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第二部 第一章 港町イナイゴス
5 メミニの助言
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日の御子の宮殿で、死の神はぐったりと寝椅子に横たわっていた。
大理石のような青白い硬質の皮膚の上を、乱れたままの漆黒の艶やかな濡れ髪が這い回っている。その他には一糸纏わぬ姿、紛れもなく女体であった。
常日頃全身を覆い隠す闇色のマントは、濃紫の上衣や薄青の肌着と共に、抜き身の剣の脇へ脱ぎ捨ててあった。
死の神は、向かい合った寝椅子にやはり横たわる日の御子へ、物憂げに青緑色の瞳を投げかけた。
「起きたね、ディリメーア」
対照的に、日の御子は溌剌としていた。黒曜石の輝きを含む黒髪が水気を帯び、美しさに艶めかしさを加えている。美しく整った顔は魅惑的な微笑を湛え、青緑色の瞳で死の神を温かく見つめる様は、天帝の側に侍る時よりも、遥かに寛いだ様子であった。こちらは男の体で、やはり何も纏っていない。
「貴公が、ピスカトール殿とナウィゴール殿の婚礼のため席を外さなかったら、とても正気を保てなかった」
その声には精彩がない。人間ならば、疲労困憊の体である。日の御子は視線で労わる。
「ところで、デリムはうまくやっていた。神格を上手く切り離せたものだ」
武芸の神デリムは、死の神の仮の姿だったのだが、人界における活躍を認められ、神として天界へ受け入れられたのであった。その時に、死の神から分離し、別個の存在として形を成したのである。
「それはよかった。ところで今回の件、女の体にかかる負荷が大きく、男と比べ不公平だ。私には、肌に触れずとも通じる神々の方法が好ましい。人間が子孫を生み出すため編み出した方法にも意義はある。しかし神々は、天帝の思し召しなしに子をなす必要はない」
「それは残念だ。貴公の反応は美しいのに」
死の神が紅潮した。青白い肌をみるみる染める温かい色彩を、日の御子は美術品でも鑑賞するような眼差しで眺める。
「そう、その色の変化が素晴らしい」
死の神は瞳を潤ませた。その肌は汗でしっとりとして、濡れ光っていた。
「貴公の研究とやらに協力するため、人間と同じ機能を備える体に変えるのを承知したのだ。終えたならば、戻してくれ」
「ううむ、戻すのは惜しい。その潤んだ瞳も味わい深いものだ」
日の御子は死の神の願いを聞き入れる様子がない。
「セルウァトレクス、う」
死の神は寝椅子から起き上がろうとし、力なく床へずり落ちた。日の御子は素早く駆け寄り、死の神を抱き起こした。
「そうか、痛みも感じるのだな。仕方がない。戻す事にしよう。だが、その前に、今一度、貴公の素晴らしい反応を味わいたい。そうだな、神々の方法と同時に試みてみよう」
死の神がびくりと震えた。
「それでは激し過ぎて正気が」
日の御子は終いまで聞かず、抱き起こした腕の中へ艶めいた視線を送ると、目を合わせたまま人間がするように唇を重ねた。たちまち死の神が蕩け、声にならない声を漏らしつつ、自ら日の御子を受け入れるのであった。
記憶の神メミニは、日の御子の宮殿を訪れ、死の神が冥界の馬車に乗るところへ出くわした。遠目で、しかも死の神は闇色のマントを頭からすっぽりと被っているのではっきりとはわからないものの、まるで老人のような覚束ない足取りのように見えた。
常に携えている抜き身の剣を、引きずらんばかりである。馬車へ乗るのも一苦労で、芋虫のように這い登ってやっと収まったのであった。馬車は死の神を乗せるや否や、溶けるように地面へ沈んでしまったので、挨拶に間に合わなかった。メミニは諦めて宮殿の扉を叩き、出てきた神精霊に来訪を取り次がせた。
「これはこれはメミニ殿、先頃の婚礼以来の顔合わせですね」
日の御子は美しい微笑を浮かべて記憶の神に応対した。死の神と語らっていた時の寛いだ様子は消え去って微塵もない。
それでも神々は、日の御子の笑顔を見れば、安らぎを覚えるのであった。メミニも皺だらけの顔を更にくしゃくしゃにして、苔色の上衣を摘み、襞を整えておめかしした。
「入口で死の神を見かけたのじゃが」
「そうですか」
日の御子の表情にも態度にも特段変化はなかった。メミニは少し口をぱくぱくしてから、問いかけた。
「死の神はほとんど神々の前に姿を現さぬゆえ、確とは言えぬのじゃが、あんなに年老いた姿をしていたじゃろうか。あれではわしよりも年寄りじゃ」
「確かに、メミニ殿よりも長く生きているようです」
「そう言われれば、そうじゃの」
記憶の神は得心したように大きく頷いた。納得したところで、本来の用向きを思い出した。はた、と手を打った。
「婚儀の席で、女神たちが貴公を射止めるため、賭けを始めたのじゃ。貴公が人界に遺された王冠を手に入れるとて、争うておる。年寄りの余計なお世話とは思うが、もし誰ぞ妻に娶る心当たりでもあれば、早く披露した方が両界に平和を保てるというものじゃ」
「ご助言ありがとうございます。考えておきましょう」
にこやかに日の御子は応えたが、心当たりがあるともないとも明言しなかった。メミニはやや当てが外れた風であった。
記憶の神が辞去すると、入れ違うように神精霊が武芸の神の来訪を取り次いだ。
そのまま待つうちに、武芸の神が大股に入ってきた。日の御子は席を立ち、笑顔で迎えた。
「これはデリム殿、ピスカトール殿とナウィゴール殿の婚礼以来ですな。どうぞお掛けください」
「メミニ殿とすれ違いました。お忙しいところへお邪魔したようですね」
大きな座り心地のよい椅子へ身を沈めたデリムは、四方山話をしながら落ち着かない様子であった。日の御子は水を向けた。
「レグナエラのことで、お話があるのではありませぬか」
「そうなのです」
デリムは神経質そうに、一糸の乱れもない銀色の髪に手をやった。なおも躊躇い、小麦色の腕を組んだり解いたりしていたが、日の御子が辛抱強く待つのに気付き、口を開いた。
「イウィディア殿とルスティケ殿が、貴公の遺した王冠を手に入れるために、メリディオンとネオリアを動かして、レグナエラへ攻め込もうとしているのです。昔、共に旅をしたエウドクシスは、子孫のためレグナエラを救おうとしております」
「神々が人界へ直接介入してはいけないことは承知しておりますが、半神のような存在であるエウドクシスが行動を起こすのならば、私が彼を助けるぐらいはしてもよいのではないかと思うのです。それでもやはり、天帝のお怒りを買うでしょうか」
「例外を作ればきりがないでしょうね」
日の御子の答えを聞いて、武芸の神はがっかりしてため息をついた。
「デリム殿も言われた通り、エウドクシスは神々に近い存在です。本来天界に住むべきを、彼の希望で人界にいるのですから。彼ならば、貴公の助けがなくとも、危機を切り抜けることが出来るでしょう」
「そうですね」
デリムは礼を言って立ち上がった。悄然と出口へ向かう武芸の神を、日の御子は後から追い、宮殿の外まで送りに出た。
「そもそも、私が王冠を遺したのが問題でしたね」
「済みません」
ますます悄気返って項垂れるデリムを、日の御子は慰めた。
「謝る必要はありません。貴公が私を連れ出さねば、後々面倒なことになったでしょう。私は貴公に感謝しています」
その昔、日の御子がソリス王としてレグナエラ王国を治めていた頃、ゆえあってデリムとエウドクシスが日の御子を連れ出したのであった。
「王冠がなければ、女神たちは他の何かを賭けたでしょう。気になさらないことです」
「……そうですね」
武芸の神は顔を上げて、冴え冴えとした薄青の瞳で日の御子をじっと見た。日の御子は変わらず美しい微笑を口元に湛えていた。
「では、失礼します」
大股に去るデリムを、日の御子は姿が見えなくなるまで見送った。他に神々の姿も見えず、来客はひとまず途切れたようであった。
星の神々は若い姉妹で、上から順番にアストルミ、アステリス、ステラといった。互いによく似ており、外見からは誰が姉で誰が妹か区別するのは難しかった。星の神々は、興奮と怒りがないまぜになって、きらきらしていた。
「もう、あたくしたち、必ずルヌーラさまのお味方を致しますわ。ねえ、アステリス」
長姉のアストルミが言った。
「そうよ、日の御子の妻と言えば、月の女神がなるのが当然だ、とあたしも思いますわ」
と次姉のアステリス。
「大体、イウィディアさまはお色気過多で、日の御子の爽やかさにはそぐわないですもの。ステラは前から気に入りませんでしたわ。それに、ルスティケさまも大人しい振りをしていながら、何てずうずうしいのでしょう」
末妹のステラが締め括った。三姉妹が代わる代わるに喋り続ける意気込みが余りに激しく、話を持ち込んだ当のルヌーラは、口を差し挟む余地もなく呆気に取られていた。
さんざん他の二柱の女神を貶した後、アストルミが興奮覚めやらぬ勢いで月の神の両手を握り締めた。
「とにかく、あたくしたち、お手伝い致しますから、何でも言いつけてくださいね」
「は、はあ。どうもありがとう」
かろうじて感謝の笑顔を浮かべ、ルヌーラは星の神々の元を早々に辞した。神々の住まう世界は、年中色とりどりの花が咲き乱れ、小鳥が歌い、快適な気候である。月の神は道を外れ花々の間に腰を下ろした。
「あの姉妹のお蔭で、頭ががんがんするわ。愚痴を言いに来ただけなのに」
ぶつぶつ呟いていると、向こうから痩せた老女の姿が近付いてきた。記憶の神である。月の神は立ち上がって相手を待ち受けた。
「メミニ様、ごきげんよう」
「あ、ルヌーラ殿」
考え事に耽り、声を掛けられるまで、気が付かなかったらしい。
メミニはぎくしゃくと挨拶した。
「お願いがあります」
単刀直入に切り出した。
記憶の神は、逃げようと体を捻って顔を背けたが、ルヌーラは容赦しなかった。苔色の上衣から覗く、皺だらけの細い腕を掴み離さない。たちまち皺だらけの腕から力が抜けた。
「わしは、貴公らの争いに巻き込まれるのはいやじゃ」
メミニは道端に座り込み月の神を見上げた。
「そもそも、メミニ様が王冠の話を持ち出されたのですから、この争いはメミニ様が発端ですわ」
「そんな」
メミニの腕を放し、ルヌーラは立ったまま記憶の神を見下ろした。そして座ると、柔和な笑みを浮かべ相手と目を合わせた。
「私、レグナエラを導くことになりました。記憶を司るメミニ様のお力添えは、イウィディアやルスティケも喉から手が出るほど欲しがるでしょう。日の御子の王冠が奪われなければ、平和を保つのは難しい事ではありません。私に、協力してもらえますね」
渋々、という様子で肯った記憶の神は、引き受けた途端熱心に智恵を絞った。ルヌーラがさりげなくお世辞を混ぜたのが功を奏した。星の神々が味方についたと聞くと、口をぱくぱくさせた。
「星の三姉妹など、大して役に立つまい。それより病の神を味方につけておきなされ。相手の戦力を殺ぎ落とすに有効な手立てを講じてくれるじゃろ」
「アエグロートに頼むのですか」
ルヌーラは露骨に嫌悪の情を示した。メミニはにたりと笑った。
「外見で判断していては、争いに勝てぬ。まあ、話してみなされ」
大理石のような青白い硬質の皮膚の上を、乱れたままの漆黒の艶やかな濡れ髪が這い回っている。その他には一糸纏わぬ姿、紛れもなく女体であった。
常日頃全身を覆い隠す闇色のマントは、濃紫の上衣や薄青の肌着と共に、抜き身の剣の脇へ脱ぎ捨ててあった。
死の神は、向かい合った寝椅子にやはり横たわる日の御子へ、物憂げに青緑色の瞳を投げかけた。
「起きたね、ディリメーア」
対照的に、日の御子は溌剌としていた。黒曜石の輝きを含む黒髪が水気を帯び、美しさに艶めかしさを加えている。美しく整った顔は魅惑的な微笑を湛え、青緑色の瞳で死の神を温かく見つめる様は、天帝の側に侍る時よりも、遥かに寛いだ様子であった。こちらは男の体で、やはり何も纏っていない。
「貴公が、ピスカトール殿とナウィゴール殿の婚礼のため席を外さなかったら、とても正気を保てなかった」
その声には精彩がない。人間ならば、疲労困憊の体である。日の御子は視線で労わる。
「ところで、デリムはうまくやっていた。神格を上手く切り離せたものだ」
武芸の神デリムは、死の神の仮の姿だったのだが、人界における活躍を認められ、神として天界へ受け入れられたのであった。その時に、死の神から分離し、別個の存在として形を成したのである。
「それはよかった。ところで今回の件、女の体にかかる負荷が大きく、男と比べ不公平だ。私には、肌に触れずとも通じる神々の方法が好ましい。人間が子孫を生み出すため編み出した方法にも意義はある。しかし神々は、天帝の思し召しなしに子をなす必要はない」
「それは残念だ。貴公の反応は美しいのに」
死の神が紅潮した。青白い肌をみるみる染める温かい色彩を、日の御子は美術品でも鑑賞するような眼差しで眺める。
「そう、その色の変化が素晴らしい」
死の神は瞳を潤ませた。その肌は汗でしっとりとして、濡れ光っていた。
「貴公の研究とやらに協力するため、人間と同じ機能を備える体に変えるのを承知したのだ。終えたならば、戻してくれ」
「ううむ、戻すのは惜しい。その潤んだ瞳も味わい深いものだ」
日の御子は死の神の願いを聞き入れる様子がない。
「セルウァトレクス、う」
死の神は寝椅子から起き上がろうとし、力なく床へずり落ちた。日の御子は素早く駆け寄り、死の神を抱き起こした。
「そうか、痛みも感じるのだな。仕方がない。戻す事にしよう。だが、その前に、今一度、貴公の素晴らしい反応を味わいたい。そうだな、神々の方法と同時に試みてみよう」
死の神がびくりと震えた。
「それでは激し過ぎて正気が」
日の御子は終いまで聞かず、抱き起こした腕の中へ艶めいた視線を送ると、目を合わせたまま人間がするように唇を重ねた。たちまち死の神が蕩け、声にならない声を漏らしつつ、自ら日の御子を受け入れるのであった。
記憶の神メミニは、日の御子の宮殿を訪れ、死の神が冥界の馬車に乗るところへ出くわした。遠目で、しかも死の神は闇色のマントを頭からすっぽりと被っているのではっきりとはわからないものの、まるで老人のような覚束ない足取りのように見えた。
常に携えている抜き身の剣を、引きずらんばかりである。馬車へ乗るのも一苦労で、芋虫のように這い登ってやっと収まったのであった。馬車は死の神を乗せるや否や、溶けるように地面へ沈んでしまったので、挨拶に間に合わなかった。メミニは諦めて宮殿の扉を叩き、出てきた神精霊に来訪を取り次がせた。
「これはこれはメミニ殿、先頃の婚礼以来の顔合わせですね」
日の御子は美しい微笑を浮かべて記憶の神に応対した。死の神と語らっていた時の寛いだ様子は消え去って微塵もない。
それでも神々は、日の御子の笑顔を見れば、安らぎを覚えるのであった。メミニも皺だらけの顔を更にくしゃくしゃにして、苔色の上衣を摘み、襞を整えておめかしした。
「入口で死の神を見かけたのじゃが」
「そうですか」
日の御子の表情にも態度にも特段変化はなかった。メミニは少し口をぱくぱくしてから、問いかけた。
「死の神はほとんど神々の前に姿を現さぬゆえ、確とは言えぬのじゃが、あんなに年老いた姿をしていたじゃろうか。あれではわしよりも年寄りじゃ」
「確かに、メミニ殿よりも長く生きているようです」
「そう言われれば、そうじゃの」
記憶の神は得心したように大きく頷いた。納得したところで、本来の用向きを思い出した。はた、と手を打った。
「婚儀の席で、女神たちが貴公を射止めるため、賭けを始めたのじゃ。貴公が人界に遺された王冠を手に入れるとて、争うておる。年寄りの余計なお世話とは思うが、もし誰ぞ妻に娶る心当たりでもあれば、早く披露した方が両界に平和を保てるというものじゃ」
「ご助言ありがとうございます。考えておきましょう」
にこやかに日の御子は応えたが、心当たりがあるともないとも明言しなかった。メミニはやや当てが外れた風であった。
記憶の神が辞去すると、入れ違うように神精霊が武芸の神の来訪を取り次いだ。
そのまま待つうちに、武芸の神が大股に入ってきた。日の御子は席を立ち、笑顔で迎えた。
「これはデリム殿、ピスカトール殿とナウィゴール殿の婚礼以来ですな。どうぞお掛けください」
「メミニ殿とすれ違いました。お忙しいところへお邪魔したようですね」
大きな座り心地のよい椅子へ身を沈めたデリムは、四方山話をしながら落ち着かない様子であった。日の御子は水を向けた。
「レグナエラのことで、お話があるのではありませぬか」
「そうなのです」
デリムは神経質そうに、一糸の乱れもない銀色の髪に手をやった。なおも躊躇い、小麦色の腕を組んだり解いたりしていたが、日の御子が辛抱強く待つのに気付き、口を開いた。
「イウィディア殿とルスティケ殿が、貴公の遺した王冠を手に入れるために、メリディオンとネオリアを動かして、レグナエラへ攻め込もうとしているのです。昔、共に旅をしたエウドクシスは、子孫のためレグナエラを救おうとしております」
「神々が人界へ直接介入してはいけないことは承知しておりますが、半神のような存在であるエウドクシスが行動を起こすのならば、私が彼を助けるぐらいはしてもよいのではないかと思うのです。それでもやはり、天帝のお怒りを買うでしょうか」
「例外を作ればきりがないでしょうね」
日の御子の答えを聞いて、武芸の神はがっかりしてため息をついた。
「デリム殿も言われた通り、エウドクシスは神々に近い存在です。本来天界に住むべきを、彼の希望で人界にいるのですから。彼ならば、貴公の助けがなくとも、危機を切り抜けることが出来るでしょう」
「そうですね」
デリムは礼を言って立ち上がった。悄然と出口へ向かう武芸の神を、日の御子は後から追い、宮殿の外まで送りに出た。
「そもそも、私が王冠を遺したのが問題でしたね」
「済みません」
ますます悄気返って項垂れるデリムを、日の御子は慰めた。
「謝る必要はありません。貴公が私を連れ出さねば、後々面倒なことになったでしょう。私は貴公に感謝しています」
その昔、日の御子がソリス王としてレグナエラ王国を治めていた頃、ゆえあってデリムとエウドクシスが日の御子を連れ出したのであった。
「王冠がなければ、女神たちは他の何かを賭けたでしょう。気になさらないことです」
「……そうですね」
武芸の神は顔を上げて、冴え冴えとした薄青の瞳で日の御子をじっと見た。日の御子は変わらず美しい微笑を口元に湛えていた。
「では、失礼します」
大股に去るデリムを、日の御子は姿が見えなくなるまで見送った。他に神々の姿も見えず、来客はひとまず途切れたようであった。
星の神々は若い姉妹で、上から順番にアストルミ、アステリス、ステラといった。互いによく似ており、外見からは誰が姉で誰が妹か区別するのは難しかった。星の神々は、興奮と怒りがないまぜになって、きらきらしていた。
「もう、あたくしたち、必ずルヌーラさまのお味方を致しますわ。ねえ、アステリス」
長姉のアストルミが言った。
「そうよ、日の御子の妻と言えば、月の女神がなるのが当然だ、とあたしも思いますわ」
と次姉のアステリス。
「大体、イウィディアさまはお色気過多で、日の御子の爽やかさにはそぐわないですもの。ステラは前から気に入りませんでしたわ。それに、ルスティケさまも大人しい振りをしていながら、何てずうずうしいのでしょう」
末妹のステラが締め括った。三姉妹が代わる代わるに喋り続ける意気込みが余りに激しく、話を持ち込んだ当のルヌーラは、口を差し挟む余地もなく呆気に取られていた。
さんざん他の二柱の女神を貶した後、アストルミが興奮覚めやらぬ勢いで月の神の両手を握り締めた。
「とにかく、あたくしたち、お手伝い致しますから、何でも言いつけてくださいね」
「は、はあ。どうもありがとう」
かろうじて感謝の笑顔を浮かべ、ルヌーラは星の神々の元を早々に辞した。神々の住まう世界は、年中色とりどりの花が咲き乱れ、小鳥が歌い、快適な気候である。月の神は道を外れ花々の間に腰を下ろした。
「あの姉妹のお蔭で、頭ががんがんするわ。愚痴を言いに来ただけなのに」
ぶつぶつ呟いていると、向こうから痩せた老女の姿が近付いてきた。記憶の神である。月の神は立ち上がって相手を待ち受けた。
「メミニ様、ごきげんよう」
「あ、ルヌーラ殿」
考え事に耽り、声を掛けられるまで、気が付かなかったらしい。
メミニはぎくしゃくと挨拶した。
「お願いがあります」
単刀直入に切り出した。
記憶の神は、逃げようと体を捻って顔を背けたが、ルヌーラは容赦しなかった。苔色の上衣から覗く、皺だらけの細い腕を掴み離さない。たちまち皺だらけの腕から力が抜けた。
「わしは、貴公らの争いに巻き込まれるのはいやじゃ」
メミニは道端に座り込み月の神を見上げた。
「そもそも、メミニ様が王冠の話を持ち出されたのですから、この争いはメミニ様が発端ですわ」
「そんな」
メミニの腕を放し、ルヌーラは立ったまま記憶の神を見下ろした。そして座ると、柔和な笑みを浮かべ相手と目を合わせた。
「私、レグナエラを導くことになりました。記憶を司るメミニ様のお力添えは、イウィディアやルスティケも喉から手が出るほど欲しがるでしょう。日の御子の王冠が奪われなければ、平和を保つのは難しい事ではありません。私に、協力してもらえますね」
渋々、という様子で肯った記憶の神は、引き受けた途端熱心に智恵を絞った。ルヌーラがさりげなくお世辞を混ぜたのが功を奏した。星の神々が味方についたと聞くと、口をぱくぱくさせた。
「星の三姉妹など、大して役に立つまい。それより病の神を味方につけておきなされ。相手の戦力を殺ぎ落とすに有効な手立てを講じてくれるじゃろ」
「アエグロートに頼むのですか」
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