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第二部 第二章 地峡カーンサス
8 神殺し
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死の神の歩みが止まった。身を翻し、その場でメミニと向き合った。記憶の神はにやりと笑ってみせた。
「知りたいじゃろう。私は天帝から記憶を司るよう命ぜられたのじゃが、知らないことがいくつかある。貴公の姿も知らぬ。じゃが、考えることはできる。他の神々には司る仕事の他に、自身の名前がつけられているのに、貴公ばかりは名前がないことになっておる。本当に、名前はないのじゃろうか」
「なにゆえ、デリム殿の記憶から、貴公の存在が消されたか。天帝は、日の御子と死の神にそれぞれ印をつけたと伝えられる。その意味するところは、雌雄の別をつけたということじゃろう。日の御子は、男神じゃ。対応する貴公は女神ということになる。デリム殿を通じて、他の神々にそれを知られぬため、神格を分離すると称して記憶を加工したのじゃろう」
メミニは力いっぱい握り締めていた椅子の肘掛から、僅かに力を抜いた。死の神は立ったまま、動かない。
その表情は窺い知れないが、踵を返して立ち去らないところを見ると、記憶の神の推察に、一片の真実が含まれるようであった。
メミニは勝利への道を歩む確信を得てもなお、慎重であった。相手は日の御子に匹敵する古参の神であり、その性質上、油断のならない存在である。
神々の間に沈黙が続いた。メミニは、背凭れに寄りかかって寛いだ風を装いながら、相手の出方を待った。
「記憶の神ならば、当然そのことはご存知だ、と認識しておりました」
死の神は低い声で答えた。相変わらず、女神とは思えない。また沈黙が神々を支配した。続きを促す様子である。再びメミニは、肘掛を握る手に力を篭めた。
「知られたくないのは性別ではないのじゃ。神々のうちで、貴公ばかりが名前で呼ばれないのは、他の神からの影響を排除するためじゃろう。じゃが、名前がない訳ではない」
闇色のマントが微妙に揺れ、メミニは言葉を切った。しかし、死の神はそれ以上動かず、何も言わなかった。記憶の神は、なおも余裕を見せつけるべく、ゆっくりと話を続けた。
「なにゆえ、デリム殿はデリムなのじゃろう。貴公から取られた名と考えれば分かり易い。そこを出発点として、私は貴公の名を知り得たのじゃ。神々に名を知られれば、貴公も仕事をし辛かろう。ぜひとも、デリム殿と共にレグナエラのため、協力をお願いしたいのじゃ」
「お断りします。職掌柄知り得た秘密を私利に供するのは如何なものかと」
死の神の返答はにべもなかった。メミニは憤然として椅子から立ち上がり、勢いで転がるように数歩前へ出ると皺だらけの腕を伸ばし、骨と皮ばかりの指を死の神に突き付けた。
距離が近すぎて指が触れ、闇色のマントがずるりと落ちた。
二柱の神は互いに目を合わせた。記憶の神はぶるぶると震え出した。恐怖ではなく、怒りからであった。
「下手に出れば強気になりおる。私は脅しているのではないのじゃ。老いた姿をしているとて、侮るな。大体、その身内に宿しているものは何じゃ。天帝以外の神が、子など宿してよいものか」
「私とて、日の御子からご寵愛を受けて若返りさえすれば、貴公以上に美しく、威厳のある姿で他の神々をひれ伏させる力を持っておる。わざわざ貴公に頼まずとも、命令するだけでよいのじゃ。私に従え、ディリ」
メミニはその名を最後まで発音することができなかった。死の神が素早く動き、一閃にして両断されたのである。
記憶の神は逃げる隙も口を止める間もなく、正面から真っ二つに斬られた。
漆黒の髪に青白い肌の女神は、手に抜き身の剣を提げ、己の切り捨てたものを見下ろす。ほっそりとした肢体は、腹に子を宿す身には見えない。メミニの目は大きく見開かれていたが、何も見えていないようであった。
「メ。死ぬのじゃろう、か、神が」
記憶の神は、二つに分かれた口をそれぞれにぱくぱくと動かしたが、明瞭な言葉とはならなかった。そして絶命した。
冥王の前に、死の神は頭を垂れて立っていた。跪いていたのを、冥王が立たせたのである。
脇には二つになった記憶の神の遺骸があった。黒い布に包まれている。死の神自身も、今は闇色のマントを纏っていた。
「物事は、連鎖して起こるものだ」
瞑目して死の神の説明を聞き終えた冥王が、瞼を持ち上げた。死の神は、更に頭を低くした。
「申し訳ございません」
「必然だろう。気に病むことはない。が、かくなる上は天帝に知らさねばなるまい」
冥王は立ち上がった。膝を折ろうとする死の神を制し、布に覆われた記憶の神の遺骸に手をかざす。
盛り上がっていた布が支えを失い、くたりと平らになった。横目で様子を窺っていた死の神が、弾かれたように顔を上げた。
「神々は、存在自体が魂である。人界の生物のように、体と魂が分離することはない。死ねばそれまでだ」
死の神はそろそろと手を伸ばし、布を捲ってみた。中身は空っぽだった。
「知りたいじゃろう。私は天帝から記憶を司るよう命ぜられたのじゃが、知らないことがいくつかある。貴公の姿も知らぬ。じゃが、考えることはできる。他の神々には司る仕事の他に、自身の名前がつけられているのに、貴公ばかりは名前がないことになっておる。本当に、名前はないのじゃろうか」
「なにゆえ、デリム殿の記憶から、貴公の存在が消されたか。天帝は、日の御子と死の神にそれぞれ印をつけたと伝えられる。その意味するところは、雌雄の別をつけたということじゃろう。日の御子は、男神じゃ。対応する貴公は女神ということになる。デリム殿を通じて、他の神々にそれを知られぬため、神格を分離すると称して記憶を加工したのじゃろう」
メミニは力いっぱい握り締めていた椅子の肘掛から、僅かに力を抜いた。死の神は立ったまま、動かない。
その表情は窺い知れないが、踵を返して立ち去らないところを見ると、記憶の神の推察に、一片の真実が含まれるようであった。
メミニは勝利への道を歩む確信を得てもなお、慎重であった。相手は日の御子に匹敵する古参の神であり、その性質上、油断のならない存在である。
神々の間に沈黙が続いた。メミニは、背凭れに寄りかかって寛いだ風を装いながら、相手の出方を待った。
「記憶の神ならば、当然そのことはご存知だ、と認識しておりました」
死の神は低い声で答えた。相変わらず、女神とは思えない。また沈黙が神々を支配した。続きを促す様子である。再びメミニは、肘掛を握る手に力を篭めた。
「知られたくないのは性別ではないのじゃ。神々のうちで、貴公ばかりが名前で呼ばれないのは、他の神からの影響を排除するためじゃろう。じゃが、名前がない訳ではない」
闇色のマントが微妙に揺れ、メミニは言葉を切った。しかし、死の神はそれ以上動かず、何も言わなかった。記憶の神は、なおも余裕を見せつけるべく、ゆっくりと話を続けた。
「なにゆえ、デリム殿はデリムなのじゃろう。貴公から取られた名と考えれば分かり易い。そこを出発点として、私は貴公の名を知り得たのじゃ。神々に名を知られれば、貴公も仕事をし辛かろう。ぜひとも、デリム殿と共にレグナエラのため、協力をお願いしたいのじゃ」
「お断りします。職掌柄知り得た秘密を私利に供するのは如何なものかと」
死の神の返答はにべもなかった。メミニは憤然として椅子から立ち上がり、勢いで転がるように数歩前へ出ると皺だらけの腕を伸ばし、骨と皮ばかりの指を死の神に突き付けた。
距離が近すぎて指が触れ、闇色のマントがずるりと落ちた。
二柱の神は互いに目を合わせた。記憶の神はぶるぶると震え出した。恐怖ではなく、怒りからであった。
「下手に出れば強気になりおる。私は脅しているのではないのじゃ。老いた姿をしているとて、侮るな。大体、その身内に宿しているものは何じゃ。天帝以外の神が、子など宿してよいものか」
「私とて、日の御子からご寵愛を受けて若返りさえすれば、貴公以上に美しく、威厳のある姿で他の神々をひれ伏させる力を持っておる。わざわざ貴公に頼まずとも、命令するだけでよいのじゃ。私に従え、ディリ」
メミニはその名を最後まで発音することができなかった。死の神が素早く動き、一閃にして両断されたのである。
記憶の神は逃げる隙も口を止める間もなく、正面から真っ二つに斬られた。
漆黒の髪に青白い肌の女神は、手に抜き身の剣を提げ、己の切り捨てたものを見下ろす。ほっそりとした肢体は、腹に子を宿す身には見えない。メミニの目は大きく見開かれていたが、何も見えていないようであった。
「メ。死ぬのじゃろう、か、神が」
記憶の神は、二つに分かれた口をそれぞれにぱくぱくと動かしたが、明瞭な言葉とはならなかった。そして絶命した。
冥王の前に、死の神は頭を垂れて立っていた。跪いていたのを、冥王が立たせたのである。
脇には二つになった記憶の神の遺骸があった。黒い布に包まれている。死の神自身も、今は闇色のマントを纏っていた。
「物事は、連鎖して起こるものだ」
瞑目して死の神の説明を聞き終えた冥王が、瞼を持ち上げた。死の神は、更に頭を低くした。
「申し訳ございません」
「必然だろう。気に病むことはない。が、かくなる上は天帝に知らさねばなるまい」
冥王は立ち上がった。膝を折ろうとする死の神を制し、布に覆われた記憶の神の遺骸に手をかざす。
盛り上がっていた布が支えを失い、くたりと平らになった。横目で様子を窺っていた死の神が、弾かれたように顔を上げた。
「神々は、存在自体が魂である。人界の生物のように、体と魂が分離することはない。死ねばそれまでだ」
死の神はそろそろと手を伸ばし、布を捲ってみた。中身は空っぽだった。
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