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25 街角の幻影
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アリストファム王国から帰国すると、ヒサエルディスは侍女の任を解かれた。
エルフ国では、王族であっても、人間のように何から何までかしずかれる訳ではない。側に付ききりで世話をして見せる役割も、見せる相手がなければ不要である。
残念なことには、リチャードから餞別、実は愛の証として贈られたブローチが、帰国審査で持ち込み不許可となり、没収された。
「アリストファム王国ゆかりの方から頂いた、大切な品物なのです。何とかなりませんか」
ヒサエルディスは、その場でも、没収された後にも、理屈を変えては何度も掛け合ったが、ブローチが手元に戻される事はなかった。
彼女は大胆にも、没収物を保管する倉庫から、盗み出そうとまで考えた。
だが、国境警備本部にも、王城にも、そのような倉庫は存在しなかった。持ち込み、あるいは持ち出しが不許可と予想される品物を持って国境を跨ぐエルフは、滅多にいない。倉庫は不要なのだ。
となると、国境の外側へ廃棄された、と考えるしかない。彼女は国境の外へ出た時に周囲を探してもみた。
それらしい物は、見つからなかった。
リウメネレンの家へ出入りできないことも、ヒサエルディスの気分を鬱屈させた。
彼は、彼女が帰国の挨拶に登城した時、既に不在であった。
行方不明ではなく、王命によって留守にしているとのことだった。その内容も、行き先も、誰も知らない。
唯一知るのは、エルフ王のみである。
流石に訊く事はできなかった。王女であるティヌリエルも、知らぬ事である。
そのティヌリエルとも、帰国後は疎遠な関係になった。
思い返せば、侍女となる以前も、必要に応じて供をしただけで、普段からべったりと付き合う関係でもなかったのである。
元々、王女に仕えてきたのは乳母のファヌィアルであり、ヒサエルディスはその娘に過ぎない。
一度付ききりの関係となった後では、一層距離が遠くなったように感じられた。
王女は、帰国審査でヒサエルディスがブローチを取り上げられた時、何の口添えもしてくれなかった。
公的な贈り物ではない事は、明らかだった。
アリストファム王国から、護衛を含むお付きへの贈答品は、主人として全て把握している。その中に、彼女のブローチは含まれていない。
ブローチの贈り主が、いずれただならぬ関係の者、と察したのであろう。贈り主を、リチャードと看破したかも知れない。
ティヌリエルもまた、リチャードに思慕を向けている。嫉妬から、ブローチがヒサエルディスの手を離れることを喜んでこそ、口添えなどする筈もなかった。
そう考えると、王女と距離ができたのは必然であり、互いに都合の良い事であったのだ。
「外出? 私が、ティヌリエル様と?」
つい、母に聞き返してしまった。
リウメネレンが戻らないせいで、ヒサエルディスは毎日暇を持て余していた。
外出する用と言えば、リチャードがくれたブローチが落ちてやしないか、と国境付近の森を徘徊する程度である。
「帰国してから、王女様の元気がないのよ。食欲もおありにならないし。王様は縁談を考えていらしたのに、あれでは進まないわ」
母の言で、ヒサエルディスは不調の原因を察したが、口にはしない。
「すっかり、お痩せになってしまって。リウメネレン様に診ていただこうにも、当面戻る予定はないみたいで。気晴らしに、人間の街へお出かけを提案したら、お前が一緒なら、と仰ったの」
母は何故か自慢げに話す。ティヌリエルと娘の仲について、誤解があるようだ。
これにも、ヒサエルディスは沈黙を守る。現に、王女が娘を指名して誘うのに、男を巡って争いがある、などと説明したところで、説得力に欠けるというものである。
そういう訳で、彼女は王女とエルフ国の外へ出かけることとなった。
暫くぶりに見たティヌリエルは、実際やつれていた。
好きな相手を遠目に見ることも叶わず、他の結婚相手を勧められた。その上、好きな相手は別の女と愛を育んでいるのだ。
ヒサエルディスは、いわば、恋敵である。彼女と外出したがる理由が、王女にあるとも思えない。
護衛も遠慮して、遠巻きに見守る中、二人きりで街を歩く。
どちらも口を開かなかった。ただ歩くだけでも気晴らしにはなる。ヒサエルディスから、無理に話しかけるつもりはなかった。
人間の女の子が、花束を持って駆け寄ってきた。
護衛との距離は遠い。ヒサエルディスは、王女の前へ立ち塞がるようにして、腰を屈めた。
懐かしさで目の覚めるような、香りがした。
「どうしたの?」
「綺麗なお姉ちゃんたちに、これを上げてって、あそこのフードの人が」
「ありが、と、う」
ヒサエルディスは習慣的な動きで、花束を受け取り、女の子に小銭を与える。そして、無意識のうちに、横からすり抜けようとするティヌリエルを抱き止めた。
「何で止めるの?」
王女は、そこで口を噤んだ。護衛が駆け寄って来たからである。
その間に、女の子は駆け去り、フードの人物も視界から消えていた。
「今の子供は? 念の為、それを確認させてください」
護衛が手を差し出す。
「大丈夫。ただ殿下に贈り物をしたかっただけみたい」
咄嗟にそう答えた。護衛に示した手の中には、花のついた一本の茎が残っていた。
ティヌリエルは、口を引き結んだままだった。
何故、止めたのか。
ヒサエルディスの方が、知りたかった。
ティヌリエルのことは、どのみち止めただろう。知りたいのは、代わりに彼女が行かなかった理由である。
フードの人物は、リチャード=オールコックだった。間違いない。
あの花は、最初に逢引きした時、彼が彼女を呼び出すために使った薬草だった。
顔も体もフードとマントで覆い隠されていたが、ヒサエルディスには彼と見分けられた。ティヌリエルも、見抜いたからこそ、飛び出そうとしたのだ。
同時に、彼からは、これまでになかった何かを感じた。
その何かが、ヒサエルディスの足を、その場に留めたのである。
果たしてあれは、リチャード本人だったのだろうか。よく似せた幻影を、魔術で作ってみせたのかもしれない。
如何にも彼が好みそうな魔法であった。
ティヌリエルが、彼女と同じものを感じたかどうかは、わからない。
王女は、その場が落ち着いた後、リチャードが消えたと思しき方向へ足を向け、暫く辺りを散策していた。さりげなさを装い、彼を探しているのは明らかだった。
リチャードも、彼からの接触も、それきりだった。
捜索を諦めて戻る帰途も、二人の間に会話はなかった。
ティヌリエルは、不機嫌を隠そうともしなかった。
往きよりも生気が蘇ったように見えたのは、皮肉なことである。
エルフ国では、王族であっても、人間のように何から何までかしずかれる訳ではない。側に付ききりで世話をして見せる役割も、見せる相手がなければ不要である。
残念なことには、リチャードから餞別、実は愛の証として贈られたブローチが、帰国審査で持ち込み不許可となり、没収された。
「アリストファム王国ゆかりの方から頂いた、大切な品物なのです。何とかなりませんか」
ヒサエルディスは、その場でも、没収された後にも、理屈を変えては何度も掛け合ったが、ブローチが手元に戻される事はなかった。
彼女は大胆にも、没収物を保管する倉庫から、盗み出そうとまで考えた。
だが、国境警備本部にも、王城にも、そのような倉庫は存在しなかった。持ち込み、あるいは持ち出しが不許可と予想される品物を持って国境を跨ぐエルフは、滅多にいない。倉庫は不要なのだ。
となると、国境の外側へ廃棄された、と考えるしかない。彼女は国境の外へ出た時に周囲を探してもみた。
それらしい物は、見つからなかった。
リウメネレンの家へ出入りできないことも、ヒサエルディスの気分を鬱屈させた。
彼は、彼女が帰国の挨拶に登城した時、既に不在であった。
行方不明ではなく、王命によって留守にしているとのことだった。その内容も、行き先も、誰も知らない。
唯一知るのは、エルフ王のみである。
流石に訊く事はできなかった。王女であるティヌリエルも、知らぬ事である。
そのティヌリエルとも、帰国後は疎遠な関係になった。
思い返せば、侍女となる以前も、必要に応じて供をしただけで、普段からべったりと付き合う関係でもなかったのである。
元々、王女に仕えてきたのは乳母のファヌィアルであり、ヒサエルディスはその娘に過ぎない。
一度付ききりの関係となった後では、一層距離が遠くなったように感じられた。
王女は、帰国審査でヒサエルディスがブローチを取り上げられた時、何の口添えもしてくれなかった。
公的な贈り物ではない事は、明らかだった。
アリストファム王国から、護衛を含むお付きへの贈答品は、主人として全て把握している。その中に、彼女のブローチは含まれていない。
ブローチの贈り主が、いずれただならぬ関係の者、と察したのであろう。贈り主を、リチャードと看破したかも知れない。
ティヌリエルもまた、リチャードに思慕を向けている。嫉妬から、ブローチがヒサエルディスの手を離れることを喜んでこそ、口添えなどする筈もなかった。
そう考えると、王女と距離ができたのは必然であり、互いに都合の良い事であったのだ。
「外出? 私が、ティヌリエル様と?」
つい、母に聞き返してしまった。
リウメネレンが戻らないせいで、ヒサエルディスは毎日暇を持て余していた。
外出する用と言えば、リチャードがくれたブローチが落ちてやしないか、と国境付近の森を徘徊する程度である。
「帰国してから、王女様の元気がないのよ。食欲もおありにならないし。王様は縁談を考えていらしたのに、あれでは進まないわ」
母の言で、ヒサエルディスは不調の原因を察したが、口にはしない。
「すっかり、お痩せになってしまって。リウメネレン様に診ていただこうにも、当面戻る予定はないみたいで。気晴らしに、人間の街へお出かけを提案したら、お前が一緒なら、と仰ったの」
母は何故か自慢げに話す。ティヌリエルと娘の仲について、誤解があるようだ。
これにも、ヒサエルディスは沈黙を守る。現に、王女が娘を指名して誘うのに、男を巡って争いがある、などと説明したところで、説得力に欠けるというものである。
そういう訳で、彼女は王女とエルフ国の外へ出かけることとなった。
暫くぶりに見たティヌリエルは、実際やつれていた。
好きな相手を遠目に見ることも叶わず、他の結婚相手を勧められた。その上、好きな相手は別の女と愛を育んでいるのだ。
ヒサエルディスは、いわば、恋敵である。彼女と外出したがる理由が、王女にあるとも思えない。
護衛も遠慮して、遠巻きに見守る中、二人きりで街を歩く。
どちらも口を開かなかった。ただ歩くだけでも気晴らしにはなる。ヒサエルディスから、無理に話しかけるつもりはなかった。
人間の女の子が、花束を持って駆け寄ってきた。
護衛との距離は遠い。ヒサエルディスは、王女の前へ立ち塞がるようにして、腰を屈めた。
懐かしさで目の覚めるような、香りがした。
「どうしたの?」
「綺麗なお姉ちゃんたちに、これを上げてって、あそこのフードの人が」
「ありが、と、う」
ヒサエルディスは習慣的な動きで、花束を受け取り、女の子に小銭を与える。そして、無意識のうちに、横からすり抜けようとするティヌリエルを抱き止めた。
「何で止めるの?」
王女は、そこで口を噤んだ。護衛が駆け寄って来たからである。
その間に、女の子は駆け去り、フードの人物も視界から消えていた。
「今の子供は? 念の為、それを確認させてください」
護衛が手を差し出す。
「大丈夫。ただ殿下に贈り物をしたかっただけみたい」
咄嗟にそう答えた。護衛に示した手の中には、花のついた一本の茎が残っていた。
ティヌリエルは、口を引き結んだままだった。
何故、止めたのか。
ヒサエルディスの方が、知りたかった。
ティヌリエルのことは、どのみち止めただろう。知りたいのは、代わりに彼女が行かなかった理由である。
フードの人物は、リチャード=オールコックだった。間違いない。
あの花は、最初に逢引きした時、彼が彼女を呼び出すために使った薬草だった。
顔も体もフードとマントで覆い隠されていたが、ヒサエルディスには彼と見分けられた。ティヌリエルも、見抜いたからこそ、飛び出そうとしたのだ。
同時に、彼からは、これまでになかった何かを感じた。
その何かが、ヒサエルディスの足を、その場に留めたのである。
果たしてあれは、リチャード本人だったのだろうか。よく似せた幻影を、魔術で作ってみせたのかもしれない。
如何にも彼が好みそうな魔法であった。
ティヌリエルが、彼女と同じものを感じたかどうかは、わからない。
王女は、その場が落ち着いた後、リチャードが消えたと思しき方向へ足を向け、暫く辺りを散策していた。さりげなさを装い、彼を探しているのは明らかだった。
リチャードも、彼からの接触も、それきりだった。
捜索を諦めて戻る帰途も、二人の間に会話はなかった。
ティヌリエルは、不機嫌を隠そうともしなかった。
往きよりも生気が蘇ったように見えたのは、皮肉なことである。
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