神殺しの剣

在江

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第二部 第二章 地峡カーンサス

1 海戦の結末

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 狼煙のろしの係が報告する前に、レグナエラの王宮で、ソルペデス王子がイナイゴス湾の海戦で勝利したことを知らぬ者はなかった。皆吉報を待ち望んでいたのである。

 「よかった。あとはネオリア軍を撃退すれば、平和が取り戻せる。カーンサス湾の向こうに出陣しているそなたの夫、ソルピラスもこの知らせを聞けば勇躍して勝利を掴むであろう、のうメロスメリヌ」

 父王ソルマヌスに言われて、物思いに耽っていたメロスメリヌははっと頬を染めて同意した。ソルマヌスには、夫の安否を気遣う妻の恥じらいに見えたが、自室へ下がったメロスメリヌの様子はそれとは違っていた。

 一人になると、彼女はふうっと大きなため息をつき、寝台に体を投げ出すようにして横たわり、すぐに姿勢を正して両肘をつき手を組んだ。

 「ああ天界におわします神々よ。ソルペデス様をお守りくださり、ありがとうございます。どうかこの先もあの方を庇護ひごし給い、レグナエラへ無事戻してください」

 目をきつくつむり、囁くような声で祈る姿は真摯しんしであった。祈りを唱え終わった後もその姿勢のまま、しばらくじっとしていた彼女は、ぱっとまぶたを上げ、ゆるんだ姿勢を再び正した。

 「神々よ。我が夫のソルピラス様が戦いに勝利しますように。私ったら、何てことを」

 今度はやや大きめの声で祈りを捧げた。言い終わるとすぐに手を解き、立ち上がるなりいらいらと部屋の中を歩き回った。ゆるく束ねた蜂蜜色の髪がふわふわと揺れる。途中、入口に差し掛かった勢いで扉を開けると、色の黒い小間使いが硬直して立っていた。

 「ええと、ベレニクだったわね。何しているの、こんなところで?」

 メロスメリヌはつんけんしそうな声の調子に気を付けながら、若い小間使いを問いただした。ベレニクはおずおずと、手にしていた縫い物を差し出した。

 「あの、おいいつけ通りの図柄が出来上がったので、出来映えを見ていただこうと思いまして」

 小間使いから刺繍を施した布を受け取り、メロスメリヌはいい加減に図柄を点検した。ありきたりの草花の図であった。こんなものをわざわざ見せにこなくてもいい、と言おうとして、ベレニクのおずおずとした様子が急に哀れに思われた。

 「そうね、こんな感じでいいと思うわ。それより、喉が乾いたの。何か飲むものを持ってきてちょうだい」
 「かしこまりました」

 布を返してもらった小間使いは一礼して引き下がった。大人しそうな娘である。メロスメリヌはまたため息をついて、部屋の中へ戻った。


 「ぜ、全滅」

 ネオリア王ベラソルタスは、レグナエラに潜入させていた間者を通じて受けた報告に、顔色を変えた。レグナエラ海軍との戦いにおいて、ネオリア海軍は壊滅的打撃を受け、ダリウス以下、キルース、ヒスタスらの将も軒並み戦死したとの報である。

 「メリディオンはどうした?」
 「はっ。それが……」

 ついでのように発した問いに、使者が言い淀んだため、却ってベラソルタスの注意を引きつけた。言い渋る使者に、王の顔付きが徐々に険しくなる。沈黙にも耐え切れず、使者は白状した。どのみち報告せねばならぬのである。

 「我が軍とメリディオン軍の連合軍は、レグナエラに挟撃きょうげきされましたため、恐らく全滅したものと思われますが、一部の噂によりますと、メリディオン軍は後方から逃亡したとか。そ、その点につきましては、ただ今確認中でございます」

 ベラソルタスの顔色を窺いながら報告していた使者は、途中から少しずつ後じさりしていた。王は使者の動きに気付いていたが、大臣達の視線を意識し、怒りの爆発を堪えた。

 「もうよい。あやつら遺体を回収する筈だ。返還手続きを進めよ。クロルタスにも知らせてやれ。今どの辺りにおるか」
 「クロルタス様は破竹の勢いで快進撃を続けられ、最近の報告ではプラエディコ山北方にあるネイクスという町を攻略したそうです」

 大臣の一人が告げた。ベラソルタスの表情が少し和らいだ。その隙に、大臣から許可を得た使者は、ほとんど忍足で退室した。王は一同を見渡して言った。

 「ダリウスは優秀な息子であった。キルースもヒスタスも優れた人物だった。人もまた国の財産である。我が国は、失った分の財産を取り返す権利がある」

 そうだそうだ、大臣達が口々に賛成した。ネオリア王宮の一同は、レグナエラの侵攻に新たな理由が加わったことを認識した。王のベラソルタスを始め、彼らはそれが正当な理由であることを心から信じていた。

 一方、メリディオン王アウストファロスは機嫌がよかった。水浴を終え、さっぱりとした体に素晴らしい香りの香油を塗り、生まれ変わったような気持ちでいるところへ使者が吉報を届けたのである。

 「ふむ。グーデオンへ無事上陸し、町を制圧したとな。メリファロスも一人前にやりおるわ」

 王にとって、共に攻め入った筈のネオリア海軍が全滅したことはどうでもよかった。ネオリア側が全滅して、自軍が僅かな損害しか出さなかった理由を問いもしなかった。使者に次の指示を与えて下がらせた後は、何事もなかったような顔をして、通常の仕事に戻ったのである。

 「それより、下流域の動向が気になるな」

 アウストファロスは一人ごちると、担当の大臣を呼び出した。


 イナイゴスの港は、悪趣味な臨時市場のようだった。
 引き揚げられた死体が水揚げされた魚のように並べられていた。壊滅に追い込んだネオリア海軍と思われる兵士である。生き残った者は奴隷として扱われ、しかるべき場所へ移されていた。

 その一部はレグナエラの兵士に連れられ、死体の身元確認に動員されていた。壊れたレグナエラの船が修理されていた。行方不明になったレグナエラ軍の船の捜索が続いていた。

 王子ソルペデスは、勝利の美酒に酔いしれる間もなく、次から次へと降りかかる雑事をこなしていた。ネオリア軍がトラサを破壊した話は耳にしていた。

 本当は戦の後片付けなどバラエナス辺りに任せて、ネオリア討伐に向かっている兄のソルピラスの元へせ参じたいのだが、イナイゴスから離れるのを躊躇ためらわせる気がかりが幾つかあって、ぐずぐずと留まっているのであった。

 メリディオンの船が一隻しか見つからないのである。レグナエラと拮抗きっこうする海軍力を持つメリディオンが、ネオリアが主となって攻めるにせよ、一隻でくるということは考え難い。

 現に、グーデオンから出発したマエナの船が同じ海域に沈められていた。沈めたのは間違いなくメリディオンであろう。しかし、肝心のマエナが見つからない。沈められた船も、初めの報告の数と合わない。

 「マエナ隊長が戻りました」

 臨時に借り上げた港へ面した家に、兵士が一人走り込んできた。ソルペデスは驚きと喜びの表情もあらわに、席を立って出迎えた。

 ぼろぼろの布をまとったマエナが、兵士に両脇から抱えられてきた。その後ろに、やはり襤褸ぼろを纏う日焼けした肌の青年が、兵士に引っ立てられてきた。
 王子はマエナを椅子に座らせた。見たところ大きな怪我もなく、ただ非常に疲れた様子であった。

 「マエナ、心配していたぞ。無事でよかった。休ませたいのは山々だが、聞きたいことがある。ところで、そいつは誰だ」

 ソルペデスは引っ立てている兵士に尋ねたつもりであったが、答えたのはマエナだった。

 「私を助けた人間です。お尋ねの件については、彼に聞くとよいでしょう」

 ぐったりと椅子に寄りかかるマエナを気遣いながら、王子は青年を見た。茶色がかった黒い巻き毛を伸ばし放題に、髭と合わせて顔を大部分覆っているが、全体として毛深い性質ではない。
 背は比較的高く、引き締まった筋肉に包まれている。平時ならば競技会の選手にありそうな、無駄のない体つきであった。

 「大事な部下を助けてもらって、礼を言う。私はレグナエラ王国の第二王子ソルペデスだ。名は何と言う」
 「エウドクシス」

 ねたような口調で青年は答えた。沈黙の後、ぷっ、と誰かが噴き出した。誰かがこほこほと咳払いをする。ソルペデスがにやりと笑い、辺りは妙に和んだ空気で満たされた。

 「それは我が国の英雄にして我が祖先でもある。本名ではなかろう」
 「親がつけたんだから、俺のせいじゃねえや」

 エウドクシスが拗ねたまま言い返す。側にいた兵士が、こら王子に対して失礼だぞ、と怒ってみせるが、どこか気の抜けた感じである。王子は、まあよいと兵士を宥めた。

 「野育ちで礼儀を知らぬだけだろう。放してやれ。持ち場へ戻ってよい」

 マエナとエウドクシスを連れてきた兵士達が去ると、室内には三人が残った。ソルペデスは口調を改めた。

 「さて、事情を説明してもらおうか。私が知りたいことはわかるかね」
 「わかるさ。メリディオン軍のことが知りたいんだろう」

 彼は勝手に近くの椅子を引き寄せ腰掛けた。王子は眉を上げたが、黙って自分も掛けた。

 「俺はレニトっていう奴の船に雇われたんだ。前にグーデオンへ出稼ぎに来た時、仕事をもらった縁でな。レニトの船はレグナエラ軍に組み込まれたんだが、こいつがとんだ詐欺師でさあ。港を出た途端、俺は代々メリディオンのために働いてきたんだと抜かしやがる。俺達兵隊を集めて、どっちの味方につくか迫りやがった」

 「海に出たら断れねえじゃねえか。俺もしょうがないから、レニトのために働くと答えたよ。まあ、そう怒るなって。見上げたことに、それでもレグナエラに忠誠を誓う奴が何人かいた。俺ももう少しで名乗りを上げるところだったぜ。レニトは寛大に、そいつらに食べ物を渡して小舟へ乗り移らせた。互いに手を振って健闘を祈り合ったよ」

 「その手を振り終わらないうちに、そいつらは、ばたばたと倒れた。後ろを見たら、レニトの腹心の部下共が弓矢を番えてやがった。小舟もひっくり返って、乗っていた奴ら、もうあらかた死んでいたけどな、投げ出された。暫くしたら、魚がぷかぷか浮いてきた。渡した食べ物の中にも毒を仕込んでいやがったんだ。全くとんだ野郎だよ」

 「俺はこんな奴と働くのは真っ平だと思って、逃げ出す機会を窺っていた。もともと、レグナエラに助太刀しようと兵隊に志願したんだからな。奴はすっかり油断して、今後の予定を話してくれたぜ。メリディオン軍を助けて、手近な港へ上陸させるのが役目なんだと。今頃はグーデオンへ上陸している筈だ」

 長々と話し終えて立ち上がると、エウドクシスはソルペデスの前にあった杯を勝手に掴み、中の葡萄酒を飲み干した。王子は、椅子へ戻ろうとする彼の腕を掴んだ。反射的に振り払おうとしたエウドクシスは、途中で何とか腕を振り回すのを堪えた様子であった。無礼なのか礼儀をわきまえているのか、不思議な男である。

 「顔を見せてもらおう」

 ソルペデスは言うなりエウドクシスの前髪を、額まで持ち上げた。意外に整った顔立ちが露わになった。恥じて隠すどころか、むしろ色男である。居眠りしているように見えたマエナが、目を見開いた。

 「何やら王子に似ておりますな」
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