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第二部 第二章 地峡カーンサス
2 内陸侵攻
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マエナの言葉に、ソルペデス王子が驚き、力が緩む。
その隙に、エウドクシスが王子の腕から逃れた。元通りに顔を前髪で隠し、元の椅子へ座る。
「まさか、我が先祖ではあるまいな」
冗談めかした口調と裏腹に、顔には真剣さが浮かぶ。
「あんた、どうかしているよ。俺は自分の顔が好きじゃないんだ」
実はソルペデスの想像通りであったが、エウドクシスもだてに野に身を潜めていた訳ではなかった。
王子の浪漫的な疑念を一蹴する態度に、いささかの不審も感じさせなかった。王子は納得した。
「そうだな。百年余り在位した後、二百年以上も経っているのに、生きている筈がない」
「納得してもらったところで、そろそろ解放してもらえねえか」
エウドクシスはそろそろと椅子から立ち上がった。
「ここを出て何処へ行くのだ」
「俺の考えでは、奴らはもう海から攻めてこねえ。だから都へ行って陸の兵隊になるよ」
ソルペデスはこの青年に興味を持ち始めていた。このように粗野な人間と、まともに会話を交わしたのは初めてだった。しかも、彼の話が本当ならば、その状況でマエナを救出した技量は相当のものである。
横にいるマエナが異議を唱えないところを見ると、青年の話はまず本当のところであろう。
王子は側に置きたいと思ったが、一応マエナに目顔で尋ねた。マエナはどうぞご随意に、と言わんばかりにゆっくりと瞼を閉じた。
「どうせレグナエラのために働く気があるのなら、私の元に留まればよい。お前の話を信頼すれば、私の部隊も今後陸路から敵を追うことになるからな。褒賞も弾むぞ」
「俺の話は本当だってば。褒賞目当てじゃねえや。食えれば充分だ」
エウドクシスは疑われたと思ったのか、むっとした顔で応えた。そこで話が決まり、エウドクシスはソルペデスの側に仕えることになった。
上陸したメリディオン軍はレニト船長の先導で、グーデオンに数カ所あるレグナエラ兵の詰所を急襲した。
船団を送り出したレグナエラ側は、全く不意を突かれた形になり、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく制圧された。
総大将のメリファロス王子は、抵抗する者だけを殺し、大人しく降伏する者は生かしておくよう、また、一般民を決して戦闘に巻き込まず、その財産を略奪することのないよう前もって厳しく命令した。
もともと、結束の固い均一な集団からなるメリディオン軍は、ネオリア軍が投入した人数に比べれば規模も小さく、王子の命令を忠実に実践できた。
レグナエラ軍部の制圧後、彼らが先ずした事は、一般民への広報活動であった。
グーデオンの民はそれぞれの家で息を潜めつつ、耳目を最大にしてメリディオン軍のお触れを見たり聞いたりした。
日頃から異文化と接する人々は、安心して通常通り生活するように、と言われたからといって、すぐに出てくるほど平和呆けしてはいなかったが、敵軍が一般民からは略奪をしていない、という噂はたちまち裏小路を駆け巡り、人々の知るところとなった。
民は、メリディオン軍が次に何をするのか、事態の推移を窺っている状態であった。
「結構貯め込んでいるな」
メリファロス王子が、傍らの上陸部隊大将ベルースに話しかけた。
グーデオンの、レグナエラ軍本部にある倉庫に来ていた。倉庫は本部の建物よりも大きく頑丈で、そこには兵士の非常食だけでなく、貢納されて首都へ送られるのを待つ、食料や貴金属などが山積みにされていた。
「支部にも若干蓄えがありましたから、民から徴収しなくとも、我が軍を養うに充分な量が確保できるでしょう」
港に繋留する船に積み込むため、兵士を連れて来たベルースが同意した。
「余るな」
「は」
王子の意図を掴みかね、ベルースはつい間抜けた声を出した。
「多めに見積もっても、食料の三分の一は余るだろう。どこか広い場所へ運び出させて、欲しい者に配分する、と触れ回らせろ」
「は、はい」
ベルースは、すぐに待機していた兵士を使って食料を仕分け、王子の命令を実行に移した。
作業の進み具合から、配給は翌朝になった。どの程度の民が集まるのか、ベルースには予想もつかなかったが、予め王子に言われていた通り、貧しそうな裏通りへ重点的に触れ回らせた。
当日早朝から、積み上げられた物資の回りに人だかりができた。
兵士がせっせと配る間にも、神殿前にある広場のあちこちの路から、ぽつりぽつりとグーデオンの民が連れ立って姿を現す。
高々と積み上げられた物資は、太陽が中天にかかるずっと前に、きれいさっぱりなくなった。
まだ貰っていない人間も残っていたが、物資がなくなったとみると、文句を言う者もなく三々五々散って行った。
ベルースは部下からの報告を受け、船の修繕に立ち会うメリファロス王子の元へ赴いた。
「混乱もなく、全て配り終わりました」
「そうか。午後には出発できような」
メリディオン軍は、グーデオンにレニトとその乗組員に加えて若干の兵力を残し、陸路から首都レグナエラを目指して出発した。
グーデオンを東西に分けるロータス川沿いに北上するのである。
川を遡る船もあったが、攻撃された時に不利、という理由で使わなかった。これもレグナエラ軍から押収した驢馬に揺られて、メリファロスは心地よさげである。
自らも驢馬に跨りながら、ベルースは話しかけた。
「我々がいなくなった途端に、民が蜂起しないか心配です」
ふふん、と王子は鼻で笑った。
「彼らには武器がない。それに、彼らにとっては日々の生活が確保されれば、誰が支配者でも構わないのだ。民はしたたかだぞ」
「レグナエラの地は本国から遠い。厳しく統治しようとしても、限界がある。むしろ温情を示して、自発的に従うと彼ら自身に信じさせた方が得策だ。レグナエラには独特の魅力的な産物があるが、土地の肥沃さは我がメリディオンに敵わない」
「後世まで領土とするつもりはない。我々が戻るまで持ち堪えれば充分だ」
「なるほど」
「それより、ネオリアに先駆けてレグナエラ入りできるかどうかだ」
言葉を交わす間に、前を進む軍勢と少し距離が開いていた。メリファロスは、長い黒髪を掻きあげると、頭を一振りし、驢馬に鞭をくれて急がせた。驢馬が大きな耳をばたばたさせ、足を早めた。ベルースも王子に倣った。
ネオリア軍のクロルタス王子は、ネイクスとジークミオンの中間地点に当るトマトンテで海軍全滅の報に接した。
王子が率いる陸軍は、破竹の勢いで連戦連勝していただけに、衝撃も大きかった。王子は天幕を出た。
町は既に征服されていた。主要な建物は破壊され、大通りから裏の小路まで、死体の見えぬ場所はなかった。
ここでも無事なのは神殿だけであった。
いつも自軍の荒々しさに眉をひそめるクロルタスも、今日ばかりは死体が目に入らぬようで、無意識のうちに死体を跨ぎながら歩を進めた。
間もなく海岸へ出た。海は穏やかに青々としていた。王子はじっと波の動きを見つめた。
「兄上」
はらはらと涙が零れた。クロルタスは、ダリウスが側室の生まれであるために、王位継承権を剥奪されたことを、密かに恨んでいると知っていた。
ダリウスが、恨みの気持ちを克服しようと努めていることも、知っていた。
彼はそんな兄を尊敬していた。だからこそ、彼の兄に対する気遣いは真情溢れるものであった。
ダリウスも変に遠慮することなく、弟に至らない点があれば、さりげなく修正する気遣いを持ち合わせていた。
「我々はよい兄弟であった」
「仰せの通りにございます」
慌てて涙を袖で拭い振り返ると、セルセスが控えていた。
クロルタスの身を案じて後を付けてきたらしい。セルセスは少し距離を取って伏し目がちにおり、王子の涙を見ない振りをしていた。
王子は兄との思い出から、急に現実へ引き戻された。
「明朝、夜明け前に出発する」
出発前、町外れに全軍を集めた前で、クロルタスは演説を行った。
「諸君、既に聞いているだろうが、栄光ある我がネオリア海軍は、ここより東方にあるイナイゴス湾にてレグナエラと遭遇し、勇敢に戦った末、口惜しくも全滅の憂き目に遭った」
戦闘中は猛々しい兵士達も、今は水を打ったようにしんと静まり返り、クロルタスの話に耳を傾けている。
まだ星の輝きが衰えない夜の闇に、王子の切々たる訴えが隅々まで響いた。
「諸君、これまでの快進撃を思い出せ。天界におわします神々の加護は、我々の上にある。滅ぼされるべきは、悪しきレグナエラだ。海底に沈んだ我が同胞の遺恨を、晴らそうではないか!」
クロルタスは感情が高ぶるままに、吼えた。すると兵士達も同調して雄叫びを上げた。
恐ろしい野獣のような咆哮が、トマトンテの廃墟を渡っていった。神殿に立て篭もっていて僅かに生き残った人々は、鳴り響く声の正体がわからないままに、脅えて一層身を縮めるのであった。
その隙に、エウドクシスが王子の腕から逃れた。元通りに顔を前髪で隠し、元の椅子へ座る。
「まさか、我が先祖ではあるまいな」
冗談めかした口調と裏腹に、顔には真剣さが浮かぶ。
「あんた、どうかしているよ。俺は自分の顔が好きじゃないんだ」
実はソルペデスの想像通りであったが、エウドクシスもだてに野に身を潜めていた訳ではなかった。
王子の浪漫的な疑念を一蹴する態度に、いささかの不審も感じさせなかった。王子は納得した。
「そうだな。百年余り在位した後、二百年以上も経っているのに、生きている筈がない」
「納得してもらったところで、そろそろ解放してもらえねえか」
エウドクシスはそろそろと椅子から立ち上がった。
「ここを出て何処へ行くのだ」
「俺の考えでは、奴らはもう海から攻めてこねえ。だから都へ行って陸の兵隊になるよ」
ソルペデスはこの青年に興味を持ち始めていた。このように粗野な人間と、まともに会話を交わしたのは初めてだった。しかも、彼の話が本当ならば、その状況でマエナを救出した技量は相当のものである。
横にいるマエナが異議を唱えないところを見ると、青年の話はまず本当のところであろう。
王子は側に置きたいと思ったが、一応マエナに目顔で尋ねた。マエナはどうぞご随意に、と言わんばかりにゆっくりと瞼を閉じた。
「どうせレグナエラのために働く気があるのなら、私の元に留まればよい。お前の話を信頼すれば、私の部隊も今後陸路から敵を追うことになるからな。褒賞も弾むぞ」
「俺の話は本当だってば。褒賞目当てじゃねえや。食えれば充分だ」
エウドクシスは疑われたと思ったのか、むっとした顔で応えた。そこで話が決まり、エウドクシスはソルペデスの側に仕えることになった。
上陸したメリディオン軍はレニト船長の先導で、グーデオンに数カ所あるレグナエラ兵の詰所を急襲した。
船団を送り出したレグナエラ側は、全く不意を突かれた形になり、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく制圧された。
総大将のメリファロス王子は、抵抗する者だけを殺し、大人しく降伏する者は生かしておくよう、また、一般民を決して戦闘に巻き込まず、その財産を略奪することのないよう前もって厳しく命令した。
もともと、結束の固い均一な集団からなるメリディオン軍は、ネオリア軍が投入した人数に比べれば規模も小さく、王子の命令を忠実に実践できた。
レグナエラ軍部の制圧後、彼らが先ずした事は、一般民への広報活動であった。
グーデオンの民はそれぞれの家で息を潜めつつ、耳目を最大にしてメリディオン軍のお触れを見たり聞いたりした。
日頃から異文化と接する人々は、安心して通常通り生活するように、と言われたからといって、すぐに出てくるほど平和呆けしてはいなかったが、敵軍が一般民からは略奪をしていない、という噂はたちまち裏小路を駆け巡り、人々の知るところとなった。
民は、メリディオン軍が次に何をするのか、事態の推移を窺っている状態であった。
「結構貯め込んでいるな」
メリファロス王子が、傍らの上陸部隊大将ベルースに話しかけた。
グーデオンの、レグナエラ軍本部にある倉庫に来ていた。倉庫は本部の建物よりも大きく頑丈で、そこには兵士の非常食だけでなく、貢納されて首都へ送られるのを待つ、食料や貴金属などが山積みにされていた。
「支部にも若干蓄えがありましたから、民から徴収しなくとも、我が軍を養うに充分な量が確保できるでしょう」
港に繋留する船に積み込むため、兵士を連れて来たベルースが同意した。
「余るな」
「は」
王子の意図を掴みかね、ベルースはつい間抜けた声を出した。
「多めに見積もっても、食料の三分の一は余るだろう。どこか広い場所へ運び出させて、欲しい者に配分する、と触れ回らせろ」
「は、はい」
ベルースは、すぐに待機していた兵士を使って食料を仕分け、王子の命令を実行に移した。
作業の進み具合から、配給は翌朝になった。どの程度の民が集まるのか、ベルースには予想もつかなかったが、予め王子に言われていた通り、貧しそうな裏通りへ重点的に触れ回らせた。
当日早朝から、積み上げられた物資の回りに人だかりができた。
兵士がせっせと配る間にも、神殿前にある広場のあちこちの路から、ぽつりぽつりとグーデオンの民が連れ立って姿を現す。
高々と積み上げられた物資は、太陽が中天にかかるずっと前に、きれいさっぱりなくなった。
まだ貰っていない人間も残っていたが、物資がなくなったとみると、文句を言う者もなく三々五々散って行った。
ベルースは部下からの報告を受け、船の修繕に立ち会うメリファロス王子の元へ赴いた。
「混乱もなく、全て配り終わりました」
「そうか。午後には出発できような」
メリディオン軍は、グーデオンにレニトとその乗組員に加えて若干の兵力を残し、陸路から首都レグナエラを目指して出発した。
グーデオンを東西に分けるロータス川沿いに北上するのである。
川を遡る船もあったが、攻撃された時に不利、という理由で使わなかった。これもレグナエラ軍から押収した驢馬に揺られて、メリファロスは心地よさげである。
自らも驢馬に跨りながら、ベルースは話しかけた。
「我々がいなくなった途端に、民が蜂起しないか心配です」
ふふん、と王子は鼻で笑った。
「彼らには武器がない。それに、彼らにとっては日々の生活が確保されれば、誰が支配者でも構わないのだ。民はしたたかだぞ」
「レグナエラの地は本国から遠い。厳しく統治しようとしても、限界がある。むしろ温情を示して、自発的に従うと彼ら自身に信じさせた方が得策だ。レグナエラには独特の魅力的な産物があるが、土地の肥沃さは我がメリディオンに敵わない」
「後世まで領土とするつもりはない。我々が戻るまで持ち堪えれば充分だ」
「なるほど」
「それより、ネオリアに先駆けてレグナエラ入りできるかどうかだ」
言葉を交わす間に、前を進む軍勢と少し距離が開いていた。メリファロスは、長い黒髪を掻きあげると、頭を一振りし、驢馬に鞭をくれて急がせた。驢馬が大きな耳をばたばたさせ、足を早めた。ベルースも王子に倣った。
ネオリア軍のクロルタス王子は、ネイクスとジークミオンの中間地点に当るトマトンテで海軍全滅の報に接した。
王子が率いる陸軍は、破竹の勢いで連戦連勝していただけに、衝撃も大きかった。王子は天幕を出た。
町は既に征服されていた。主要な建物は破壊され、大通りから裏の小路まで、死体の見えぬ場所はなかった。
ここでも無事なのは神殿だけであった。
いつも自軍の荒々しさに眉をひそめるクロルタスも、今日ばかりは死体が目に入らぬようで、無意識のうちに死体を跨ぎながら歩を進めた。
間もなく海岸へ出た。海は穏やかに青々としていた。王子はじっと波の動きを見つめた。
「兄上」
はらはらと涙が零れた。クロルタスは、ダリウスが側室の生まれであるために、王位継承権を剥奪されたことを、密かに恨んでいると知っていた。
ダリウスが、恨みの気持ちを克服しようと努めていることも、知っていた。
彼はそんな兄を尊敬していた。だからこそ、彼の兄に対する気遣いは真情溢れるものであった。
ダリウスも変に遠慮することなく、弟に至らない点があれば、さりげなく修正する気遣いを持ち合わせていた。
「我々はよい兄弟であった」
「仰せの通りにございます」
慌てて涙を袖で拭い振り返ると、セルセスが控えていた。
クロルタスの身を案じて後を付けてきたらしい。セルセスは少し距離を取って伏し目がちにおり、王子の涙を見ない振りをしていた。
王子は兄との思い出から、急に現実へ引き戻された。
「明朝、夜明け前に出発する」
出発前、町外れに全軍を集めた前で、クロルタスは演説を行った。
「諸君、既に聞いているだろうが、栄光ある我がネオリア海軍は、ここより東方にあるイナイゴス湾にてレグナエラと遭遇し、勇敢に戦った末、口惜しくも全滅の憂き目に遭った」
戦闘中は猛々しい兵士達も、今は水を打ったようにしんと静まり返り、クロルタスの話に耳を傾けている。
まだ星の輝きが衰えない夜の闇に、王子の切々たる訴えが隅々まで響いた。
「諸君、これまでの快進撃を思い出せ。天界におわします神々の加護は、我々の上にある。滅ぼされるべきは、悪しきレグナエラだ。海底に沈んだ我が同胞の遺恨を、晴らそうではないか!」
クロルタスは感情が高ぶるままに、吼えた。すると兵士達も同調して雄叫びを上げた。
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