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1 隠遁の魔術師
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疲れた。喉が渇いた。眠い。
止まったらダメだ。一歩でも動くんだ。
こっちの方でいい筈だ。
絶対に。
屋根裏が見えた。見覚えはない。
帰れたんじゃなさそうだ。そして、天国でもない。体が重い。僕は生きている。
「お、目が覚めたな」
頭の上から声がした。すぐに、声の持ち主が視界に現れた。
人間の若い男だ。僕は、起きあがろうとして、果たせなかった。
「まだ、動くのは無理だろうな。外傷は治したけど、随分弱っていたからね。何か飲めそうかな?」
喋ろうとしたけど、声が出なかった。
「ちょっと待っとけ。今、用意する」
男は一旦姿を消して、すぐ戻った。背中へ腕が差し込まれ、半身を起こされた。
簡素な部屋だった。窓から見える景色は森の中で、僕はベッドに寝かされていた。
男がカップから飲ませてくれた水は甘く、僕は手を動かす力も出ないのに、唇が水を求めてカップへ吸いつこうとするのだった。
「もしかして君、バルノ村へ行こうとしていた? 狼人だよね」
「ぐ、うん」
水が体に染み渡る。砂漠に落ちた汗みたいだ‥‥暗い記憶が蘇りそうになり、急いで打ち消した。
「あそこの猟師さん、数年前に息子さんが出て行ったきりって聞いたけど‥‥だ、どうしたの?」
男が慌ててカップを離した。あたふた辺りを見回した後、手をさっと動かすと、布切れがビュン、と飛んできて、男の手に収まった。
驚く間もなく、その布で、顔を拭かれる。
柔らかい感触に、僕の手が持ち上がった。
「うううっ」
僕は布を顔に押し当てた。涙は後から後から流れ出て、声を抑えることもできなかった。
「えっと、あの。こんなに頂いても、一人暮らしで食べ切れないし」
俺は肉の山を前に、困惑した。
「干し肉にすれば、長持ちするよ。ザックさん、俺たちの気持ちだ。受け取ってくれ」
猟師は、汗を拭き拭き言った。ここまで持ってくるのも大変だっただろう。そういう意味でも、持ち帰る気はなさそうだった。
森で行き倒れとなっていた少年の、父親である。
彼は冒険者になるつもりで家出した後、最終的に奴隷商人に売られるところを、どうにか逃げ出したのだった。
俺が連絡したら、すぐさま飛んで来て、痩せこけた息子を背負って連れ帰った。親子して泣いていたような気もする。
その後の回復も、父親の様子を見る限り、順調のようだった。
彼は、息子を助けてもらったお礼として、猪肉を届けに来たところだった。
皮や牙、内臓は取り除かれている。肉よりむしろ、そっちの方が欲しかった。
魔法や道具の材料になるからだ。
との思いは呑み込み、礼を言う。
「では、ありがたくいただきます」
「いやいや。礼を言うのは、こっちの方だ。それにしてもザックさん、こんな奥深い森の中で一人暮らしは、不便だろう。村の空き家か土地を紹介するよ。ザックさんなら、皆が歓迎する」
「お誘いはありがたいのですが、マイロさん。私はこちらへ住んだ方が便利なのです。仕事に使う材料も、食料なんかも、買わずに済みますからね」
申し訳なさそうに言うと、狼人の猟師は金がないと察し、慌てて室内を見回した。特に、売り物になるような物などは、置いていない。
何故なら、俺は金に困っていないからだ。だがそれを、人に吹聴するのは愚かである。
「ええと。魔法使いさんだったっけ。俺は、魔法に詳しくないんだが、弾除けの札とか売っているのか?」
猟師が弾除けの札を、何に使うのだろう、と思ったが、突っ込まないことにする。
「通常、注文を受けてから作るので、作り置きの札などは、ありませんね。今日は、こんなに沢山のお肉をいただいて、しばらく豪華な食事が楽しめそうです」
「お、おう。そうだ。嫁になる相手を紹介してやろうか。子持ちの未亡人だが、薬屋をやっていて、家も収入もある」
「ウィロウさんですね。亡くなったご主人で十分。男はいらない、と仰っていました」
「そうか、もう当たったのか」
いや、求婚も交際も申し込んでいない。彼女とは、この辺りへ薬草を摘みに来た時に、立ち話をする程度の関係である。
俺は、やり取りが面倒臭くなってきた。
マイロも帰り時を見失っている。
俺は、台所へ行って、今朝拾った鶏の卵を持って来た。
「お恥ずかしくて隠していましたが、最近受けた仕事の成果が一つだけ残っておりました。一見、普通の卵ですが、媚薬の効果があります。お肉のお礼に、差し上げます。奥様と分け合ってお召し上がりください。他の卵と同じように調理して構いません」
背を向けている間に、軽く性欲増進の魔法をかけておいた。それ以外は、うちの鶏が産んだ普通の卵である。
マイロは緊張の面持ちで卵を受け取り、思い出したように懐から銭袋を出した。
「只って訳にはいかねえ。幾らだ?」
「そうですね。余り物なので」
と、猟師の負担にならない程度の額を告げ、代金を受け取った。
「ありがとうございます。お肉もいただいた上に、商品を買ってもらえるなんて」
「いいってことよ。じゃあ、元気でな」
狼人は、漸く帰宅する気になってくれた。猟師だけに、森での一人暮らしを心配したのだろう。良い獣人である。
実際のところ、俺は好き好んで人目を避けて暮らしているのであった。
止まったらダメだ。一歩でも動くんだ。
こっちの方でいい筈だ。
絶対に。
屋根裏が見えた。見覚えはない。
帰れたんじゃなさそうだ。そして、天国でもない。体が重い。僕は生きている。
「お、目が覚めたな」
頭の上から声がした。すぐに、声の持ち主が視界に現れた。
人間の若い男だ。僕は、起きあがろうとして、果たせなかった。
「まだ、動くのは無理だろうな。外傷は治したけど、随分弱っていたからね。何か飲めそうかな?」
喋ろうとしたけど、声が出なかった。
「ちょっと待っとけ。今、用意する」
男は一旦姿を消して、すぐ戻った。背中へ腕が差し込まれ、半身を起こされた。
簡素な部屋だった。窓から見える景色は森の中で、僕はベッドに寝かされていた。
男がカップから飲ませてくれた水は甘く、僕は手を動かす力も出ないのに、唇が水を求めてカップへ吸いつこうとするのだった。
「もしかして君、バルノ村へ行こうとしていた? 狼人だよね」
「ぐ、うん」
水が体に染み渡る。砂漠に落ちた汗みたいだ‥‥暗い記憶が蘇りそうになり、急いで打ち消した。
「あそこの猟師さん、数年前に息子さんが出て行ったきりって聞いたけど‥‥だ、どうしたの?」
男が慌ててカップを離した。あたふた辺りを見回した後、手をさっと動かすと、布切れがビュン、と飛んできて、男の手に収まった。
驚く間もなく、その布で、顔を拭かれる。
柔らかい感触に、僕の手が持ち上がった。
「うううっ」
僕は布を顔に押し当てた。涙は後から後から流れ出て、声を抑えることもできなかった。
「えっと、あの。こんなに頂いても、一人暮らしで食べ切れないし」
俺は肉の山を前に、困惑した。
「干し肉にすれば、長持ちするよ。ザックさん、俺たちの気持ちだ。受け取ってくれ」
猟師は、汗を拭き拭き言った。ここまで持ってくるのも大変だっただろう。そういう意味でも、持ち帰る気はなさそうだった。
森で行き倒れとなっていた少年の、父親である。
彼は冒険者になるつもりで家出した後、最終的に奴隷商人に売られるところを、どうにか逃げ出したのだった。
俺が連絡したら、すぐさま飛んで来て、痩せこけた息子を背負って連れ帰った。親子して泣いていたような気もする。
その後の回復も、父親の様子を見る限り、順調のようだった。
彼は、息子を助けてもらったお礼として、猪肉を届けに来たところだった。
皮や牙、内臓は取り除かれている。肉よりむしろ、そっちの方が欲しかった。
魔法や道具の材料になるからだ。
との思いは呑み込み、礼を言う。
「では、ありがたくいただきます」
「いやいや。礼を言うのは、こっちの方だ。それにしてもザックさん、こんな奥深い森の中で一人暮らしは、不便だろう。村の空き家か土地を紹介するよ。ザックさんなら、皆が歓迎する」
「お誘いはありがたいのですが、マイロさん。私はこちらへ住んだ方が便利なのです。仕事に使う材料も、食料なんかも、買わずに済みますからね」
申し訳なさそうに言うと、狼人の猟師は金がないと察し、慌てて室内を見回した。特に、売り物になるような物などは、置いていない。
何故なら、俺は金に困っていないからだ。だがそれを、人に吹聴するのは愚かである。
「ええと。魔法使いさんだったっけ。俺は、魔法に詳しくないんだが、弾除けの札とか売っているのか?」
猟師が弾除けの札を、何に使うのだろう、と思ったが、突っ込まないことにする。
「通常、注文を受けてから作るので、作り置きの札などは、ありませんね。今日は、こんなに沢山のお肉をいただいて、しばらく豪華な食事が楽しめそうです」
「お、おう。そうだ。嫁になる相手を紹介してやろうか。子持ちの未亡人だが、薬屋をやっていて、家も収入もある」
「ウィロウさんですね。亡くなったご主人で十分。男はいらない、と仰っていました」
「そうか、もう当たったのか」
いや、求婚も交際も申し込んでいない。彼女とは、この辺りへ薬草を摘みに来た時に、立ち話をする程度の関係である。
俺は、やり取りが面倒臭くなってきた。
マイロも帰り時を見失っている。
俺は、台所へ行って、今朝拾った鶏の卵を持って来た。
「お恥ずかしくて隠していましたが、最近受けた仕事の成果が一つだけ残っておりました。一見、普通の卵ですが、媚薬の効果があります。お肉のお礼に、差し上げます。奥様と分け合ってお召し上がりください。他の卵と同じように調理して構いません」
背を向けている間に、軽く性欲増進の魔法をかけておいた。それ以外は、うちの鶏が産んだ普通の卵である。
マイロは緊張の面持ちで卵を受け取り、思い出したように懐から銭袋を出した。
「只って訳にはいかねえ。幾らだ?」
「そうですね。余り物なので」
と、猟師の負担にならない程度の額を告げ、代金を受け取った。
「ありがとうございます。お肉もいただいた上に、商品を買ってもらえるなんて」
「いいってことよ。じゃあ、元気でな」
狼人は、漸く帰宅する気になってくれた。猟師だけに、森での一人暮らしを心配したのだろう。良い獣人である。
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