神殺しの剣

在江

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第一部 第二章 エウドクシスの大難

2 水神の語り

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 気が付いたら、何人かの男に取り囲まれていた。全員同じ程度に武装している。兵士のようだ。敵意は感じなかった。俺は起き上がろうとして、中の一人に止められた。

 「まだ横になっていた方がいい。遠慮はいらない」
 「ここは?」
 「レグナエラ王国に所属するグーデオンだ。お前、悪い奴らに殺されそうになったんだってな。ソリス陛下の特別臨検使であるデリム様が言っていたぞ。こっちの言葉が話せるなら、ここは港町だからいくらでも仕事は見つかる。もう、シュラボスには帰りたくないだろう。なあ、エウドクシス」

 俺を助けてくれた男はデリムという名前らしい。
 記憶が欠落しているが、俺は身の上を奴に話したのか。殺されそうになったのは本当だが、仕組まれた罠にかかったとはいえ、そもそも親父の後妻に手を出した俺も悪いのだから、どちらが悪いかは一概には言えない。

 ともかく、ここの連中には俺はいい奴として紹介されているようだ。まずは一安心だった。俺は顎を引いて同意を表した。意思に従って顎が動いたことに、言い知れぬ感動を覚えた。
 兵士達は、己に感動している俺を見て疲れが出たのだと解釈し、俺を寝かせたままその場を離れた。すぐ隣の部屋が、彼らの居場所のようだ。ここは何かと首を巡らすと、どうも寝所のようだった。

 毒を飲まされて飲まず食わずで海を漂流していた割りには、俺の状態はまずまずだった。
 あの兵士達が適切な看病をしてくれたに違いない。兵士達はまるで軽い病人を扱うように緊張感がなかった。
 レグナエラ王国の医療はシュラボス島よりよほど進んでいる。差し当ってすることもないので、俺は横になったまま目を閉じて、今後の身の振り方を考えてみた。

 彼らの言う通り、シュラボス島には戻れない。生きて戻れば親父は内心喜んでくれるかもしれないが、いずれイニティカに口実を設けられて殺されるのが落ちである。
 ここグーデオンの地名は、俺も誰かに聞いた覚えがあった。シュラボス島との交易を主にしている都市だ。

 仕事は確かにたくさんあるだろう。だが、それは危険も多いということだ。シュラボス島の人間が多く出入する場所でうろうろしていれば、誰かが俺に気付いてイニティカや弟達の耳に入れるかもしれない。
 どこにいようと彼女らの耳に入れば、シュラボス島に戻るのと同じことである。

 俺に合った仕事を見つけるのは難しいかもしれないが、もっと北方の内陸へ移動して、できれば聞いた事もないような土地で生活するのがいい。勿論、俺をこんな目に合わせた弟達を許すつもりはない。いつか何らかの形で仕返しをしてやる。だが、まずは俺自身を生かさなければならない。

 「なに、ソリス陛下が?」
 「しっ、奥にシュラボス人がいる」

 隣の部屋から席を立つ音がした。俺は目を閉じたまま、眠っている振りをした。誰か俺の様子を窺っているようだ。俺は目を開けたい衝動に耐えた。長すぎる沈黙の後、会話が再開された。

 「出入の商人から口伝えで耳に入った話だから、まだ確かなことはわからない。どうもお加減が悪いようだ」
 「公式な通達は出ていないよな。王様が倒れたら、俺達どうしたらいいんだ?」
 「危急時に備えて、主だった大臣による協議機関が用意されているんだよ。当面はこれで充分しのげるだろう。俺達も失業せずに済むって訳さ」
 「でも、こんな時に北方の野蛮な民族が攻めてきたら厄介だ。やっぱり他の国には知られないに越したことはないぜ」

 兵士達は額を寄せて話し合っているのか、声は小さく発音も不明瞭だった。俺は目を閉じているのを幸い、耳を銅鑼どらのように大きくして集中した。
 ソリス王がどうやら病気らしい、という情報は、俺にはぴんと来なかった。シュラボス島にいた時なら、親父の仕えている王様が倒れたとなれば、一大事だと大騒ぎしただろう。レグナエラの王様の健康が俺にどう関わるのか、今の状態では判断しかねた。

 「そうだ、あの特別臨検使には伝えなくていいのか」
 「デリム様か。もうレグナエラへ向けて出発した筈だ。えらく急いでいたからな。もしかして、もう耳に入っているのかもしれない。知らなくても、首都へ着けば自然にわかるだろう」

 話が途切れて、誰か新しい人間が加わったような音がした。遠慮のない大声が聞こえてきた。

 「今そこで、ユノス近郊の山奥が火事になっていると聞いたぞ」
 「ああ、俺も聞いた。雨みたいに凄い落雷があって、物凄い竜巻が起きたんだってさ」
 「トリニ島も最近、地震が多いそうだ。不穏な世の中になってきたな」

 俺は起きようかどうか迷った。兵士達の話を聞いていて、王国の中心地であるレグナエラに行こうかと思いついたのだ。確かな記憶ではないが、内陸の方にあった筈である。
 少なくともここよりは北方にある。大きな都市ならば、仕事を見つけるのも人々に紛れるのも容易だろう。
 俺を助けてくれたデリムとかいう奴に頼めば、金がなくても自然にレグナエラまで連れて行ってもらえるのではなかろうか。

 奴は既に出発しているという。海路で出航されてはどうしようもないが、陸路ならば追いつく可能性はある。考えているうちに、兵士達の話題が俺の事になった。

 「あんまり大声を出すなよ。奥にシュラボス人が寝ているんだ」
 「おっと、起こしちまったかな」

 足音が近付き、誰かが覗き込む気配がした。俺は思い切って目を開けた。


 グーデオンの街中を、デリムは足早に歩いていた。兵士の詰所にエウドクシスを引き渡し、ロータス川を横切ろうとして、対岸に渡るには上流へ行かねばならないと聞き、遡って渡し舟を見つけ、交渉して西岸へ渡り、再びロータス川沿いに河口まで歩いているのであった。グーデオンの西岸は大きな船の停泊所になっており、小さな家々が建て込んでいる東岸に比べると何もない分、広々としていた。

 イルカの石像が見えてきた。河口の両側に一基ずつ建立されていて、近付いてよく見ればイルカそのものではなく、人間の手足がイルカの胴体に刻まれていた。魚神を祭ったものであろう。
 石像は傾きかけた太陽の光を浴びて、赤く輝いていた。石像の近くには、船乗りの溜まり場がある。
 旅人は、ここで船長と交渉して便乗させてもらうことができる。

 しかし、デリムはあっさりと溜まり場を通り過ぎた。デリムの銀髪も、夕陽に照らされて赤味を帯びている。彼は足をますます早めて、郊外へ出る街道を進んだ。

 グーデオンの隆盛を表すかのように、郊外へ出てもなかなか人通りは途切れない。デリムの銀髪を奇異な表情で眺める輩もいる。
 夕陽が海に半分沈んだ頃、漸く人通りが途絶えた。海沿いに伸びる街道は半ば砂に埋もれ、左側にまばらに生えている林にも、小石が多く裸足で歩くには向かない砂浜にも人気はない。デリムは周囲を慎重に見回した後、街道を逸れて波打ち際へ歩いて行った。

 「海にそして川にいるもの、あらゆる水に住まい、水を司るものよ。死の神が名のもとに、汝の存在を知るデリムが命じる。水の羽衣を持つアカリウスよ、我が元へ来れ」

 沖合いに、突如として大波が起こった。大波は白い泡を立てながら轟々ごうごうと波打ち際まで押し寄せてきた。デリムは動かなかった。彼の背丈よりも遥かに高い波は、デリムの前で、ぴたりと止まり、急に形を崩した。

 大量の海水が落ちた。盛大な水飛沫と水煙が、デリムの衣装を濡らした。落ちた波は、デリムを中心に左右に広がって消えた。水煙が消えると、そこには滝のように真っ直ぐな長い髪を持つ半透明の人物が出現していた。その髪も体も、背後から照らし出される夕陽の色に染まり、赤味がかっていた。

 「死の神の名において、私を呼び出したのは誰か」

 水神は、びしょ濡れのデリムをじろりとひと睨みしてから口を開いた。

 「私はデリム。日の御子の命により、近頃この辺りをうろついている怪物について調べている。ご協力願いたい」
 「あれは、日の御子様がお仕置きのために送られたものではないか。そもそもお前が名乗る通りの者であるという証拠はあるのか」

 デリムは持っていた双槍を見せた。懐疑的なアカリウスの表情が、驚きに変った。

 「地神の杖ではないか。なにゆえ、お前が持ち歩いているのだ」
 「ユムステル殿は私が怪物と戦えるように、これを差し出した。信用してもらえまいか」

 水神は双槍とデリムを見比べながら、ううむと唸った。水神の足元を取り囲む波も、白く泡立った。デリムは水神の気が済むまで静かに待っていた。やがて水神はおお、と声を上げた。

 「すると、あの怪物は日の御子様の手の者ではないのか。大変だ、火神と風神がこの先の南海で食われたのだ。怪物は神の言葉を話し始めた。どんどん進化している」
 「なるほど、腑に落ちた。ところで、アカリウス殿。怪物には神の持ち物しか通用しないようなのだ。できれば、水の羽衣を貸して欲しいのだが」

 水神は躊躇い、首を振った。夕陽に赤く染まった髪がさらさらと左右に揺れた。

 「地神は性格がよいからな。私の羽衣が何の役に立つというのだ。私はこれを手放せない。お前、日の御子様に火神と風神が食われたことをきちんと報告するのだぞ。恐らく、既にご存知であろうが。きちんと仕事をしないと、怪物に食われてしまう。火神と風神のように。おお、人間が近付いて来たようだ。お前の無事を祈ってやろう」

 水神は波間に沈みながら沖へと消え去った。水神と話している間に刻々と時は過ぎ、夕陽の最後の光が、海辺を照らしていた。デリムは、左右を見回した。

 グーデオンの方角から、走ってくる人影があった。長い髪を風に靡かせているが、服装と体格からして明らかに男性である。

 「おーい、待ってくれ」

 デリムは待った。それはエウドクシスであった。
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