神殺しの剣

在江

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第一部 第三章 エウドクシスの才幹

10 剣の創生

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 どのくらい経ったのだろうか。延々と長い時間を過ごしたようにも、ほんの一瞬のようにも感じられたのは、再び全身に布が巻きついたような感覚が戻ったからである。

 「そろそろ神精霊を呼び出さねば、間に合わぬぞ」

 日の御子の声に従って、俺は目を開き、息を呑んだ。声が聞こえたのが不思議なくらい、耳元で風が唸り、風の精霊がばしばしと顔に当って跳ね飛ばされていた。

 視界は霧で真っ白に染まり、何も見えない。いや、時々青い色が視界をよぎった。雲の中か、ここは? 雲はただ冷たいだけでどんな感触も残さずに、俺の脇を通り過ぎて行った。
 急に、雲が途切れて一気に視界が広がった。

 単調な色合いという意味では、地上は雲の中と大した違いがなかった。白っぽい灰色の地模様に、一面黒ずんだ灰色のだんだら模様が描かれている。
 黒っぽい模様の幾つかが、微妙に動いた。まるで天気を見るために顔を上に向けたような動きであった。

 「うおっ。こんなにいたのか!」

 だんだら模様と見えたのは、怪物であった。羊の群れのように、うじゃうじゃいる。俺は慌てて全部の神精霊を呼び出した。あの頭の上にでも落ちたらどうなることか、心によぎる不安を押し込めた。

 「ご用向きを承ります」

 俺は四体の神精霊に取り囲まれた。咄嗟に俺は叫んだ。

 「俺を守ってくれ!」
 「先ほどの指示も忘れないように。怪物を今いる範囲から逃がすな」

 横合いから日の御子が付け加えた。神精霊たちがうべなっている間にも、怪物どもの灰色の頭がぐんぐんと迫る。もう、表面の滑らかさが判別できるくらいに近付いていた。
 怪物どもときたら、美味しいものが落ちてきたとでも思ったのか、各々両腕を天に向かって伸ばしている。

 頼む、俺に当らないでくれ。落ちながら、俺は必死で冥王に祈った。側に日の御子という神様がいるのだから、わざわざ冥王に祈らなくてもよいのではなかろうか、と脳裡を掠めた疑問を無視して、とにかく祈った。

 くしゃり、と蝶を握り潰したような音と共に、神精霊が二体消えた。

 待ち構えていた怪物の掌に絡め取られたのだ。残った神精霊たちは、動揺した風もなく、持ち場を離れない。

 黒ずんだ灰色の岩々が俺達の周囲を塞いだ。俺は無事に白っぽい地面へ降り立った。

 まさに怪物どもの巣窟の中心地である。辺りには草木の一本も生えておらず、地の精霊すら見当たらなかった。全部奴らが食ったのだろうか。

 「もう半分も食われちまったよ」
 「また呼べば来る」

 日の御子に言われて、俺は呼んだ。ぽん、と音が聞こえて、さっき食われた筈の神精霊たちがまた現れた。

 ぽん、ぽん、遠くでこだまするように小さな音が連続して聞こえた。
 音の聞こえた方で、怪物どもに動きがあった。火の神精霊が怪物の頭上に飛び出た。すれすれのところをひらひらと飛び回り、怪物どもの注意を俺達のいる中心部へ引きつけている。

 「上手いなあ」
 「お前もあのようにして操るがよい。私はデリムの様子を見てくる」
 「え」

 問い返す間もなく、日の御子は煙のように掻き消えた。火の神精霊はたちまち怪物に食われた。
 日の御子が操っていたのだった。

 あちこちで、くしゃりくしゃりという嫌な音がする。俺が呼び出したつもりよりも遥かに多い神精霊が、怪物どもの上空を舞い、次々と怪物に食われていた。

 神精霊は精霊のように何体もいるようであった。分裂する、と日の御子は言っていた気もするが、俺にとってはどちらでも同じ事である。

 「うう、美味い」

 先ほどから妙な唸り声が聞こえていたのだが、今俺の頭上で発せられた声は、明瞭な言葉を伴っていた。

 「こいつら、喋れるのか」

 神精霊を呼び出す時に使う言葉と同じようである。耳を澄ませると、もっとたくさんの言葉が聞き取れた。

 「いっぱいいる、嬉しい」
 「我らは食う」
 「この世界は美味い」

 怪物どもは喋ることが楽しいのか、食べる合間に他愛ない、しかし意味を考えると恐ろしい話を続けていた。差し当って俺の存在には気付いていないか、気にしていないようである。

 次々に食われる神精霊たちには気の毒なようだが、食われる方の神精霊たちは悲鳴一つ上げない。俺は日の御子に言われた通り、更に神精霊を呼び出すことにした。


 天帝が顕現した雲海を見下ろす山頂の上空には、更に薄い紗のような雲が一面にかかっていて、空の青を透かしていた。
 雲海は羊の毛織物のように厚くもこもことして、山頂と下界を完全に隔てている。厚い雲と薄い雲の間に、日の御子とデリムが立っていた。

 「天帝は、この上に天界を作られるそうだ」

 日の御子が薄い雲を指し示した。デリムは腕組をして上空を見た。

 「上空が透けて見えるようだが」
 「下からはそのように見える仕掛けを施しているらしい」
 「さもありなん。ところで、ここで剣を鍛えるのか」

 日の御子は首を振り、デリムの背後に腕を伸ばした。振り向くと、それまで何も存在しなかった位置に、ぽっかりと洞窟の入口が開いていた。奥に黒い扉が鈍く光る。

 「冥王の手を借りる」

 扉が開いた。奥には誰の姿もない。デリムは洞窟へ入りかけて、日の御子を振り返った。

 「ここからは、私だけで充分だ。貴公には、エウドクシスの手伝いをお願いする。彼に余り意地悪をせぬように」
 「ひどく彼の安否を気にするね」

 デリムは真面目な顔のまま、眉だけ上げてみせた。

 「冥王の気に入りだからな。粗略そりゃくには出来まい。私の気に入りでもあるし」

 日の御子の表情が曇ると、山頂を取り巻く雲海まで波打ち、やや灰色がかった色に変化した。デリムは向き直り、慌てて付け加えた。

 「今まで言葉に表さずにいたが、私は貴公をかけがえのない存在と考えて、常に気に懸けているのだ、セルウァトレクス。単なる気に入りとは別物だ」

 日の御子は、却って納得のいかないような曖昧な表情になった。雲海はひとまず落ち着きを取り戻し、元通り白く輝き出した。暫く無言でデリムを観察した後で、弱々しいながら微笑がその美しい口元に浮んだ。

 「彼の影響かね」
 「ああ。彼に倣い、少し素直になることにした」

 デリムは飽くまでも真面目に答える。漸く、日の御子にいつもの微笑みが戻り、青緑の瞳に生き生きとした煌きが灯った。

 「態度でも示して欲しいものだな。後程、確かめられよう。では、剣については任せる」
 「うむ」

 日の御子の視線に射すくめられたかのように、デリムはやや顔を強張らせ、口の中で返事をして洞窟へ早足で入った。


 黒い扉の内側は、いつかエウドクシスと一緒に入った時のような人間の住居らしい体裁を脱ぎ捨て、本来の姿を現していた。

 岩を穿ったような緩い下り坂の、暗く細い空洞が長々と続く。灯りは壁から発する僅かな光のみである。その先端は、扉で塞がれていた。

 デリムが触れる前に、扉は自然に開いた。

 中は広い部屋のような空間であるが、一筋の光もない。ただ奥の方で、時折二つの点が緑色に光っている。デリムは暗闇にもかかわらず、しっかりとした足取りで緑色の光の前へ進み、拝跪した。

 「日の御子から話を聞き及んでいる」

 闇に溶け込んでいた冥王が口を開いた。もはや黒い老人の姿ではない。漆黒の鎧を纏った凛々しい本来の姿でそこにあった。

 「精霊の影響を受けぬ火を用意した。道具も見合うものを揃えてある。存分に使うがよい。助手が必要ならば、我が務めよう」

 鎧で厳重に包まれた腕が伸びた先に、白い炎が燃え上がった。水を張った水槽など、鍛冶の道具が照らし出された。炎にも水槽にも精霊の姿はない。

 「お心遣い傷み入ります」

 デリムは冥王の前を離れ、白い炎の側へ歩み寄り、身に帯びていた風の勾玉と炎の冠、大地の杖を火中へ投げ入れた。ぱっ、と火の粉が散り、炎は黄色や橙色を交えて一層燃え上がった。
 次に彼は、水のマントを細長く巻いて水槽へ沈めた。マントは細かい水泡を立てながら、白っぽい半透明の細長い塊に変化した。

 彼は再び炎へ向き直り、手をかざした。
 炎が割れて、中から一つの真っ黒な、やはり細長い塊が覗いた。彼が水槽から取り出した白っぽい塊を黒い塊の上から押し込むと、黒い塊は両側から白い塊を包み込んだ。

 待ち構えていたように、割れていた炎が元に戻った。
 白かった炎の色は赤味がかった色に変化している。彼は炎を見詰めたまま、暫く動かなかった。

 やがて炎から取り出された細長い塊は、黒くも白くもなく、赤熱していた。デリムの右手には金槌が握られており、彼はそれを低い台の上に置いた塊の上へ振り下ろした。

 カン、という澄んだ高い音が鳴った。

 カン、カン、カン。

 小気味よい音を立て槌を打つ彼の姿を、緑色に光る双眸が離れた場所から、じっと見守っていた。
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