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8 オークの追いかける女
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娼館に吸い寄せられた俺は、昼間から居続けで、翌朝までベッティナに奉仕してもらった。
「肌艶が良くなったわよ、ザック」
支払いの段に顔を見せたマダムが、俺の頬を人差し指で突いた。ぷに、と弾む感触があった。
部屋の大きな鏡で見た時に、色々抜かれてスッキリ仕上がったことは、自覚していた。
「そう言えば、今日はコッコラが出勤するわ。指名押さえておこうか?」
「帰るよ」
「では、またのご来訪を、お待ちするわ」
結構な額を請求された。夕食と朝食をベッティナの分まで配達してもらい、その金も含まれているのだ。こんなものだろう。
「あ~ら。お勤めご苦労様です~。今日は、どの娘になさいますか?」
上客が来店したらしい。マダムは弾むような足取りで、俺に背を向けた。
追加で細かい買い物をして、町を出た。上天気である。
町の周囲には畑や牧場があって、その先の林へと続いていく。俺の帰る方向も、林の先だ。
道を横切るスライムを蹴飛ばしたり避けたりしながら、道を進んだ。
スライムは小金を溜め込んでいて、地道に集めればまとまった額になる。初心者の冒険者には、うってつけの獲物である。
俺も金に困った時、集めたことがあった。昔の思い出だ。
今は、小銭をかき集める手間と、武器にまとわりついた粘着を落とすのが面倒で、放置している。
そんなことで魔法を消費したくもない。贅沢になったものである。
スライムも、何かの拍子で爆発的に増えると、面倒なことになる。こまめに退治した方が良いのだが。
林へ入ると、今度はヒルに注意する必要があった。
ぽたりと首筋なんかに落ちて、痛みもなく血を吸う。吸い終われば勝手に落ちるが、その跡からは血が流れる。
こいつも、面倒な生き物だ。
林の中に道はあるが、誰かが整備する訳ではない。人が通らない箇所には草が生える。
なるべく藪を突かないよう、上から垂れる枝や蔓を揺らさないよう、気を付ける。
一人で歩く分にはそれで済む。向こうから馬車が来た日には、嫌でも草むらへ足を突っ込んでしまう。
「いやあああああっ! 助けて!」
遠くから悲鳴が聞こえたかと思うと、たちまち周囲の草木がざわつき出した。
探すまでもなく、林の奥から女が駆けてくる。凄いスピードだ。
そして、その後ろから迫るのは、オークだった。
「まじか」
ザザザザッ。
ヒルを盛大に飛び散らかしながら、女は俺の側を駆け抜けた。ヒルは反射でバリアを張って防いだが、問題はオークである。
オス一体。鎧や武器は持たないようだ。俺は、剣を抜きつつ奴に魔法を浴びせた。
光が一閃する。
オーク真っ二つ。上下に分かれた。
ズン、と地響きを立てて地面に落ちる。上からヒルが降ってきた。
「すっごーい」
振り向くと、さっきの女が戻るところだった。剣を下げ、鎧を着込んでいる。その姿は、知り合いの誰かを連想させた。
「騎士団の方ですか?」
騎士団には、貴族出身の者も多い。平民の俺は、丁寧な言葉遣いを心がけた。
「あっ。そんな丁寧になさらなくても。私、平民ですし、新人で」
「では、後の処理はみなさんにお任せします。私は、これで失礼します」
さっさと道へ戻った。新人騎士は、慌てて追い縋ってきた。面倒に巻き込まれる予感がした。
「お待ちください。私、これを町まで運ばないといけないんです。荷車を借りるまでの間、見張っていてもらえませんか?」
俺は、騎士を見た。子供みたいに、若い女だった。
騎士なのに、オークとも戦わずして、逃げに回っていたのだ。実戦経験がないのは、明らかである。
「お仲間は、どうしました?」
「多分、団の方に詰めているかと」
よく聞くと、彼女はオーク退治に一人で派遣されたのだった。これが世に言う新人いじめか。いじめというより、ほぼ謀殺である。
「どうせ、ゴブリンを見間違えたんだろうって、先輩たちが。それで、ちゃんと倒したかどうか、証拠を持ってこいって。半分だけでも持ち帰りたいです」
新人も負けていない。さっきまで助けを求めて逃げ惑っていたとは思えない、逞しい根性である。さすがは騎士団?
俺は、早く家に帰りたかった。娼館で予定外に一泊延長したのだ。ただ、誰かと約束がある訳ではない。
「わかりました。ここで待ちます。でも、あまり待たされるようでしたら、帰ります」
「ありがとうございます、お名前を伺ってもいいですか? 私は、辺境騎士団所属のマーゴと言います」
「ザックです。冒険者です」
「じゃあ、ザックさん。急いで借りてきます。待っていてくださいね」
マーゴは走り去った。足だけは早い。
俺は、オークの死体を見に行った。もちろん死んでいる。
若いオークだった。オークにしては、小柄な方だ。それでも、ゴブリンと見間違えるほど、小さくはない。
善意に解釈して、騎士団がゴブリンと誤断したのは、もともとこの辺りでオークの存在が確認されていなかったからだろう。
それでも新人を一人で事に当たらせるのは、間違っている。ゴブリン集団は厄介だ。ホブゴブリンなどの亜種に統率されていることもあるし、魔法を使うゴブリンも存在する。
魔王が滅んだからといって、辺境騎士団の仕事が減った訳でもあるまい。他所ごとながら、まともに仕事をしているのか、気になった。
新人教育も、まともに出来ておらず、その素人同然の新人騎士を単独で現場へ放り込む。
およそまともな組織では、あり得ない。
オーク退治を一般人にさせたのは成り行きとしても、その後の処理まで手伝わせるとは、図々しいにも程がある。
早くも、ハエが血肉の匂いを嗅ぎつけてきた。魔法で寄せ付けないこともできるが、そこまで親切にする理由もなかった。放置する。
ガラガラ、と荷車の音が近付いてきた。マーゴが戻ってきたのだ。後ろにもう二、三人従えていた。
「助けていただいた上にお礼も言わず、死骸の見張りまでさせてしまい、うちの団員が大変失礼をいたしました。改めて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。ほれ、お前も礼を言え」
水牛人が、一隊を止めるなり、深々と頭を下げた。徽章を確認するまでもなく、制服からして、お偉方であった。
ちなみに何故水牛人とわかるかと言えば、頭がそのものだからである。
同じ獣人であっても、見た目や能力の表れ方はそれぞれ異なる。アデラやウィロウみたいに、まるっきり人間の外見の者もいれば、シスターホリーやベッティナみたいに、一部獣の外見を持つ者、この男のように頭がまるまる獣である者も存在する。
「いいえ。私も襲われるところでしたので、自衛しただけです。どうぞ頭を上げてください」
いきなりまともすぎる対応を幹部から受け、俺は少々動揺した。
水牛人は頭を上げたが、マーゴの頭は押さえつけたままである。その後ろでは、恐らく上司についてきただけの団員が、やはり頭を垂れていた。
「寛大なお言葉に感謝します。それで、少々お時間をいただき、本部の方でお礼を差し上げたいのですが、ご同行いただけませんか」
「日のあるうちに帰りたいので、それはちょっと」
水牛人が、マーゴの頭を押し下げた。
「そうですか。お忙しいところをお引き止めして申し訳ない。私は辺境騎士団副団長のメイナードです。お名前を伺っても?」
偉いと思っていたが、それほどとは。腰の低さに感心した。
「ザックです」
メイナードはマーゴから手を離すと、懐から金の入った袋を取り出した。
「ではザックさん。気持ちばかりですが、お礼に。どうぞお受け取りください」
袋ごと俺の手に持たせた。ずっしり重い。全部銅貨だとしても、結構な金額になる。
「えっ。こんなにいただけませんよ。お気持ちだけで、本当に」
押し問答を繰り返した後、時間が、と副団長が言い出したので、遂に受け取ってしまった。
「肌艶が良くなったわよ、ザック」
支払いの段に顔を見せたマダムが、俺の頬を人差し指で突いた。ぷに、と弾む感触があった。
部屋の大きな鏡で見た時に、色々抜かれてスッキリ仕上がったことは、自覚していた。
「そう言えば、今日はコッコラが出勤するわ。指名押さえておこうか?」
「帰るよ」
「では、またのご来訪を、お待ちするわ」
結構な額を請求された。夕食と朝食をベッティナの分まで配達してもらい、その金も含まれているのだ。こんなものだろう。
「あ~ら。お勤めご苦労様です~。今日は、どの娘になさいますか?」
上客が来店したらしい。マダムは弾むような足取りで、俺に背を向けた。
追加で細かい買い物をして、町を出た。上天気である。
町の周囲には畑や牧場があって、その先の林へと続いていく。俺の帰る方向も、林の先だ。
道を横切るスライムを蹴飛ばしたり避けたりしながら、道を進んだ。
スライムは小金を溜め込んでいて、地道に集めればまとまった額になる。初心者の冒険者には、うってつけの獲物である。
俺も金に困った時、集めたことがあった。昔の思い出だ。
今は、小銭をかき集める手間と、武器にまとわりついた粘着を落とすのが面倒で、放置している。
そんなことで魔法を消費したくもない。贅沢になったものである。
スライムも、何かの拍子で爆発的に増えると、面倒なことになる。こまめに退治した方が良いのだが。
林へ入ると、今度はヒルに注意する必要があった。
ぽたりと首筋なんかに落ちて、痛みもなく血を吸う。吸い終われば勝手に落ちるが、その跡からは血が流れる。
こいつも、面倒な生き物だ。
林の中に道はあるが、誰かが整備する訳ではない。人が通らない箇所には草が生える。
なるべく藪を突かないよう、上から垂れる枝や蔓を揺らさないよう、気を付ける。
一人で歩く分にはそれで済む。向こうから馬車が来た日には、嫌でも草むらへ足を突っ込んでしまう。
「いやあああああっ! 助けて!」
遠くから悲鳴が聞こえたかと思うと、たちまち周囲の草木がざわつき出した。
探すまでもなく、林の奥から女が駆けてくる。凄いスピードだ。
そして、その後ろから迫るのは、オークだった。
「まじか」
ザザザザッ。
ヒルを盛大に飛び散らかしながら、女は俺の側を駆け抜けた。ヒルは反射でバリアを張って防いだが、問題はオークである。
オス一体。鎧や武器は持たないようだ。俺は、剣を抜きつつ奴に魔法を浴びせた。
光が一閃する。
オーク真っ二つ。上下に分かれた。
ズン、と地響きを立てて地面に落ちる。上からヒルが降ってきた。
「すっごーい」
振り向くと、さっきの女が戻るところだった。剣を下げ、鎧を着込んでいる。その姿は、知り合いの誰かを連想させた。
「騎士団の方ですか?」
騎士団には、貴族出身の者も多い。平民の俺は、丁寧な言葉遣いを心がけた。
「あっ。そんな丁寧になさらなくても。私、平民ですし、新人で」
「では、後の処理はみなさんにお任せします。私は、これで失礼します」
さっさと道へ戻った。新人騎士は、慌てて追い縋ってきた。面倒に巻き込まれる予感がした。
「お待ちください。私、これを町まで運ばないといけないんです。荷車を借りるまでの間、見張っていてもらえませんか?」
俺は、騎士を見た。子供みたいに、若い女だった。
騎士なのに、オークとも戦わずして、逃げに回っていたのだ。実戦経験がないのは、明らかである。
「お仲間は、どうしました?」
「多分、団の方に詰めているかと」
よく聞くと、彼女はオーク退治に一人で派遣されたのだった。これが世に言う新人いじめか。いじめというより、ほぼ謀殺である。
「どうせ、ゴブリンを見間違えたんだろうって、先輩たちが。それで、ちゃんと倒したかどうか、証拠を持ってこいって。半分だけでも持ち帰りたいです」
新人も負けていない。さっきまで助けを求めて逃げ惑っていたとは思えない、逞しい根性である。さすがは騎士団?
俺は、早く家に帰りたかった。娼館で予定外に一泊延長したのだ。ただ、誰かと約束がある訳ではない。
「わかりました。ここで待ちます。でも、あまり待たされるようでしたら、帰ります」
「ありがとうございます、お名前を伺ってもいいですか? 私は、辺境騎士団所属のマーゴと言います」
「ザックです。冒険者です」
「じゃあ、ザックさん。急いで借りてきます。待っていてくださいね」
マーゴは走り去った。足だけは早い。
俺は、オークの死体を見に行った。もちろん死んでいる。
若いオークだった。オークにしては、小柄な方だ。それでも、ゴブリンと見間違えるほど、小さくはない。
善意に解釈して、騎士団がゴブリンと誤断したのは、もともとこの辺りでオークの存在が確認されていなかったからだろう。
それでも新人を一人で事に当たらせるのは、間違っている。ゴブリン集団は厄介だ。ホブゴブリンなどの亜種に統率されていることもあるし、魔法を使うゴブリンも存在する。
魔王が滅んだからといって、辺境騎士団の仕事が減った訳でもあるまい。他所ごとながら、まともに仕事をしているのか、気になった。
新人教育も、まともに出来ておらず、その素人同然の新人騎士を単独で現場へ放り込む。
およそまともな組織では、あり得ない。
オーク退治を一般人にさせたのは成り行きとしても、その後の処理まで手伝わせるとは、図々しいにも程がある。
早くも、ハエが血肉の匂いを嗅ぎつけてきた。魔法で寄せ付けないこともできるが、そこまで親切にする理由もなかった。放置する。
ガラガラ、と荷車の音が近付いてきた。マーゴが戻ってきたのだ。後ろにもう二、三人従えていた。
「助けていただいた上にお礼も言わず、死骸の見張りまでさせてしまい、うちの団員が大変失礼をいたしました。改めて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。ほれ、お前も礼を言え」
水牛人が、一隊を止めるなり、深々と頭を下げた。徽章を確認するまでもなく、制服からして、お偉方であった。
ちなみに何故水牛人とわかるかと言えば、頭がそのものだからである。
同じ獣人であっても、見た目や能力の表れ方はそれぞれ異なる。アデラやウィロウみたいに、まるっきり人間の外見の者もいれば、シスターホリーやベッティナみたいに、一部獣の外見を持つ者、この男のように頭がまるまる獣である者も存在する。
「いいえ。私も襲われるところでしたので、自衛しただけです。どうぞ頭を上げてください」
いきなりまともすぎる対応を幹部から受け、俺は少々動揺した。
水牛人は頭を上げたが、マーゴの頭は押さえつけたままである。その後ろでは、恐らく上司についてきただけの団員が、やはり頭を垂れていた。
「寛大なお言葉に感謝します。それで、少々お時間をいただき、本部の方でお礼を差し上げたいのですが、ご同行いただけませんか」
「日のあるうちに帰りたいので、それはちょっと」
水牛人が、マーゴの頭を押し下げた。
「そうですか。お忙しいところをお引き止めして申し訳ない。私は辺境騎士団副団長のメイナードです。お名前を伺っても?」
偉いと思っていたが、それほどとは。腰の低さに感心した。
「ザックです」
メイナードはマーゴから手を離すと、懐から金の入った袋を取り出した。
「ではザックさん。気持ちばかりですが、お礼に。どうぞお受け取りください」
袋ごと俺の手に持たせた。ずっしり重い。全部銅貨だとしても、結構な金額になる。
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