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第三章 明巴

9 監禁された

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 ぶちっという音とともに、両腿りょうももの圧迫感が消えた。続けて、肋骨ろっこつを圧迫する、革ベルトが動く。
 まだ足首を縛られているが、血流の回復と共に、俺の希望が見えてきた。

 と、前にエイミが転がり出た。素早く起き上がった視線が、俺の背後に向く。じりじりとエイミが動くにつれ、狭い俺の視界にも、あの大男が見えてきた。

 エイミは黒い服に身を包み、ナイフを構えている。大男に襲いかかると同時に腕を振るう。ナイフが、きらりとひらめきを残し、飛び去っていった。

 「うぐう」

 誰の声かわからない。2人は視界の外にある。み合う気配は伝わった。平和理に、ではなく、敵対的に、である。

 「やめなさい!」

 暗がりから、明巴が走り出てきた。銃を真っ直ぐ構えるその筒先は、俺に向けられている。寒いのに、ブワッと汗が噴き出した。

 「撃つわよ。武器を捨てて、加納かのうを放しなさい」

 重さのある物が落ちる音。この野郎、と加納が低く唸った。

 「う」

 うめき声。どすどす、と重い音がした。

 「加納、やめなさい。その娘も縛るのよ。山井、ロープを持ってきて」

 明巴は銃を下ろさない。エイミは抵抗を止めたらしい。
 ほどなく暗がりから、山井がロープを1束抱えて現れた。

 コーヒーに睡眠薬が入っていたのか、と今になって理解した。

 「そんなにきつく縛らなくてもいいのよ、加納」

 「お嬢様、こいつはただ者じゃありません。SP崩れの私と、一瞬でも張り合った。何かしら特殊な訓練を受けているに違いない。山井さん、ガムテープを持ってきてくれ」
 「はい」

 再び山井が、暗がりへ小走りに消える。

 肝心の、エイミと加納とかいう大男がどうなっているのか、さっぱり見えないのがもどかしい。
 それに、えすぴいくずれって何だろう。有名香辛料メーカーの名前、あれはS&Bエスビーか。

 明巴はようやく銃を下ろした。俺の緊張も少しゆるむ。

 「アオヤギさんって、ただの予備校生じゃなかったのね。あなたの招待は明日なのに、また随分ずいぶん早く到着したこと。いやだ、何してるの」

 「他に武器を隠し持っているか調べているだけです。ちょっと失礼」

 びーっと布を裂くような音がした。あ、こんなところにも、と加納が言った後、かちゃかちゃと金属の触れ合うような音が聞こえた。

 「銃刀法違反とまではいかないところが、また、ただ者じゃないな。お前、どこかのスパイじゃないのか」

 エイミの答えは聞こえなかった。山井がガムテープを持って戻ってきた。テープを破く音がした。

 「いいこと考えた。加納、目隠しを取って、両手のロープを解くのよ」

 「しかしお嬢様」

 「か、の、う」

 「はい」

 アキレス腱でも切れるような音がした。解くのが面倒なので、ロープを切ったのだろう。

 その間に、明巴は山井に何やら命じた。

 山井が俺の方へやってくる。初対面の落ち着きは消え、強い立場の側にいるのに、びくついていた。
 荒仕事あらしごとは担当外なのだ。
 縛り付けていたものを外し、俺を地面に横たえた。山井を脅して逃げられるか、と考えた。
 しかし、手足はしっかり縛られたままである。

 エイミの姿が目に入った。
 黒い服はあちこち切り裂かれて、後ろで結んでいた髪も解かれていた。
 口元にガムテープが重ねて貼られている。縛られたのは足だけのようであるが、ぐったりと動かない。

 さっきの重い音は、加納に殴られた音だったのかもしれない。

 しかし、両目はちゃんと開いていた。と、加納がエイミを抱え上げ、俺の視界から消えた。

 しばらくして戻ってきた加納は、今度は俺を抱え上げた。

 殺される、と思った途端に冷や汗がにじむ。そして夜気を冷たく感じる。

 山井が脚立を用意しているのが見えた。加納は肩にロープを負っている。

 「全く、お嬢様は悪趣味だ」
 「あんたも楽しんでいるくせに」

 加納と山井が言い合う間に、俺は木から複数のロープで吊り下げられた。
 見えるのは木の枝ばかりである。どのくらいの高さかもわからない。人の去る気配がした。このまま一晩放置されたら、凍死しそうだ。俺はもがいた。

 ひゅっ。あごの辺りに、覚えのある感触が走った。銃弾である。

 「殺される」

 どうせ猿ぐつわで言葉にならないのである。俺は恥も外聞もなく、もがいた。抵抗の甲斐あってか、しばらく銃弾の風を感じなかった。

 ざしっ。

 がくんと体が揺れた。
 上から蛇が落ちてきた。

 悲鳴にならない声を上げてから、降ってきたのがロープであることに気付いた。

 ざしっ、ざしっ。

 音がする度に体が不規則に揺れ、3発目で俺の体は、地面に落ちた。

 拍子抜けするくらい、地面は近かった。思っていたより、低い位置に吊られていたようだ。その図を想像すると、恥ずかしい。
 体をひねって向きを変える。向こうの木にも、何かぶら下がっているのが見えた。そちらは高い位置にあった。

 男2人が駆け寄り、長い物を取り上げ、木から下ろそうとしている。輪郭が暗がりに溶け込み、定かではないものの、多分エイミなのだろう。

 捕われの身とはいえ、主人を撃つとは、とんでもない部下である。明巴が目の前に来て、視界がさえぎられた。

 「大した腕前ね。それとも、これが愛の力かしら」
 「何の話ですか」

 猿ぐつわを通しても、明巴には意味が分かったらしい。ふふん、と鼻で笑った。

 「あそこからユーキを撃ち落とすことができたら、2人とも解放してあげるって言ったのよ。あんな体勢で撃って、しかも当てることができるなんて、やっぱり大したものだわ」

 やっぱり。あんなところから木に吊るされながら俺を撃ったのだ。俺が動いたから、たまたま当たったに決まっていた。危うく死ぬところであった。ひえええ。

 これで解放されると聞いて、俺はほっとした。
 そこへ、加納がエイミを抱えてやってきた。その後ろから、山井が銃を抱えて付き従う。

 「エイミ様~」

 情けない声が聞こえた。暗がりから、両手を上げてフタミが出てきた。
 山井夫人が、へっぴり腰で背後から銃を突きつけていた。山井が慌てて、夫人の元へ走って行った。

 「誰、あれ? 知り合い?」

 明巴が銃をフタミに向ける。フタミには全く戦意が見られない。誰も答えない。明巴がいらだったようにエイミに銃を向け、口が塞がれていることに気付いて下ろす。

 「どうしますか」

 加納が訊いた。

 「あの若い子、なかなか可愛いのに、残念だわ。あなたたちが応援を呼んで約束を破ったのだから、私の約束もちょうしね。3人とも、とりあえず縛っておいて。今日はもう終わり。続きはまた明日にするわ。まとめて部屋に放り込んでおきなさい」

 明巴は面倒くさそうに答えた。


 俺は洗い場の前で弱り切っていた。トイレに行きたかった。

 放り込まれた部屋にはトイレがなく、洗面台まで来てみると、脇に排水口のついた低い囲いがあった。
 生憎あいにく、両手を縛られたままであった。

 このままでは垂れ流しである。この後、もしかしたら殺されるとしても、まだそこまで自棄やけにはなれなかった。

 ざっざっ、と引きずるような音がする。エイミが近付いていた。俺の意を察して、頑張って来てみたらしい。

 部屋を調べるつもりか、隅から隅まで大旅行をしたフタミも、ふがふが言いつつ、こちらへ向かう。

 「折角来てもらっても、そんな状態ではこれを解くことはできないよな」

 俺が言うと、エイミは縛られた手の先を動かした。指だけ紐から出ている。俺はさすがに躊躇ためらった。

 「お前、自分がやるって言っている意味、わかっているのか」

 エイミの頭が小さく上下した。俺も猿ぐつわを噛まされている。ちゃんと、意思疎通いしそつうできているのだろうか。

 口の周りを一周しているガムテープの中心から、何か薄い物が出て来たと思ったら、ぱっくりとテープが割れた。

 「どうぞ、どちらでもお使いください」

 割れ目から、明瞭めいりょうな言葉が発せられた。いつかラブホテルで見た映像が、脳裏をよぎる。俺は頭を振って、危ない妄想を振り払った。俺の我慢も限界に近付いていた。

 「!」

 芋虫いもむし式としては、恐るべき早さでフタミが到着した。うつ伏せで、手を必死に動かしている。意味するところは明らかだった。俺はフタミに手伝ってもらって、トイレを済ますことができた。

 「ふう、死ぬかと思った」
 「

 悪いが何を言っているのか、さっぱりわからない。危機が去って、読み取り能力が落ちたみたいだ。

 「これで切ってみるか」

 エイミの口からぺろりとカミソリの刃が出てきた。俺の下半身が縮み上がる。妄想を振り払って本当によかった。
 もしかしたら、今頃息子が血まみれだったかもしれない。出血多量で死ぬ。

 フタミが要らない、と言ったのだろう。カミソリの刃は、一旦エイミの口に収納された。

 「フタミ。もし可能なら、これを私の手に持たせてもらえないか。お前がユーキ様の縄を解く間に、自分でいましめが解けないか、試してみる」
 「

 フタミは苦労して向きを変え、自分の手をエイミの口へ持っていき、刃を受け取った。それからまた苦労してエイミの手に刃を持たせ、俺のところへ戻ってきた。

 「

 まず、手からほどきましょう、と言っているようだ。

 フタミは横たわった俺と背中合わせになり、手探りで手首の結び目をほぐし始めた。

 結び目が見えない上に固いらしく、無理な姿勢だ。なかなかほどけない。

 フタミは、時折休みを差し挟みながら、根気よく作業を続けた。布で縛られた猿ぐつわの方が早く解けそうだ。だが、猿ぐつわが取れても大して役に立たない。

 べりべりと音がした。続いて、ばさばさと何かが床に落ちる音。

 フタミの手が止まった。重い物を動かす音。フタミが離れる気配がする。
 間もなく、俺の手は自由になった。
 まず猿ぐつわを外して上体を起こすと、エイミがフタミの手首の紐を、解いているところだった。

 俺は自分で、足首の紐を解こうとした。結び目が固い。爪がげそうだ。諦めた。

 「エイミ様~」
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