神殺しの剣

在江

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第一部 第二章 エウドクシスの大難

3 エウドクシスとデリムの対面

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 俺は大急ぎで走っていた。兵士の足音で目が覚めた振りをし、命の恩人にくっついてレグナエラまで行く、と言い募った。
 体を心配して引き止める兵士達を説得するのに少し苦労したが、デリムが身分のある奴の癖に供廻りを連れていなかったのが幸いした。

 兵士達は親切にもデリムの様子とレグナエラまでの道のりを教えてくれ、念の為と多少の餞別まで渡してくれた。
 俺は内心じりじりしながら、それでも貰える物はちゃっかり貰い、大慌てで教えられた場所へ向かった。

 グーデオンの東西を仕切る川を渡るのは、木箱の漂流を思い出して嫌だったが背に腹は変えられない。
 貰った餞別が役に立ち、無事に川を渡ることができた。
 イルカ像を目印に、教えられた船着場へついたが、デリムが船に乗った形跡はなかった。暫く海路を避けたい俺は、内心ほっとした。
 そこいらにいた船員を掴まえてレグナエラへ行く道を聞き、海岸沿いの街道をひたすら走り続けた。

 俺の体は疲れを知らないみたいだった。まるでシュラボス島で安楽な生活をしていた頃と変らない速さと持久力でもって、俺はデリムらしき人物を追いかけながら走っていた。

 走れば走るほど、人影は減っていく。日は傾いて、海に沈みつつあった。

 こんな時間に都市から出て歩く奇特な奴はそうそういない。
 もしや、奴は今晩グーデオン泊りかもしれない。俺の不安を煽るように、大きな波が街道近くまで押し寄せてきた。さすがの俺も走り詰めで息が上がってきて、思わず足を止めた。

 「帰ろうかな」

 すぐに首を振った。レグナエラの物価はよくわからないが、手持ちの金では船賃には足りまい。制止を振り切り、大見得を切って出てきた以上、今更兵士達の元へ戻るのも躊躇ためらわれる。俺にはもう、あいつに頼るしか道はないのだ。額の汗を腕で拭い、俺は再び走り出した。走れるだけ走ってみよう。

 すると、ほとんど太陽も沈んだ海岸に、人影が見えた。海に向かって立ち尽している。夕陽の最後の一光が、人影の髪をきらきらと輝かせた。女か? 母親と同じ髪の色のようだ。

 「おーい、待ってくれ」

 自分でも驚くほど大声が出た。使い果たしていた筈の体力が蘇った。人影は動かない。
 死のうとしているのではないか、咄嗟に思った。

 俺が助ければ、或いは、そこから恋が始まるかもしれない。女は金持ちの未亡人で、俺はレグナエラまで行かなくても済む。俺は必死で走った。

 近付くにつれ、俺の間違いがはっきりしてきた。その輪郭は、どう見ても男だった。俺は大声を出した事を後悔しながらも、足を止める訳にはいかなかった。男は俺の声に気付いて到着を待っているようであったからである。

 男は俺よりも随分年上だが、鍛え上げられた筋肉は若々しかった。金髪と見えたのは、白髪か銀髪だった。珍しいことだが、艶から考えると多分銀髪の方だろう。長い棒を携えている。息を弾ませながら到着した俺を見て、男は言った。

 「エウドクシスか、どうしたのだ」

 俺が探していた特別臨検使のデリムだった。夕闇の中でも冴え冴えと光る薄青の瞳が俺の目を捉える。心の底まで見透かされそうな気がして、俺は身震いした。

 デリムは俺が説明するのを待っている。俺は呼吸を整えてから、デリムと一緒に行きたい旨をなるべく正直に話した。こいつに嘘をつくと、ろくなことにならない、と勘が働いた。
 話を持ちかけた俺にも意外な事に、デリムはあっさりと承諾した。

 「よかろう。荷運びがいると都合がよい、と考えていたところだ」

 荷運び? デリムの持ち物は、俺が長い棒と見間違えた双槍だけである。食料や水さえも、どうやら持ち合わせていない様子だった。こいつも金に困っているのだろうか。俺の困惑をよそに、デリムは続けた。

 「急ぐ旅なのだ。グーデオンへ戻り、イナイゴスまで海路を使う。仕事はレグナエラに着いた時点で改めて指示する。条件を呑むことができるのならば、私はお前を雇おう」

 俺は返事に詰まった。海には暫く近付きたくない、と思っていたところである。だが、ここで断ってはレグナエラに行く事すら難しい。運良くレグナエラまで行けたとしても、仕事があるとは限らない。
 一瞬の間にあれこれ考えた末、俺はデリムに向かって頷いてみせた。


 海の旅は、予想通りだった。
 このところ風の吹く方向が気まぐれになっており、日程に余裕のある船は出航を見合わせているのに、デリムは何処から出してくるのか、金の力でイナイゴスへ直行する船を仕立てさせ、翌日の午前中には出航させたのだった。

 そんなに無防備に金を見せびらかしていたら、沖合いで魚の餌にされるのではないかと最初は心配していたが、契約金の残金はイナイゴスに置いてあるとかで、差し当って港に入るまでは命が保証されるとわかり、安心した。

 金と言えば、支度金をもらって護身用の武器など旅装を整えた俺も、デリムに強いことは言えない立場であった。
 奴隷みたいに見えるので、安物でもいいから手足に飾りをつけたかったのだが、身分が割れるといけない、とデリムに止められ買えなかった。

 やはり最初に会った時に身の上話をしておいたらしい。
 どうしても記憶が蘇らないので、すっきりしない気分であった。

 すっきりしないと言えば、デリムが持っていた長い双槍は、何時の間にか短くなり、奴はいつもそれを腰に提げていた。聞いてみると、組み立て式だと答えられた。

 確かに便利だが、それならいつも短くして持っていればいいものを、よくわからない男である。それに、食事を独りで取ったり、時々人気のない時を狙ったように舳先や船尾に現れ、何やらぶつぶつと独り言を呟く辺りも変わった男であった。

 レグナエラ王の特別臨検使でありながら、供廻りが一人もつかなかったのも、頷ける。その役職が何を意味するのかよくわからんが。

 風の向きが不規則に変わる割りには、海面は穏やかだった。空では竜巻が起こったり、雷光が走ったりと不安定な天候が続いていたにもかかわらず、船は順調に航海していた。
 まるで、竜巻や雷が俺達の船を避けているようにさえ思われた。お蔭で船酔いにもならず、木箱の思い出さえなければ快適な船旅と認めてやってもよかった。

 だが、俺は海に落ちて漂流するのが嫌で甲板に出る気もせず、船室にいればいたで、狭い木製の部屋に閉じ込められているようで、やはり嫌で、にっちもさっちもいかず扉を開け放した部屋の中で煩悶していた。
 何人もの通行人があったが、誰も文句を言わなかった。

 急がせた甲斐もあり、天候にも恵まれて、船は数日を経て無事イナイゴスに着いた。
 船長が残金の支払いを求めると、あろうことかデリムは俺の荷物の中から金を出して支払った。船長を始め、俺も含めて一同呆れて開いた口が塞がらなかった。

 俺の知る限り、奴が俺の袋に金を隠す暇はなかった筈だ。船長も驚いているところを見ると、俺達の荷物を密かに調べたに違いない。港へ入る前に見つかっていたら、きっと魚の餌にされていただろう。
 ともかく支払が済み、俺達は下船できた。固くしっかりとした地面を足下に感じて、俺は満足と安堵の息をついた。

 イナイゴスからレグナエラまでは陸路となる。道中の食料を仕入れるため、市場へ行った。

 「グーデオンより大きい。首都に近いからか」
 「お前が買い物をしたのは西岸だろう。グーデオンは東岸の方が賑やかだ。規模はさして変わらない。むしろ、西岸がある分、向こうの方が大きい」

 通りすがりのあだっぽい人妻の注意を引くように大きめの声で言ったが、デリムにぴしゃりと言い返された。人妻はこちらをちらりとも見ずに通り過ぎた。
 デリムのような銀髪の人間も、俺のようにシュラボス風の人間も全然見かけないのに、道行く人々は俺達を大して気に留めなかった。
 港町で、毛色の違った人間がうろうろしているのに慣れているせいだろうか。

 シュラボスにも市は立つ。俺は買出しをする身分でもなかったが、品物やそれを売りさばく人々、特に女性の売り子を見るのが面白いので、時々冷やかしに行っていたから、市場がどういうところかは大体把握していた。だが、イナイゴスのそれは規模が違った。

 まず、品揃えが豊富だ。オリーブ一つとっても、まだ収穫には早いので新鮮なものはさすがに置いていないものの、同じ蜂蜜漬けでも産地別、大きさ別、漬け込み年数別と種類が多い。
 香草の種類も新鮮なもの、乾燥したもの、それぞれ種類がたくさんあった。あんまり種類が多いので、迷った挙句どれを買っていいのかわからなくなり、結局胸の大きな人妻風情が売る店を選んで買った。
 美人に、そこの粋なお兄さん、と呼ばれればどうしても足が向いてしまうのだから仕方がない。

 「その人妻好きは治した方がいい。わざわいの元だ」

 買い物が終わるまで黙って俺についてきたデリムが分別臭く言った。
 奴も留守中、妻を誰かに寝取られないか心配なのだろう。俺も真面目腐って頷いてやった。別に意識して人妻を狙っている訳じゃない。勝手に目に飛び込んでくるだけだ。

 デリムは何も買わなかった。俺は自分の分しか食料を買っていないのだが、どうする気なのだろう。

 その謎は、イナイゴスを出て街道を急ぎ、宿泊する頃になって解けた。俺達はレグナエラ王国の兵士の詰所に泊ったのだ。デリムは特別臨検使として、兵士達からもてなしに預かり、俺は供廻りということで、別室で持参の食料を食った。
 尤も、寝る前にデリムが魚や肉のご馳走をこっそり分けてくれたので、俺は心の中で奴を許してやった。
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