神殺しの剣

在江

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第二部 第二章 地峡カーンサス

9 正念場の非情

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 船が炎上していた。夕闇迫るカーンサス湾の北岸は、時ならぬ炎の灯りを得て、夜の到来を一時的に免れていた。
 赤々とした炎に照らされる港に、消火活動に勤しむ人々の姿はない。

 ばりばりと音を立てて崩れていく船上にも、逃げ惑う人の姿は全く見られなかった。
 ただ、炎から出る熱気を避けるために少し離れた場所から、船が燃え尽きんとするのを見守る一群があった。

 レグナエラのソルピラス王子とその揮下きかにある兵士達である。哨戒しょうかいなどの勤務についている者を除く半数以上が、きちんと整列し燃える船を見つめていた。
 火の手が上がってから随分な時間が経っているにもかかわらず、誰一人私語を交わさなかった。

 やがて炎の勢いが僅かに弱まり始めた時、ソルピラス王子が一同の前に立った。炎を背に、王子の輪郭が黒くくっきりと浮かび上がった。

 「諸君。我が父ソルマヌス王は、ネオリア軍にカーンサス湾を渡らせるな、とおおせられた。我々が乗り組み、共にカーンサスを渡った船は、まさに燃え尽きようとしている。今や、負けて逃げのびるすべは断たれた。生きて戻る道はただ一つ、ネオリア軍に勝つことだ。ジークミオンを不当に占領したネオリア軍が、正体不明の病で次々に死んだ事実を見よ。神々は我々に味方している。諸君、非道なるネオリア軍に勝利し、人々の歓呼の中を凱旋がいせんしようではないか」

 おお、と兵士達が応えた。時折飛んでくる火の粉を避けようともせず、頬を赤く染めているのは、炎に照らされたためばかりではなかった。連戦連敗を喫しているレグナエラ軍は、ここが正念場であることを誰もが自覚していた。
 盛大に燃え上がる船を見て、各自が改めて勝利を胸に誓うのであった。

 兵士達を解散させ、本部と定めた建物へ戻ったソルピラスは、兵士達の耳目じもくを警戒した後、側にいた部下のウルペスに耳打ちした。

 「うまく隠せたか」
 「勿論です。敵にも味方にも分からないよう、ある程度の数は確保してあります」

 ウルペスも小声で返した。火をかけたのは、軍船や敵軍に利用されそうな大型の船がほとんどであった。
 予めウルペスに命じ、民を使って小型の船を隠したのである。

 全ての船を失っては、いかに戦火をまぬがれようと、湾岸の民が生活に困る。
 知るのは、レグナエラ軍の中ではソルピラスとウルペスのみである。

 「どうしても、ここで勝たねばならぬのだ」
 「はい」

 王子は普通の大きさの声に戻して言った。

 「上手くいくとよいが」
 「はい」

 船が燃え尽きるのを見届けるよう残したケラムバスが、警戒に当たっていたペルクヌスと一緒に戻ってきた。

 「終わりました。もう、あれらは使い物になりません」
 「ネオリア軍が夜間に奇襲をかける様子は、今のところないようです」
 「ご苦労だった」

 報告を受けたソルピラスは部下をねぎらった。船の炎が鎮まった後の空は、すっかり夜のとばりが下りていた。


 カーンサス湾を臨む位置に野営するネオリア軍にも、当然空を明るく染める炎は目に入っていた。
 斥候せっこうを出して調べさせてみたものの、彼が戻ったのは炎もとうに消えた夜更けであった。
 眠らずに待っていたネオリアのクロルタス王子は、小言を始めようとするダティスを押さえ、じかに報告を聞いた。

 「無事に戻ってこそ任務をまっとうしたと言えるのだ」

 斥候の報告を一通り聞き、幾つか質問した後、王子は斥候を下がらせてダティスにセルセスを起こすよう命じた。セルセスは最初から起きていたかのように、すぐ参上した。

 この辺りは、昼間暑い代わりに朝晩冷え込む気候である。外気に触れた途端に目が冴えても不思議はない。
 それでもネオリア本国に比べれば、温暖で過ごしやすい土地柄であった。
 三人揃ったところで、王子は改めて斥候の報告を繰り返した。

 「レグナエラが、船を焼き払ったそうだ」
 「退路を断って士気を高める作戦ですな」

 セルセスはすぐに返した。クロルタスが頷く。

 「私もそう思う。斥候が調べた範囲内では、無事に残った船は見当たらなかったそうだ。これでは勝ってもカーンサス湾を迂回うかいせねばならぬ。ちと面倒な事になった」

 「なあに、心配は要りませんよ王子。まるきり船がなければ、住民も困るでしょうから、軍に内緒で多少は隠してある筈です。その船を使い、近郊から大きな船を引っ張ってくればよいのです。それより、窮鼠きゅうそ猫をむ、と言いますからな。少し作戦を考えるべきでしょう」

 セルセスはのんびりした口調で言い、席を立つとカーンサス湾一帯の地図を持ってきて、卓上に広げた。
 地図はレグナエラ製である。これまで幾つかの町を攻略する過程で手に入れたものであった。

 ネオリア軍は、手に入れた物を有効に活用する能力に長けていた。必要な物は、金目の物とは限らない。もっとも、その習性のせいで麦角ばっかく混じりの麦から痛打を浴びたのでもあった。

 「手の者を潜り込ませ、帰る船はある、という偽情報を流して攪乱かくらんするのはどうでしょうか」

 意見を述べる機会がなく焦ったダティスが、とうとう口を挟んだ。ずっと作戦を考えていたらしい。セルセスがクロルタスに目顔で意見を求める。王子は、よい考えだ、と言う風に大きく頷いた。

 「なるほど。ねずみに逃げ道を与えるのだな。確かに、鼠なら喜んで逃げるだろう。しかし、今からレグナエラ軍に手の者を潜り込ませることができるだろうか」

 反論できず、ううむと口篭くちごもってしまったダティスに、思いがけずセルセスから助け舟が出された。

 「ダティスの考えは、なかなか妙案ですな。わざわざ危険を冒して潜り込ませなくても、戦闘に入れば敵と接触できるのですから。この間手に入れた捕虜ほりょに幾つか偽情報をつかませて、わざと逃がせばよいでしょう。そうすれば、我が方に損はありません」

 古参のセルセスの意見に、クロルタスばかりでなく、面目めんもくほどこしたダティスも、もろ手を挙げて賛成した。

 王子の許可を得て、早速セルセスは表に立つ見張りの兵士を使い、必要な手配を済ませた。
 席に戻ると、王子とダティスは、広げられた地図を前にああでもない、こうでもない、と小声で相談していた。

 「セルセス、ご苦労だった。今、ダティスとも話していたのだが、戦闘そのものにおいても、何か工夫できないか、と思うのだ。逃げ道に気付いても、依然として危険な鼠には違いないからね」
 「そうですなあ」

 改めて広げられた地図を眺めたセルセスは、やがて笑みを浮かべて王子に視線を移した。


 自ら退路を断ち、背後への気遣いがないとなれば、敵の攻撃を待ってがむしゃらに討って出るのが理想的である。
 しかしどうした訳か、ネオリア軍は呑気に野営を続け、一向攻め込む気配を見せなかった。

 レグナエラ軍のソルピラス王子は、日が経つにつれ苛立ちを増す兵士達の様子を、自らの苛立ちを隠しながら観察した。
 兵士達の苛立ちは、活路を切り開くことを禁じられ、不安定な状態を保たねばならないことに端を発していた。作戦の立案者である王子には、彼等の気持ちが痛いほど理解できた。

 「何故、奴らは来ないのでしょう」

 部隊長のケラムバスも、落ち着かない様子であった。彼ばかりでなく、ウルペスもこの場にはいないペルクヌスも心穏やかではないようであった。

 「お前達の気持ちはわかっているつもりだ。ただ、きっかけが欲しいのだ」

 ソルピラスは言った。王子の言葉に呼応こおうするように、兵士達が何人かを引っ立てて本部に入ってきた。農民や市民のようななりをしており、一様に疲労の色が浮き出ていた。

 「不審人物を捕らえました。ネオリア軍から逃げ出した、ネイクスとトマトンテの住民だと申し立てております」
 連行してきた兵士の一人が報告した。

 「おら、隠してある舟でラジューンまで行くだ」

 農民のような恰好をした男が大声を出した。ソルピラスの表情が僅かに固くなった。気を利かせたウルペスが、連行してきた兵士を持ち場へ帰そうとしたのを、手で押し留め、自ら訊問した。

 「待て。すぐに済む。お前、『隠してある舟』とは、どういうことだ。ここは港町だ。舟など隠さずともそこいらにたくさんあるだろう」

 農民風の男が、奇妙な顔付きをした。彼ばかりでない。一緒に連れてこられた男達も、無言のまま互いに顔を見合わせて首を傾げている。

 本部は町中にあり、ネオリア軍の捕虜が逃げてきたのなら、港に放置された船の残骸は目にしていない筈だった。
 男達の表情を見て、ウルペスも王子の考えを読み取ったようであった。厳しく追及されるより前に、市民風のなりをした男が王子の質問に答えた。

 「この間、港の方から炎が見えて、ネオリア軍の兵士達が、あれは俺達が使えないように船を焼いているんだ、でもどこかにこっそりとレグナエラ軍が使えるように船を隠してあるんだ、と互いに話しているのを聞いたのです」

 他の男達もそうだそうだ、と頷く。全員、同じ経緯けいいで話を聞いたようである。ソルピラスの表情がけわしくなった。

 「ネオリア軍め、偽の情報を流して我が軍の士気を落とそうと図りおったな。逃げ出したのは、大方お前達だけではあるまい。待つのはここまでだ、攻撃を開始する。ただちに準備にかかれ」

 ぱっと喜び勇んでケラムバスが飛び出して行った。
 ウルペスが目顔でソルピラスに、逃げ出した捕虜の扱いを尋ねる。ソルピラスはやはり目顔で応えた。

 ウルペスはふっとため息をついて兵士に耳打ちし、事情を知らない捕虜達は、解放される喜びに浸りながら、兵士に囲まれて本部を出て行った。後に残ったソルピラスは、戦場へ出る準備をするために、係の兵士を呼んだ。

 しばらくして、かすかな悲鳴が本部まで届いた。しかし、悲鳴は戦の準備の慌しい騒音に紛れてしまった。
 朝には死体が裏道に並ぶこともなく、その後、ネオリアから解放された捕虜たちと会った者もいなかった。
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