神殺しの剣

在江

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第二部 第三章 首都レグナエラ

13 予期せぬ再会

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 ずどん。

 「こんな時に、落雷かよ」

 エウドクシスは、城の裏手に回ってはた、と足を止めた。三人の人間が倒れている。レグナエラ兵と、洗濯女二人。
 その間に、見覚えのある姿があった。小麦色でたくましい筋肉質の肌、銀色の髪に冴え冴えとした薄青の瞳。

 「デリム……様」
 「デリムでよい、エウドクシス」

 エウドクシスは駆け寄った。かつて一緒に旅をした後、神として天界に上ったデリムであった。

 「俺のこと、覚えているのか」
 「無論。国を残せなくて済まない。その子どもが、お前の血筋だ」

 デリムが示す先には、洗濯女の上ですやすや眠る赤ん坊がいた。言われてみれば、エウドクシスに似ていないこともない。

 彼は、倒れている人間を見た。兵士と、側にいる洗濯女は死んでいた。一部衣服が焦げている。落雷によるものだろう。赤ん坊を乗せている洗濯女は、よく見ると上品な顔付きである。

 「こいつは大物になるぞ。ところで、お前が雷を落としたのか」
 「まさか、そのような事はできぬ。恐らく、日の御子ではなかろうか」

 デリムは肩をすくめた。手に持った光る輪を、エウドクシスが懐かしげに眺める。

 「ふうん。それ、どうするんだ?」
 「日の御子に返すのが一番よかろう。送ろうか」
 「この二人を連れて、この辺りにある抜け穴から逃げようと思うんだが」

 ぽつり。

 エウドクシスの鼻先に、冷たいものが落ちた。彼は天を見上げた。空はどす黒い雲で一面に覆われ、今にも豪雨が降り注ぎそうであった。デリムも空を仰いだ。

 「雨季だな。子連れで雨中の逃避行は、辛いぞ」
 「では、頼もう」


 ネオリア軍は首都レグナエラの隅々まで荒らし回った。

 クロルタスは、群集の波を先頭に立てて、王城へ乗り込んだ。
 城は複雑に入り組んでおり、彼はいつのまにか一人で狭い通路をさ迷っていた。出現する扉を片端から開け放して進んでいくと、行き止まりであった。

 彼は大して期待もせず、適当に壁を叩いてみた。ごろごろと石が擦れる音と共に、壁の一部が回転した。
 中は倉庫のような素っ気ない空間で、奥に山積みとなっているものが見えた。クロルタスは中へ入った。それらは、レグナエラの古い銀貨であった。

 「一人で運ぶのは無理だな。誰か来ないだろうか」

 クロルタスは一旦外へ出て、通路の向こうを透かし見た。誰も来る様子はない。
 仕方なく、彼は来た道を戻り始めた。

 「誰だ」

 角を曲がった途端、人にぶつかりそうになった。相手は巨体で、商人のような恰好をしている。城に押し寄せた民の一人らしい。

 剣を喉元に突きつけられ、商人は震えて両手を上げながらも、クロルタスの身なりを観察する余裕を持っていた。

 「ダハエスと申します。今はレグナエラにおりますが、昔ネオリアの恩を受けた者にございます。どうか、命ばかりはお助けを」

 クロルタスは剣を下ろさなかった。

 「本当に、お前ダハエスか」

 商人はこくこくと首を振る。体の震えは止まっていた。クロルタスは剣を下ろした。表情が和らいでいる。

 「父上から聞いた事がある。もしや、この騒ぎを起こしたのは、お前か」

 ダハエスはそろそろと両手を下ろし、クロルタスの前に跪いた。

 「ベラソルタス陛下のご命令により、レグナエラに潜伏しつつ、お役に立つ時を待っておりました。証はこの指輪をご覧ください。今回の騒ぎは、私と仲間が火種をきました。しかし、実際に皆様がお出でにならなければ、このような騒乱そうらんには発展しなかったでしょう」

 「謙遜けんそんは不要。よいところへ来合せた。お前の仲間と共に、財宝を運ぶのを手伝え。勿論、今回の功績には充分報いよう」

 「承りました」

 もう一度平伏し、ダハエスはその巨体には不似合いな動きで、脱兎だっとの如く去った。クロルタスは通路に取り残されたが、彼の顔に不安の表情はなかった。


 メリディオン軍は、ネオリア軍がさんざんレグナエラを荒らし回っている最中に、既にイナイゴスへ向けて帰路についていた。故国から帰国の催促があったのである。

 そこでメリファロスは、レグナエラの陥落を見届けてから、ネオリア軍に気付かれないよう兵を引き上げたのであった。

 「ネオリアに、ソリス王の王冠を取られたかもしれないのは悔しいですね」

 急ぐ足を緩めず、ベルースが王子にはなしかけた。

 「最後まで残れば、この王冠も取り上げられていただろう。あちらが圧倒的に数が多いからな。我が軍は、グーデオンやイナイゴスでも財宝を手に入れたことであるし、そう悲観することもない。ただ心残りは、あのソルペデスの身代わりに逃げられたことだ」

 メリファロスは快活に答えた。
 偽ソルペデスに仕立てた男が、その昔エルロという名でメリディオンにいたことは、ベルースにも知らせていなかった。
 それでベルースは、王子はネオリアを倒せない悔しさを心残りとして暗示したのだ、と勝手に解釈した。

 先陣を切るフィロップは、疲れを知らないようにますます足を早めている。
 ベルースは愚痴を零した。

 「もう少しゆっくり進んでもよさそうなものですがね。余り早く着いても、グーデオンに残ったレニトの船が間に合わないでしょう」
 「イナイゴスに残してきたフィロムが心配なのだろう。ネオリアが追いかけて来ないとも限らない」

 ベルースの足が早まった。彼の体力がまだまだ心配ないと見て取り、メリファロスは安心した。


 赤ん坊がむずかる声で、メロスメリヌの目が覚めた。

 ソルペデスが戸惑った顔で赤ん坊と彼女を覗き込んでいる。と思ったのは一瞬で、彼女はすぐに間違いに気付いた。ソルペデスと見紛えたのは、赤土で髪の毛を汚した若い男であった。その地毛は黒い。

 「あんた、しっかり赤子を抱えて離さないから、面倒の見ようがないじゃないか。腹減っているのか、うんちか知らねえが、何とかしてやれよ」

 泣き方から推測するに、エウドリゴは空腹を訴えているようであった。メロスメリヌが上体を起こすと、男は察したのか背を向けた。
 彼女は記憶をたどりつつ、不器用に乳を含ませながら、辺りを見回した。

 どう考えても、レグナエラ城の中ではない。長い期間使われていない部屋に特有の、埃っぽさがある。男の背に隠され、外の様子は見えない。
 そして、彼女が初めて体験する静けさがあった。

 「ここは、どこなの?」
 「シュラボス島」

 メロスメリヌは耳を疑い、エウドリゴに乳を含ませたまま、男を押しのけ窓の外を見た。

 見知らぬ土地の景色であった。雨上がりの地面はしっとりと濡れ、木々も生き生きとしている。レグナエラでは見ない種類だ。他に建物はない。どこかの山の中らしかった。

 「嘘。どうやってここまで来たのよ」
 「神様が助けてくれたのさ」

 メロスメリヌはまじまじと男を見た。
 シュラボス島へ行ったことはないが、位置関係は把握している。エウドリゴの様子から考えても、とてもそんな僅かな時間で行き来できる距離ではなかった。しかもあの混乱の中である。

 彼女は、意識を失う直前の記憶を思い出した。男の視線が少し下がり、顔ごと窓の外へ向けた。日焼けした肌に血の気が上って赤くなる。

 「反対側」

 胸元を見、慌てて反対側の乳房にエウドリゴを吸いつかせる。
 見慣れぬ乳首にも戸惑わず、小さな両手を当ててしっかりと乳を飲む我が子の生きようとする力に、メロスメリヌは少し落ち着きを取り戻した。

 「とにかく、助けてくれたことには、お礼を言います。ありがとう」
 「礼なら日の御子、様とデリ……武芸の神様に言うんだな。俺は何もしちゃいない」

 男は窓の外に顔を向けたまま、不機嫌に言った。改めて男を観察する。
 整った容姿である。ソルペデスに似ていないこともない。彼女は、あっと思った。大臣達がソルペデスと思い込んだのは、この男ではなかろうか。

 「ソルペデス様は……」
 「死んだ。俺は、奴にあんたの事を頼まれたんだ。レグナエラ王国は滅んだ。で、これからどうする? 言っておくが、俺は王国再興の片棒は担がないからな」

 男は一気に吐き出した。ソルペデスが死んだと聞かされても、メロスメリヌの心には、予期していたほどの衝撃はなかった。

 一度死んだ者とされた時に受けた衝撃、実は生きていたと思わされた取引が罠だと知った時に受けた衝撃が、既に彼が死んでいる事実を自身に刻み込ませたかのようであった。

 彼女の胸に鋭い痛みが走った。しかし痛みはすぐに治まった。彼女にとって今重要なのは、我が子を生き延びさせることであった。

 「この子、ソルペデス様の子なのです」
 「うん、聞いた」

 エウドリゴがげっぷをした。男がびっくりしたように赤ん坊を見、メロスメリヌが落ち着いているのに気付いてまた窓の外に顔を向けた。雲が切れてきたらしく、明るい陽射しが男の顔に強い陰影をつけた。

 「あなた、名前は?」
 「……エウドクシス」

 男はふてくされたように答えた。

 「まあ、この子、エウドリゴと言うのよ。日の御子様、ありがとうございます」
 「どういう意味だ」

 エウドクシスは、窓からメロスメリヌに顔を振り向けた。メロスメリヌは平然と彼の厳しい視線を受け止めた。さながら女王のような威厳が備わっていた。

 「この子を育てるには、男手が必要です」

 メロスメリヌの威厳に気圧されるエウドクシスではなかった。

 「あんたみたいなお姫様が、俺との貧窮ひんきゅう生活に耐えられるとは思えねえ。あんたに贅沢させるために、危ない仕事をする気もねえ。それに、いくら女に飽きた俺でも、一緒にいたらひょっとしておかしな気でも起きるかもしれねえ」

 「エウドリゴにしたって、将来のため、よい環境で育てた方がいいだろう。悪いことは言わねえ、あんたの器量なら、赤子つきでも構わねえって奴が必ずいる。城は無理でも、それなりの生活先を探してやるから、馬鹿な事を言うな」

 エウドリゴに言及された時には、少しぐらついたものの、メロスメリヌも負けなかった。大きな鳶色の瞳に涙を溜め、背の高いエウドクシスに訴えた。

 「レグナエラが滅びたのが神々の御心ならば、王族の私達が、変わらぬ生活をすることも、神々は望まないでしょう。危険を顧みず私達を助けてくださったあなたにお仕えすることが、ソルペデス様の心にも、神々の御心にも適うことと思います。何でも致します。ご結婚されているのならば、下働きでも構いません。どうか、側に置いて下さいまし」

 「泣くなよ、赤ん坊まで泣くじゃねえか」

 エウドクシスは室内に積まれた布を下の方から取り出し、メロスメリヌの顔を乱暴に拭いた。エウドリゴもぐずぐずと泣いている。おしめが汚れたらしかった。まごまごする彼女の手元に、エウドクシスがさらに新たな布を手渡した。

 「とりあえず、これで何とかしな。俺の思うに、おしめも替えた事ないだろうが。自分の子の面倒も見られないようじゃあ、とても一緒に住むなんてできねえよ。俺は、水を汲んでくる」

 彼は行ってしまった。
 メロスメリヌは確かに、我が子のおしめも替えた事はなかった。

 乳母がしていたのを思い出しつつ、悪戦苦闘の末、それらしい形にすることができた。エウドリゴはおとなしくなった。
 その安らかな顔を眺め、メロスメリヌは改めて、エウドクシスという男に付き従い、母子共に生き延びようと決意した。
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