神殺しの剣

在江

文字の大きさ
上 下
52 / 71
第二部 第二章 地峡カーンサス

7 メミニの秘策

しおりを挟む
 農業の神ルスティケが戻ると、ウェナトリスが渋い表情で壁面に映し出された人界の様子を観察していた。それでもルスティケの気配を感じた途端、男神はよく日に焼けた肌に喜色をたたえて相手を出迎えた。

 「やあ、ナウィゴールは反省していたかい?」
 「それなりに、ね。反省と言えば、あなたにも反省すべき点があるのよ」

 ルスティケはウェナトリスから少し離れた場所に椅子を移して腰掛けた。狩猟の神は大袈裟に驚いて見せた。

 「なぜわざわざ遠いところに座る? 私たちは同じ目的のために協力しているのだろう?」

 ルスティケはウェナトリスの動きを手で制し、自らもその場を動かなかった。

 「厳密に言えば、同じ目的ではないでしょう。この戦いに勝利しても、おかしな風評を立てられたら、日の御子との婚儀に差し支えるからよ」
 「他の女神たちも男神の力を借りているのだから、貴公ばかりに風評など立てようがなかろう。第一勝利したとて、日の御子の妻に必ずなれる訳でもなかろうに……それで、何を反省すれば良いのかな」

 ウェナトリスは椅子から立ち上がらんばかりにして自分の見解を述べたが、聞き手のルスティケが微妙に表情を変化させたのを読み取ると、素早く本題に戻って椅子に腰を落ち着けた。しかし農業の神の表情は変わらなかった。

 「ネオリア軍の通過した後には、オリーブの葉一枚残らないと評判よ。負け知らずなのは有り難いけれど、もう少し穏やかな方法はないものかしら」

 農業の神の言葉に、ウェナトリスの表情が翳りを帯びた。

 「貴公の言い分にも道理がある。だが、貴公自身の行いではないのだから、評判など気にせぬがいい。相手は貴公のように品行方正とは限らぬぞ」

 狩猟の神が指差す先に目を向けると、人界ではネオリアの兵士がばたばたともがき苦しみながら死んでいくところであった。ルスティケは吸い寄せられるように席を立ち、人界の様子が映し出された壁に近付いた。

 ネオリア軍は占領したジークミオンをとりでにして、兵士達に交替で休養を取らせていた。
 兵士達は寝台を使って眠りをむさぼったり、家々を探索して隠し財産をあさったり、強奪した食料で作った贅沢な食事を楽しんでいたのだが、そのうち食事中の者が次から次へと頓死とんししたのである。

 「レグナエラ軍が食料に毒を混ぜたのかもしれない」

 狩猟の神の呟きに首を振りながら、ルスティケはなおも人界の様子を観察し続け、やがてああ、と声を上げた。

 「『麦角ばっかく』よ。ああ、こんな上等の小麦に何てこと」
 「ば?」
 「麦の病気よ。人間には猛毒だわ。アエグロートの仕業ね、ひどいわ」

 そのままルスティケは部屋を出て行こうとする。慌ててウェナトリスが呼び止めた。

 「もう行くの、どこへ?」
 「ナウィゴールのところ。次に海戦が起きるようなら、私もついて手助けするわ。ウェナトリス、あなた神精霊を通じてジークミオンの小麦を食べないよう、ネオリアに教えておいてね」

 言い捨てて、ルスティケは部屋を出て行った。ウェナトリスは農業の神の姿が消えるや否や椅子から立ち上がり、伸びをするついでに栗色の髪を撫でつけた。それから、言いつけを実行するために神精霊を呼びつけた。命令する神は、渋面に戻っていた。


 「まあ、あんなに毒入り麦を食べて死んだのに、ネオリア軍が奮闘していますわ。ねえアステリス」
 「そうね、姉さま。夜ならあたしたちも手助けできるのに」
 「ステラのソルペデスがカーンサス湾にいればねえ、アストルミ姉さま」

 星の神々がお喋りを続ける横で、病の神アエグロートと月の神ルヌーラが人界の様子をじっと眺めていた。それぞれ冴えない表情を浮かべている。

 「死んだのは、奴隷にされたレグナエラの民が多いようだ。ルスティケ殿の入れ知恵もあろう。農業の神だけのことはある」
 「ソルピラスでは、カーンサス湾を守るのは難しいでしょう。プラエディコ山が戦火を避けられたのを幸運と見るかどうか」

 ルヌーラが言った。麦角で相当の人員を失ったネオリア軍は、ジークミオンから怒涛どとうのように流れ出し、レグナエラ軍はその勢いに押され、じりじりと撤退に次ぐ撤退を続けていた。

 日の御子の大きな神殿があるプラエディコ山を回り、今やカーンサス湾まで南下し退しりぞいている。
 カーンサス湾さえ渡れば、首都レグナエラはネオリア軍にとって、目と鼻の先である。

 黒死病の大流行に遭い、大量の死者を出したメリディオン軍も、愛の神の手助けがあったのか、どうにかアゲを脱出し、首都へ向かっていた。
 後を追うソルペデスの部隊にも疲労が溜まり、思うように追撃できていない。

 ルヌーラも星の三姉妹も闇に乗じた小競り合いでは、レグナエラ軍に有利になるよう手助けをし、アエグロートもいくつか小細工を施したのだが、はかばかしい成果を上げていない。
 神々には、決定的な勝利への一撃が、見出せないでいた。

 「あら、メミニさま」

 神精霊が記憶の神を案内してきた。老女の姿であるメミニは、若々しい女神たちに囲まれている、巨大な肉の塊のようなアエグロートを見て、口をぱくぱくさせた。

 「奇特な取り合わせじゃの」
 「メミニさま、あたしたち、お待ち申し上げておりましたのよ」
 「ステラのソルペデスにご助力をお願いしますわ」
 「あたくしたち、懸命に応援しているのですけれど、雲行きが怪しいのですわ。ねえ、アステリス」
 「ええ、あたしもそう思いますわ」
 「メミニ様、どうぞこちらをご覧ください」

 際限のない星の神々のお喋りから引き剥がすように、ルヌーラがメミニの手を取り、人界を映し出す卓まで連れ出した。

 人界では相変わらずレグナエラが苦戦している。メミニは顔のしわをなぞりながら、しばらく人界の様子を観察していた。星の神々もお喋りを止めて、他の神々と共に記憶の神を見守った。

 「デリム殿はどうしたのじゃ」

 顔を上げて一同を見回し、メミニは尋ねた。一同の視線を受けて、ルヌーラが答えた。

 「天界へ招じられた理由を考えても、レグナエラには思い入れがあるけれども、神々の仕事をおろそかにもできないし、要するに誰の味方もしないということでした」
 「ま、元人間としては賢明な選択じゃな」

 メミニは正直に感想を述べたが、一同の視線から好意が薄れたのを感じ取り、口をぱくぱくさせながら付け加えた。

 「しかし、それでは皆困るじゃろう。どれ、一つ私が出掛けて話してみよう。他に味方につけておきたい神々もあるし」
 「他に力になりそうな神々がおられましたかな」

 アエグロートがつるりと頭を撫で上げ、そのまま真横に傾けた。小首を傾げた体であるが、首は肉に埋もれていて動きが見えない。肉塊の上で球が滑ったようなものである。

 「いるのじゃ。記憶の神に任せなされ」

 一同の視線が尊敬の眼差しに変わるのを見て取り、メミニは満足げな笑みを浮かべた。


 天界に住まう神々は通常、冥界に赴くことはない。

 従って、大部分の神は、冥界への行き方すら知らない。
 メミニは記憶の神という職掌柄、冥界と天界を自在に行き来できる、数少ない神であった。

 ルヌーラたちの集いから抜けてまず向かったのは、武芸の神デリムの元ではなく、冥界にある死の神の住いである。

 天界とは対照的に暗闇が支配する冥界の道なき道を、メミニは途中ですれ違う怪しげな影に触れないよう注意しながらも、迷う事なく進んだ。

 冥界には天界や人界と異なる独自の機構があり、それも神々が冥界やそこに属するものを忌み言葉のように扱う理由の一つとなっていた。死の神の住いは、天界の神々の宮と同じ造りであったが、使われている素材は黒色が主である。

 入口に立つと、メミニは出てきた神精霊に案内を乞うた。神精霊は即座に答えた。

 「ただ今多忙のため、お会いになることができません。ご用件だけ承りましょう」
 「緊急重大の用件じゃ。会わねば後悔しようぞ、と伝えるのじゃ」

 一旦消えた神精霊は、再び現れてメミニを中へ導き入れた。

 外観と相違して、内部は天界にある建物と変わらぬ明るさを保っていた。メミニは明るさに慣れるまで、目を細めてつまずかぬよう注意しつつ歩かねばならなかった。
 装飾はほとんどなく、他の神精霊の気配も感じられぬまま、死の神が待つ部屋へと通された。

 広い空間に、明るい色の家具が充分な間をおいて配置されている。死の神は天界で姿を見た時と同様、闇色のマントで頭から足の先まですっぽりと体を覆っていた。身振りでメミニに椅子へ座るよう示し、後から自分も向かい合った椅子へ静かに腰掛けた。
 どういう仕組みになっているのか、座ってもマントは変わらず死の神のつま先まで覆っている。

 「緊急重大のご用件と伺いました」

 死の神が低い声で言う。食い入るように死の神を見つめていたメミニは、はっと我に返り、居住まいを正した。

 「ルヌーラ殿とルスティケ殿、イウィディア殿の争いは承知しておるじゃろう」
 「いいえ。近頃天界に足を運ぶ暇もないものですから」

 死の神の返事に、メミニは次の言葉に詰まった。かいつまんで事情を説明する。死の神は慎んで聞き入る様子であった。マントで全身を覆っているので、実際の反応は窺い知れない。

 「レグナエラを勝利に導くためには、武芸の神であるデリム殿の協力が必要不可欠じゃ。デリム殿はレグナエラに縁があるゆえ、快く協力してくれてもよい筈じゃが、中立を保ちたいという理由で断られてしもうた。そこで、じゃ」

 メミニは勿体ぶって言葉を切った。相手の神が若ければ、年長者の風格を以って威圧できるのだが、死の神の容姿は記憶の神にすらも知らされていない。メミニの威圧にも、死の神は目に見える反応をしなかった。闇色のマントは微動だにしない。

 「貴公から、デリム殿に協力をお願いして欲しいのじゃ。デリム殿が元々貴公の人界における仮の姿として存在したこと、他の神々は知らずとも、この記憶の神は承知しておるのじゃ。貴公に頼まれれば、嫌とは言うまい。貴公も共に協力してくれれば、なおよい」

 メミニは口を噤み、死の神の返答を待った。一瞬間を置いて、死の神は音もなく立ち上がった。闇色のマントが記憶の神を見下ろす。

 「そこまでご存知ならば、私の部分として存在していたという記憶がデリム殿にはないこともご承知でしょう」

 「すなわち、デリム殿が私の頼みを断れない理由が、存在しないことになります。中立を保ちたいという、デリム殿の考えには私も賛成です」

 「わざわざ冥界まで起こしいただいたのに、ご希望に添えないのは残念ですが、お断りします」

 お帰りください、とばかりに出口を示し、背を向けた。メミニは椅子から動かなかった。

 「待つのじゃ。会わねば後悔する、という言葉の意味を、まだ言うておらぬ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ここは貴方の国ではありませんよ

水姫
ファンタジー
傲慢な王子は自分の置かれている状況も理解出来ませんでした。 厄介ごとが多いですね。 裏を司る一族は見極めてから調整に働くようです。…まぁ、手遅れでしたけど。 ※過去に投稿したモノを手直し後再度投稿しています。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう

まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥ ***** 僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。 僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる

雨野
恋愛
 難病に罹り、15歳で人生を終えた私。  だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?  でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!  ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?  1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。  ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!  主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!  愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。  予告なく痛々しい、残酷な描写あり。  サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。  小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。  こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。  本編完結。番外編を順次公開していきます。  最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

授かったスキルが【草】だったので家を勘当されたから悲しくてスキルに不満をぶつけたら国に恐怖が訪れて草

ラララキヲ
ファンタジー
(※[両性向け]と言いたい...)  10歳のグランは家族の見守る中でスキル鑑定を行った。グランのスキルは【草】。草一本だけを生やすスキルに親は失望しグランの為だと言ってグランを捨てた。  親を恨んだグランはどこにもぶつける事の出来ない気持ちを全て自分のスキルにぶつけた。  同時刻、グランを捨てた家族の居る王都では『謎の笑い声』が響き渡った。その笑い声に人々は恐怖し、グランを捨てた家族は……── ※確認していないので二番煎じだったらごめんなさい。急に思いついたので書きました! ※「妻」に対する暴言があります。嫌な方は御注意下さい※ ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げています。

処理中です...