雌伏浪人  勉学に励むつもりが、女の子相手に励みました

在江

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第二章 棗

6 彼女の家に誘われた

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 「おい、俺。2次会行こうぜ」
 「行こうよフジノくん」

 磯川霞が腕を絡めて俺を引っ張る。辺りにまる同級生の間から、からかいの声が上がった。

 「ほら、彼女も行きたいって」
 「イキたいって」

 ハハハ、と野卑やひな笑いが起こる。その時俺は、離れたところの電信柱の陰から見つめる室越棗の姿に気づいた。

 「室越」

 思わず声がれる。視界のはしで、霞の顔色が変わったのがはっきりわかった。絡まった腕から、彼女の震えが伝わった。同級生たちも、霞の異変に気づいた。

 「どうしたんだよ、磯川」
 「具合悪いんじゃない?」
 「霞ちゃん大丈夫?」
 「だ、大丈夫。でも、ごめん。ちょっと疲れが出ちゃったみたいだから、2次会はパスするわ。皆に会えて嬉しかった」

 歯の根がみ合わないみたいに、あやふやな発音で霞が無理に笑顔を作る。
 同級生たちの間に戸惑いが広がる。明らかに異変が起きている霞を置いて、このまま遊びに行ってよいものか。

 「ユーキ、同じ方向だろ。磯川を送っていけよ」

 後から出て来た幹事が言った。それをしおに、同級生たちは別れを惜しみながらも、2次会組、帰宅組、と分かれて歩き始めた。霞はまだ震えながら立っている。

 視線を追った俺は、彼女が棗のいた電信柱を見つめていることに気づいた。

 棗の姿は既にない。人ごみに紛れつつある同級生のかたまりを探したが、棗を見つけることはできなかった。俺は棗探しを諦め、まだしがみついている霞に声をかけた。

 「顔色悪いから、途中まで送っていくよ」

 俺の顔を見るまで、霞はほっとしたような表情を浮かべていた筈だった。こちらに顔を向けた途端、ひっ、と音を立てて大きく息を吸い込んだ。

 「いいの。ごめんね、引き止めて。わたし一人で帰れるから、フジノくんは2次会行って。じゃあね」

 目も合わせず、ぱっと腕を放すと、転がるように駆け出した。つられて俺も走り出す。

 「待てよ」
 「フジノくん」

 2歩ばかり踏み出したところで、俺の足は止まった。俺の五感は、聞き覚えのある声の持ち主に集中した。

 「室越」

 振り向いたすぐ目の前に、記憶と寸分違わぬ室越棗が立っていた。


 「なんで同級会に、顔出さなかったのさ」
 「うーん。近くまで来てみたんだけど、出席の返事出していないし、現役で大学へ行った人たちしか見かけなかったから、なんか恥ずかしくて行けなかったのね」

 棗はおかっぱ頭を揺らしながら、俺と並んで歩いている。見覚えのある地味な色合いのワンピースを着て、薄手のカーディガンを羽織っている。棗もやはり浪人したのか、と俺は思った。

 「俺、浪人して予備校へ通っているんだけど、同級会は別にどうってことなかったよ。室越も来ればよかったのに」
 「うん、そうすればよかった」

 棗の声がかげりをびる。
 俺は明るい話題を探した。すぐには思いつかない。しばらく2人で黙って歩いた。

 不思議な気持ちだった。高校時代、俺は男女交際こそしなかったものの、友達感覚で男女の同級生と言葉を交わしていたつもりだった。

 それでも棗とは、ほとんどまともに口を利いた覚えがなかった。今にして思えば、霞のような積極的な女生徒以外と、用もないのに言葉を交わすことはなかった。

 そして棗に特別な感情を抱いていた俺は、それゆえに彼女を無意識に避けていたかもしれなかった。
 それが今、こうして2人きりで普通に会話し、ただ並んで歩くなど、当時想像もつかなかった。
 俺は急に、胸が高鳴るのを感じた。

 「お腹空いたでしょう。その辺で何か食べようか。俺も少しぐらいなら付き合えるよ」

 駅前に来ていた。俺は同級会で飲み食いしていたから満腹であったが、店に入れば、ゆっくり話もできる。少しでも長く一緒にいよう、という計算も働いていた。
 棗は首を振った。やや伸びかけた髪が、さらさらと揺れた。

 「お腹は空いていないわ。うちへ来ない? 今、皆出かけていて、1人でいても寂しいし、フジノくんともゆっくりお話できたら嬉しいな」
 「じゃあ、駅へ行って電車の時間を見よう」

 俺はさらに気分が高揚した。
 思いがけず2人きりで話す機会ができた上に、いきなり家へ誘われたのだ。
 ついつい都合のよい展開がパノラマのように脳裏のうりに広がるのを、理性で必死に食い止める。

 棗の家で2人きりで音楽を聞きながら話をすると、棗の顔が間近にあることに気づくところまで想像は一気に進むのだが、それ以上は出てこない。

 俺の内心を知らず、棗は大人しく俺の後をついてくる。

 ちょうどよい時間の電車があったので、俺たちはすぐ改札を通った。
 お盆でも働いている人は多いようで、どこかへ遊びに行った帰りの一団に混じって、勤め帰りらしき人々もちらほら見えた。夕方のホームはそれなりに混雑していた。


 電車の中は行きよりも混雑していて、俺と棗は車両の端に立っていた。運転席を通して、進行方向が見えた。

 「混んでいるね」
 「ええ。これでは話もできないわ。でも、降りたらゆっくり話しましょうね」

 棗が言うので、俺も無理に車内で話しかけず、人々に挟まれながら電車に揺られた。

 棗がいつも乗り込んで来た駅に着いた。俺が乗り降りしていた駅に比べれば多少大きいものの、やはり地方の小さな駅には違いない。改札を出るとすぐ駅の外である。

 駅前にはいくつかの個人商店が立ち並んでいるが、お盆で軒並み休業だった。線路脇の空き地には、自転車がたくさん乗り付けてある。一緒に降りた何人かは、出迎えの車に回収されていった。

 「駅から家までどうしているの?」
 「歩いてきたの。一緒に歩きましょう」

 棗は先に立って歩き出した。俺は足を早めて追いつき、並んで歩いた。
 すぐに商店も家並みも途切れ、田畑の間に古い家がまばらに建つ、閑散とした風景に変わった。

 長い夏の日もさすがに傾きつつある。夕日の周りがだいだいがかった赤い色に染まり、東の空は暗い青みを帯びていた。

 棗の足は思っていたより早い。俺は、息切れしはじめてから、そのことに気づいた。

 「結構、歩くの早いんだね」
 「そう? いつも1人だったから、どうしても早足になっちゃうのかもしれない」

 答えつつも、棗の歩みはゆるまなかった。2人並んで歩きながら、会話を楽しもうと考えていた俺は、あてが外れてしまった。

 辺りはもう薄暗い。田んぼの中で話すよりも、家で腰を落ち着けて話した方がよいに決まっていた。
 それで、俺は息を弾ませながら棗に歩調を合わせ、ほとんど黙って歩き通した。

 棗の家も、田畑の間に散らばる家々の1つであった。自動車1台がやっと通れる草の生えた道の奥に、古い木造建築の農家があった。

 俺の家にも負けない大きさの門がある。2枚の板からなる門扉は、ぴったり閉ざされていた。

 「普段は開け閉めするのが大変だから、この門は使わないの。こっちよ」

 棗が白塗りの壁伝いに俺を誘った。ついていくと、脇に勝手口のような小さな一枚扉があり、棗が押すのに従って易々やすやすと開いた。

 庭を横切って、玄関から入る。この辺りの農家にありがちな、玄関の引き戸に鍵のかかっていない家である。戸を開けるとすぐ土間どまがあり、靴を脱ぐのはその先から。棗は土間を横切って、俺を手招きした。

 「私の部屋はこっち。上がって」

 土間の脇に建て増ししたような空間があり、そこが棗の部屋であった。
 土間を挟んで離れのようになっている。俺の家にある亡父の部屋も、距離は違うが似たような造りであった。

 中は女の子らしい雰囲気だった。白いベッドに白木しらきの机と椅子、ベッドカバーにもクッションにも、カーテンにも、ふりふりのレースが飾られていた。
 いかにも棗にふさわしい部屋であるが、同時に、学校で見ていた棗の印象とは随分違うように思われた。

 「私らしくない、って思うでしょう」

 心を読んだように、棗が言う。俺は首を振った。

 「学校での印象とは違うけれど、この部屋は室越のイメージに合っていると思うな」
 「よかった。私も本当はこういう感じのものが好き」

 棗は嬉しそうに笑った。ふと俺は、棗の笑いにかげりを感じた。何故、学校でのイメージと本当のイメージとの間にこれほど落差らくさがあるのか、ここで聞くべきなのだろうか。

 「普段からこんな感じの服を着ていれば、もっと似合ったのに」
 「そうね。今から思えば、好きな服を来ていたらよかったわ」

 半端な言い方しかできず、当然棗の返事も曖昧あいまいだった。下心ありきで家まで来たのに、どうにも男と女の雰囲気には遠い。棗の内気な性格のなせるわざかもしれない。

 「今からでも遅くないよ。イメージチェンジと言うじゃないか」
 「ありがとう。でも、いいの」

 棗はまた、翳りのある笑い顔になった。俺は急に寒気を感じた。都会のような熱帯夜とは比べ物にならないとはいえ、盆の、暑い盛りである。

 「風邪でも引いたかな」
 「どうしたの」

 独り言を、棗が聞きとがめた。俺は笑顔を作った。

 「ううん、ちょっと寒気がしただけだよ」
 「あら、大丈夫? 熱でもあるのかしら」

 急に棗が近寄って、俺の額に手を当てた。彼女の掌は、ひんやりしていた。

 「気持ちいい」

 俺はうっとりとまぶたを閉じた。やはり熱があるらしい。帰省の目的である同級会が終わって、ほっとしたせいで、一気に疲れが出たのだろう。

 「そう?」

 棗は額に手を当て続けた。俺は眠気が差して来て、目を閉じたままベッドに寝転がった。

 「少しだけ休ませて」
 「いいわよ。いくらでも」

 瞼を透かして、棗の顔が見えた。透明感のある抜けるような肌が、暗闇を背に白く浮かび上がっていた。
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