

 ゴーレムは硬かったが、額の、なにやら文字が書いてある部分を削ったらなぜか自壊した。寿命ってやつかもしれない。

 バラバラになったゴーレムの残骸はなにやらピカピカ光ってたので高く売れるかもと鍛冶屋のおっさんに見てもらったが、なんでも熱を通さない金属らしいことがわかった。

 噂に聞くドラゴンは火を吹くらしいので、「その鉱石でドラゴンのブレスを防げる防具を作ってくれ」と頼むとあっさりとOKされて、盾を作ってくれることになった。

 てっきり加工が難しい素材だと勝手に思っていただけに、「あんな硬かったのに加工なんてできるのか?」と尋ねると、

「ああ?ゴーレムは機能が停止して魔力が通わなくなると一気にもろくなるんだよ。だから加工は簡単だ。削って盾の形もすりゃあいいだけだからな。間違っても熱を防ぐ以外の用途でこの盾使うんじゃねえぞ?こんなもの使うくらいなら鍋でも構えたほうがまだマシだからな。熱以外には紙切れだと思え」

 とおっさんは教えてくれた。

 その脆さのせいで、用途が著しく限られるため貴重だがあんまり高くないらしい。とんだ期待はずれである。

「おめえ、ドラゴンを倒すんだろ。なら、並の武器じゃドラゴンの鱗にゃ歯が立たねえぞ」

 とおっさんが忠告してきたものの、「金がないから無理」と正直に伝えた。

「こっちはあのゴーレムが邪魔で鉱石がろくに掘れなくてな。商売あがったりだったんだよ。だからゴーレムを倒してくれたお礼にただで作ってやる。で、なんにする」

 こういうのは使い慣れたものの方がいいだろう。

 ゴーレムを倒したという武器としての実績もあるので、「じゃあクワで」と伝える。

「いいぜ。クワでドラゴンを倒すなんて、おもしれえじゃねえか!」

 と、おっさんはガハハハと大笑いした。

 先ほどおっさんの話を聞いてふと疑問に思い、「鉱石を他国から買い付けたりはできなかったのか」と聞いてみた。

「この王国は隣国に喧嘩を売りまくっててな。別の国から物を輸入することもできやしねえ。ふざけた話だぜ」

 おっさんはそう言って「ケッ」とツバを吐き捨てた。

「国のやつらは騎士のための剣やら鎧やら、戦のための武具ばかり作らせやがる。どうせまたどっかの国に攻め入ろうって考えてるだろうよ。他国から奪うより、まず内から豊かにしようとは考えられねえのかねえ。王族のクソ野郎どもめ」

「王族に対してそんなことを言って大丈夫なのか」と尋ねると、おっさんは「クソ野郎はクソ野郎だ!」と吠えた。

 王国に対して俺はなんの思い入れもない。むしろ重税で憎しみすらあるので、「そうなのか」と相槌をうつ。

 俺は「自分はそのクソ野郎の第三王女様を救いにいくんだが、それを手助けするような武器を作るのはいいのか」とおっさんに聞く。

「……メル王女殿下は平民の妾との間にできた子でな。よく城を抜け出しては城下町で遊んでたよ。俺も話したことがあるが、王族とは思えない思いやりのある優しい子だったよ。だから、絶対助けな」

「それにクワは武器じゃねえしな!」と、おっさんはバシンと力いっぱい俺の背中を叩く。

「おいおい、こんなおっさんに叩かれて悶えてるようじゃドラゴンなんぞ倒せねえぞ!」

 おっさんはまたガハハと笑った。

「クワは三日後には必ず仕上げてやる。だから三日後のちょうど今くらいに来な」と言われた。

 言われた通り3日後、そこにはなんだか吸い込まれるような輝きを放つ純白のクワがあった。

「ミスリルってやつだ。こいつは先祖代々家宝になってたもんでな。ギリギリクワが作れるくらいの分量があって助かったぜ。これならドラゴンにも通用するだろうよ」

 と、おっさんは軽い口調で言うが、俺だって知ってるぐらいミスリルは希少な金属だ。間違っても、タダでもらっていいような代物ではない。「こんな高価なものをタダで受け取るわけにはいかない。ゴーレムを倒しただけじゃ対価につり合ってない」と告げる。

「対価は釣り合ってるよ。ていっても、わかんねえのも無理はねえ。俺にはな、ルーキーの頃からうちの装備を使ってる、昔馴染みの冒険者がいてな」

「今にして思えば、親友ってやつだったんだろうな」と、おっさんはそう話し始めた。

「俺はゴーレムのせいで鉱石の流通が滞った時、鍛冶屋はもう引退しようと思ってたんだ。そしたらその冒険者が、鉱石なら俺が採ってきてやるよ!なんたって俺は日々魔物と戦う冒険者様だからな、楽勝だぜ!って、そう言って鉱山に潜ったっきり、結局帰ってこなかった」

「騎士団だって敵わなかった化け物だってのに、バカなやつだよ」と、おっさんは寂しそうに笑った。

「おまえは親友の仇をとってくれた。だからこれはそのお礼さ。ミスリル製のクワなんぞ誰も使わねえからな。おまえが使わなかったら倉庫に放り込むだけだぜ?」

 おっさんは、すべてをわかった上でこのクワを作ったのだ。これ以上ごねるのは無粋というものだろう。俺は「ありがとう」と一言だけ言い、そのクワを受け取った。

「ドラゴン、無理そうだったらとっとと逃げろよ」

 おっさんはそう言って俺を見送ってくれた。



※           ※         ※



 ~リッチと死霊の国の王子様~


 マルシェ王国。聖職者たちの集まる聖都として栄えたのも今は昔。かつてガルド王国に敗戦した際、マルシェ王国が最後のあがきとして唱えた死者を蘇らせる禁呪、ネクロマンスによって今では死靈達がうごめく、誰も近寄ろうとしない場所となっている。しかし俺は今そんな国を目指している。

 なぜかといえば、この国の国宝、天翔の靴を手に入れるためだ。空を翔けることのできるその魔道具が、空を翔ぶドラゴンとの戦いに必要不可欠だと俺は思ったのだ。

 天翔の靴。その国宝は強力な死霊達がうようよしているせいで誰も見つけられていないが、未だに、マルシェ王国のどこかに隠されたままだ、という噂を聞いてやってきた。

 俺はまずマルシェ王国にもっとも近い街の教会で、死靈対策に聖水を買おうとした。しかし聖職者に祝福された本物の聖水ってやつは、俺の想像していた10倍は高かった。今の手持ちじゃあ買えて一つというところだった。

 途方にくれていると、教会の神父さんらしき人が「どうしましたか?」と声をかけてきた。

 俺がマルシェ王国に行くつもりだが、聖水を買う金がないと話したところ、

「マルシェ王国ですか……。わかりました。わたしがなんとかしましょう。」

 と言って、神父さんは聖水をタダでくれた。聖水をくれる際、

「どうか、マルシェ王国を救ってくだされ」

 と神父様は頭を深々と下げてお願いしてきた。

 なにやら勘違いしているようだったので、「自分は天翔の靴を探しにいくだけで、国を救うつもりなんてない」と伝えたのだが、「いえいえ、それでも持っていってください」とニコニコしながら返そうとした聖杯を押し付けてきた。

 こういう人が聖人ってやつなんだと思った。

 神父さんに貰った聖水を持ち、俺はマルシェ王国へと旅立った。



※           ※         ※



 マルシェ王国の城下町の跡地、その廃墟となった建物内で俺は息を殺して死靈をやりすごしていた。

 天翔の靴がありそうな崩れた城に近づこうとするほど、死靈達は数を増した。ここまでくるのに貰った聖水も残りわずかとなっていた。

 引き返すか、このまま進むか。そう悩んでいる時、隠れている建物の2階からガサゴソと物音がした。ネズミなどの小動物ではなさそうだった。俺は聖水を構えながら階段を昇る。物音がした部屋を探索すると、ベットの下に身を隠しているガキを見つけた。

 名を尋ねると、「ぼくの名前はアルバード。アルバード・フォン・マルシェ。この国の王子だったものだ」と俺につままれて持ちあげられた情けない体勢でガキは偉そうに名乗りをあげた。まあ、王子だから偉いのか。

 アルバード王子は死霊となってしまった国民達を救うためこの国に来たらしい。まだ十代前半のガキにしか見えないのにご苦労なことだ。

「君はなぜこんな国に?」と聞かれたので。俺はお姫様を攫ったドラゴンを退治するため、天翔の靴を求めてガルド王国から来たと告げた。

「ガルド王国……?」

 ガルド王国の名前を出した途端、彼の雰囲気がガラリと変わった。

「帰れ!この略奪者め!」

 そして人が変わったかのように王子はそう怒鳴る。

 突然略奪者扱いされた俺は王子の尻をペンペンしてからなぜ怒ったのか理由を尋ねた。

「わ、わかった。答えるからもう叩くのはやめろっ」

 こちらの説得が通じたようなので、言われた通り床に下ろして話を促す。

「3年前、ガルド王国がマルシェ王国へと攻め入った」

「戦争なんてそんなもんだろう」と告げると、「違う!」と王子はまた声を荒げた。

「マルシェとガルドは不可侵条約を結んでいたのだ!しかしある日、ガルドからの大使を城で歓迎している時、大使が毒殺された。それを口実にガルドは不可侵条約を無効としマルシェへと攻め入り、兵のみならず、民までも虐殺した」

 そう語る王子の握りこぶしが、怒りのあまり震えていた。

「我々は、マルシェは誰もが平和を望んでいた。だからこそ、ガルドとの不可侵条約をみな喜んでいたのだ。あの毒殺は、ガルドの手による自作自演だ。……証拠はないが、そう信じている」

 ど田舎の農民に、そんな情報は入ってこなかった。俺は「戦争なんてそんなものだとか、知ったような口を聞いて悪かった」と謝罪した。

「わたしはガルドが憎い」

 王子は涙ぐんだ目で俺を睨んできた。

「……でも、悪いのは侵略を命じた王や虐殺を行った兵達だ。君に罪があるわけじゃない。ぼくも怒鳴って悪かった」

 と、彼の方も頭を下げた。

「さっき尻を叩かれているときに見たが、その腰に下げた聖水、ヨーゼフの作ったものだろう」

 誰だそれ?と俺は首をかしげた。王子が話すそのヨーゼフさんの特徴は、この聖水をくれた神父のものと合致していた。

 王子に聞くと、あのヨーゼフという神父は元々このマルシェ王国の司教様だったらしい。

 まさかそんな高名な聖職者だったとは。今度あの街に寄った時改てお礼を言おう。

 そのヨーゼフさんがこの聖水をタダでくれたと告げると、「そうか。ヨーゼフは君に託したんだな……」と、王子はなにやら思案するように目を閉じた。

「君に頼みたいことがある。もしぼくの望みを叶えてくれたなら、君が求めている天翔の靴の場所を教えよう」

 しばらく目を閉じていたと思ったら、そんな取引を提案してきた。彼はこの国の王子だ。天翔の靴の在り処を知っていても不思議はないだろう。

「わかった。おまえの望みを言ってくれ、王子様」と俺は取引に応じることにした。

「君にはかつてマルシェの宮廷魔道士でありながら禁呪によって国の民を死霊にし、今ではリッチへとその身を堕としてしまったルーカスを打ち倒してほしい」

「ルーカス?」と俺は尋ねる。

「ルーカスはネクロマンスを発動させた宮廷魔道士だ。彼を倒せば、ネクロマンスされた死靈達はあるべき姿に戻るだろう」

 なんと禁呪を発動させた魔導士はまだ生きているらしい。リッチになってしまったことを生きていると言うのならだが。

「彼は、愛国心ある優秀な魔道士だった。禁呪を使ったもの、虐殺された民を生き返らせたい、これ以上ガルドの連中にマルシェを汚されたくないという一心だったのだと思う」

「けれど、彼は禁呪の反動で魔物へと変わってしまった。人としての心など、もう無くなってしまっただろう。あるのは国を、城を守るという執着心だけだ」

 王子は悲しげに目を伏せた。

「城は、ガルド王国が攻め入ってきた時の争いで半壊してしまった。君も崩れた城を見ただろう?」

 俺は頷いた。

「ぼくが過ごしたあの美しかった城も、今ではもう見る影もない」

 在りし日の城でも思い浮かべているのだろうか。王子はどこか遠くを見るように目を細めた。

「守るものなどもうなにも無くなった今でも、ルーカスは城を守るという使命に取り憑かれている。彼を、呪縛から解き放ってくれ。そうすれば、ぼくは君に天翔の靴の在り処を教えよう」

「まかせておけ」と俺は胸を叩いた。

 しかしどうやってリッチなんて高位の魔物を倒したものかと頭を悩ませる。「まかせておけ」と格好つけておいて恥ずかしい話だが、リッチと戦う以前に、城にたどり着くまで聖水がもつかどうかもわからない。そう王子に相談した。

「君はなぜその……クワを使わないんだ?見たところ、その輝きはミスリル製なんだろう」

 王子は「すごい純度だな。これを作ったのはさぞ名のある名工に違いない」と感心するように唸った。同時に「だがなぜクワなんかをミスリルで……」と首かしげてもいた。

「聖水は直接死靈に浴びせるだけでなく、武器に振りかけることで一時的に武器に聖気を付与できる。ヨーゼフの聖水なら効果も絶大だろう」

 王子がなにを言いたいかよくわからなかったので、俺は「つまりどういうことだ?」と聴く。

「……ミスリル製のクワとヨーゼフの聖水。これらを合わせればリッチにも致命打を与えられることもできるかもしれない、ということだ」

 王子はなぜわからないんだとでも言いたげだった。それはもちろん俺がバカだからである。農民に学なんてあるはずがない。

 俺は城へと向かい、リッチ……元宮廷魔道士のヨーゼフと対峙した。

 リッチはなにやら黒い球みたいのを飛ばして攻撃きたが、クワを振り下ろすとかき消すことができた。

 道中、死霊たちを退治しているときにも感じたが、ミスリルと高位の聖職者の聖水は、死霊に対して思った以上に相性が良いらしい。

 もっと早く気づいていれば聖水も無駄にせずに済んだのに……。今度ヨーゼフさんにあったときに無駄遣いしてしまってごめんないさいと謝らなくては。

 俺はものすごいスピードで絶え間なく飛んでくる黒い球をクワでなんとか防ぎながら、ジリジリとリッチとの距離を詰めていく。そして、ついに俺のクワがリッチの骨を砕いた。

 リッチの骨が地面へと崩れ落ちる。

 気づくと、危ないから建物内に隠れていろと残してきたはずの王子が倒したリッチの側へといつのまにやら立っていた。

「安らかに眠れ、ルーカス」

 王子がそう呟くと、リッチの体が淡く光り出し、浄化されるように光の粒が浮かび上がる。それと同時に、王子の体も同じように淡く光りだした。そして、王子の体が宙へと浮き上がる。

「ありがとう。これで、この国の死霊は開放される」

 そう言って、王子は半透明な体で俺に微笑みかけた。

「おまえも……死靈だったのか」と俺はつぶやく。

 今にして思えば、死靈がうようよしている中、丸腰の子供があの建物までたった一人でたどり着いた、というのもおかしな話だった。

「騙してすまない。でも幽霊だなんてバレれば、すぐにそのミスリルのクワで葬られるんじゃないかと怖かったんだ。もっとも君はミスリルの力を知らないようだったから、その心配は杞憂のようだったけどね」

 と、王子は苦笑した。

「ガルド王国のやつなんて大嫌いだけど、君のことは結構好きだったよ。これは約束を果たし、ぼくたちを救ってくれた君への対価だ」

 彼の手には、羽根で装飾された一対の靴があった。約束の対価ということは、あれが天翔の靴なのだろう。在り処を知っていると言っていたが、最初から彼が持っていたらしい。

「一応、国宝なんだから、大事に使ってくれよ」

 そう言って、王子は靴をぼくに手渡した。

「ああ、そろそろみたいだ。やっと、静かに眠れるよ。ぼくも、みんなも。ありがとう。君はまだ、こっちに来ちゃダメだよ」

 最後にそう言い残すと、王子の体はどんどん透けていって、最後は淡い光の粒になって、空へと溶けていった。

 それに続くように、国のいたるところから淡い光の粒が浮かびあがり、空に舞い上がる。

 その日、死霊の王国から死霊はいなくなった。



 ※         ※          ※



 ~ドラゴンと囚われの姫~


「あちちちちちっ」

 マルシェ王国を発ってから約一ヶ月後。俺はついにドラゴンと相交えていた。ドラゴンの後方には高くそびえ立つ塔が見える。おそらくあそこに姫様がいるのだろう。もちろん生きていればの話ではあるが。

 ドラゴンの吐く灼熱のブレスが肌をチリチリと焼く。ドラゴンのブレスは鉄など容易に溶かしてしまうほどの高温だ。

 俺が今消し炭になっていないのは、左手に構えたゴーレムの残骸から作った石の盾のおかげだった。なんか重いし何度捨てようと思ったかわからないが、やはり持ってきて正解だった。

 盾としての性能はうんちだが、こと熱を防ぐという一点において、この石盾はどんな伝説の盾も凌駕する。

 ブレスを吐いたあと、ドラゴンに一瞬の隙が生じたのを俺は見逃さなかった。俺はすかさず駆け出す。

 ドラゴンキラー、と俺が勝手に命名したミスリル製のクワが、首元にあるドラゴンの弱点、逆鱗へとざっくりと突き立てられた。

 ドラゴンが鼓膜が破れそうなうめき声をあげる。しかし決定打にはならなかった。ドラゴンは翼をはためかせ、空へと浮き上がる。

「ここまできて逃がすか」と、俺は翔び立ったドラゴンを、空中を蹴って追う。

 天翔の靴。あのマルシェ王国の王子がくれた空中を翔けることのできる魔道具だ。やはりドラゴンの飛行対策をしておいて正解だった。

 ドラゴンの懐へともぐりこみ、俺はもう一度、さっき傷をつけたのと同じ場所にクワを振り下ろした。

 さきほどより力ない鳴き声とともに、力尽きたドラゴンが頭から真っ逆さまに落下していく。

 そしてドスンと地面に激突し、地震かと思うほどに大地を揺らした。

 俺はついに、ドラゴンを倒した。

「どんなに硬い土もたちどころに耕すことから耕しの匠と呼ばれた俺のクワ捌きを舐めるなよ!」

 俺はドラゴンを倒したら言おうと煮詰めていた決め台詞をここぞとばかりに叫んだ。


「なんだ。ガキじゃないか」というのが、俺が塔のてっぺんに閉じ込められたお姫様を見つけて放った第一声だった。

 出るべき場所は出てないし、実に平坦な体だ。これが俺の嫁になるらしい。

「これでも今年で十五歳になったわ」

 お姫様はむっとしたように自分はガキですと自己申告してきた。

「そうか。俺はドラゴンを倒して君の夫になる予定の者だ。おまえを国に連れ帰れば金貨千枚も手に入る。とっとと帰るぞお姫様」と、俺はお姫様へと手をのばす。

「嫌よ!わたしは城には戻らないわよ!」とダダをこねるお姫様を乱雑に肩にかつぐ。

 なにやら「やめなさい」とか「下ろしなさいこの無礼者!」とか言って背中を叩かれる感覚があったが、こんなガキの攻撃なんて効くわけもない。

「あなた、ガルド王国のやつらに騙されてるわよ!」
「なに?」と、お姫様のその言葉に足が止まった。俺はお姫様を地面に落ろし、話の続きを促す。

「夫と言ったわね。大方、ドラゴンを倒したものを私の夫として王族に招き入れるとでも言われたんでしょう」

 見てきたように言い当てる姫様に、俺はうなずく。正確にはそういった内容の張り紙を見ただけだが。

「なんでわかったかですって?あの腐った王族の考えることなんて手に取るようにわかるもの」

 お姫様は憎悪のこもった言葉を吐き捨てた。

 そういえば、鍛冶屋のおっさんがメル王女は平民の妾との間にできた子、と言っていたのを思い出す。彼女の立場は王族内であまり好ましくなかったのだろう。

「あの国の王にわたしに対する愛など一欠片もないわ。父上の目的は私を救うことではなく、ドラゴンの亡骸よ」

「ドラゴンの亡骸?」と俺はオウム返しする。

「ドラゴンの牙や爪、鱗は死後も強力な力を宿しているの。それらを元に作られる強力な武具、ドラゴンウェポン。それが手に入れば、ガルド王国はすぐさま他国を侵略するでしょうね。だから、ガルド王国にドラゴンを渡すわけにはいかないの」

「ならドラゴンの目をかいくぐり、姫様を連れて逃げ帰ったことにすればいい」と俺は提案する。

「あなたドラゴンスレイヤーの称号が欲しくないの?」

 お姫様はその提案に驚いているようだったが、俺が欲しいのは別にドラゴンを倒した称号じゃなくて金貨千枚なわけだし、なんの問題もない。

 張り紙自体は王女を救うということに焦点を当ててるようだったし、無下にはできないだろう。半額の金貨五百枚は固いだろうと当たりをつける。

「ありがとう。でもそれもできないのよ。わたしが国に戻れば暗殺されて、テュルス帝国との戦争の口実にされてしまうもの」

 暗殺に戦争という穏やかじゃない単語に俺は眉をひそめた。「どういうことだ」と問いただす。

「ガルド王国とテュルス帝国は昔から不可侵条約を結んでいるのよ。でもね、今のガルドの王族どもはそんな条約守る気がないの。だから常に帝国に攻め入る大義名分を作りたがってる」

 不可侵条約。なんだか似たような話をマルシェ王国の王子、アルバートからも聴いた。きな臭いったらありゃしない。

「わたしはこれでも一応王族なの。テュルス帝国に行ったわたしが、テュルス帝国側の仕業に見せかけて暗殺されたらどうなると思う?」

「大使毒殺を偽装され、侵略されたマルシェ王国のようになるのか?」と俺は逆に尋ねた。

 お姫様は警戒するように目を細めて俺を睨んだ。

「あなた、何者なの?確かにガルドの大使が毒殺されたのは、ガルド王国の自作自演よ。でもその情報は、ガルド王国の上層部でもごく一部の人間しか知らないはずよ」

 どうやらアルバート王子の見立ては合っていたらしい。

 俺は「マルシェ王国の生き残りに話を聴いた」と答えた。

「ああ、よかった。生き残りが、いたのね。」

 安堵したように大きく息を吐く。ぽとりと、彼女の頬を涙が伝い床へと落ちた。

「……わたしはマルシェの悲劇を止められなかった。でも、また同じことをさせるわけにはいかないの」

 お姫様は力強い瞳で俺を見つめた。

「わたしはどうにか帝国に入る前に馬車から逃げたわ。ドラゴンに攫われたのはその時よ。でも、次はどうなるかわからない。だから竜殺し、あなたの力を貸してくれない?」

 俺は頭を悩ませる。それはきっと金貨千枚をドブに捨てるということだから。

「悩んでくれるだけありがたいわね。だって私が死のうが帝国が侵略されようと、あなたには関係ないことだもの。でもあなたはわたしに協力した方がいいと思ってるわ」

「なぜだ?」と俺は尋ねた。

「まずドラゴン退治を報告した場合、間違いなくその力を戦争に利用されるわ。そして王族のやつらにドラゴンを倒すほどの力を危険視されれば、あなたは暗殺されるでしょうね」

「好きでもない男との結婚を嫌がったわたしが寝込みを襲ったって濡れ衣を着せるために結婚させられるのかもしれないわね」とお姫様は嘲笑した。

 俺はドラゴンを倒した。たぶん、ちょっとは強いんだろう。でも毒殺とか、寝込みを襲われるなんて方法をとられれば、俺はころっと死んでしまう

「腐ったやつらのことだもの。あなたの大切な人を人質にとる、くらいは平気でするわよ」

 王女の言葉に俺は家族のことを思い浮かべて、クワを握る手に力がこもった。

「ドラゴンから逃げ、わたしだけ連れ帰ったと報告した場合も、ドラゴンがわたしを奪い返しに王国に危機が及ぶかもしれないと、わたしを連れ帰ってきたあなたは罪に問われる可能性がある」

「それにわたしとの結婚が報奨になっているのは、ドラゴンを倒すほどの武力を国につなぎとめる意味も大きいと思うわ。その価値がないと判断されたらやっぱり暗殺されるでしょうね」

 もし彼女の言うことがすべて当たっているとしたら、ガルド王国の上層部の連中は本当にろくでもないようだ。

「脅すようなことを言ってごめんなさい。あなたがなにもされず、国に重宝されて一生生活できる可能性だって、ゼロじゃない。わたしの話を信じるかどうかはあなたが決めればいい。ただ、わたしから見た王族というのは、そういうことを平気でする連中だということだけは伝えたかったの」

 そう言って頭を下げてくるお姫様を見て、俺は、旅の道中で出会った人の話を思い出していた。ガルド王国がすぐ他国に喧嘩を売る国のせいで隣国から鉱石を輸入できずまともに商売ができないと恨み節を吐いていた鍛冶屋のおっさん。

 そして、平和を望んでいたのに、不可侵条約を結んでいたはずのガルド王国に、理不尽に国を蹂躙されたとガルド王国を憎んでいたマルシェ王国の王子アルバート。

 そして目の前のお姫様。俺にはどうしても彼女が嘘をついているようには見えなかった。

「俺はおまえの話を信じる。どうすればいい?」

 と、俺はガルド王国ではなく、お姫様側につくことにした。鍛冶屋のおっさんにメル王女殿下を必ず救えと言われて、俺は頷いてしまったわけだし、約束は守るべきだろう。

「信じてくれるのね。簡単な決断じゃなかっただろうに、こんなわたしの話を信じてくれてありがとう。これからどうすればいいかよね。実は、ドラゴンに囚われている間、考えていたことがあるの」

「とりあえず、あなたが倒したドラゴンのところまでわたしを連れて行ってくれる?」

 お姫様は上目遣いで手を伸ばしてきた。俺はそんな彼女をまた肩にかついだ。

「そうじゃない」「せめてお姫様だっこを!」とか背中で騒いでいたお姫様だが、階段を降りるのも面倒だと思い、ちょうど塔のてっぺんにあった窓から外へ飛び降りたら静かになった。

 俺は空中を蹴って、下へと降りていく。やっぱり飛び降りて正解だった。階段よりこっちの方が大分早い。途中、お姫様を担いだ方の肩に、なにやら生暖かい感触があったが、なんだろうか?

「ほらお姫様、これが倒したドラゴンだ。……お姫様?」

 まったく反応がないのを不審に思い確認すると、お姫様は白目をむいて気絶していた。気づけばお姫様のスカートと俺の上着がびしょ濡れになっていた。どうやら、塔から降りているときに感じた生暖かさはお姫様が失禁したときのものらしい。


 その後なぜか塔にあった大量な女服の中から、お姫様は地味なものを選んで着替えた。

 大量の服はすべてドラゴンがお姫様に着せるために集めてきたものらしい。

「ドラゴンは美しいものに執着すると言われているわ。金銀財宝はもちろんだけど、絵を集めるドラゴン、なんてのも記録に残ってるわ。このドラゴンにとって、その美しいもの、というのが私だったんでしょうね」

 と、お姫様は自画自賛していた。

 さすがに男物はなかったので俺は今半裸である。ズボンの方は無事だったことが不幸中の幸いだろう。

 お姫様は服を脱ぐ俺を見て「は、はしたない……」と顔を赤らめていたが、人の肩に担がれながら失禁する方がはしたないと思う。

「本当に、倒したのね……。実物を見ても信じられないわ。一体どうやって倒したの?」
「いや、こうクワでサクッと」

 お姫様は怪訝そうな顔で首をかしげた。

「よくわからなかったけど。まあいいわ。目立った損傷はなく、状態は良好みたいね……これなら、いけると思うわ」

 と、お姫様はなにやら頷いていた。

「わたしはね、テュルス帝国に亡命してこのドラゴンを渡そうと考えているの」

「テュルス帝国にいっても、ドラゴンだけ盗られて暗殺されるんじゃないか」と俺は不安を口にした。

「大丈夫。何度か赴いたことがあるし、皇帝陛下にもお会いしたけど、あそこは良い国よ。民を見れば、その国の支配者がどんな人間かはよくわかる。テュルス帝国の民は平民も貴族もみな別け隔てなく幸せそうだったわ。わたしの人を見る目、信じてみない?」

 息がかかるほどの至近距離まで近づいてきて、彼女は自分の瞳を見せつけてきた。

 確かに、その瞳にはなにかそういう特殊能力があるんだって言われてもおかしくないほど、綺麗な青色をしている。

 田畑を耕せば耕すだけ増える重税のせいで、どれだけ必死に働こうが農民の暮らしに幸せなんてない。いつ天災で作物がダメになるかと怯えながら過ごす貧しい日々。しかし、テュルス帝国では違うのだろうか。

「わたしたちでこのドラゴンの亡骸をテュルスに売るのよ。ドラゴンウェポンがあれば、ガルド王国もそう簡単に攻め入ることはできなくなるはず。金貨千枚が欲しいんでしょう?このドラゴンの価値は、そんなもんじゃないわよ」

「俺の望みは金貨それ自体ではなく、家族と安寧に暮らすことだ」と告げる。

「王女であり、皇帝にも顔の知れたわたしなら、条件の交渉だってできると思う。あなたが家族と平和に暮らせるよう、どうにか取り付けてみるわ。安心なさい。あなたはドラゴンを退治するなんて偉業を達成したのだもの。ちょっとした土地と家くらい交渉でもぎ取ってみせるわ」

 お姫様はふんすっと両拳を胸の前で握りしめた。



 ※         ※         ※

 

 ~冒険のおわり~

 結果的に、お姫様の人を見る目は間違ってなかった。

 皇帝に会ったお姫様は、まずガルド王国が自分を利用して不可侵条約を破ろうとしていた計画について話した。

 そして自分はなんとか帝国につく前に逃げることができたのでとりあえずの計画は阻止できた。しかしこれからもガルド王国はテュルス帝国に攻め入ろうとするだろうから、ドラゴンウェポンを抑止力とすることで争いを防いでほしいと話すと、皇帝は、「おお、ではお前たちは我が国の恩人ではないか!苦労してここまで危険を知らせに来てくれたのだな。それもドラゴンまで手土産にして!……叶えられる範囲で望みを叶えよう。なんでも言ってくれ!」と目尻に涙を浮かべながら、なんて太っ腹なことを言い出したのだ。

 その後お姫様は俺の身の上話をさも英雄譚のように語ってみせた。

 お姫様の語る物語の中で、俺はなぜか幼少期に城を抜け出したお姫様と恋に落ち、将来を誓い合ったことにされていた。

 ドラゴンを倒したのもお姫様と結ばれるためだったが、姫様から卑劣なガルド王国の上層部のことを知った俺は、「ともに逃げよう!」と強引にテュルス帝国へと彼女を引っ張ってきたらしい。

 お姫様の壮大な作り話に皇帝はボロ泣きである。皇帝だけでなく隣に座っている奥さんやその子供もハンカチを目に当てていたし、周りからも鼻をすする音や嗚咽が聴こえてきた。

 この国のお偉いさん達、騙されやすそうだけど大丈夫なんだろうかと俺は不安になった。

 お姫様はうつむいて、すぐ隣に居た俺にしかわからないようにニヤリとあくどい笑みを浮かべた。

 そして俺への宣言どおり、俺はドラゴンを倒しその素材により国に多大な貢献をしたとし、報奨金として金貨千枚と、領地を与えられた。ついでに爵位までもらった。

 領地なんて大それたものじゃなくて、家族と一緒に暮らせる土地と家、そして不自由ない金があればよかったのだが……まあいいか。

 お姫様の方は、本当になにも望まなかった。強いて言うなら、王女としての身分を捨てるので帝国への亡命を許してほしいと、ただそれだけしか。

「本当にそれだけでいいのか?」となにやら皇帝のほうが不満そうなのはなぜだろうか。

 お姫様がなにかないの?というように俺のほうを見てきた。といっても、もう十分すぎるほど貰ったしなあと頭を捻ってると、ふと自分の履いている天翔の靴が目にとまった。ついでに、マルシェ王国の生き残りの話に涙を流したお姫様の顔を思い出す。

 そして俺は皇帝に、できる限り丁寧な言葉を使って願いを告げた。



 ※         ※          ※



 ~竜殺しの英雄と元姫君~


 俺の願いは、「マルシェ王国の復興を手伝ってほしい」だった。最初は死霊を倒した、という俺の話を疑っていた皇帝だが、実際に確認してきた兵の話を聴いてからは話が早かった。

 今はマルシェの元司教であるヨーゼフさんの主導のもと、ガルド王国との戦争で亡くなり、死霊となってしまったものたちの墓地を作っている。墓石には、元国民たちによってわかるかぎりの死者の名が刻まれた。そこにはもちろんアルバート王子や、元宮廷魔道士、ルーカスのものもある。

 噂を各地で噂を聞きつけてきた大勢の元マルシェ国民が墓参りに足を運び、大多数がそのままマルシェに残り、復興を手伝ってくれている。

 元ガルド王国第三王女、メルがその光景を見て声を出して泣いていたのが印象に残っている。

 この様子をアルバート王子もどこかから見ているといいなと、俺は空を見上げてそんなことを思った。

 ガルド王国との戦争の話はどうなったかといえば、竜の部位を素材としたドラゴンウェポンは強力無比で、「これならガルド王国が攻め込んできてもなんなく追い返せると思うわ」と、メルはほっとしていた。

 俺も本性を隠していた皇帝が「フハハハハハ、この力で他国に侵略だ!」とか言い出さなかったことに、ひそかに胸をなでおろした。

 そうそう。ドラゴンウェポンといえば、俺にゴーレムの石盾とミスリル製のクワを作ってくれた鍛冶師のおっさんも今テュルス帝国にいる。

 家族を迎えに一度ガルド王国に帰った際、皇帝がドラゴンウェポンを作成できるような優秀な鍛冶師の手が足りていない、と嘆いていたのを思い出して誘ってみたら、あっさりついてきた。なんでもガルド王国の上のやつらにはうんざりしていたらしいことに加え、彼が慕っていた元お姫様のメルが帝国にいる、ということも後押しになったようだ。

 皇帝には「とんでもない鍛冶師をガルド王国から引き抜いてくれた!」と感謝された。

 今は俺がもらった領地で鍛冶屋を開いて、包丁などの調理器具や農工具を作ってそのメンテナンスを行っている。ドラゴンウェポンを作ったあとは、武具は弟子たちに任せたとのことらしい。

「あなた。ちょっとは仕事しなさいよ。領地を見て回るだけでもいいから!」

 メルがノックもせず、俺の部屋にズカズカと踏み込んできた。

 そういえば、俺はメルと結婚した。

 メルが「あんな恥ずかしい姿を殿方に見られたとあっては、もうほかにはお嫁にいけないから責任を取って」とわけのわからないことを言い出したのがきっかけだ。最初は俺も何言ってるんだこいつと鼻で笑っていたのだが、まさか俺の家族を全員味方につけてくるとは……。

 結婚してから二年、メルはどんどん女として磨きがかかった。それにテキパキ俺の代わりに領主としての仕事もこなしてくれるし、料理もうまい。元王女様だなんて思えないくらい話も合うし、俺の家族との仲も良好だ。なんなら俺より仲が良さそうに見える。

 今ではこんな嫁さんをもらって幸せものだと俺は思っている。


 噂だと、俺の嫁はガルド王国だとドラゴンによって魂を汚された裏切りの姫君、なんて言われているらしい。

 魂が汚れているというのは合ってると思う。この元姫君はなかなかに性格が悪かった。口を開けばやれ仕事をしろだの、わたしにばかり仕事を押し付けて恥ずかしくないのかなどとうるさいのだ。

 今日もガミガミ言われたので、言われた通り領地をテキトーに回ってくることにした。異常がないかの巡回と銘打っての、領民との世間話である。そういえば、父親が風邪で寝込んでいる農家があった。そこの農作業の手伝いをしてから、帰りに釣りでもしてこよう。

 そう決めて、俺は青空の下、あくびと共にぐぐっと伸びをした。



 ※        ※        ※     



 ガルド王国において、メル姫は確かに裏切りの姫として語り継がれる。しかし、帝国に残る彼女の物語はそれとはまったく異なっている。

 帝国において彼女の物語は、姫のためにたった一人でドラゴンを倒した一人の平民と、彼と共になるために王族としての称号を捨てた王女の駆け落ち恋愛物語として残っている。

 その物語は特に城下の女性達の間で人気を博し、本や劇へと形を変え、後世まで語り継がれていくこととなる。
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花雨
2021.08.13 花雨

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