神殺しの剣

在江

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第二部 第三章 首都レグナエラ

11 王冠の取引

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 レグナエラの王宮と町の部分は塀できっちり分けられている。
 塀の前には広場があり、最近では珍しく町の人々が出張でばってひしめいていた。塀の内側にある城の建物からは、バルコニーがり出しており、何かの折り節には、そこに王族が立つことになっていた。

 今は、乳呑み児のエウドリゴを抱いたメロスメリヌが、やや青ざめた顔で立っている。

 大半の民の関心は、当初は配られる食料であったのだが、初めて見る人も多いメロスメリヌの甘やかな美貌に吸い寄せられつつあった。顔色の悪さも、彼女の美しさを損ねることはできなかった。

 メロスメリヌは必死に笑顔を振り撒いていた。
 エウドリゴは幸い、直前まで乳母に乳をたっぷり与えられ、すやすやと寝入っている。王位継承の口上は全てウルペスや、その他の大臣が代行してくれた。

 「いいですか。民衆に希望を持たせるために、笑顔を保たねばなりません」

 ウルペスの言葉が蘇る。城門が開き、食料の山積みされた車が出てきた。たちまち人々が塀にどっと押し寄せる。あらかじめ待機していた兵士達が押し返し、多少のもみ合いがあった後、人々は自然と列を作った。

 差し出される手に次々と食料が手渡される。車が空になる度に門が開閉し、食料満載の車と入れ替わるのであった。列の後ろに並ぶ人々の関心は、暇潰しも兼ねて再びメロスメリヌ母子に注がれる。

 メロスメリヌは次第に重く感じられる我が子を落とさないよう、しばしば抱き直しながら、笑顔を振り撒き続けた。
 一人のひょろっとした兵士が、列を乱して怒鳴られながら、懸命に塀へ近付こうとしていた。

 それはムースであった。メロスメリヌは乳母からベレニクの恋人の特徴を聞いていたので、もしやと目を留めた。ムースは列を乱し乱し塀の側まで近付くと、真っ直ぐにメロスメリヌを見上げて大声で叫んだ。

 「ソルペデス王子様が生きていらっしゃったぞう!」

 声は広場の前にいた人々にしか聞こえなかった。それは、互いに勝手なお喋りをしていた人々を沈黙させるほどの効果があった。

 やや静かになった広場で、ムースはもう一度同じ事を叫んだ。今度は広場中に声が響き渡った。

 一瞬の空白の後、広場に歓声が上がった。
 列は乱れ、人々は兵士の制止を振り切って、てんでに食べ物を奪い取った。たちまち車は空になったが、次の車は出てこなかった。

 人々は気にしなかった。よい知らせをもたらしたムースを胴上げし、勝手に踊り狂う者もあった。メロスメリヌがいつのまにか舞台から姿を消していても、誰も気に留めなかった。


 レグナエラ王の玉座は空で、その前に、時代がかった子ども用寝台がえてある。
 中ではエウドリゴがすやすや眠っている。母親のメロスメリヌさえしっかり気を保っていれば、彼は手のかからない赤ん坊であった。

 乳を飲み、排泄はいせつし、眠ることを規則的に繰り返し、むやみにぐずついたりしない。大声で泣く事すら滅多になかった。

 エウドリゴから少し離れた場所には、後見のメロスメリヌやウルペスを始めとする大臣達が額を寄せ合い、議論を戦わせていた。議題は、ネオリアとメリディオン連合軍の要求を呑むかどうか、である。

 ソリス王の王冠と現在の王の冠を引き渡せば、人質のソルペデスとレグナエラ兵を返し、撤退する、というのである。ソルペデスとその部下達は、それぞれ縛られて大門の前に引き出されていた。

 それを盾にするように敵軍が付き添い、半日ほど人質をさらした後で一緒に自陣へ戻って行った。期限は一日。

 「わなだ。罠に決まっている」

 最長老の大臣が議論をさえぎって声を高めた。
 誰かがしーっ、と言い、一斉に視線が赤ん坊へ向かう。

 エウドリゴは眠っている。眠りの妨げを気にするならば、寝室に残した方がよさそうなものだ。
 しかし、王家の最後の血筋かもしれないという稀少価値が、子守に任せきりではなく、大臣たち自らの目の届くところに置く選択をさせた。それに、生命力の塊ともいうべき赤ん坊が安らぐ様は、戦や策謀に明け暮れる人々にとって、希望そのものであった。
 すやすやと眠る王を確認してから、改めて声を落とし議論を続ける。

 「我々も見に行ったが、間違いなく、あれはソルペデス殿下であった。他の部隊長の顔までは確認できなかったが、一緒に縛られている我が軍の兵の中に紛れているかもしれない」

 「しかし、腰を砕かれて血を噴き出したのに、今まで生きていられるのか」

 「メリディオンの医学は相当進んでいると聞いている。完治はせずとも、止血して命を保つぐらいのことはやってのけるのだろう。現に、大門の前にいらっしゃるソルペデス殿下がその証拠だ」

 「殿下が本物かどうかは、今ここで議論しても始まらないでしょう」

 しばらく議論を傾聴けいちょうしていたウルペスが発言した。彼もそれなりの年齢ではあるが、前王から仕えている他の大臣達より若いので、丁寧な口調で話しかける。大臣達は何を若造が、という顔付きをしながらも、彼の意見を聞くべく口をつぐんだ。

 「問題は、ソリス王の王冠と現在の王冠を引き渡すかどうかです。王冠だけをみすみす取られ、篭城を続ける羽目におちいることもあり得ます。妃殿下は、この辺り、どのようにお考えでしょうか」

 メロスメリヌは年老いた大臣達の好奇に満ちた眼差しを受けて、少し口篭くちごもった。彼女の中では、一報を聞いた時から結論は定まっていた。今も、大臣達がぐだぐだと、ああでもないこうでもないと揉めるのを、じりじりとした思いで見つめていたのである。

 ウルペスにより、ようやく彼女にも発言の機会が巡ってきた。だが、彼女の意見をそのまま披露ひろうしても通らない事を、彼女自身よく理解していた。
 言い方が問題であった。如何に人々を思い通りの方向に動かすか。彼女は気づかれぬよう深呼吸をし、人々の視線がげる前に切り出した。

 「レグナエラ王国は何からできているのでしょう」

 聞き手は、不意を突かれた。メロスメリヌは相手に返答のすきを与えず、言葉を継いだ。

 「王と、それを支える皆様方大臣のお力、そして支配を受け入れる民の存在なくしては、国は存在し得ません」

 「ですから王冠は、王位の象徴に過ぎないのす。私はソルマヌス前王より、ネオリアとメリディオンの究極の目的は、ソリス王の王冠を手に入れることである、と聞いております」

 「王冠を渡すことで民、ひいては国を救うことができるのならば、王冠はその象徴にふさわしい働きをしたと言う事ができるでしょう」

 「逆に王冠を渡さなければ、敵に総攻撃の絶好の口実を与えるばかりか、もし、わずかな金銀を惜しんで平和を回復する機会を逃したと民が知れば、如何にレグナエラの城壁が堅牢けんろうといえども、長い篭城戦に耐えることはできますまい」

 「たかだか王の後見の身で、僭越せんえつながら私の意見を申し上げれば、王冠を引き渡すのがよいかと思われます」

 すぐには誰も口を利かなかった。メロスメリヌの意気込みに引き込まれ、話に聞き入っていたのである。大臣の一人が手を挙げた。

 「立派な意見だ。だが、ソリス王の王冠はただの金銀の塊ではない。我らがレグナエラ王国の正統性を示す象徴でもあり、日の御子の守護を受ける印でもある。あれを我が国で保持しているからこそ、恐らくソルペデス殿下も命を取り留め、こうして首都も陥落せずにいるのだろう。あれを敵に渡した時が、レグナエラの最期だと私は思う」

 他の大臣達の何人かが、同調するように頷く。メロスメリヌは内心ほぞんだ。

 「では、どのように対応しましょうか」

 一度発言を聞いてもらったことでしゃべやすくなったらしいウルペスが、結論をうながした。
 メロスメリヌの発言の途中から目を閉じていた、最長老の大臣が、くわっと目を見開いた。
 丁度彼に意見を求めようと顔を転じた大臣達が、ぴくりと体を震わせた。

 「敵はソリス王の王冠を見た事がない筈だ。あれは手に持ったところで、普通の王冠と何ら変わりはない。本物かどうか知るには、神精霊のお告げを受けねばならず、それまでには時間を要するだろう」

 「つまり、偽物を渡すということでしょうか」

 メロスメリヌは不安を拭い切れない顔つきで尋ねた。最長老の大臣は頷き、他の大臣達も、それならと納得した様子であった。議論は決した。頃合を見計らったように、エウドリゴがむずかり始めた。


 首都レグナエラの大門の上から、大型の投石器を使って皮袋が射出された。石ほど重みのない皮袋は、大きな放物線を描いて、待ち構えている係の人間がいる場所よりも相当後ろに落ちた。

 人質を盾に部隊を展開している連合軍が、列を乱して駆け寄ろうとするのを大声で叱り飛ばしながら、定められた係人が駆けつける。

 係人はネオリアとメリディオンからそれぞれ二人ずつ選ばれており、走り寄って奪い合う寸前のように皮袋を引っ張った挙句、四人で持ち上げる。
 それから、好奇の目を注ぐ味方の軍からは離れた場所へ行き、輪を作って皮袋を開ける。

 皮袋は中身を保護するためか、柔らかい布がたくさん詰められていて、すぐには目当ての物が出てこない。苛立たしく投げ捨てられる布が、ふわり、ふわりと周囲に落ちる。

 やがて四人が息を合わせたように頭を寄せ合い、互いにぶつかりそうになる。
 手が何本も伸び、仲良く二本ずつ並んだ腕が空に伸ばされた。太陽に輝く二つの輪は、金銀宝石が織り成す複雑な反射光で見る者を圧倒した。

 連合軍から感嘆のため息、次いで歓声が上がった。四人の係人は、二人ずつ並んで立ち上がり、まるで己の物のように王冠を自軍に披露した。
 係人達は、決して握った手を緩めなかった。
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