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第二部 第三章 首都レグナエラ
12 開門の時
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城からは、壁の外の様子を見る事ができない。それでも、噂を聞きつける人々の耳は早く、互いに喜び合う空気はどこからともなく伝わってきた。随時報告がなされるせいで、そう感じられるだけかもしれない。
「撤退していく」
メロスメリヌはすやすやと眠るエウドリゴを見つめていた。彼女は緊張していた。現王の王冠は本物だった。
ソリス王の王冠だけが、偽物である。偽物とはいえ、本物の金銀宝石を使った王冠であることには違いない。
ただ本物には、天界の産であろうと推測される、透き通った内側から七色の光を発する、巨大な多面体の宝玉が載っている。
偽物には宝玉の代りに、綺麗に並べた真珠の塊がついているだけである。
ソリス王の王冠は戴冠式の時のみ使われるのだが、それすら本物を使わずに済ませてきた。偽物を本物だと思い込んでいる者も多かろう。
それほどレグナエラにとって、重要な宝であった。
半分は本物、半分は偽物。偽物を渡して上手くいくのかどうか。
メロスメリヌは心配していたのだが、ネオリアとメリディオンは撤退しつつあるという。人質を残して。
彼女にとっては、王冠の行く末よりも何よりも、それが肝心なところであった。
大臣達は、ソルペデスを迎えとるため、準備を始めていた。
メロスメリヌに意見を聞く者はいなかった。それでよかった。
ソルペデスが戻れば、彼は王位の継承を主張するかもしれない。
前王のソルマヌスが一瞬でも回復すれば、喜んでソルペデスに継がせるだろう。ソルペデスに後継ぎができれば、メロスメリヌの子に王位が巡ってくる可能性は限りなく低くなる。
大臣達が考えていることが、メロスメリヌには手に取るようにわかった。
それでよかった。彼女は喜色を表さぬよう気をつけながら、王位を義弟に奪われる息子の母親役を演じていた。
大門の前には、兵士達だけでなく、大勢の民が集まっている。門が開く待望の瞬間を見るために、わざわざ出てきたのである。
城からは大臣も数人姿を現した。ダハエス達も、群集に混じっていた。
「この間は残念だったな。あの知らせがなきゃあ、がっぽりだったのに」
小麦屋がカーンサス親父に話しかける。エウドリゴ王のお披露目の際、皆で城へ乱入する計画であった。そこへソルペデス生存の知らせが入り、決行は延期されたのであった。
「門が開けば、自分でがっぽりできるさ」
カーンサス親父は気のない素振りだった。門が気になるらしい。
兵士達が門扉を開ける仕掛けに取り付いた。呼吸を合わせ、一斉に力を入れる。
閉まった時よりも遥かに滑らかに、ぶ厚い扉が動き始めた。
群集は息を呑んで作業を見守る。ゆるゆると、茶色い扉が外の景色に場所を譲る。外はどこまでも広かった。
四角く切り取られた塀の向こうに見える青い空が、眩しいくらい人々の目を射た。
扉が完全に開いた。
群集の一部は、兵士達の制止を振り切り、外へ走り出た。
そのまま走り去るでもなく、外から門を眺め、ただ飛び跳ねる者もいたが、大半の者は、そこで足を止めた。
門に切り取られた空間の中心には、奇妙な舞台が設えてあった。
棺を大きくしたような形をしており、下部には運搬に供する丸太が挟まったまま、周囲には丈夫そうな紐まで巻きついている。
横長に置かれた舞台上には、後ろ手に縛られたレグナエラ兵がぎっしり乗せられ、中心に一本の柱が立っている。高々と掲げられた柱に括りつけられているのは、ソルペデスであった。
扉を開けた兵士達が、先を争うようにソルペデスの元へ駆け寄る。彼はしきりに体を動かし、存外元気そうである。猿轡を噛まされている。
兵士達は舞台に乗っている兵士を助けようとして、中の一人に歩けないとか何とか言われたのだろう。舞台ごと、門の方へ動かし始めた。
まず縦に向きを変え、残った丸太を使って器用に門まで牽いてきた。
舞台上の兵士達にも、ご丁寧に猿轡を噛ましているのがダハエス達から見えた。均衡を崩したのか、縛られた兵士達が一斉に右側へ寄った。ぱらぱらと猿轡と紐が落ちる。
自由になった兵士達は舞台から飛び降りた。
群集も兵士も、ぽかん、としていた。兵士の一人が舞台の脇に手を触れた。
蓋が開くように、舞台の側面が丸ごと落ちた。中からメリディオン兵が飛び出した。
「やられたっ!」
誰かが叫んだ。
うわああっ。
高低入り混じった悲鳴が上がった。
舞台の上のレグナエラ兵は、レグナエラの鎧を着たネオリアとメリディオンの兵士であった。
群集は恐慌に陥った。てんでに逃げようとして、ひしめき合い、ぶつかり、自ら混乱を大きくした。
正真正銘のレグナエラ兵は、敵味方の区別をつけるのに一瞬後れを取り、次々と倒された。
「城へ逃げ込むんだ!」
ダハエスが叫んだ。
「城へ行けば助かるぞう!」
カーンサス親父も声を揃えた。小麦屋は逃げるのも忘れ、呆れて親父を見た。親父は片目を瞑ってみせた。
「稼ぎ時だと思わねえか?」
小麦屋が返答する前に、群集の流れが城へ向かって動き出した。たちまちダハエスや親父は群集の波に呑まれて見えなくなった。小麦屋は、流れに逆らって大門の外を見た。
空になった舞台が、大門の真ん中に居座っていた。柱の上に縛り付けられた男が、一人もがき続けている。その向こう、青く広がっていた空を、土煙が汚していた。
「ネオリア軍だ。騎馬軍団が来たぞう!」
誰かがまた叫んだ。小麦屋には、ダハエスの声のように思われた。確かめる術はなかった。彼もまた、人の波に呑み込まれて、城の方へ流されていった。
「門を閉めろ!」
命令する声は群衆の悲鳴にかき消された。
このような混乱の中で、門を閉めるだけの人員が揃う筈はなかった。閉めようにも、門の真ん中にはメリディオンが作った大きな箱が居座っている。悪名高いネオリアの騎馬軍団が、蹄の音も高く迫りつつあった。
「ソ、ソルペデス殿下!」
兵士が一人、刃の下をかいくぐって舞台の上に攀じ登ってきた。口に短刀を咥え猿のように柱に取りつき、縛られた辺りまで登ると、片手に持ち換えて柱と縄の間に刃をぐりぐりと刺し入れた。
何本か縄が切れた。
縛られていた人物は、猛然と体を動かし、自由になった手で残りの縄を外し、自ら滑り落ちた。
「殿下、レグナエラをお救いください」
「悪いな。俺はソルペデスじゃねえんだ。助けてくれてありがとうよ」
猿轡を外し、エウドクシスは言った。よく見れば、髪の毛は赤い顔料で染めてある。驚きのあまり柱をずり落ちた兵士を置いて、彼は舞台から身軽に飛び降りた。
「くそっ、メリファロスめ。俺をこんな事に使いやがって」
言い捨てて、混戦状態の兵士達の刃をひょいひょいとかわしながら、たちまち彼は群集の中に紛れ込んだ。
外の様子が変だと言って出て行ったきり、乳母は戻ってこなかった。
メロスメリヌは不安を覚えた。ソルペデスを迎えようと、身だしなみを整えていたのを中断し、エウドリゴを抱えてソルマヌス前王の枕元に近付いた。
ソルマヌスはどんよりとした目を開けたまま、生ける屍と化していた。
「妃殿下。お逃げください!」
入って来たのは、ベレニクであった。手に洗濯女が着るような服を提げ、自らも同様の恰好をしている。メロスメリヌは不審な表情を隠さなかった。
「どうしたと言うの?」
「罠でした。ネオリアがレグナエラ兵に化けていたんです。今、門の中にネオリア軍が攻め入って荒らし回っています。群集が、城に押しかけて、今にもここまで来るかもしれません。早く逃げましょう」
ベレニクは決死の表情であった。メロスメリヌはのろのろと前王を見下ろした。
「でもお義父様は」
「エウドリゴ様もろとも死にたいんですか?」
ずかずかと部屋の中に入ってきたベレニクは、黒い瞳をぎらぎらとさせ、メロスメリヌの腕を掴んだ。そのまま部屋の外へ引き摺り出そうとする。メロスメリヌは必死に抵抗した。
「待って。逃げるわ。ちょっとだけ待って」
「何です」
掴んだ手が弛んだ。メロスメリヌは答えずに、寝たきりのソルマヌスの枕を脇にずらした。
寝台の頭に当たる部分の壁には、精巧な木彫り細工が施されている。
メロスメリヌは素早く指を動かした。飾りの一部がするりと動き、奥に空洞が現れた。彼女はさっと中に手を入れ、取り出した物をエウドリゴの頭に被せ、彼を包み直した。向き直ると、ベレニクは目を丸くして息を弾ませていた。
「ソリス王の王冠。メリディオンに渡したんじゃなかったんですか」
「私は渡してもよかったのよ。でもこうなったら、渡さなくて正解だったかも。さあ、行きましょう」
ベレニクが持ってきた服を頭から被り、エウドリゴを含めた三人は部屋の外へ出た。
人々が右往左往している。誰も三人を気に留めない。途中窓の外を見ると、城前の広場はお披露目式以上の人だかりで、渦巻く怒号にメロスメリヌは総毛立った。
あの人々が雪崩れ込めば、たちまち彼女は踏み潰されてしまうだろう。
道々ベレニクが説明するには、城の裏口から民に紛れて逃げ出した後、安全なところに匿ってもらおうということだった。
「下町に叔母が住んでいますから、まずそこへ行きましょう。子沢山なので、一人ぐらい増えてもわかりませんよ」
ベレニクの言う裏口とは、メロスメリヌが予想したような台所口ではなかった。城門が破られたのか、遠くで歓声のようなものが湧き起こるのが聞こえた。
二人の女性の足が自然と速まる。人気の段々減っていくのが、今のメロスメリヌには却って安心だった。
彼女らの姿を隠すかのように、空の雲も増え、辺りが暗くなった。
遂に、城の裏手に出た。今は使われない、牢獄などの古い建物が並ぶ場所である。
建物の一角から、ひょろりと背の高い兵士が現れた。メロスメリヌは一瞬ぎょっとし、それからほっとした。
「ムース! 待った?」
ベレニクも嬉しそうに、メロスメリヌの腕を取って駆け寄る。メロスメリヌはエウドリゴを取り落とさないよう、抱える手に力を篭めねばならなかった。
ムースはひょろりと愛嬌のある佇まいとは裏腹に、厳しい表情だった。手に提げていた抜き身の剣が、ひょいと持ち上がる。剣先にはエウドリゴがいた。
「危ないじゃない」
メロスメリヌは剣先から逃れようとしたが、ベレニクがしっかり彼女を押さえていて、動けなかった。
はっ、とメロスメリヌが彼女の顔を見る。ベレニクの黒い瞳はきらきらと輝いていた。
「そう。動いたら赤子もろとも殺してやるわ」
全身強張ったメロスメリヌを片手で押さえたまま、ベレニクは空いた手でエウドリゴの頭から、ソリス王の王冠を抜き取った。我が子を傷つけまいとして、メロスメリヌは動けずにいた。
王冠を持ったまま、じりじりとメロスメリヌから離れたベレニクは、ムースの背後に回る。
「ほーほっほっほっほっ。これでメリディオンの勝利は確実だわ」
ベレニクは王冠を高々と空に掲げ、甲高い声で笑った。
ずどん。
閃光が走り、メロスメリヌは衝撃で倒れた。
「撤退していく」
メロスメリヌはすやすやと眠るエウドリゴを見つめていた。彼女は緊張していた。現王の王冠は本物だった。
ソリス王の王冠だけが、偽物である。偽物とはいえ、本物の金銀宝石を使った王冠であることには違いない。
ただ本物には、天界の産であろうと推測される、透き通った内側から七色の光を発する、巨大な多面体の宝玉が載っている。
偽物には宝玉の代りに、綺麗に並べた真珠の塊がついているだけである。
ソリス王の王冠は戴冠式の時のみ使われるのだが、それすら本物を使わずに済ませてきた。偽物を本物だと思い込んでいる者も多かろう。
それほどレグナエラにとって、重要な宝であった。
半分は本物、半分は偽物。偽物を渡して上手くいくのかどうか。
メロスメリヌは心配していたのだが、ネオリアとメリディオンは撤退しつつあるという。人質を残して。
彼女にとっては、王冠の行く末よりも何よりも、それが肝心なところであった。
大臣達は、ソルペデスを迎えとるため、準備を始めていた。
メロスメリヌに意見を聞く者はいなかった。それでよかった。
ソルペデスが戻れば、彼は王位の継承を主張するかもしれない。
前王のソルマヌスが一瞬でも回復すれば、喜んでソルペデスに継がせるだろう。ソルペデスに後継ぎができれば、メロスメリヌの子に王位が巡ってくる可能性は限りなく低くなる。
大臣達が考えていることが、メロスメリヌには手に取るようにわかった。
それでよかった。彼女は喜色を表さぬよう気をつけながら、王位を義弟に奪われる息子の母親役を演じていた。
大門の前には、兵士達だけでなく、大勢の民が集まっている。門が開く待望の瞬間を見るために、わざわざ出てきたのである。
城からは大臣も数人姿を現した。ダハエス達も、群集に混じっていた。
「この間は残念だったな。あの知らせがなきゃあ、がっぽりだったのに」
小麦屋がカーンサス親父に話しかける。エウドリゴ王のお披露目の際、皆で城へ乱入する計画であった。そこへソルペデス生存の知らせが入り、決行は延期されたのであった。
「門が開けば、自分でがっぽりできるさ」
カーンサス親父は気のない素振りだった。門が気になるらしい。
兵士達が門扉を開ける仕掛けに取り付いた。呼吸を合わせ、一斉に力を入れる。
閉まった時よりも遥かに滑らかに、ぶ厚い扉が動き始めた。
群集は息を呑んで作業を見守る。ゆるゆると、茶色い扉が外の景色に場所を譲る。外はどこまでも広かった。
四角く切り取られた塀の向こうに見える青い空が、眩しいくらい人々の目を射た。
扉が完全に開いた。
群集の一部は、兵士達の制止を振り切り、外へ走り出た。
そのまま走り去るでもなく、外から門を眺め、ただ飛び跳ねる者もいたが、大半の者は、そこで足を止めた。
門に切り取られた空間の中心には、奇妙な舞台が設えてあった。
棺を大きくしたような形をしており、下部には運搬に供する丸太が挟まったまま、周囲には丈夫そうな紐まで巻きついている。
横長に置かれた舞台上には、後ろ手に縛られたレグナエラ兵がぎっしり乗せられ、中心に一本の柱が立っている。高々と掲げられた柱に括りつけられているのは、ソルペデスであった。
扉を開けた兵士達が、先を争うようにソルペデスの元へ駆け寄る。彼はしきりに体を動かし、存外元気そうである。猿轡を噛まされている。
兵士達は舞台に乗っている兵士を助けようとして、中の一人に歩けないとか何とか言われたのだろう。舞台ごと、門の方へ動かし始めた。
まず縦に向きを変え、残った丸太を使って器用に門まで牽いてきた。
舞台上の兵士達にも、ご丁寧に猿轡を噛ましているのがダハエス達から見えた。均衡を崩したのか、縛られた兵士達が一斉に右側へ寄った。ぱらぱらと猿轡と紐が落ちる。
自由になった兵士達は舞台から飛び降りた。
群集も兵士も、ぽかん、としていた。兵士の一人が舞台の脇に手を触れた。
蓋が開くように、舞台の側面が丸ごと落ちた。中からメリディオン兵が飛び出した。
「やられたっ!」
誰かが叫んだ。
うわああっ。
高低入り混じった悲鳴が上がった。
舞台の上のレグナエラ兵は、レグナエラの鎧を着たネオリアとメリディオンの兵士であった。
群集は恐慌に陥った。てんでに逃げようとして、ひしめき合い、ぶつかり、自ら混乱を大きくした。
正真正銘のレグナエラ兵は、敵味方の区別をつけるのに一瞬後れを取り、次々と倒された。
「城へ逃げ込むんだ!」
ダハエスが叫んだ。
「城へ行けば助かるぞう!」
カーンサス親父も声を揃えた。小麦屋は逃げるのも忘れ、呆れて親父を見た。親父は片目を瞑ってみせた。
「稼ぎ時だと思わねえか?」
小麦屋が返答する前に、群集の流れが城へ向かって動き出した。たちまちダハエスや親父は群集の波に呑まれて見えなくなった。小麦屋は、流れに逆らって大門の外を見た。
空になった舞台が、大門の真ん中に居座っていた。柱の上に縛り付けられた男が、一人もがき続けている。その向こう、青く広がっていた空を、土煙が汚していた。
「ネオリア軍だ。騎馬軍団が来たぞう!」
誰かがまた叫んだ。小麦屋には、ダハエスの声のように思われた。確かめる術はなかった。彼もまた、人の波に呑み込まれて、城の方へ流されていった。
「門を閉めろ!」
命令する声は群衆の悲鳴にかき消された。
このような混乱の中で、門を閉めるだけの人員が揃う筈はなかった。閉めようにも、門の真ん中にはメリディオンが作った大きな箱が居座っている。悪名高いネオリアの騎馬軍団が、蹄の音も高く迫りつつあった。
「ソ、ソルペデス殿下!」
兵士が一人、刃の下をかいくぐって舞台の上に攀じ登ってきた。口に短刀を咥え猿のように柱に取りつき、縛られた辺りまで登ると、片手に持ち換えて柱と縄の間に刃をぐりぐりと刺し入れた。
何本か縄が切れた。
縛られていた人物は、猛然と体を動かし、自由になった手で残りの縄を外し、自ら滑り落ちた。
「殿下、レグナエラをお救いください」
「悪いな。俺はソルペデスじゃねえんだ。助けてくれてありがとうよ」
猿轡を外し、エウドクシスは言った。よく見れば、髪の毛は赤い顔料で染めてある。驚きのあまり柱をずり落ちた兵士を置いて、彼は舞台から身軽に飛び降りた。
「くそっ、メリファロスめ。俺をこんな事に使いやがって」
言い捨てて、混戦状態の兵士達の刃をひょいひょいとかわしながら、たちまち彼は群集の中に紛れ込んだ。
外の様子が変だと言って出て行ったきり、乳母は戻ってこなかった。
メロスメリヌは不安を覚えた。ソルペデスを迎えようと、身だしなみを整えていたのを中断し、エウドリゴを抱えてソルマヌス前王の枕元に近付いた。
ソルマヌスはどんよりとした目を開けたまま、生ける屍と化していた。
「妃殿下。お逃げください!」
入って来たのは、ベレニクであった。手に洗濯女が着るような服を提げ、自らも同様の恰好をしている。メロスメリヌは不審な表情を隠さなかった。
「どうしたと言うの?」
「罠でした。ネオリアがレグナエラ兵に化けていたんです。今、門の中にネオリア軍が攻め入って荒らし回っています。群集が、城に押しかけて、今にもここまで来るかもしれません。早く逃げましょう」
ベレニクは決死の表情であった。メロスメリヌはのろのろと前王を見下ろした。
「でもお義父様は」
「エウドリゴ様もろとも死にたいんですか?」
ずかずかと部屋の中に入ってきたベレニクは、黒い瞳をぎらぎらとさせ、メロスメリヌの腕を掴んだ。そのまま部屋の外へ引き摺り出そうとする。メロスメリヌは必死に抵抗した。
「待って。逃げるわ。ちょっとだけ待って」
「何です」
掴んだ手が弛んだ。メロスメリヌは答えずに、寝たきりのソルマヌスの枕を脇にずらした。
寝台の頭に当たる部分の壁には、精巧な木彫り細工が施されている。
メロスメリヌは素早く指を動かした。飾りの一部がするりと動き、奥に空洞が現れた。彼女はさっと中に手を入れ、取り出した物をエウドリゴの頭に被せ、彼を包み直した。向き直ると、ベレニクは目を丸くして息を弾ませていた。
「ソリス王の王冠。メリディオンに渡したんじゃなかったんですか」
「私は渡してもよかったのよ。でもこうなったら、渡さなくて正解だったかも。さあ、行きましょう」
ベレニクが持ってきた服を頭から被り、エウドリゴを含めた三人は部屋の外へ出た。
人々が右往左往している。誰も三人を気に留めない。途中窓の外を見ると、城前の広場はお披露目式以上の人だかりで、渦巻く怒号にメロスメリヌは総毛立った。
あの人々が雪崩れ込めば、たちまち彼女は踏み潰されてしまうだろう。
道々ベレニクが説明するには、城の裏口から民に紛れて逃げ出した後、安全なところに匿ってもらおうということだった。
「下町に叔母が住んでいますから、まずそこへ行きましょう。子沢山なので、一人ぐらい増えてもわかりませんよ」
ベレニクの言う裏口とは、メロスメリヌが予想したような台所口ではなかった。城門が破られたのか、遠くで歓声のようなものが湧き起こるのが聞こえた。
二人の女性の足が自然と速まる。人気の段々減っていくのが、今のメロスメリヌには却って安心だった。
彼女らの姿を隠すかのように、空の雲も増え、辺りが暗くなった。
遂に、城の裏手に出た。今は使われない、牢獄などの古い建物が並ぶ場所である。
建物の一角から、ひょろりと背の高い兵士が現れた。メロスメリヌは一瞬ぎょっとし、それからほっとした。
「ムース! 待った?」
ベレニクも嬉しそうに、メロスメリヌの腕を取って駆け寄る。メロスメリヌはエウドリゴを取り落とさないよう、抱える手に力を篭めねばならなかった。
ムースはひょろりと愛嬌のある佇まいとは裏腹に、厳しい表情だった。手に提げていた抜き身の剣が、ひょいと持ち上がる。剣先にはエウドリゴがいた。
「危ないじゃない」
メロスメリヌは剣先から逃れようとしたが、ベレニクがしっかり彼女を押さえていて、動けなかった。
はっ、とメロスメリヌが彼女の顔を見る。ベレニクの黒い瞳はきらきらと輝いていた。
「そう。動いたら赤子もろとも殺してやるわ」
全身強張ったメロスメリヌを片手で押さえたまま、ベレニクは空いた手でエウドリゴの頭から、ソリス王の王冠を抜き取った。我が子を傷つけまいとして、メロスメリヌは動けずにいた。
王冠を持ったまま、じりじりとメロスメリヌから離れたベレニクは、ムースの背後に回る。
「ほーほっほっほっほっ。これでメリディオンの勝利は確実だわ」
ベレニクは王冠を高々と空に掲げ、甲高い声で笑った。
ずどん。
閃光が走り、メロスメリヌは衝撃で倒れた。
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親を恨んだグランはどこにもぶつける事の出来ない気持ちを全て自分のスキルにぶつけた。
同時刻、グランを捨てた家族の居る王都では『謎の笑い声』が響き渡った。その笑い声に人々は恐怖し、グランを捨てた家族は……──
※確認していないので二番煎じだったらごめんなさい。急に思いついたので書きました!
※「妻」に対する暴言があります。嫌な方は御注意下さい※
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げています。
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