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第二部 第二章 地峡カーンサス
11 星墜つ
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レグナエラの半島と大陸をつなぐ、カーンサス地峡に差しかかった辺りから、ネオリア軍にはレグナエラ軍が待ち構えているのが遠望できた。
左右を海に挟まれた、まばらに草木が生えている平原で、敵軍はじっと構えて動かない。
もう何日もそうしていたのか、たまたま向こうが先に相手を発見したために全軍停止をしているのか、観察だけでは判断できなかった。
「何かあるぞ」
先頭の兵士から報告を受けたクロルタス王子は、敏感に罠の存在を嗅ぎ取った。ただちに全軍を停止させ、後方にいるセルセスに状況を伝える。
部下は間もなく自ら王子の側を通り過ぎ、先頭まで行ってから馬を駆って帰ってきた。
「地形的に斥候を出せないので、推測するしかないのですが、この先徐々に道が狭まってきているところから考えると、レグナエラ軍は我が軍に取り囲まれないよう、細長い地形を戦場として選んだのではないでしょうか」
「この間の戦闘で、大分戦力も落ちたのだろうな」
クロルタスは、セルセスの意見に同意した。少し考えて、セルセスを後方へ戻し、先鋒を務めるダティスに使いを出した。
ダティスが王子の命令に従って兵士の配置を動かし、全軍が動き出した。
まだレグナエラ軍は動かない。ずらりと兵士が並ぶのが見えるだけである。十中八九、弓を構えているに違いない。ネオリア軍は、しずしずと進軍した。やがて、両軍の距離が矢の射程内に入る寸前まで縮まった時。
「突撃!」
クロルタスが号令を発した。先鋒のダティスを含む騎馬の一団が馬に鞭をくれ、どっと走り出した。後から歩兵も走って続く。いかにネオリアが騎馬民族とて、全員が騎乗して戦うほど、行軍は甘くない。
馬は喩えに引かれるほど大食いであるし、場所も取る。騎兵と歩兵を適度に組み合わせて戦うのが、ネオリアの得意とする戦術であった。
今も、騎馬軍団を突撃させて前線を攪乱し、混乱するところを歩兵が襲うという作戦である。
案の定、レグナエラ軍は矢を放ってきたが、精鋭を誇る騎兵達は上体を低くして矢の雨を潜り抜けた。
乾燥した土が、勢いよく蹴り上げる無数の四足によって、もうもうと空中へ巻き上げられる。
後から続く者達は、土埃の煙幕を掻き分けながら進撃することになった。
ヒヒ―ン、ヒヒ―ン、連鎖する馬のいななきに悪い記憶を呼び覚まされたのか、最前列にいたレグナエラ兵が踵を返して逃げ出した。
「うわあ」
どよめきと共に、レグナエラ軍は自ら混乱に陥った。
先陣を切るダティスの目に映るのは、逃げる兵士の背中ばかりである。奥の方には、恐怖に耐えて踏み止まる兵士達も残っている。ダティスは、馬上で槍を振り回した。
「蹴散らせ、蹴散らせ!」
長い槍が面白いように逃げ遅れたレグナエラ兵に当たり、ばたばたと倒して行く。倒れた兵士には目もくれず、ダティスは馬を駆ってひたすら前進した。
踏ん張っている兵士の一団が迫る。
彼等の顔が、緊張と恐怖で引きつっているのが馬上からはっきり見えた。ダティスはにやりと笑って見せた。我慢の限界を超えたのか、遂に頑張っていた兵士達がくるりと後ろを向いた。
「逃がさぬぞ!」
ダティスは更に馬を駆り立てた。兵士達の姿が掻き消えた。
えっ、と思う間もなく、ダティスの体は馬ごと宙に浮いた。ふわりという感覚は一瞬で、すぐにもの凄い風が下から噴き上げた。
続いて突き上げられるような衝撃と馬の悲鳴が同時に起こり、彼は馬の背から投げ出された。全身を痛みが走り抜ける。わあっ。遠くで歓声のような音が耳に届いた。
「落ちた?」
砂がぱらぱらと顔にかかるのがわかる。痛みを堪え、周囲の状況を確認しようと頭を持ち上げたダティスの上に、重い物が降ってきた。意識を失う直前、彼の鼻は噎せかえるような馬の臭いを嗅いだ。
「小細工だな。それでも少しは打撃を与えられただろうか」
前方から歓声が聞こえ、ソルピラスは輿の中で一人ごちた。
死んだケラムバスの代りにペルクヌスが前線に出、カーンサス運河の工事中の溝には、ウルペスが張りついて指揮を取っている。
ネオリア軍に囲まれないよう、地峡で迎え撃つことになり、折角なので大した期待もせずに落とし穴として利用したのであった。
兵士達の歓声から推すと、多少の成果は上がったのか。囮になった兵士達は無事だろうか。
彼は心配しながらも、眼前に伸びる戦線から目を離さなかった。土煙の向こうから、先陣を切って攻撃する馬の数は多少減らせたように見える。
それでもネオリア軍の勢いは強く、レグナエラ軍の兵士達は懸命に戦いながらも、押され気味であった。
前線で戦う兵士達が疲弊する度に、後方に控える新たな兵士達を送り出す。順々に送り出しても、ネオリア軍の攻撃は止まない。その粘り強さは、兵士が無限に増殖しているのではないかと思わせる。
遂に、ネオリア軍が兵士の壁を突き破った。どっと溢れてソルピラスへ向かってくる。護衛の兵士達がどよめく。彼は剣を抜き、輿を降りた。
「私は自分で身を守る。行け、祖国を守れ!」
兵士達はやや躊躇いながらも、敵前へ歩を進めた。ネオリア軍の脇から、味方の一団が攻めかかった。ウルペスが率いる部隊の一部である。たちまち剣戟の音が高くなる。
「殿下! ご無事でしたか」
ひょっこりウルペスが現れた。輿に姿が見えないので、心配して探しにきたらしい。ソルピラスの顔を見て安心した表情になる。
「高い場所にいると、狙われ易いからな」
剣を構えながら、冗談めかして言う王子を、部下は真剣な眼差しで見つめた。辺りを警戒しつつ、つと寄って腕を掴み、声を落とす。
「もう、ここはだめです。殿下だけでもお逃げください」
耳を疑ったソルピラスが怒って腕を振り払おうとした時、すぐ側で続々と悲鳴が上がった。
ウルペスは自ら王子の腕を離し、前へ出て悲鳴のした方向へ剣を構えた。
一頭の馬が暴れていた。馬からは、長い柄の先に鎖で繋がれた鉄球がぶんぶんと振り回され、鉄球に当たった兵士が次々と倒れていくのであった。
悲鳴と血の臭いに興奮する馬は、それ自体が凶器である。
馬に蹴散らされて倒れる兵士が何人もあった。
馬上の人間が、ふと見えた。その目は真っ直ぐにソルピラスを捉えた。男の残虐な笑みが、ソルピラスの身分を見破ったことを雄弁に物語っていた。
騎兵は、ネオリアの言葉で何やら叫びながら暴れる馬を巧みに操り、ソルピラス目掛けて馬を走らせた。
ウルペスは咄嗟に馬の長い脚を払おうと、頭を低くして突っ込んだ。
馬の悲しげな鳴き声が上がり、ウルペスの剣に確かな手応えがあった。
どさっと人が落ちる音、骨の折れる音と悲鳴が同時に聞こえた。彼は体勢を立て直し、振り返った。無事で立っている筈の王子の姿はそこになかった。
「殿下!」
脚を折られてもがく馬には目もくれず、ウルペスは敵の死体を踏み越え、倒れたソルピラスの元へ駆け寄った。
ソルピラスは敵の長い武器で一足先に倒されていた。
鉄球を避けようとして間に合わなかったのか、側頭部が陥没していた。ウルペスの呼びかけに、見開いていたソルピラスの目の焦点が僅かに合わされた。首は既に動かせそうにない。
「レグナエラ、封鎖。メロ」
「殿下、ソルピラス様」
ウルペスはソルピラスの体を揺さぶったが、王子の体からは急速に生命の印が失われていった。
彼はきっと顔を上げた。他の兵士達は、防戦一方で指揮官の死には気付く余裕がないようであった。
乗り捨てられた輿に括りつけられた驢馬が、脅えてとことことウルペスの方へ逃げてくる。ウルペスは、驢馬に走り寄って輿と驢馬を切り離した。王子の遺体を驢馬に乗せ、自分も一緒に跨る。
「行け」
足で驢馬の腹を蹴ると、乗り手の意を汲んだように驢馬は走り出した。遺体がずり落ちないよう自分の体で押さえながら、ウルペスは驢馬の背にしがみついていた。
「皆、済まない」
ウルペスは歯を食いしばり、目を細めて前方を睨みつけた。彼は後ろを振り向かなかった。
左右を海に挟まれた、まばらに草木が生えている平原で、敵軍はじっと構えて動かない。
もう何日もそうしていたのか、たまたま向こうが先に相手を発見したために全軍停止をしているのか、観察だけでは判断できなかった。
「何かあるぞ」
先頭の兵士から報告を受けたクロルタス王子は、敏感に罠の存在を嗅ぎ取った。ただちに全軍を停止させ、後方にいるセルセスに状況を伝える。
部下は間もなく自ら王子の側を通り過ぎ、先頭まで行ってから馬を駆って帰ってきた。
「地形的に斥候を出せないので、推測するしかないのですが、この先徐々に道が狭まってきているところから考えると、レグナエラ軍は我が軍に取り囲まれないよう、細長い地形を戦場として選んだのではないでしょうか」
「この間の戦闘で、大分戦力も落ちたのだろうな」
クロルタスは、セルセスの意見に同意した。少し考えて、セルセスを後方へ戻し、先鋒を務めるダティスに使いを出した。
ダティスが王子の命令に従って兵士の配置を動かし、全軍が動き出した。
まだレグナエラ軍は動かない。ずらりと兵士が並ぶのが見えるだけである。十中八九、弓を構えているに違いない。ネオリア軍は、しずしずと進軍した。やがて、両軍の距離が矢の射程内に入る寸前まで縮まった時。
「突撃!」
クロルタスが号令を発した。先鋒のダティスを含む騎馬の一団が馬に鞭をくれ、どっと走り出した。後から歩兵も走って続く。いかにネオリアが騎馬民族とて、全員が騎乗して戦うほど、行軍は甘くない。
馬は喩えに引かれるほど大食いであるし、場所も取る。騎兵と歩兵を適度に組み合わせて戦うのが、ネオリアの得意とする戦術であった。
今も、騎馬軍団を突撃させて前線を攪乱し、混乱するところを歩兵が襲うという作戦である。
案の定、レグナエラ軍は矢を放ってきたが、精鋭を誇る騎兵達は上体を低くして矢の雨を潜り抜けた。
乾燥した土が、勢いよく蹴り上げる無数の四足によって、もうもうと空中へ巻き上げられる。
後から続く者達は、土埃の煙幕を掻き分けながら進撃することになった。
ヒヒ―ン、ヒヒ―ン、連鎖する馬のいななきに悪い記憶を呼び覚まされたのか、最前列にいたレグナエラ兵が踵を返して逃げ出した。
「うわあ」
どよめきと共に、レグナエラ軍は自ら混乱に陥った。
先陣を切るダティスの目に映るのは、逃げる兵士の背中ばかりである。奥の方には、恐怖に耐えて踏み止まる兵士達も残っている。ダティスは、馬上で槍を振り回した。
「蹴散らせ、蹴散らせ!」
長い槍が面白いように逃げ遅れたレグナエラ兵に当たり、ばたばたと倒して行く。倒れた兵士には目もくれず、ダティスは馬を駆ってひたすら前進した。
踏ん張っている兵士の一団が迫る。
彼等の顔が、緊張と恐怖で引きつっているのが馬上からはっきり見えた。ダティスはにやりと笑って見せた。我慢の限界を超えたのか、遂に頑張っていた兵士達がくるりと後ろを向いた。
「逃がさぬぞ!」
ダティスは更に馬を駆り立てた。兵士達の姿が掻き消えた。
えっ、と思う間もなく、ダティスの体は馬ごと宙に浮いた。ふわりという感覚は一瞬で、すぐにもの凄い風が下から噴き上げた。
続いて突き上げられるような衝撃と馬の悲鳴が同時に起こり、彼は馬の背から投げ出された。全身を痛みが走り抜ける。わあっ。遠くで歓声のような音が耳に届いた。
「落ちた?」
砂がぱらぱらと顔にかかるのがわかる。痛みを堪え、周囲の状況を確認しようと頭を持ち上げたダティスの上に、重い物が降ってきた。意識を失う直前、彼の鼻は噎せかえるような馬の臭いを嗅いだ。
「小細工だな。それでも少しは打撃を与えられただろうか」
前方から歓声が聞こえ、ソルピラスは輿の中で一人ごちた。
死んだケラムバスの代りにペルクヌスが前線に出、カーンサス運河の工事中の溝には、ウルペスが張りついて指揮を取っている。
ネオリア軍に囲まれないよう、地峡で迎え撃つことになり、折角なので大した期待もせずに落とし穴として利用したのであった。
兵士達の歓声から推すと、多少の成果は上がったのか。囮になった兵士達は無事だろうか。
彼は心配しながらも、眼前に伸びる戦線から目を離さなかった。土煙の向こうから、先陣を切って攻撃する馬の数は多少減らせたように見える。
それでもネオリア軍の勢いは強く、レグナエラ軍の兵士達は懸命に戦いながらも、押され気味であった。
前線で戦う兵士達が疲弊する度に、後方に控える新たな兵士達を送り出す。順々に送り出しても、ネオリア軍の攻撃は止まない。その粘り強さは、兵士が無限に増殖しているのではないかと思わせる。
遂に、ネオリア軍が兵士の壁を突き破った。どっと溢れてソルピラスへ向かってくる。護衛の兵士達がどよめく。彼は剣を抜き、輿を降りた。
「私は自分で身を守る。行け、祖国を守れ!」
兵士達はやや躊躇いながらも、敵前へ歩を進めた。ネオリア軍の脇から、味方の一団が攻めかかった。ウルペスが率いる部隊の一部である。たちまち剣戟の音が高くなる。
「殿下! ご無事でしたか」
ひょっこりウルペスが現れた。輿に姿が見えないので、心配して探しにきたらしい。ソルピラスの顔を見て安心した表情になる。
「高い場所にいると、狙われ易いからな」
剣を構えながら、冗談めかして言う王子を、部下は真剣な眼差しで見つめた。辺りを警戒しつつ、つと寄って腕を掴み、声を落とす。
「もう、ここはだめです。殿下だけでもお逃げください」
耳を疑ったソルピラスが怒って腕を振り払おうとした時、すぐ側で続々と悲鳴が上がった。
ウルペスは自ら王子の腕を離し、前へ出て悲鳴のした方向へ剣を構えた。
一頭の馬が暴れていた。馬からは、長い柄の先に鎖で繋がれた鉄球がぶんぶんと振り回され、鉄球に当たった兵士が次々と倒れていくのであった。
悲鳴と血の臭いに興奮する馬は、それ自体が凶器である。
馬に蹴散らされて倒れる兵士が何人もあった。
馬上の人間が、ふと見えた。その目は真っ直ぐにソルピラスを捉えた。男の残虐な笑みが、ソルピラスの身分を見破ったことを雄弁に物語っていた。
騎兵は、ネオリアの言葉で何やら叫びながら暴れる馬を巧みに操り、ソルピラス目掛けて馬を走らせた。
ウルペスは咄嗟に馬の長い脚を払おうと、頭を低くして突っ込んだ。
馬の悲しげな鳴き声が上がり、ウルペスの剣に確かな手応えがあった。
どさっと人が落ちる音、骨の折れる音と悲鳴が同時に聞こえた。彼は体勢を立て直し、振り返った。無事で立っている筈の王子の姿はそこになかった。
「殿下!」
脚を折られてもがく馬には目もくれず、ウルペスは敵の死体を踏み越え、倒れたソルピラスの元へ駆け寄った。
ソルピラスは敵の長い武器で一足先に倒されていた。
鉄球を避けようとして間に合わなかったのか、側頭部が陥没していた。ウルペスの呼びかけに、見開いていたソルピラスの目の焦点が僅かに合わされた。首は既に動かせそうにない。
「レグナエラ、封鎖。メロ」
「殿下、ソルピラス様」
ウルペスはソルピラスの体を揺さぶったが、王子の体からは急速に生命の印が失われていった。
彼はきっと顔を上げた。他の兵士達は、防戦一方で指揮官の死には気付く余裕がないようであった。
乗り捨てられた輿に括りつけられた驢馬が、脅えてとことことウルペスの方へ逃げてくる。ウルペスは、驢馬に走り寄って輿と驢馬を切り離した。王子の遺体を驢馬に乗せ、自分も一緒に跨る。
「行け」
足で驢馬の腹を蹴ると、乗り手の意を汲んだように驢馬は走り出した。遺体がずり落ちないよう自分の体で押さえながら、ウルペスは驢馬の背にしがみついていた。
「皆、済まない」
ウルペスは歯を食いしばり、目を細めて前方を睨みつけた。彼は後ろを振り向かなかった。
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