神殺しの剣

在江

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第一部 第三章 エウドクシスの才幹

7 葬列の惨劇

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 かつてレグナエラのソリス王であった日の御子は、冥王が天から啓示を受けたと同じ山頂に跪いていた。
 冥王の時と同じように、太陽が中天に輝き、密度の高い雲が重なり合って陰影に富んだ雲海をなして、山腹を取り巻き、陽光を反射して辺りを一層眩くしている。

 ただ異なるのは、面を伏せた日の御子の前に、人型をしたものが存在していることだった。光そのものと見紛うばかりの金銀に煌く豊かな頭髪が足元まで覆い、細い金の鎖を巻きつけた白い両腕が髪の間から覗いている。
 雪花石膏アラバスタのように白い顔は、日の御子に似て非常に均整の取れた目鼻立ちをしていたが、その瞳は漆黒であった。

 同じ漆黒でも、冥王の持つ艶やかな黒色とも、日の御子にある黒曜石のような輝きを持つ髪の色とも異なり、見る者に深淵を覗かせるような虚無の黒色である。えもいわれぬ芳香が漂い、日の御子を包み込んでいる。天が、天帝として顕現したのであった。

 「初めてお目に掛かります」
 「そなたは初めてであろうが、我は初めてではない。面を上げよ、セルウァトレクス」

 日の御子は言われた通りに顔を上げた。天帝は日の御子の美しい顔をとっくりと眺め、満足そうに頷いた。

 「そなたの瞳に我の姿が映るのも、面白いものだ。そなたらが怪物と呼ぶものたちは、既に集めたのか」
 「こちらへ向かわせているところです。死の神と、エウドクシスという人間が囮として、散らばる怪物をおびき寄せております」
 「人間は死の神を恐れないのか」
 「いえ、人間に姿を変えておりますゆえ。彼は正体を知らないのです」
 「ほう」

 天帝は感心ともため息とも取れる息を吐いた。豊かな頭髪はまるで太陽が降りてきたように輝き、馥郁ふくいくたる香りが一層強まった。日の御子は眩しさに耐え、天帝に目を注いでいた。やがて天帝が口を開いた。

 「神の世と、他の生き物の世を分ける。特に人間が新たなる神々を熱望しているゆえ」

 日の御子は表情を変えず、そのままの姿勢で天帝の言葉を傾聴している。天帝は、つと視線を逸らし、山頂の向こうに広がる雲海を見つめた。雲は刻々と形を変えながらも、下界との境を分厚く、忠実に隔てている。ごく僅かに、日の御子の体から力が抜けた。

 「我は天界を創るのに忙しい。怪物とやらの始末は、そなたに任せよう」
 「して、その方法は」
 「来やれ」

 天帝の整った顔に、優しい微笑みと共に慈愛の表情が現れた。虚無の深淵を覗き込むようだった漆黒の瞳が、思いがけない温かさに満ち溢れた。豊かな頭髪も、春の陽射しの如く穏やかな光を湛えてなびき、細い金鎖を絡めた白い両腕が日の御子へ差し伸べられた。

 僅かとはいえ力を抜いていた日の御子は、天帝の魅惑に抵抗しようもなかった。美しい顔に至福の表情を浮かべ、ふらふらと立ち上がり歩を踏み出す。その足は、天帝が浮かぶ雲海の上を滑るように動き、ほとんど歩まずして天帝の元へ吸い寄せられた。


 半島を抜けて北へ渡る時を除き、俺達は本当に人目を避けて旅をしていた。半島から大陸へ渡る際には船を使ったので、止むを得ず人の手を借りたのだ。

 海にも空にも精霊がうじゃうじゃいて、航海を手伝ったり邪魔をしたりしていたが、乗り合わせた人々の誰も気付かなかった。

 予めデリムに忠告されていたように、俺は精霊が見えることを周囲に悟られないよう気をつけた。だが、奴の方は航海の邪魔をする精霊に、こっそり話しかけて航海を手伝うよう仕向けていた。

 俺も精霊に話しかけようと密かに努力したものの、特別の言葉でなければ従わないらしく、ことごとく失敗した。

 下船した俺達は、市場にも寄らずにそのまま町を離れた。冥王からもらった袋からは、食べても食べても食料が尽きずに出てきたので、買い物をする必要もなかったのである。

 前方にはプラエディコ山がそびえていたが、俺達はデーナエとは反対側の山裾を目指していた。山羊や羊ぐらいしか通らない固い草木を掻き分け掻き分け、時折人の通る道を横切りながら進むのであった。山道で遭って以来、怪物は俺達の元へは現れていなかった。

 「ひいいいっ」

 「何だ何だ何だ」

 布を引き裂くような甲高い悲鳴を耳にして、俺は繁みの中で立ち止まった。デリムも足を止めた。悲鳴は一つではなかった。

 「うおおおん、うおおん」

 慟哭する声に混じって、乱れた大勢の足音まで聞こえてきた。デリムが足早に繁みを掻き分けて進み出した。急に繁みが切れ、踏み固められた道へ出る。声のする方へ目を向けると、遠くに人々の塊が見えた。

 葬列のようだった。シュラボス島で行われるものと、よく似ている。すると、悲鳴は泣き女のものだろう、と見当をつけた。悲しみを周囲や神に明らかに示すため、泣き続ける役割である。時には専門の女を金で雇う。

 「急げ」

 デリムは早くも繁みの中へ飛び込んだ。俺も慌てて後を追った。奴の考えていることはわかった。
 葬列の前を横切ってでも、彼らから離れ、怪物の巻き添えを食わないようにしようというのだ。

 泣き女の哀切極まる泣き声が、徐々に俺の真後ろへ移動してきた。本気でも演技でも、聞いていて気持ちのいいものではない。俺は死者に敬意を表するため、上半身だけ後ろを向き、簡単にお祈りをした。

 俺の祈りが届いたように、泣き女の声が一層悲哀を帯びて、空に高く響き渡った。連鎖して次々と号泣する声が輪唱のように続く。

 「ぎゃあああああっ」

 哀哭あいこくの調律が乱れた。俺は、立ち止まったデリムの厚い胸板にぶつかった。奴は既に向きを変えていた。手にした槍が、俺の耳元で鋭い音を立てて長く伸びた。

 「後ろから来るとは……また嫌な智恵をつけたな」

 慌てて棘棘した小枝を振り払いながら背後を見ると、折りしも棺が黒ずんだ灰色の指に巻き取られ、暗い穴に放り込まれるところだった。棺を吸い込んだ穴は閉じ、上下に規則正しく微動している。

 まるで咀嚼そしゃくしているみたいだった。俺は頭がすうっと冷えるのを感じた。その脇を、デリムが道まで戻るべく繁みを掻き分けて行く。

 「返してええええっ! 返してええぇっ! 返」

 女の悲鳴混じりの叫び声が、急に途切れた。デリムに続き道に出た俺が見たものは、上半身を怪物にめり込ませている女の下半身だった。見ている間に、下半身だけが怪物の滑らかな皮膚の上から地面にずり落ちた。きれいに上半身がなくなっていた。よく肥えた羊の断面みたいなものが、見えた。新鮮な赤と白が太陽を反射して、みずみずしく光る。

 「うぐっ」

 吐いた。膝から力が抜けて、地面に両手をついた。俺は下半身だけになった女に背を向けて吐いた。嫌な臭いのするねばねばした液体のほか、何も出なかった。
 俺は内臓をひっくり返して海水で洗い流したい気持ちだった。俺の腰から、するりと剣が引き抜かれた。

 「借りるぞ」

 デリムの声だ、と判ったものの、俺は承諾の印に頭を振ることすら出来なかった。
 ただ頭を垂れたまま、内臓を吐き出す勢いで嘔吐し続けていた。吐いても吐いても内臓は出てこなかった。
 遂に俺は吐き疲れた。吐瀉物を避けようと腕を動かすと、痺れた肘ががくがくと震えた。視界の端に、地の精霊がちょこまかと走り過ぎるのが映った。

 「済んだぞ」

 熱くも冷たくもないでこぼこした地面の感触を頬で味わっていた俺に、デリムの足先が見えた。つま先まで鍛えられたような立派な小麦色の肌には、傷一つない。

 肥えた羊の断面が思い出される。ぶり返した吐気がしゃっくりとなって宙に消えた。俺はしゃっくりの勢いを借りてゆるゆると起き上がった。そろそろと首を捻じ曲げ、道に広がっている筈の惨状を確認する。

 綺麗に何もなかった。怪物はもとより、女の下半身も、散らばっていた手足も、道には布切れ一つ落ちていなかった。道端の繁みまで切り取られて、そこだけ道幅が新しく作られて広くなったようにも見える。

 「地の精霊に片付けさせた。残したところで生き返らぬゆえ」

 俺の疑問が表情に出たのか、デリムが説明した。言われて改めて見れば、土が掘り返されたような色に変わっていた。

 「でも、ここで死んだ人達にも葬式をしてやらないと、ちゃんと死ねないんじゃないか」
 「心配ない」

 奴は左手に俺の剣を抜き身で提げ、右手に長いままの双槍を持っていた。きちんと結い上げた髪の毛の一筋も乱れていない。奴の整った姿を仰ぎ見ると、俺の惨めさ加減が際立つ。
 奴が双槍を短くして腰に戻し、俺に手を差し出した。俺はその手を無視して自力で立ち上がった。

 「俺なんかいなくても、お前一人で怪物を相手にできるじゃねえか」

 差し出した手を無視されても、デリムは気を悪くした様子がない。ごく自然に、手を引っ込めた。

 「あれは私を避けている、ようだ。だから、お前の存在が必要なのだ」
 「どうして?」

 何故怪物が奴を避けるのか、そして、どうしてそんなことが判るのだろうか、と一度に聞くつもりで、言い方が判らなくて言葉を切った。

 奴は珍妙な表情になった。可笑しいのと悲しいのが入り混じったような感じである。

 「怪物といえども、私と関わりたくないのだろう。元は人間の思念らしいからな」

 答えになっていなかった。奴は借りた剣を差し出し、俺がそれを仕舞っている間に再び藪に分け入り、俺に質問を重ねる隙を与えなかった。
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