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第二部 終 章 再び神々の集い
剣の完成
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冥界は、日の御子が手にした王冠によって照らされても、なお暗かった。
デリムは天界に戻ったその足で、日の御子にソリス王の王冠を返し、日の御子はその足で死の神を訪ねた。
死の神は住いの中でも闇色のマントを頭から被ったままであったが、日の御子は咎め立てしなかった。死の神も、日の御子が小卓に置いた王冠について問い質さなかった。二柱の神は向き合ったまま、沈黙した。
「天帝が、お子を産まれた」
口火を切ったのは日の御子であった。
「おめでとうございます」
感情の篭らない声で、死の神が応答する。日の御子は、椅子の中で身じろぎした。
「マリグヌスと言う。私にとてもよく似ている。私と天帝の子かもしれぬ」
「天帝は万物の生みの親だ。新たな生命を作るに、二親を必要としない。人間のようにお子を産んでみたいと思われただけなのだろう」
死の神の声に、温かみが混じった。日の御子は、ふと力を抜いた。そこで初めて、死の神がマントを被ったままなのに気付いた。席を立ち近付くと、死の神は逃げるように腰を浮かした。
「私の前で姿を隠すことはあるまい」
やすやすと死の神を押さえ、闇色のマントを剥いだ日の御子は、驚愕して立ち尽くした。
死の神の顔は露にならなかった。上半分が、銀色の仮面で覆われていた。全面に、精巧な装飾が施してある。
日の御子は死の神の目を覗き込む。瞳は見ることができる。しかし、その色はどうしてもわからなかった。仮面を彩る装飾には、模様に紛れ細かい文字が刻まれていた。
「仮面の下の顔を見た者には、死を。天帝か」
死の神は頷き、落ちたマントを拾い上げた。仮面に隠れた青白い顔は、以前より一層無表情に見えた。
「私が貴公に近付き過ぎたようだ」
「ディリメーア」
日の御子は死の神を引き寄せた。銀の仮面が日の御子の頬に固く当たる。日の御子は抱き締める腕に力を篭めた。
「どうか気になさらないように。さして不便は感じぬゆえ。セルウァ?」
両腕に絡め取られた死の神が、落ち着きなくみじろぎする。日の御子は腕の力を緩めず、唇を長い間重ねてから漸く死の神を離した。ふらふらと死の神が椅子に沈む。
「そのような振る舞いが、天帝のお気に召さないのだ」
「もう神々の方法で愛を示すことができないのだ。咎められる所以はない。人間の技法を研究したのは正解だった」
賛同しかねるという風に頭を振る死の神の手が触れ、椅子に立てかけてあった剣が床に倒れた。日の御子が、剣を手に取った。
幅広の長剣は立派な鞘を纏っていた。布を巻き付けた柄が、やけにみずぼらしく見える。目顔に応え、死の神が説明した。
「メミニ殿が、私の名を推測し命令に従わせようとしたため、斬り捨てた。天帝は、私がむやみに剣を使わないよう、鞘を作られた」
「では、私も協力して天帝の仕事を完成させよう」
日の御子は片手に剣を持ったまま、ソリス王の王冠を取り上げ、剣の柄に被せた。王冠が光に包まれた。光が消えた時には、王冠も消えていた。
みずぼらしい柄も消えた。透き通った内側から七色の光を発する巨大な宝玉が、葡萄の葉をモチーフにした金色の台座に包まれて柄頭に納まっていた。
柄には金線がきっちりと巻きつき、鍔にも金線にも、細かい連続模様が彫り込まれていた。死の神は、日の御子が差し出す剣を、恭しく受け取った。日の御子は、元の魅惑的な微笑を取り戻していた。
天帝の玉座がある広間に、神々が集っていた。
新しく誕生した天帝の子、マリグヌスのお披露目のためである。お祝いの奏上後、神々同士で語り合うのは常のことである。
三柱の美しい女神たちの争いは既に知れ渡り、その人界における結末は曖昧ながら、愛の神が勝利したらしい、というのが衆目の一致したところであった。
「もう男神なんて、信用しないわ」
星の神々を相手にぷりぷりするのは、レグナエラを応援した月の神である。武芸の神が邪魔立てしなければ、レグナエラの王族が王冠を保持できた、と主張しているのだ。星の三姉妹も月の神に同情していた。
「あたしもそう思いますわ、ルヌーラさま。デリムさまはご自分で王冠を取るつもりでしたのね。卑怯ですわ。ねえ、姉さま」
「そうよ。アエグロートさまも余りお役に立てませんでしたし、あたくしたちも男神の方々は心よく思いませんのよ」
「そうね、アストルミ姉さま。デリムさまは罰を受けられて反省しておられますわ。ステラは天帝の偉大さを改めて感じますわ。ねえ、アステリス姉さま」
星の神々の言う通り、武芸の神は広間に姿がなかった。代りに、見慣れぬ神の姿があった。
顔の上半分を精巧な模様が刻まれた銀の仮面で覆い、漆黒の髪を他の神々のようにきちんと結い上げず、適当に後ろへ流して紐で結んでいる。
透き通るような青白い肌の持ち主は、体を覆う闇色のマントと、その間から垣間見える剣の鞘によって、名乗らずとも正体が知れていた。
死の神は、隅の柱に寄りかかって広間を眺めていた。他の神々も、距離を保ったまま、その姿はしっかり記憶に留めていた。
「あれが死の神か。案外細いな。とても、女神には追い回されそうにない」
「あの剣を見よ。メミニ殿はあれで成敗されたそうだ」
「デリム殿が謹慎で済まされたのは、よほど天帝のご機嫌が麗しくあられたのだろう。いずれもどのような罪を得たのか知らぬが、運不運の分かれ目は僅かな差だ」
愛の神は、女神たちの争いに勝ったと目され、常にも増して多くの男神に取り囲まれていた。
太陽の神と学問の神も、取り巻きの一員であったが、太陽の神の表情は冴えない。
学問の神が、男神の輪から連れ出し囁く。
「貴公が進んで協力したのだから、今更後悔しても遅いだろう」
「それを言われると辛いのだよ、ドクトリス」
太陽の神は学問の神の言葉で、更に落ち込んだようであった。
「ソラリアス、こう考えればよい。この勝負に勝利したとて、イウィディア殿が必ずしも日の御子の妻になる訳ではない。日の御子のご意向は明らかでないのだ」
「そうだ。肝心なことを忘れていたよ。ありがとう、ドクトリス」
たちまち太陽の神は晴れ晴れとした。黄金の髪も、明るい表情を引き立てるように輝いた。見守る学問の神も嬉しそうである。
二柱の神は連れ立って愛の神の元へ戻って行った。愛の神は相変わらず豊満な体つきを強調するような衣装と身のこなしで、取り巻く男神に応対していた。
「イウィディア殿、この度の勝負、聞きましたぞ。愛の神の美しさには、他の女神たちも敵いませぬな」
「おほほほ。くじ運がついていただけのことですわ、メリディオンを引き当てて」
「やはり美しい女神が、日の御子の妻に相応しいということですね」
「いやですわ、ご冗談を。日の御子のお気持ちを無視して、妻にだなんて大胆なことは申せませぬ。あら、私、天帝へお祝いを申し上げないと」
イウィディアは天帝の方へ移動した。広間の奥に設えた玉座にある天帝は、両側に日の御子とマリグヌスを従え上機嫌であった。
マリグヌスは、日の御子から贈られた深紅の上衣を纏い、艶やかな黄金の髪を前髪だけわざと残してきちんと結い上げている。
日の御子は、白地に金糸刺繍を施した上衣を身に纏っていた。いずれ劣らぬ美貌の神が天帝を間に並び立つところは、もはや芸術であった。
イウィディアが進む先に、幅広の影が立ち塞がった。家庭の神ドミナエであった。
「まあ、ドミナエ様、この度はご協力いただきまして、ありがとうございました。早々にお礼に伺うべきところを、遅れましてかような場所で申し上げることになり、礼を欠きましたことをお許しください」
「あら、言葉遣いが上達したのね。協力した甲斐があるというものだわ。おめでとう」
ずけずけと言うドミナエの言葉に愛の神は恥ずかしげに俯いたが、幸い周囲に聞き耳を立てる者はいなかった。家庭の神は、辺りを見回してから、顔を近付け声を落とした。
「ルスティケがウェナトリスの求愛を受け入れたそうよ」
「まあ、初耳ですわ」
愛の神から自然と笑みが零れた。
「負けを認めたくないのだと思うわ。か弱そうに見せて、したたかな女神だね。私はあなたに味方する」
ドミナエは言いたいだけ言うと、他の神々の方へ去った。
家庭の神が噂した農業の神と狩猟の神は、まさに天帝の前に並び立っていた。マリグヌス誕生のお祝いを口々に述べた後、躊躇いがちに狩猟の神が話を切り出した。
「この度お招きいただきましたよい折に、お許しをいただきたい議がございます」
「どうぞお話しください」
と続きを促したのは、天帝ではなく日の御子である。温かい微笑みに励まされ、狩猟の神は慎重に口を開いた。
「先般式を挙げました、航海の神ナウィゴールと漁業の神ピスカトールに倣い、私ウェナトリスと、この農業の神ルスティケは婚礼を行いたいのですが、天帝におかれましてはお許しいただけましょうか」
天帝の目を覗きかけ、ウェナトリスは虚無の深淵を見たように慌てて顔を俯けた。ルスティケは話の始めからしおらしく俯いたままで、天帝はおろか日の御子の方を見ようともしない。
日の御子は話を聞き、寛容な笑みを浮かべ天帝の瞳を見た。天帝が日の御子に向かって軽く頷きかけると、日の御子は天帝に代って返答をした。
「農業と狩猟の結びつきは、人界においても天界においてもめでたいことである。挙式して晴れて夫婦となるがよい、とのことです。おめでとうございます」
はっ、とルスティケが顔を上げた。一瞬、農業の神の瞳は日の御子の上に注がれたが、留まることなく天帝に流れ、自然な態度で天帝に礼を述べた。
狩猟の神は傍目にもわかるほど浮き浮きと、農業の神の手を引くようにして天帝の前から下がった。神々が下がるのを待ちかねたように、天帝が口を利いた。
「あれはそなたの妻たらんとして、争うていた筈だが。セルウァトレクス、他の神に渡してよいのか」
「はい。私はしばらく妻帯しないつもりでおります」
お祝いを述べようと近付いていたイウィディアにも、この問答は聞こえた。
愛の神は内心の落胆をなるべく顔に出さないよう努めながら、天帝にマリグヌス誕生の祝いを奏上した。
日の御子から告げられる答礼を聞きながら、イウィディアはふとマリグヌスに目を移した。輝かしい黄金の髪に、金糸刺繍を施した深紅の上衣が華を添えている。
吸い込まれそうなほど澄んだ濃青の瞳が、愛の神を圧倒した。
「よろしく。麗しい愛の女神様」
「こちらこそ、よろしくお見知りおき願いますわ」
天帝の前から下がる愛の神には、憂いの陰など微塵もなかった。奏上する神々の列が途切れた。天帝は、マリグヌスに顔を向けた。
「そなた、イウィディアを捉えたな」
美しいマリグヌスは、微笑みを浮かべ、より美しさを増した。天帝に笑いかけ、日の御子に視線を移す。
「どうでしょう。セルウァトレクス?」
「貴公の美しさに酔わぬ女神はおらぬだろう」
淡々と日の御子は答えた。マリグヌスの微笑が濃くなった。
天帝に近付く神々は、微笑を浮かべる美しいマリグヌスの姿に、女神ならずともつい見惚れるのであった。
終わり
デリムは天界に戻ったその足で、日の御子にソリス王の王冠を返し、日の御子はその足で死の神を訪ねた。
死の神は住いの中でも闇色のマントを頭から被ったままであったが、日の御子は咎め立てしなかった。死の神も、日の御子が小卓に置いた王冠について問い質さなかった。二柱の神は向き合ったまま、沈黙した。
「天帝が、お子を産まれた」
口火を切ったのは日の御子であった。
「おめでとうございます」
感情の篭らない声で、死の神が応答する。日の御子は、椅子の中で身じろぎした。
「マリグヌスと言う。私にとてもよく似ている。私と天帝の子かもしれぬ」
「天帝は万物の生みの親だ。新たな生命を作るに、二親を必要としない。人間のようにお子を産んでみたいと思われただけなのだろう」
死の神の声に、温かみが混じった。日の御子は、ふと力を抜いた。そこで初めて、死の神がマントを被ったままなのに気付いた。席を立ち近付くと、死の神は逃げるように腰を浮かした。
「私の前で姿を隠すことはあるまい」
やすやすと死の神を押さえ、闇色のマントを剥いだ日の御子は、驚愕して立ち尽くした。
死の神の顔は露にならなかった。上半分が、銀色の仮面で覆われていた。全面に、精巧な装飾が施してある。
日の御子は死の神の目を覗き込む。瞳は見ることができる。しかし、その色はどうしてもわからなかった。仮面を彩る装飾には、模様に紛れ細かい文字が刻まれていた。
「仮面の下の顔を見た者には、死を。天帝か」
死の神は頷き、落ちたマントを拾い上げた。仮面に隠れた青白い顔は、以前より一層無表情に見えた。
「私が貴公に近付き過ぎたようだ」
「ディリメーア」
日の御子は死の神を引き寄せた。銀の仮面が日の御子の頬に固く当たる。日の御子は抱き締める腕に力を篭めた。
「どうか気になさらないように。さして不便は感じぬゆえ。セルウァ?」
両腕に絡め取られた死の神が、落ち着きなくみじろぎする。日の御子は腕の力を緩めず、唇を長い間重ねてから漸く死の神を離した。ふらふらと死の神が椅子に沈む。
「そのような振る舞いが、天帝のお気に召さないのだ」
「もう神々の方法で愛を示すことができないのだ。咎められる所以はない。人間の技法を研究したのは正解だった」
賛同しかねるという風に頭を振る死の神の手が触れ、椅子に立てかけてあった剣が床に倒れた。日の御子が、剣を手に取った。
幅広の長剣は立派な鞘を纏っていた。布を巻き付けた柄が、やけにみずぼらしく見える。目顔に応え、死の神が説明した。
「メミニ殿が、私の名を推測し命令に従わせようとしたため、斬り捨てた。天帝は、私がむやみに剣を使わないよう、鞘を作られた」
「では、私も協力して天帝の仕事を完成させよう」
日の御子は片手に剣を持ったまま、ソリス王の王冠を取り上げ、剣の柄に被せた。王冠が光に包まれた。光が消えた時には、王冠も消えていた。
みずぼらしい柄も消えた。透き通った内側から七色の光を発する巨大な宝玉が、葡萄の葉をモチーフにした金色の台座に包まれて柄頭に納まっていた。
柄には金線がきっちりと巻きつき、鍔にも金線にも、細かい連続模様が彫り込まれていた。死の神は、日の御子が差し出す剣を、恭しく受け取った。日の御子は、元の魅惑的な微笑を取り戻していた。
天帝の玉座がある広間に、神々が集っていた。
新しく誕生した天帝の子、マリグヌスのお披露目のためである。お祝いの奏上後、神々同士で語り合うのは常のことである。
三柱の美しい女神たちの争いは既に知れ渡り、その人界における結末は曖昧ながら、愛の神が勝利したらしい、というのが衆目の一致したところであった。
「もう男神なんて、信用しないわ」
星の神々を相手にぷりぷりするのは、レグナエラを応援した月の神である。武芸の神が邪魔立てしなければ、レグナエラの王族が王冠を保持できた、と主張しているのだ。星の三姉妹も月の神に同情していた。
「あたしもそう思いますわ、ルヌーラさま。デリムさまはご自分で王冠を取るつもりでしたのね。卑怯ですわ。ねえ、姉さま」
「そうよ。アエグロートさまも余りお役に立てませんでしたし、あたくしたちも男神の方々は心よく思いませんのよ」
「そうね、アストルミ姉さま。デリムさまは罰を受けられて反省しておられますわ。ステラは天帝の偉大さを改めて感じますわ。ねえ、アステリス姉さま」
星の神々の言う通り、武芸の神は広間に姿がなかった。代りに、見慣れぬ神の姿があった。
顔の上半分を精巧な模様が刻まれた銀の仮面で覆い、漆黒の髪を他の神々のようにきちんと結い上げず、適当に後ろへ流して紐で結んでいる。
透き通るような青白い肌の持ち主は、体を覆う闇色のマントと、その間から垣間見える剣の鞘によって、名乗らずとも正体が知れていた。
死の神は、隅の柱に寄りかかって広間を眺めていた。他の神々も、距離を保ったまま、その姿はしっかり記憶に留めていた。
「あれが死の神か。案外細いな。とても、女神には追い回されそうにない」
「あの剣を見よ。メミニ殿はあれで成敗されたそうだ」
「デリム殿が謹慎で済まされたのは、よほど天帝のご機嫌が麗しくあられたのだろう。いずれもどのような罪を得たのか知らぬが、運不運の分かれ目は僅かな差だ」
愛の神は、女神たちの争いに勝ったと目され、常にも増して多くの男神に取り囲まれていた。
太陽の神と学問の神も、取り巻きの一員であったが、太陽の神の表情は冴えない。
学問の神が、男神の輪から連れ出し囁く。
「貴公が進んで協力したのだから、今更後悔しても遅いだろう」
「それを言われると辛いのだよ、ドクトリス」
太陽の神は学問の神の言葉で、更に落ち込んだようであった。
「ソラリアス、こう考えればよい。この勝負に勝利したとて、イウィディア殿が必ずしも日の御子の妻になる訳ではない。日の御子のご意向は明らかでないのだ」
「そうだ。肝心なことを忘れていたよ。ありがとう、ドクトリス」
たちまち太陽の神は晴れ晴れとした。黄金の髪も、明るい表情を引き立てるように輝いた。見守る学問の神も嬉しそうである。
二柱の神は連れ立って愛の神の元へ戻って行った。愛の神は相変わらず豊満な体つきを強調するような衣装と身のこなしで、取り巻く男神に応対していた。
「イウィディア殿、この度の勝負、聞きましたぞ。愛の神の美しさには、他の女神たちも敵いませぬな」
「おほほほ。くじ運がついていただけのことですわ、メリディオンを引き当てて」
「やはり美しい女神が、日の御子の妻に相応しいということですね」
「いやですわ、ご冗談を。日の御子のお気持ちを無視して、妻にだなんて大胆なことは申せませぬ。あら、私、天帝へお祝いを申し上げないと」
イウィディアは天帝の方へ移動した。広間の奥に設えた玉座にある天帝は、両側に日の御子とマリグヌスを従え上機嫌であった。
マリグヌスは、日の御子から贈られた深紅の上衣を纏い、艶やかな黄金の髪を前髪だけわざと残してきちんと結い上げている。
日の御子は、白地に金糸刺繍を施した上衣を身に纏っていた。いずれ劣らぬ美貌の神が天帝を間に並び立つところは、もはや芸術であった。
イウィディアが進む先に、幅広の影が立ち塞がった。家庭の神ドミナエであった。
「まあ、ドミナエ様、この度はご協力いただきまして、ありがとうございました。早々にお礼に伺うべきところを、遅れましてかような場所で申し上げることになり、礼を欠きましたことをお許しください」
「あら、言葉遣いが上達したのね。協力した甲斐があるというものだわ。おめでとう」
ずけずけと言うドミナエの言葉に愛の神は恥ずかしげに俯いたが、幸い周囲に聞き耳を立てる者はいなかった。家庭の神は、辺りを見回してから、顔を近付け声を落とした。
「ルスティケがウェナトリスの求愛を受け入れたそうよ」
「まあ、初耳ですわ」
愛の神から自然と笑みが零れた。
「負けを認めたくないのだと思うわ。か弱そうに見せて、したたかな女神だね。私はあなたに味方する」
ドミナエは言いたいだけ言うと、他の神々の方へ去った。
家庭の神が噂した農業の神と狩猟の神は、まさに天帝の前に並び立っていた。マリグヌス誕生のお祝いを口々に述べた後、躊躇いがちに狩猟の神が話を切り出した。
「この度お招きいただきましたよい折に、お許しをいただきたい議がございます」
「どうぞお話しください」
と続きを促したのは、天帝ではなく日の御子である。温かい微笑みに励まされ、狩猟の神は慎重に口を開いた。
「先般式を挙げました、航海の神ナウィゴールと漁業の神ピスカトールに倣い、私ウェナトリスと、この農業の神ルスティケは婚礼を行いたいのですが、天帝におかれましてはお許しいただけましょうか」
天帝の目を覗きかけ、ウェナトリスは虚無の深淵を見たように慌てて顔を俯けた。ルスティケは話の始めからしおらしく俯いたままで、天帝はおろか日の御子の方を見ようともしない。
日の御子は話を聞き、寛容な笑みを浮かべ天帝の瞳を見た。天帝が日の御子に向かって軽く頷きかけると、日の御子は天帝に代って返答をした。
「農業と狩猟の結びつきは、人界においても天界においてもめでたいことである。挙式して晴れて夫婦となるがよい、とのことです。おめでとうございます」
はっ、とルスティケが顔を上げた。一瞬、農業の神の瞳は日の御子の上に注がれたが、留まることなく天帝に流れ、自然な態度で天帝に礼を述べた。
狩猟の神は傍目にもわかるほど浮き浮きと、農業の神の手を引くようにして天帝の前から下がった。神々が下がるのを待ちかねたように、天帝が口を利いた。
「あれはそなたの妻たらんとして、争うていた筈だが。セルウァトレクス、他の神に渡してよいのか」
「はい。私はしばらく妻帯しないつもりでおります」
お祝いを述べようと近付いていたイウィディアにも、この問答は聞こえた。
愛の神は内心の落胆をなるべく顔に出さないよう努めながら、天帝にマリグヌス誕生の祝いを奏上した。
日の御子から告げられる答礼を聞きながら、イウィディアはふとマリグヌスに目を移した。輝かしい黄金の髪に、金糸刺繍を施した深紅の上衣が華を添えている。
吸い込まれそうなほど澄んだ濃青の瞳が、愛の神を圧倒した。
「よろしく。麗しい愛の女神様」
「こちらこそ、よろしくお見知りおき願いますわ」
天帝の前から下がる愛の神には、憂いの陰など微塵もなかった。奏上する神々の列が途切れた。天帝は、マリグヌスに顔を向けた。
「そなた、イウィディアを捉えたな」
美しいマリグヌスは、微笑みを浮かべ、より美しさを増した。天帝に笑いかけ、日の御子に視線を移す。
「どうでしょう。セルウァトレクス?」
「貴公の美しさに酔わぬ女神はおらぬだろう」
淡々と日の御子は答えた。マリグヌスの微笑が濃くなった。
天帝に近付く神々は、微笑を浮かべる美しいマリグヌスの姿に、女神ならずともつい見惚れるのであった。
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10歳のグランは家族の見守る中でスキル鑑定を行った。グランのスキルは【草】。草一本だけを生やすスキルに親は失望しグランの為だと言ってグランを捨てた。
親を恨んだグランはどこにもぶつける事の出来ない気持ちを全て自分のスキルにぶつけた。
同時刻、グランを捨てた家族の居る王都では『謎の笑い声』が響き渡った。その笑い声に人々は恐怖し、グランを捨てた家族は……──
※確認していないので二番煎じだったらごめんなさい。急に思いついたので書きました!
※「妻」に対する暴言があります。嫌な方は御注意下さい※
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げています。
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