神殺しの剣

在江

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第一部 第二章 エウドクシスの大難

4 オリーブの甕

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 王国の首都レグナエラは、さすがに大きかった。
 まず人間の数が多い。白壁の何階建ての家が軒を連ねて、ぎっしり詰まっている。
 店も多い。店先には小さな色付き石のモザイクでできた看板が整っていて、文字が読めなくてもわかるようになっている。

 きちんとした建物に入る商家の他に、市場もあった。どの店も山積みの品物を抱え、活況を呈している。都市はイナイゴスよりも大きく、整った印象を受けた。
 ここへ来て、デリムは今までと違った行動に出た。目的地についたら、仕事を教えると言っていた。
 市場の端で足を止めた。

 「レグナエラへ着いた。エウドクシス、これからお前にはオリーブの実を詰めたかめを一つ、ここから少し北にあるプラエディコ山まで運んでもらいたい。他に自分で仕事を探すのならば、ここで別れよう」

 プラエディコ山が何処にあるのか、俺は知らなかった。レグナエラまで北上してきた間に、それらしき山は見えなかったから、さぞかし遠いのだろう。
 レグナエラより北に大きな都市があるとは聞いた事がない。まさか何もない山頂で捨てられる事もあるまいが、ここは考え時であった。俺がすぐに返事をしないでいると、デリムが内心を見透かしたように付け加えた。

 「私が甕を買うまでの間、考えておくがよい。ここで返事を聞こう」

 デリムは市場の中心へ足早に去った。俺も市場を見たかったので、ゆっくりと市場へ足を踏み入れた。市場を見れば、どんな都市かわかると思ったのだ。

 市場はどの都市も同じで、喧騒けんそうに包まれていた。
 うるさいのは人間だけでなく、商品として並べられている羊やら鳥やらの鳴き声も混じっていた。
 貴重な野兎さえ、特製の箱に入れられて生きたまま売られていた。魚や肉の干物といった、素材の臭いだけでなく、調理済の食べ物の匂いまで漂っていた。
 料理は自分の家で作るものだと思っていたのに、またそういうものを買っていく人もざらにいる。一体どういう人達なのだろう。

 シュラボス人のような顔付きの人間のほか、様々な色形の人間がいたが、恰好はみんなレグナエラ人であった。一人シュラボス人風の恰好でいる俺は大変目立ち、また人々も無遠慮に俺を眺めるのであった。
 人々の視線に耐えかね、俺はレグナエラの服を買おうとしたが、手持ちの金が足りなかった。

 「あんた、今までそんな恰好でよく生きてきたね」

 明らかに質が悪そうな古着を並べていたおばさんが言った。同じ人妻でも、俺の好みには合わなかった。

 結局市場を一通り見ただけで、俺はデリムと離れるのを諦めた。俺が望めばグーデオンの時のように誰かに身柄を預けてもらえるかもしれないが、港町に比べてこちらの人間は不親切な気がした。

 取り敢えずデリムといれば、食うには困らない。しばらく奴にくっついて歩いて、よさそうな土地を見つけたら金を貰って別れることにしよう。
 そう思い定めて元の場所へ戻ると、途中すれ違ったとも見えないのに、デリムが大きな甕の脇に立っていた。甕には両耳の取っ手がついていて、蓋ごと縄でぐるぐる巻きにされていた。
 背負って運べるよう、縄で輪が作ってある。あの中にオリーブがぎっしり詰まっているのだ。俺の乳下まである甕は、人一人くらい入りそうなぐらいの容量があり、実に重そうだった。俺は甕を見て、またも決心が揺らいだ。

 「返事を聞こうか」
 「それを持つのか」
 「試しに持ち上げてみるがよい」

 俺は輪に両腕を差し入れて、持ち上げてみた。

 「あ」

 素焼きの甕自体が重いので、相当覚悟していたのだが、案外軽く感じた。予想していたよりは軽いだけであって、重いには違いない。力比べ競争で持ち上げる甕よりは大分軽かった。俺は甕を背負ったまま、腰を痛めないよう慎重に立ち上がり、答えた。

 「この仕事、引き受けてやる」

 言ってから、偉そうだったかな、と思ったが、デリムは頷いただけだった。黙って先頭に立ち早足に歩き出す。俺は後を追いかけた。

 「なあ、俺にもレグナエラ風の服を買ってくれよ」
 「後でな」

 よく見ると、デリムの腕には何か布の塊がかかっていた。さては俺の衣装か。俺は期待に胸を膨らませながら、デリムの後をついていった。俺達は王城からも都市の中心からも外れた兵士の詰所に入った。
 俺達を見た兵士達が、緊張するのがわかった。デリムが印章を見せて説明する。

 「私は特別臨検使の資格でソリス王のために働いている。これからプラエディコ山まで行き、オリーブの蜂蜜漬けを神々に奉納するため、一晩宿を借りようとしてここへ来た」

 緊張は解けなかった。印章の型を取られ、兵士の一人がそれを持って表へ出、俺達は詰所の隅で立ったまま待たされた。
 グーデオンなどとは明らかに対応が違う。俺は甕を下ろして蓋を取るように言われた。
 デリムが手伝ってくれないので、ぐるぐる巻にしてある縄を苦労して解き、蓋を取る。

 待ち構えていた兵士が中を覗き込んだ。艶やかに光るオリーブの黒い実がぎっしり詰まっていた。蜂蜜漬けの匂いが漂う。兵士は手を伸ばして摘み食いした。指に残った蜂蜜を丁寧にしゃぶり尽くしてから判定を下す。

 「美味い、いや、本物のようだ。蓋を閉めてよし」

 俺は蓋を閉めたが、縄の巻き方がわからず往生した。デリムは手伝う気配を見せない。

 「後で落ち着いてから巻けばよい」

 それで縄を丸め、後で手で運ぶ時に邪魔にならないよう、甕の上に被せるように乗せた。
 出て行った兵士はなかなか戻ってこない。残った兵士達は、そのうち待ちくたびれたのか、俺達を放っておいて、仲間同士で遊び始めた。俺達は大人しく待っていた。

 ただ立っているのに飽きてきたころ、漸く兵士が戻ってきた。他に二人ばかり装備の異なる兵士を連れて来ている。

 「デリム殿を、城へお連れするように、と上官から命令がありました」

 デリムは抱えていた布の塊を、近くにいた兵士に渡した。渡された方は、バランスを崩したのか、ちょっとよろけながら両手で受け取った。

 「私の供廻りを預ける。この男の野蛮な身なりを、整えておいてくれ」

 言い置いて、デリムは新たに来た兵士達に連れられて王城へ去った。デリム達の姿が完全に消えたのを見計らって、布を受け取った兵士が仲間に手を広げてみせた。

 「おい、こんなにもらったぜ。皆で山分けして、一つこの田舎者をレグナエラ人らしく仕立てようじゃないか」

 布の下には、粒銀が一握りほど入った小袋があった。彼は袋の中身をテーブルの上にざざっと零した。銀の粒が薄暗い室内を明るくし、退屈そうに遊んでいた兵士達の目も輝かせた。


 デリムは、兵士達に引っ立てられるようにして、王城の門をくぐった。石を根気よく積み上げた高い城壁がどこまでも続く王城は、中心へ着くまでに幾つかの城壁や建物を通り抜けなければならず、しかも要所要所には歩哨も配置されていて、厳重に警戒されていた。
 だが歩哨達は仕事に慣れていないのか、妙に緊張して仕事に当っていた。

 兵士達はデリムをソリス王の元へは連れて行かなかった。彼が通されたのは、謁見の間よりも小さめの部屋で、重々しい服装をした何人かの男達が座って彼を待ち受けていた。

 「お前がデリムとやらか」

 兵士が一礼して部屋を出ると、デリムの正面に座っている三人のうち、右端にいる男が聞いた。デリムが頷くと、今度は左端の男が聞いた。

 「印章を見せなさい」

 印章はその場にいる五人の男達を一巡りした。最後に再び印章を持った真ん中の男が他の四人へ言い聞かせるように言った。

 「本物のようだ」

 しかし、印章はデリムに返されず、右端の男がまた質問した。デリムの両脇に座る男達は口を利こうとせず、そのうちの一人は粘土板を水で濡らしながら何か書きつけている。削られた粘土が床に散らばる。

 「お前のような臨検使がいることを、こちらでは関知していない。一体どのような使命を帯びているのか」

 ここでデリムは初めて口を開いた。

 「私はソリス王から直接使命を承りました。王以外に使命を明かすことは禁じられております。しかし、これから行かなければならない場所は特別にお話ししましょう。明日、プラエディコ山へ参ります。もし、私が使命を遂行できないことがあれば、禍が起きるかもしれない、と王は言われました」

 粘土板を彫る手が止まった。男達は互いに顔を見合わせた。正面に座る男が言う。

 「お前の言う事が本当なのか、確かめる必要がある。差し当って、一晩ここに留まってもらおう」

 男が背後の紐を引くと、何処かで金属が打ち鳴らされる音が聞こえ、扉が開いて先ほどの兵士達が入ってきた。

 「この男を牢へ入れておけ」

 印章は返されず、腰に提げていた双槍も取り上げられた。
 兵士達はデリムを引っ立てた。彼は逆らわずに牢まで連行された。
 いくつも廊下を折れ曲がり、階段を登ったり降りたりして、着いた先は城壁で囲まれた王城の端の建物だった。仕切られた小部屋がいくつもあり、どの部屋にもほぼ人が入っていた。兵士達は端に空き部屋を見つけ、道具を持ってきてデリムの足に鎖をつけた。

 「おや、新入りかね」

 年嵩の男が入口から覗いて兵士達に話しかけた。兵士達は手を休めずに応えた。

 「そうだ。よろしくな」

 兵士達が去ると、牢番は鎖が届かないぎりぎりの距離までデリムに近付いた。上半身の筋肉が発達している。片足が不自由なようで、少し引き摺って歩いている。

 「お前さん、何をやらかしてここへ来たのかね」
 「何もしていない」
 「近頃来る奴は、皆そう言う」

 牢番は悲しげに首を振った。デリムに背を向け扉を閉め、遠ざかりながらぶつぶつ呟く。

 「陛下は完璧だ。罪のない人間をいつまでも牢に入れておかない。でも近頃ではわからない。陛下はどうされたのか」

 デリムは牢番を見送り、足輪に両手をかけた。すっと輪が広がり、音もなく外れた。
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