34 / 40
第四章 富百合
8 盗撮+盗聴されていた
しおりを挟む「この頃、帰って来るのが遅いね」
シンクに溜まった洗い物を片付けている僕の背後で、アルビーはコーヒーを飲んでいる。
「イースター休暇前に、レポート提出があるから」
僕は振り返ることなく応える。仕方なさを装って。
「家ですればいい。見てあげるのに」
「いいよ。きみだって忙しくしているじゃないか。自分で何とかできることで、誰かを煩わせる訳にはいかないよ」
「僕はちっとも構わないのに」
背中にアルビーの視線を感じる。僕は身を竦ませて、ぎこちなく洗い物を続ける。彼のコーヒーの香りが纏い付く。この洗剤の香りで消してしまいたい。
僅かしかない洗い物を、時間をかけて何度も擦った。アルビーがコーヒーを飲み終わって部屋に戻ってくれるのを祈りながら。解っているのに。アルビーの方こそ、僕が洗い終わるのを待っているってこと。
「コウ」
うなじにかかる彼の息にびくりと肩が震えて、手にしていた皿を取り落としそうになる。
「僕の部屋に来る?」
ぶんぶんと首を振る。
「レポートが残っているんだ」
肩から抱き抱えられるように廻された腕が邪魔で、上手く洗えない。
「じゃあ、早く終わるように手伝ってあげる。コウの部屋へ行こうか?」
密着される躰に身動ぎもできない。首を小さく横に振る。
「それなら、今、ここでする?」
冗談とも本気ともつかない甘い囁きが耳を擦る。
「アルビーの部屋に行く」
掠れた声で囁くと、アルビーはくすりと笑った。もう僕は、こんな時、彼がどんな顔をするか良く判っている。獲物を捕らえた猫のような、満足そうな瞳でぺろりと顔を舐めるのだ。僕の……。
僕は剥製にでもなったかのように動かない。されるがまま。
マリーのいない金曜日の夜が来ることが、辛かった。友人の家に泊まりに行く彼女の都合が急に変わって、約束をキャンセルされたから夕食を一緒にたべましょう、とか、相手が風邪で泊まれなくなったとか、そんなメールか電話がないものかと、この瞬間まで願っている。
洗い物を終えたら、今度は自分の躰を念入りに洗う。直ぐに浴室に向かわなければならない。ぐずぐずしていると、彼は「一緒に」って言い出すから。あの日のような恥ずかしい想いは、もう二度と味わいたくない。
初めての時は本当に何も知らなくて、まさかあんなことをされるなんて想像すらしていなくて、途中で慌ててシャワールームに駆け込んだ。そんなムードも何もぶち壊しなことを、アルビーが許してくれる訳はもちろんなくて……。シャワールームで、こういうことの礼儀と作法を懇切丁寧に実地で教えられた。
思い出す度に顔から火を噴きそうだ。
でも彼に言わせると、僕は素直で覚えの良い生徒らしい。言われるままにする。繰り返す。それだけで、僕の躰は僕の意志を離れてアルビーの望むままに作り変えられ、どんどん彼に馴染んでいた。もう、あの時のように、歩けないほど痛いと感じることもない。それどころか……。
心の中では、もうこんな事は嫌で嫌で仕方がないのに、彼のあの瞳を見る度に、エレベーターで高層ビルの天辺に昇っていっているような、背骨を這い上がり頭頂から突き抜ける欲望に支配される。
まるでマリオネットのように意志は消え去り、操られるままに踊る自分に吐き気すら覚えるというのに。
それでも、アルビーが僕を求め、僕が応えていさえすれば、彼をあの闇の中に攫われることはないのではないか、と、そんな希望があったから。だから僕は何とかこの現状を耐えられるんだ。
ぽっかりと空いたアルビーの心に巣くう巨大な虚空。あんなものに、彼を奪われたくない、その一心だけで。
熱いシャワーで丁寧に躰を洗い、泡を落とし、禊を済ませる。
まるで神に捧げられた生贄の供物。僕を支配する美しい神に、こうして幾度となく喰い散らかされても、僕はまたすぐに再生する。何度でも喰われるために。天上の火を地上に与えたプロメテウスのように。果てしなく、この残酷な儀式は繰り返される。
こうして今日も僕は彼の部屋のドアを叩くんだ。
痺れるほどに甘美で、虚しい、僕を蝕む毒をこの躰の隅々まで浴びる、それだけのために。
シンクに溜まった洗い物を片付けている僕の背後で、アルビーはコーヒーを飲んでいる。
「イースター休暇前に、レポート提出があるから」
僕は振り返ることなく応える。仕方なさを装って。
「家ですればいい。見てあげるのに」
「いいよ。きみだって忙しくしているじゃないか。自分で何とかできることで、誰かを煩わせる訳にはいかないよ」
「僕はちっとも構わないのに」
背中にアルビーの視線を感じる。僕は身を竦ませて、ぎこちなく洗い物を続ける。彼のコーヒーの香りが纏い付く。この洗剤の香りで消してしまいたい。
僅かしかない洗い物を、時間をかけて何度も擦った。アルビーがコーヒーを飲み終わって部屋に戻ってくれるのを祈りながら。解っているのに。アルビーの方こそ、僕が洗い終わるのを待っているってこと。
「コウ」
うなじにかかる彼の息にびくりと肩が震えて、手にしていた皿を取り落としそうになる。
「僕の部屋に来る?」
ぶんぶんと首を振る。
「レポートが残っているんだ」
肩から抱き抱えられるように廻された腕が邪魔で、上手く洗えない。
「じゃあ、早く終わるように手伝ってあげる。コウの部屋へ行こうか?」
密着される躰に身動ぎもできない。首を小さく横に振る。
「それなら、今、ここでする?」
冗談とも本気ともつかない甘い囁きが耳を擦る。
「アルビーの部屋に行く」
掠れた声で囁くと、アルビーはくすりと笑った。もう僕は、こんな時、彼がどんな顔をするか良く判っている。獲物を捕らえた猫のような、満足そうな瞳でぺろりと顔を舐めるのだ。僕の……。
僕は剥製にでもなったかのように動かない。されるがまま。
マリーのいない金曜日の夜が来ることが、辛かった。友人の家に泊まりに行く彼女の都合が急に変わって、約束をキャンセルされたから夕食を一緒にたべましょう、とか、相手が風邪で泊まれなくなったとか、そんなメールか電話がないものかと、この瞬間まで願っている。
洗い物を終えたら、今度は自分の躰を念入りに洗う。直ぐに浴室に向かわなければならない。ぐずぐずしていると、彼は「一緒に」って言い出すから。あの日のような恥ずかしい想いは、もう二度と味わいたくない。
初めての時は本当に何も知らなくて、まさかあんなことをされるなんて想像すらしていなくて、途中で慌ててシャワールームに駆け込んだ。そんなムードも何もぶち壊しなことを、アルビーが許してくれる訳はもちろんなくて……。シャワールームで、こういうことの礼儀と作法を懇切丁寧に実地で教えられた。
思い出す度に顔から火を噴きそうだ。
でも彼に言わせると、僕は素直で覚えの良い生徒らしい。言われるままにする。繰り返す。それだけで、僕の躰は僕の意志を離れてアルビーの望むままに作り変えられ、どんどん彼に馴染んでいた。もう、あの時のように、歩けないほど痛いと感じることもない。それどころか……。
心の中では、もうこんな事は嫌で嫌で仕方がないのに、彼のあの瞳を見る度に、エレベーターで高層ビルの天辺に昇っていっているような、背骨を這い上がり頭頂から突き抜ける欲望に支配される。
まるでマリオネットのように意志は消え去り、操られるままに踊る自分に吐き気すら覚えるというのに。
それでも、アルビーが僕を求め、僕が応えていさえすれば、彼をあの闇の中に攫われることはないのではないか、と、そんな希望があったから。だから僕は何とかこの現状を耐えられるんだ。
ぽっかりと空いたアルビーの心に巣くう巨大な虚空。あんなものに、彼を奪われたくない、その一心だけで。
熱いシャワーで丁寧に躰を洗い、泡を落とし、禊を済ませる。
まるで神に捧げられた生贄の供物。僕を支配する美しい神に、こうして幾度となく喰い散らかされても、僕はまたすぐに再生する。何度でも喰われるために。天上の火を地上に与えたプロメテウスのように。果てしなく、この残酷な儀式は繰り返される。
こうして今日も僕は彼の部屋のドアを叩くんだ。
痺れるほどに甘美で、虚しい、僕を蝕む毒をこの躰の隅々まで浴びる、それだけのために。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説



サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
ドS御曹司の花嫁候補
槇原まき
恋愛
大手化粧品メーカーで研究員として働く、二十九歳の華子。研究一筋で生きてきた彼女は、恋とは無縁ながら充実した毎日を送っていた。ところがある日、将来を案じた母親から結婚の催促をされてしまう。かくして華子は、結婚相談所に登録したのだけれど――マッチングされたお相手は、勤務先の社長子息!? 人生イージーモードだった御曹司サマが 、独占欲を剥き出しにして無自覚な子羊を捕食する! とびきり濃厚なマリッジ・ロマンス。

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる