神殺しの剣

在江

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第一部 第二章 エウドクシスの大難

1 逆光の救護者

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 英雄が現れた
 その名はエウドクシス

 俺は眠っていたのだろうか。それとも気を失っていたのだろうか。

 延々と波に揺られていたような気がする。
 ちゃぷちゃぷ、ざっぱん。どんぶらこ、どんぶらこ。こつこつ、こつこつ。

 時折木をつつくような音は多分魚達だったろう。俺にはわからない。
 じゃりじゃり、ごろごろ。ざざっ。

 木箱の揺れが止まった。

 波の音が遠ざかる。木箱は動かない。何処かの浜辺に打ち上げられたのだ。昼だろうか夜だろうか。少しずつ背中が温かくなってきた。天気がよければ、空気穴の蜜ろうも溶けるだろう。

 いや、既に空気穴は開いていた。微かに新鮮な空気が入ってくる。海に投げ出された時か、あるいは流されている間に外れたらしい。海水で木箱が満たされなかったのは幸いだった。ここが無人島ではありませんように。

 しかし俺は相変わらず動けない。目は開きっ放しで縁に目やにが溜まり、視界が霞んでよく見えない。目を閉じておいてくれればよかったのに、と俺は思った。

 ざっざっざっ。砂石の擦れる音がする。人の足音が段々近付いてくる。

 「おい、見ろよ。何か打ち上げられているぜ」
 「文字が書いてある。お前、読めるか」
 「読めねえよ。宝箱かもしれねえ。とにかく、開けて見ようぜ」
 「おう」

 二人組の男は、軽々と木箱を持ち上げた。少なくとも親父の手下ぐらいには力持ちらしい。
 木箱がリズミカルに揺れる。足元が濡れないよう、浜辺の奥へ移動させるようだ。間もなく、木箱はどさっと乱暴に落された。抗議の声は出せない。

 「ここに小さな穴が開いている。ここを斧で叩き割ればいい」

 なんて乱暴なことをするんだ、俺の体に傷がついたら、いや、勢い余って首が切れたらどうするんだ、という内心の叫びも虚しく、最初の衝撃が木箱を襲った。

 がしっ、がしっ。
 斧を振り下ろす音は断続的に続く。二人共斧を持っているのか、男達は交代で斧を振り下ろしている様子である。斧が木箱に当る度に、飛び上がらんばかりの震動が伝わった。その音は耳が壊れんばかりであった。

 「おっ」

 ほどなく、ばきりと蓋が内側に折れた。ささくれ立ち、顔に刺さりそうな蓋の間から、期待に満ちた男達の目が覗いた。

 「うひゃあ、死体が入っているぞ。棺桶か」
 「金目のものを一緒に入れているかもしれねえ。とにかく開けようぜ。お宝を傷つけないよう、慎重にやるんだ」

 慎重にやる、と言った割には男どもは乱暴に斧を振るった。今度は足元の方だった。震動と騒音の後、足を覆う蓋にもひびが入った。

 「くそっ。頑丈に作りやがって」

 悪態をつきながらも、男どもは手を休めなかった。次は木箱を跨ぎ、縦に斧を振り下ろす。すぐに蓋は割れた。割れ目から斧が差し込まれ、梃子てこの原理で蓋がこじ開けられた。まばゆい光が木箱一杯に降り注いだ。俺は目を細めることもできなかった。

 「ふう。手間とらせやがった」
 「見ろよ。立派な飾り物をたくさん付けているぜ」
 「いくら立派に着飾ったって、死んじまったら役に立たねえ。俺達がちゃあんと使ってやるから安心しな」

 俺は木箱から担ぎ出された。背中全体にちくちくと無数の小石が刺さった感触があった。硬い木の板ばかり触れていた背中には、それでも心地よかった。
 中天には太陽が輝いていて、その光が目に痛い。手足の飾りをくれてやるのは一向に構わないが、その後木陰にでも運んで欲しかった。だが、俺は声一つ立てられなかった。

 男どもは手早く俺の飾り物を外した。手と足が二個ずつと、耳飾が一対。それぞれ半分ずつ分けた。帯状の首飾りが残った。

 「これは俺の分」
 「俺の分は?」
 「それで充分じゃねえか」
 「半分に割れば済むだろ」

 俺を挟んで、男どもは睨み合った。一人が斧を構えた。もう一人も慌てて斧を構え、後じさりした。

 「や、やるのか?」
 「お前こそ、やるのか?」

 じりじりと、俺を中心に二人の男が間合いを取る。

 じりじり、じりじり。

 太陽の光が俺の目を焼く。どうでもいいから、俺を日陰に連れて行け。

 「わかったよ。その首飾りはお前の物だ」

 一人が斧を下ろした。もう一人も斧を下ろし、小石だらけの砂浜に放り出された俺の飾り物を掻き集めた。

 「わかればいいんだ。ソリスの野郎が厳しく取締りやがるから、俺達も儲けの大きい都市ではなかなか商売できねえ。これを見つけただけでも、儲け物と思わにゃなるめえ」
 「そうだな」

 男どもは、俺の飾り物をそれぞれの袋に入れて、並んで去った。俺は木箱の近くに放置された。太陽は動かない。
 ここが無人島でないことはわかった。どうやらレグナエラ王国の領内らしい。

 ソリス王の評判は、交易相手であるシュラボス島まで伝わっていた。なんでも年を取らないというので、どんな秘薬を用いているのかとイニティカなどは興味津々で親父の話に聞き入っていた。
 イニティカを思い出して、俺はまた気分が悪くなった。

 あるいは、急に強い日光に当ったせいかもしれない。いずれにしても、誰かが通りかからぬ限り、俺はこの浜辺で死を迎えるしかない。あの盗賊達のように、こんな暑い陽射しの中を歩き回る物好きがいれば、の話であるが。

 「シュラボス人が、このような場所で何をしている」

 太陽の光が遮られた。逆光で顔はよく見えないが、先刻俺を木箱から出した奴らよりも筋骨逞しい男であることは、影の形でわかった。レグナエラ人らしい服装をしており、髪もきちんと巻いてあるようだ。両端がきらめく長い棒を持っている。

 「ははあ、仮死毒を盛られたな。まだ寿命があるところを見ると、ここで私が助けねばならぬのか」

 男はぶつぶつ言いながら、片手で空中から何か掻き集める仕草をした後、俺の体に沿って手を動かした。体の力が、ふっと抜けた。瞼が急に重くなった。


 「見よ、アウラエ。天空を駆ける稲妻を」
 「ああ、いつ見ても美しい。フラムは本当に素晴らしい神よ」

 レグナエラ王国のある半島にほど近い南海の上空に、風神と火神が寄り添って浮んでいた。

 風神は背中にふかふかした白い鳥の翼を生やし、全体に青味がかった半透明の人型で、やはり青味がかった半透明の勾玉を連ねた首飾りをかけていた。
 火神は炎のように縮れて逆立つ髪を橙・黄・白と目まぐるしく色を変える光冠で押さえ、蜜ろうのような透明感のある肌をした人型をとっていた。

 海面がざわざわと動き出した。普通の波とは明らかに違う渦が唐突に生じ、みるみる大きくなった。風神と火神は一層互いに寄り添い、渦の中心を見詰めた。

 渦の中心から竜巻のように水煙が上がり、風神と火神のいる上空にまで届いた。霧状の水滴が火神の髪にかかり、ざわっと音を立てて蒸発した。翼に水滴がかかった風神は、身震いして水滴を払った。水煙と共に渦巻きはたちまち消え、静かな水面を取り戻した海上に、山奥にひっそり流れ落ちる滝のように長い髪を持つ白っぽい半透明の人型をしたものが現れた。

 「近頃、私の領域でこそこそ遊んでいるようだが、少しは仕事もしているのかね。内陸では風が例年より弱まり、花が実を結ばないのではないかと人間が心配しているぞ」
 「おや、風の精霊が仕事を怠けているとみえる。風の精霊も困りものよ。アカリウスも水神なのだから、海の精霊には気をつけなさい」

 風神は水神の小言を気にする様子がない。風に靡く青味がかった半透明の髪を火神に撫でさせて、くすくす笑っている。水神は気色ばんで更に白っぽくなった。

 「その精霊を監督するのが風神の仕事ではないか。日の御子様が我らを創り給うた理由をお忘れか」
 「如何にも我らは日の御子様に創られたが、水神は死の神に創られたのではないか。同じに論ずるのはやめてもらおう」

 火神が横合いから口を出した。風神はくすくす笑いを止めない。水神はますます白くなり、その体から透明性が失われた。

 「我らの間に上下はない筈。如何に日の御子様のご威勢を借りようとも、貴公らの仕事ぶりを知れば、当の日の御子様がお許しになるまい。その時に嘆いたとて遅いのだぞ」

 再び渦巻きが水煙を伴い、海面に生じた。水煙に包まれて消えようとする水神に向かって、風神が言葉を投げつけた。

 「アカリウスなど、あの怪物に食べられてしまえばいい」

 水神は答えずに姿を消した。水煙がばら撒いた水滴が、しばらく空中に残っていたが、残った神々は気にも止めずに、互いに顔を見合わせて笑い合った。

 「はははは、アカリウスがあのように怒りを表すのは初めて見た」
 「言い負かしたフラムの素晴らしい才知よ、はははは」

 水滴はいつまでも空中に留まり、徐々に黒ずんできた。神々は笑い続けた。

 「黒い髪のアウラエも美しい」
 「え、何故私の髪が黒いのか?」

 風神と火神は怪物の手の中にいた。怪物はしっかりと寄り添う神々を握り締めていた。怪物の手の前には、黒々とした空間がぽっかりと開いていた。怪物は己の手ごと口の中へ神々を放り込んだ。

 歯で肉を削り取られた骨のように、閉じられた口から黒い手だけがずるずると出てきた。

 「おおう、うまい」

 怪物は神の言葉で言った。
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