神殺しの剣

在江

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第二部 第一章 港町イナイゴス

3 メロスメリヌの恋人

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 部屋の中は、世界中から取り寄せた最高級の布で心地よく整えられていた。
 肌触りのよい布の山に埋もれるようにして、レグナエラのソルピラス王子の妻、メロスメリヌは安らいでいた。

 王子の愛情を一身に受けている年若い妻は、雪花石膏アラバスタのような木目細かい肌にかかる蜂蜜色の長い頭髪を後ろで緩やかに結び、肩から前へ下げている。
 大きな鳶色の瞳はいつも以上に潤んでいて、赤いふっくらとした唇は哀しげに曲げられていた。

 「お加減がよろしくない、と兄上から伺って、見舞いに参りました」

 ソルペデス王子は、手土産に持参した花束を侍女に渡し、かしこまって挨拶した。メロスメリヌは曲げていた唇をこころもち緩めた。それだけで、彼女を包む雰囲気は急に柔らかく変化した。

 「戦の準備でお忙しい折りに、お心遣いいただき、ありがとうございます。飲み物を用意しておりますので、どうぞお掛けになってくださいませ。いただいた花束は、早速花瓶へ挿しましょう」

 侍女が心得て、花束を持って部屋を去った。後に残されたのは、義姉と弟の二人きりである。どちらからともなく、軽い吐息をついた。メロスメリヌの鳶色の瞳が強い光を放つ。

 「ソルペデス様、こちらへ」

 呼ばれて弾かれたように、ソルペデスは布を掻き分け、彼女を抱き締めた。彼女が身動きして、はっと腕を緩める。

 「済まない。お腹に子を宿しているんだったね。苦しかっただろう」
 「いいえ、お会いできない心苦しさに比べれば、体の痛みなど芥子粒けしつぶのように小さなものよ。ああ、早く戦が終わればいいのに」

 嘆くメロスメリヌの瑞々しい唇から、甘い吐息が漏れる。彼は苦笑して彼女の額に唇をつけると、体を離した。

 「まだ戦が始まってもいないのに、気の早い人だ。そんなに心配ばかりしていると、あなたの体にもお腹の子どもにも障るよ」

 ソルペデスがメロスメリヌの心配を杞憂と捉えているのが、彼女には心外だった。両肩にかかっている彼の腕を、力を篭めて掴み、彼の整った顔を貪るように眺めた。

 「あなた、必ず生きて戻ってきてね。私達、あなたなしで人としての幸福を得るつもりはないのよ」
 「しっ、声が高い。滅多なことを言うな」

 二人は彼女のお腹に気をつけながら、しっかりと抱き合った。彼は彼女の耳元に囁いた。

 「兄上より先に会えなかった事を悔やむよ」

 彼女も囁き返した。

 「父とお義父上が決められたことで、どのみち同じ結果になったと思うわ。それよりも、あなたが私の気持ちを受け入れてくれたことが嬉しい。もう死んでもいいぐらい」

 ソルペデスはまた彼女の体を離し、顔を間近にして正面から向き合った。

 「死ぬな。僕らが戦に出たら、あなたがこの城を守らなければならないんだ。僕はきっと生きて戻るから、どうか待っていておくれ」
 「わかっているわ」

 彼女は微笑み、手を伸ばしてソルペデスの髪の乱れを直した。彼は彼女を元の場所へ座らせ、自分は少し離れた場所に腰掛けた。

 「戦は長くなりそうなの? この子が生まれるまでに終わるかしら」
 「こっちは守る方だからね、皆目見当もつかないよ。もう名前は決めたのかい?」

 メロスメリヌは頭を振った。緩くまとめた蜂蜜色の長い髪が、さらさらと揺れる。

 「いいえ、無事に生まれるか、まだわからないもの。いずれにしても、先祖であるソリス様のお名前にちなんで付けることになると思うわ」
 「やれやれ、僕らは日の御子様の子孫ではなく、人間エウドクシスの子孫なのに」

 ソルペデスが嘆息する様子を、メロスメリヌは微笑を含んで眺めた。

 「またいつものご高説が出たわね。あなたなら、どう名付けるの?」
 「そうだなあ、エウドクシスにちなんでエウドリゴ、とかね」

 彼女は席を立って、常備している杯に蜂蜜色の葡萄酒を注いだ。一つを彼に渡し、残りを自分で持ち、席へ戻ると早速口をつけた。

 「男の子と決めつけているのね」
 「根拠はないけど、それしか考えられないんだ。あなたに似るといいな」

 彼は一気に葡萄酒を飲み干した。


 小間使いが、花瓶に活けた花を抱えて城の中をうろうろしていた。黒髪に明るい小麦色の肌、まだ少女のような年頃に見える。彼女はうろうろしながら、メロスメリヌの部屋の前まで来た。誰もいない。しっかり閉められた扉の奥から、ぼそぼそと話し声が漏れてくる。彼女はそうっと首を伸ばして耳を扉へつけた。

 「ベレニク、何をしておいでだい」

 低く押し殺した声が、すぐ後ろで聞こえ、ベレニクは危うく花瓶を落とすところであった。どうにか花瓶を落さずに済むと、彼女は声の聞こえた方へ体ごと向きを変えた。先ほど、ソルペデスから花束を受け取って彼女に花瓶へ活けるように命令した、当の侍女が恐い顔をして立っていた。

 「す、すみません。あの、こちらへ花瓶を置こうとしたら、中から人の声がしたように思ったので、どうしたらいいかわからなくなってしまって……」

 ベレニクは扉の前に立ったまま、小さくなって訳を説明した。侍女は恐い顔をしたまま、彼女の腕を掴んで扉から引き離した。

 「物覚えの悪い子だね。花瓶はあっちの部屋へ持っていくよう言いつけたじゃないか。ぐずぐずしていないで、一緒に来なさい。本当に、これじゃ二度手間だよ。全く、頼まなきゃよかった」
 「すみません。これから気をつけます」

 辺りを憚って小声で叱りつける侍女に、おどおどと頭を下げながら、ベレニクは花瓶を落とさないようしっかり抱えて後へついて行くのであった。
 侍女の指示通り花瓶を置いて、元の裁縫部屋へ戻ると、仲間の小間使い達が一斉に話しかけてきた。

 「何か、面白いことあった?」
 「全然なかったわ」

 ベレニクは途中で放り出していた縫い物を取り上げ、続きを始めた。他の娘達はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 「ちぇっ、つまんないの」
 「ベレニクは要領が悪いのよ。あたしなんか、この間、ソルペデス殿下からお菓子を貰っちゃったんだから」
 「いいなあ。ソルペデス殿下、恰好いいわよねえ」

 口はお喋りに夢中でも、仕事をする手は緩めない。近頃急に仕事が増えたので、放置すると後で大変なことになるのだ。ベレニクも縫い物は器用にこなしながら、お喋りの輪に加わる。

 「ソルペデス殿下とメロスメリヌ妃殿下って、似ていると思わない?」

 娘達は一斉に噴き出した。さすがに仕事の手を休め、滲み出た涙を手持ちの布で拭く。

 「また、ベレニクったら馬鹿なことを言う。ぜんぜん似てないじゃない」
 「そうよ。髪の色も肌の色も違うでしょう」
 「あ、でもあの方達が並ぶと、お似合いよねえ」

 小間使い達はきゃっきゃっと嬌声を上げながら、再び仕事に手を伸ばした。話題を提供したベレニクは、黙って手を動かした。誰も彼女の言った意味について、深く考えなかった。互いに好きなことを言い合っているだけなのである。肝心なのは仕事を仕上げることであった。


 レグナエラ王国は南に向かって広がる大きな半島とその周辺の島々を含む地を国土としており、首都は半島の付け根にある都市レグナエラである。自然の丘陵を利用した堅牢な要塞を思わせる王宮の麓に町があり、町の周辺にもまた城壁が巡らされていた。

 閉鎖的な外見とは異なり、町には多くの人間と物資が出入し、市場に並ぶ多様な品々がレグナエラの開放的な性格を表していた。多様であるのは住人も同じであった。

 「やあダハエス、景気はどうだい」

 真新しい金属加工の看板を掲げる店へ、細長い箱を背負った男が入ってきた。ダハエスは椅子を勧め、男は箱を下ろして腰掛けた。

 「お蔭様で、何とか食っていけるよ。お前さんはどうだい」
 「最近麦の値段が上がっちまって、商売まで上がったりだ」

 男が背負っていた箱から、香ばしく甘い匂いが漂う。ダハエスは店の奥へ入って水差しと小さな杯を二つ持ってきた。
 端にあった卓をがたがたと真ん中へ移動させ、男に杯を渡すと、乗せておいた水差しから葡萄酒を注いだ。皮ごと絞った後に薄められた赤紫の液体が、とくとくと杯を満たした。

 「まあ飲みねえ。やっぱり物価が上がっているのかい。別に不作という話も聞かないのに、どうしてかねえ」

 自分もどっかり腰掛けると、小さな木製の椅子がぎしぎし悲鳴を上げた。ダハエスは椅子の悲鳴には慣れているのか、気に留める様子もなくのんびりとした口調で男に話しかけた。

 「ありがとよ。兵隊の詰所で小耳に挟んだ話によると、どこかの国と戦争をおっぱじめるみたいだぜ。ふう、うめえ。おい、こいつをさかなにしようぜ」

 一気に杯を干した男は、背負っていた箱を開けて、中から小麦を焼いたパンを出してきた。香ばしさが二人の鼻をくすぐった。甘い香りは、上にかかる蜂蜜から立ち上る。

 「いいのかい、商売道具を食べても?」
 「売れ残れば、捨てるか俺が食べるかするんだから、同じことだい。さ、食いねえ」

 男はパンを二つにちぎってダハエスに分け与えた。まだほんのり温かかった。ダハエスは、空になった男の杯に、もう一杯葡萄酒を注いでやった。

 「おっとっと、そのぐらいでいいよ。お前さんも、長年苦労して折角自分の店を持ったのに、戦争が始まっちまうなんて、運がついてねえよな」
 「こんなに平和なのに、どうして戦争なんかするんだろうねえ」

 貰ったパンを早速噛みちぎりながら、ダハエスは不明瞭な発音で言った。パンの粉がひげに飛び散り、ひっかかっているのには気付かない。

 「もちろん、ソルマヌス王子様は好んで戦争なんかするお方じゃねえ。どこか悪い国が攻めてくるに違いねえよ。そこまでは、俺も聞かなかったけどな」

 男も、パンを必死に噛み砕いているので、発音が不明瞭である。男の鬚にもパン屑が付いている。パンを飲み込むと、二人は申し合わせたように葡萄酒を呷った。ダハエスが双方の杯を更に満たす。

 「ふうん。王様にお仕えしている兵隊さんが言っていたのなら、間違いないだろうな。お前さんは、戦争が始まったら、どうするつもりなんだい?」

 「そうだねえ、この商売で食っていけなくなったら、兵隊にでも雇ってもらおうかな。最初に装備を用意できれば、後は現地で調達すれば食いっぱぐれる心配がないからねえ。あ、お前さんのところからは調達しないから、安心しな。お前さんの家には、女房子どももいることだしな」

 男のいささか物騒な発言に、ダハエスはお手上げの仕草をしてみせた。

 「そう願いたいね。でもその頃には、俺も志願して兵隊さんになっているかもしれないな。戦地で会ったらよろしくな」
 「おう、こっちこそよろしく頼むぜ。じゃあな、ご馳走さん」

 呼吸を合わせて一気に葡萄酒を飲み干すと、男は商売道具の箱を背負って店を出て行った。ダハエスは立ったまま、葡萄酒を自分の杯に注ぎ、口につけたが、ふと入口を見やって杯を置き、笑顔を作った。

 「いらっしゃいませ」

 客が入ってきた。
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